バケモノ村の人間奥さん


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 月明かりと土の精気を養分にして、のびのびと育ってしまった炭のように黒い木々。ロドニオンはそんな奴らに行く手を阻まれ噛み付かれ、腹が立って逆に何度も食い千切りつつ奥へと向かう。荒れる道は獣道よりほんの少しマシな程度。オマケにどうぞ襲われてくれと言わんばかりに、森の中をぐるりと周るフルコース。
「あンのクソばばあ〜」
 恨み言に反応でもしたかのように、トゲ付きのツルが飛ぶ。ロドニオンは器用に避けつつ苛立ちながら、人間の匂いを探す。探しながらも不安と疑問は拭えない。あの奥さんはこんな中をどうやって進んだのか。そろそろ悲鳴が上がりはしないか、もう手遅れなんじゃないか。
 そこまで考え疑問は自分自身に向かう。
(何で俺が心配しなきゃなんねーんだよ)
 関係ないはずではないか。他の何かに関わるなんて、ましてや村の注目の的、ただのヒトの女なんかを一体どうして心配なんか。
 なんかと思えど気持ちは確かに不安な雲に覆われて、もやもやと胸元が煩わしい。
 獣の鼻がぴくりと動く。かすかに匂うヒトの残り香。ロドニオンは顔を上げる。
 黒い木々に埋もれるような、今にも壊れそうな家。太い幹が甘えるように寄り添って、建物自体がひしゃげかけ、屋根のくすんだ赤色だけが森の中にぼんやり浮かぶ。
 古びた木のドアには深く、『ハイルナ』と簡潔な主張が彫られている。
 噂には聞いていたが、異常に近寄りがたい家だ。偏屈者で有名な、頑固なベルシャばばあの家。ロドニオンは無言のまま立ち尽くす。仄かに残るヒトの匂いは一旦この中に入り、また道の奥へと戻っているようなので。
 遠慮がちにノックすると、濁った声が細々と耳に届く。
「ぅあーい。なんじゃーい」
 滅多に聞けない魔女の声。ロドニオンは逡巡し、取りあえず簡潔に尋ねてみる。
「狼男のロドニオンだけどよー。ここに人間の女が来なかったかー?」
「きーたーでぇー。おーう、はいるけぇー?」
 ロドニオンは生々しく刻まれている『ハイルナ』とノブを交互に眺め、そっけなく「おじゃまします」と言い捨てながらドアを開けた。そしてまたあんぐりと口を開けることとなる。
「おーう、ひさしぶりじゃのーう」
 いつも深くしかめられていたはずの、皺だらけのばばあの顔がほろほろと緩んでいた。細い眉目をへの字に下げて、弛緩した満足そうな表情で、机にどっかと突っ伏している。
 剥き出しになった背中には、一面の白い湿布。剥がしたあとの透明なビニールや、開封済みの空箱がそこら中に散乱している。
「……ばあさん」
「いやー、きもちええでぇー。あの人間はええ子じゃのー」
 魔女のばばあがこんな言葉を口にするのは今までにないことで、ロドニオンは開いた口が塞がらない。
 ベルシャばばあはゆっくりと体を起こし、作りかけの紙細工をこちらに向けた。
「ほれ、最近の人間はええもんを売っとるの。これさえあれば材料集めも楽勝じゃわー」
 平たく長い紙製の家。中は粘着らしきシート、中央部には小さな袋。開かれている入り口には紙切れが貼られている。まるで玄関マットのように。
「これを部屋のすみに置いとくとなー、ゴキブリが取れるんだとー。ほれ、こっちなんかネズミもとれるぞ」
 ばばあはどうやらそれらを作っていたようで、疲れたように目をしょぼつかせる。そして「おお」と声をあげて、机の下の紙袋から、新たなグッズを取り出した。
 イルカの形のアイマスク。中には青いジェルが入ってひんやり効果が期待できる。
「おお、効くのぉお」
 閉じた目にイルカを乗せて、おお、おお、と感心を繰り返しつつ、ほっこりと笑顔を見せる。ロドニオンは脱力しつつ、疲れたように尋ねかけた。
「……それもあの人間が?」
「そうじゃ。最初はどうやって追い出そうかと思ったが、気に入ってしもうたわ。ええ子じゃのう。ま、交換条件かもしれんが」
「交換? 何と」
 ばばあはパタパタアイマスクを叩きつつ、気分よさ気にのんびり言った。
「秘術じゃよ。ひ・じゅ・つ。どこから聞いたのかしらんが、魔女に伝わる極秘の配合なんぞをな。今、うちの庭に材料を取りに行っとるわい」
「はあ? 毒薬じゃねぇだろな」
 冗談混じりに言ってみたが、ばばあはどこか意味深な笑みを浮かべ、低い低い声で言った。
