バケモノ村の人間奥さん


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 人間世界の裏側は、オグズと呼ばれる闇の世界。ここはその末端の村。人間が言うところの“バケモノ”ばかりが暮らしている小さな集落。
 万年闇夜の空の上に、今日も月が二つ浮かぶ。白い小さな満月と、黄土色の弓張月。
 一人暮らしの狼男は電話の音で起こされる。
「はーいはいはいロドニオン。……なんだお前か」
 電話の相手は同族の幼なじみ。ロドニオンは面倒そうに頭を掻きつつ話を聞く。
「アグルスさん? ああ、隣だけど。つーか隣っても遠いけどさ」
 地方の村は住民が少なくて、家と家の間は広い。何分みんな筋金入りの変わり者ばかりなもので、近所付き合いなどというのはごく稀な話だった。
 お隣のアグルス氏は包帯まみれのミイラ男。家から滅多に出て来ないし、たまに会っても二言ほどしか喋らない。出現率が低いので、彼を見た日は何かが起こると言われるほど。
 ロドニオンはあくびする。だが相手の続けた奇妙な話に、深く深く顔をしかめた。
「アグルスさんが人間の嫁を貰ったあ? 大丈夫かお前」
 ミイラ男と人間女性。そんな夫婦は今まで聞いたことすらない。ロドニオンは笑おうかと思ったが、相手の声が真剣なので逆に首を傾げるばかり。
「そりゃアグルスさんもイイ歳……のような気もするしさ、結婚してもおかしくないけどよー、人間? あの二本足でちっこくて、すぐ俺らに食べられる?」
 今の彼はその人間によく似た形。金の月が欠けているため、中途半端な二足歩行の狼か、毛むくじゃらのヒトの男に見える姿。電話の相手もきっと同じだ。どちらにしろ、自分たちは人間とは違う生き物。もちろんミイラのアグルスさんも。
「んじゃアレだろ、食糧保存だ。人間界からかっぱらってきただけで、後々で食べるつもりじゃねぇの。最近あっちへ行く奴少ないけどな。どっちにしろ俺には関係……え?」
 ロドニオンは耳を疑う。電話の相手は痺れを切らし、強い調子で繰り返した。
『だーかーらー! その奥さんっていう人間が、みんなのところを回って』

 チャイムが鳴った。
 狼男は二匹とも、回線越しに黙り込む。
 もう一度チャイムが鳴った。ロドニオンは何も言わずに電話を切る。
 そして古びた安アパートのドアを開けて、嫌というほど口をあんぐり開けてしまう。
 二足歩行で毛がなくて、小柄で弱そうな体。ここの生き物らしくなく、小奇麗な服を着て、黒い髪を清潔にまとめ上げている。違う場所から来た者だ。それがどこかは言うまでない。
 黒目がちの可愛らしい目が見上げるようにこちらを見ていた。
「はじめまして〜。今度からお隣に住むことになりました、トモカ・アグルスです。よろしくお願いしまーす」
 アグルスさんちの奥さんは、そんな感じでぺこりと頭を下げたのだった。




「しーんじらんねぇー!」
 掛け直した電話が繋がる開口一番、ロドニオンは絶叫した。
 トモカ奥さんと話していた間の微妙な態度を振り捨てて、真の気持ちを友にぶつける。
「『はい、妻です』だってよ! あれが!? あの人間があんッの包帯野郎の奥さんってか!?」
 幼なじみはただ深く頷いている様子。止められないのをいいことに、ロドニオンは更に続ける。
「しかもうちの隣で新婚生活始めるってか!? あの陰気な一軒家でイチャつくってか!? 想像しろって方が無理だ! 信じらんねぇ、これもなんかの罠じゃねーの!?」
 粗品のタオルと一緒に貰った、薄ピンクの可愛いカード。中にはどこかつたない文字で、こんなことが記されている。

   ワプド・アグルス&トモカ・ニノミヤ
   私たち、結婚しました。
   つきましては親睦を深めるパーティを行います。
   よろしければ明日二十四時、アグルス邸までお越しください。
   お料理各種ご用意してお待ちしております。

「親睦ってなんだよ親睦って。人間が俺たちと親睦を深める? 吸血鬼やゾンビやインキュバスやしわがれ魔女と!? なんなんだあの女!」
 獣じみた体を見ても、眉一つ動かさないままにこにこと話をしていた。そんな人間ロドニオンも幼なじみも見たことない。あんなに小さくて弱そうなのに、と幼なじみが呟いた。
 ロドニオンはふと気付く。机に置いたカードを取って、まじまじと見直した。
「……ちょっと待て」
 つたない文字。それでもきちんと読みとれる……。
「あの女、全部“こっちの言葉”で喋ってなかったか!?」
 あまりにも流暢すぎて、あまりにも違和感なくて、ごく普通に喋っていたのでうっかりと見逃していた。電話の相手も『あ!』と大きな声を上げて、その後はただ絶句。
 人間が、彼らの基準で言うところの“バケモノ”語は嵐の中の壊れたラジオのような発音。人間の使う声とは全く違う、獣にもゾンビにも使いこなせる濁った音程。
 そして複雑なこちらの文字を文章を、一枚一枚ていねいに書き綴り、手書きのカードを“バケモノ”たちに配り歩き、自分の家で親睦パーティ。
「やっべー」
 ロドニオンは呟いた。薄いカードを見つめつつ、引きつった顔で言う。
「あの奥さん、本気だぞ」
 電話はしばらく無言ばかりを流し続けた。