「さぁての。……ま、わしには関係ないことじゃ。ぱーちーなんぞ行かんからな」
 毛皮の背筋を寒気が降りる。ロドニオンの頭の中を嫌な予想が駆け巡る。
「何を教えた?」
「知らんなぁ。女同士の秘密じゃからの」
 けけけ、とばばあは笑う。ロドニオンは舌打ちし、踵を返して外に向かう。
「どうしても知りたけりゃあ、本人に聞けばいい。少し行けば材料を摘んどるわい」
「ああ、そうするよ!」
 ばばあの声を背に受けつつ外に出る。腐りかけの古びたドアを強く閉めた。
 薄れたヒトの匂いを探るが、答えは既に明らかだ。道はたった一本きり。森の深くへ続くだけ。ロドニオンはためらうように木々を眺め、その中に紛れるように、奥へ奥へと駆けて行く。
「何企んでんだあの女」
 苛立ちと憤りが正直に声に出る。彼の気持ちを煽るように、触手のような黒い枝が、伸びては視界を塞ごうとする。噛み切ると硬い繊維が口内でぞわりと躍る。気持ち悪さに腹を立てつつ倒れ掛かる幹を避け、足を狙う根の波を飛び越えて、ようやく木々がまばらな景色になってきた頃。
 人間の女の匂いが強く鼻をくすぐった。木々の開けた場所が見える。アグルスさんちの奥さんが、しゃがみ込んで薬草を摘んでいる。無防備な薄い服一枚きりで、小柄な体でのんびりと微笑みながら。外傷も血の匂いも見つからない。ロドニオンは思わずその場に立ち尽くし、ぼんやりとそこを眺めた。
 狂暴な黒い木々はまるで彼女を護るように、大幅に身を引いている。確認する余裕もなかった下草たちが広く見え、ようやく緑が目に映えた。地面が何故かぼんやり明るい。草たちが僅かな光を帯びて浮かび上がる。側のトモカ奥さんも。
 呆然としていたのだろうか、それとも見とれていたのだろうか。現実から切り離された幻のような光景は、唐突に闇に消えた。
「!!」
 ざわめきが触感として顔を覆い、強い力で背後に引かれる。獣の悲鳴を上げた頃には既に体は浮いていた。細かな葉を多く開いた枝たちが、顔ごと彼を攫ったのだ。油断が大きく災いし、全くの不意をつかれて太い幹に張り付けられる。
 ぐえ、と喉から音が漏れた。枝が体に絡みつく。幹の高くで締め付けられて、意識を落としてしまいそうになったその時。
 白い光が目に広がった。途端に枝がしおれるように力を失い、ロドニオンは無様に地面に落とされる。湿った土の匂いにまみれ、混乱のままとにかく顔を上げてみると、そこにいたのはトモカ奥さん。
「大丈夫!?」
 左手には草の飛び出た大きなカゴ。そして右手に構えているのは、白く眩しい光を放つ、大きな大きな懐中電灯。
 奥さんの首を狙うように、背後から細い枝が飛ぶ。
「危ねぇ!」
 奥さんは素早く振り向き電灯を木に向ける。白い光を強く受け、木はみるみる力を失いしぼみつつ、逃げるようにのけぞった。
 ロドニオンはまたあんぐりと口を開く。奥さんは心配そうに屈み込み、彼の体の土を掃った。
「危なかった〜。お隣の……えーっと、ロドニオン君よね」
 その手つきはとても優しい。ロドニオンは彼女の手が毛皮の上を撫でるたび、複雑な表情で手元と顔を交互に見る。ふと思い出し、電灯に目をやった。奥さんは明かりをカチカチ付けたり消したりしてみせる。その度に、光が眩しく点滅した。
「うちの人から聞いたのよ。ここの植物は狂暴だけど、強い光に弱いって」
「じゃあ、無傷なのも」
「ええ。ロン君は大丈夫?」
 白い光にぼんやりと照らされながら、奥さんはにこにこと笑っている。ここは危険な場所なのに、ただそれだけで平和な場所に変わってしまったような気がする。
(略すなよな)
 そんなことを思いつつ、傷というほどの物もないので頷いた。
「……ありがとう。あんたのおかげだ」
「もう、気をつけないと。いくら狼男でも、こんな場所じゃ多勢に無勢よ」
 それもあんたのおかげというか。そんな言葉を飲み込みながら、ロドニオンは奥さんの持つ大きなカゴを覗き込んだ。
 飛び出す草はさっき取った薬草だろう。だが中身はそれ以外も豊富だった。
 丸々太ったヨルネズミ、生き人参にカビコウモリ。透明な袋の中では大量のみみずが蠢き、その側にはびっしりと書き込まれた小さなメモ。
 ロドニオンはひょいとそれを取り上げた。奥さんは声を上げる。
 村の奴らの種族名がもれなく書き込まれている。続くのはそれぞれが好む料理名に調理法、そして材料リストだった。大量の材料名の頭には、一つ一つ丸印。
「これ、全部集めたのか」
 チェックマークはずらりと並び、空きは三つほどしかない。
 奥さんは顔を赤らめ取り返そうと手を伸ばす。ロドニオンがメモを高く掲げると、爪先立ちで懸命に後を追った。思わず吹きだす。
「子供みてぇ」
「もう! 恥ずかしいから返して〜」
 ほら、と投げるとすぐに回収。ロドニオンは素直に尋ねる。
「何が恥ずかしいんだよ。すげぇじゃねーか」
「だってまだ全部集めてないもの。あとは簡単なものと、調理だけ」
 カードの言葉を思い出した。お料理各種ご用意してお待ちしております。あれは本気だったのだ。一体何日かかっただろう。貴重な蜜や危険な場所の生物など、人間には慣れない物を何十も集めて調理。並大抵のことではない。ましてや人の女にとって、気持ち悪いであろう物も大量に。
 ロドニオンは何気なく訊いてみる。
「ここのばばあから聞き出した秘術って、何だ?」
 奥さんは困ったように少し口を尖らせた。窺うように聞いてくる。
「誰にも言わないって約束してくれる?」
「内容次第だ。怪しくないならちゃんと誰にも言わねぇよ」
「じゃあ」
 奥さんは表情をほっと緩めた。いたずらを告白する子供のような顔をして、耳を貸すよう仕草で示す。ロドニオンは大きく屈み、獣の耳を彼女に向けた。口が近づき熱に触れ、囁き声が静かに響く。
「あのね。……人工的な、人の生き血の作り方」
 ロドニオンは顔を上げる。奥さんは気まずそうに、複雑な笑みを浮かべている。
「そんなの、別に隠さなくてもいいんじゃねぇの。つーか何のため……あ!」
 奥さんは頷いた。ロドニオンは声を落とす。
「吸血鬼のための料理……」
「本当はね、ちゃんとしたものがいいとは思うんだけど。でも私貧血気味だから、あんまりたくさん抜けないし。秘密よ? だって本人にバレちゃったら」
「こっぴどく嫌味の嵐、だな。味なんか関係なしに」
 それはもう水を得た魚のように、生き生きとけなすだろう。
「うん。だからうちの人が黙ってなさいって」
 万年無口のミイラ男がそんなことを。と非常に不思議な気がしたが、そもそも二人は夫婦なのだ。会話があっておかしくない。というか……。
 ロドニオンは新婚夫婦の詳細な暮らしぶりを想像しかけ、思わず首を大きく振った。
「ロン君?」
「いや、別に。大丈夫、黙っとくよ」
 奥さんは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」
 唐突に光が消えて、彼女の笑顔は闇に消える。二人は同時に消えてしまった電灯を見た。奥さんはスイッチを動かすが、光は戻らず音だけが虚しく響く。森の中を照らすのは、ひっそりとした月明かりだけ。
「……電池、切れちゃったみたい」
 辺りの木々が、大きく広がったような気がした。気のせいではない。苦手な光がなくなって、いつもの元気を取り戻している。逆襲を企むようにその枝を広げている。
 四方からトゲ付きのツルが飛んできた。
「乗れ!」
 ロドニオンはそれら全てを食いちぎりつつ、完全な狼の姿を取る。四足歩行の低い姿勢で奥さんを顧みた。
「早く! この格好は長く持たねぇ!!」
 今日は金の月が欠けて、力を上手く保持できない。必死な声が伝わって、奥さんは彼の大きな背に乗った。カゴを抱えて首を抱く。ロドニオンは身を低くする。
「行くぞ!」
 そして強く地を蹴った。背中で小さな悲鳴が上がる。
 木々の網を潜りぬけ、奥さんをぶつけないよう気をつけながら道を駆ける。鬱蒼とした森の中に響くのは、木のざわめきと土を掻く爪の音。そしてどこかのんびりとした、奥さんの感想だった。
「早いわね〜。すごいわ〜」
 返事を返す余裕はない。少しでも安全に脱出しようと必死になっているのだが、緊迫感は呑気な言葉に崩される。
「狼って大きいのね〜。でも、うちで飼ってたタロウにちょっとだけ似てるわー」
 犬かよ。と言いたくても言えないままに、マイペースな奥さんを乗せ、狼男は黒い森を抜け出した。


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へいじつや / 読みきり短編全リスト

バケモノ村の人間奥さん
作者:古戸マチコ
掲載:へいじつや
製作:2002年4月