 どんな時でも腹は減る。例え翌日気まずい行事が入っていても、それについて皆がうるさく騒いでいても。ロドニオンは村唯一の食堂で、独り静かに食事する。
 店内の様子と言ったら、まるで今から魔王でも来るんですかといった具合だ。大小各色様々な形の生き物たちが、同じ話題を繰り返す。もちろん全てほのぼのとした人間女性、アグルスさんちの新妻についてのことばかり。並びに明日のパーティに、出席するか否かなども。
「ふざけるのもいい加減にして頂きたい!」
 血色悪い顔色とは裏腹に、熱く言うのは吸血鬼。神経質な表情は、今までになく不機嫌にわなわなと震え続け、今にも弾けてしまいそう。
「下賎な人間ごときが私と食事を共にしたい? ああ解らない、あの風船のような人間女は一体何を考えている!」
「んー、でもあれですよー。結構かわいかったとおもいますよー」
「第一!」
 とろけながらのゾンビの言葉は聞き入れず、吸血鬼は主張する。
「『お料理各種ご用意』とは!? 私の好物を何だと思っているのだ。処女の生き血をご用意してくれるとでも?」
「あー、おいらもねー、主食みみずなんですよー。あとねー、腐葉土ー」
「あの弱々しそうな小さな娘が採取してくれるのか? ああ本人が流してくれるのかもしれないな、あの様子だと歳に構わず無経験でも不思議ではない」
「んー、そういえばー、ミイラと人間の新婚生活ってー、どうー」
「ああ不愉快だ! 私はとても不愉快だ!!」
 会話は全く成立しない。それでも彼は構わず喋る。聞き手がいる限り喋る。
 村の中で、吸血鬼の話を聞くのはゾンビのラギュルズだけだった。
 他の席のメンバーは、一際大きな吸血鬼の声は無視してそれぞれ勝手に会話する。
 だが話は所々で拾い合い、吸血鬼には聞こえないよう各自で話題を横に逸らす。
「そうだよね、俺だってヨルネズミしか食えねぇもん。あの体で獲れるのか?」
「私は結構雑食だけどさー、こっちの世界の味付けって人間には合わないでしょ。前人間のご飯つまんでみたら、そりゃもう不味かったのなんの」
「うえ、人間食ばっかだったらどうしよう。やだなー、二十四時って一番腹が減る時なのに」
 バンシーもガイコツ男も化け猫も、口々に不安を語る。胃薬を持っていこうか、いやいやそれよりタッパーだ。と主婦じみた提案ばかりが浮かんで消えて、食べかけた昼食は進まないまま冷えていく。
 独り黙々生肉盛りを食べ終わったロドニオンは、誰にも話し掛けることなく代金を置き店を出る。大きなドアの小さなベルが音を立てたが、店主の魔女も明日の話に夢中のままで、愛想一つ返さなかった。
「でもみんな、行くんだよなぁ」
 そんな小さな呟きも、聞かれることなく夜空に消える。
 変わり者ばかりだが、みんな揃ってイベント事が大好きなのだ。ましてやミイラと人間の夫婦誕生、のほほんとしたあいさつ回りにパーティ招待。そんな今までにない大きな祭り、逃したら悔しかろう。
(ま、俺には関係ないさ)
 ロドニオンは面倒そうに大きな大きなあくびをする。お隣がどんな夫婦だろうがどうでもいい。パーティだろうが祭りだろうが、珍しかろうが興味はない……と言い切ることは出来ないが、わざわざ出向いて大勢に混ざるなんてまっぴらだ。
(別に出席強要されるわけでもないし。あの吸血野郎みてぇにわざわざ相手を馬鹿にしに行く趣味もないし)
 吸血鬼は嫌味を言うのが何よりお好き。ああ見えても心の内は嬉しくて仕方がないのだろう。この村を甘く見ている人間を、思う存分苛められる好機なのだ。
「あ」
 思わず口から声が出た。細く暗い道の先に、ぽつんと小さな白い光。人間世界の懐中電灯とかいう灯り。そして濃く漂ってくる、人の女の匂いだった。
 小さなトモカ奥さんは、大きなカゴをぶら下げて、でこぼこ道を呑気に歩く。
 ロドニオンは顔をしかめた。あの一本道の先にあるのは、鬱蒼とした魔女の森。この村に七人いる魔女の中で、一番歳を取っていて、誰より頑固なベルシャばばあの暮らす森だ。
 そこが何故魔女の森と呼ばれるのかは明快で、ベルシャばばあが更地に木々を植付けまくり、森にしてしまったから。その植物は一貫して狂暴で、今までも何人か被害にあったが当のばばあは知らぬ存ぜぬ。たとえ悲鳴が聞こえようが、助けにもきやしない。そんな危険な森だった。
 そこに、あの弱そうな奴が一人きりで。
 ロドニオンは意味もなく焦り始める。灯りはどんどん遠ざかり、小さくなって今にも消えてしまいそう。匂いも遠くなっていく。奥さんは確実に森の中へと迷い込む。
 ふっ、と灯りが闇に消えた。ロドニオンは思わず駆け出す。
 仄かに輝く月の下、狼男は必死な目をして魔女の森へと入っていった。


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へいじつや / 読みきり短編全リスト

バケモノ村の人間奥さん
作者:古戸マチコ
掲載:へいじつや
製作:2002年4月