「やあ! こっちこっち」 「……こんにちは」 近所のファミレスで落ち合ったなかちゃんのお父さんは、今日もつなぎを着込んでいて全体的にコントくさいガテン系の格好だった。おじさんは店に入った私に向かって笑顔で手を振っている。 「すまないね、こんなことになっちゃって。いやあ遥も思い込んだら一直線な子だからねえ」 いやなんで口元にマジックでヒゲ書いてるんですかおじさん。 そんでもって手もとにデジカメ構えてるのはどうしてですか。 「あ、これ? いやほら折角の娘の暴走行為を記録しておこうと思って。ここ最近は面白いことが立て続けで夜もおちおち眠れないよ。真夜中まで編集三昧だ。我が娘ながらいい素材だと思わないかい?」 店員さんや数もまばらなお客たちが全員こちらを気にするように、ちらちらと目を向けてくる。降りそそぐ視線がむずがゆくていたたまれなくて仕方がない。私はここに来てしまったことを後悔しつつ、向かい側の席に座った。とにかく早く話をすませてしまわないと。 「それで、あの、そのなかちゃ……遥さんのことなんですけど」 「ああうん、解ってる解ってる。いくら面白いとはいえ素人さんに迷惑をかけるわけにはいかないからね。暴走は止めなくちゃいけない。全面的に手伝わせてもらうつもりだよ。それが親の義務であり、お笑い観賞の師匠の責務なんだから」 「おじさん……」 かっこいいけどなんで口元まるーく描いたヒゲなんだろう。よく見たら眉毛も太く塗ってるし。 おじさんはデジカメのスイッチを入れ、テーブルの上に置いた。持参らしい角度を調整する器具で、レンズを自分の顔に向ける。おじさんは作業を終えるとおもむろに側にあったつまようじを二本取り出し、自分の鼻と上唇につっかえ棒のように刺した。 何事もなかったかのように肘をついて手を組むと、こちらに向かって穏やかに微笑みかける。 「でもね、持川さん。ただ普通に叱るだけが親の仕事と思うかい?」 口の端がにゅうと上がってつまようじの先端が鼻の中に突き刺さった。 「僕はね、そうではないと思う。一方的に世間体を押し付けるのは、つまらないとは思わないかい?」 真剣な顔で言うと、下がった口と同じようにつまようじもスッと降りた。 おじさんはまた私の目をじっと見つめ、にっこりと口の端を持ち上げる。 「僕はね、あの子をそんなつまらない子にしたくはないと思うんだ」 言葉とは何ひとつ無関係につまようじが鼻へとのぼった。 すみませんこれ何の罰ゲームですか。 どうしよう、シュールすぎる。シュールすぎて反応に困りすぎる。なんだこれなんだこれなんだこれ。ガテン系工事現場のおっちゃんとつまようじと教育理論てなんだこれ。ど、どどどどどうしようどうしようどうしよう。何かつっこんだ方がいいのかな、でもおじさんはなかちゃん以上のお笑いマニアみたいだし、下手なツッコミをしたらダメ出しとかされるんじゃ……。 私は混乱しつつもそれだけのことを思い、とりあえず自分の手には負えないネタだと悟ったので。 「でも、私はとにかくなかちゃんの誤解を解きたくて……それだけはお願いできますか?」 とりあえず無視してみた。 おじさんはフッとどこか遠い目をして笑い、そっとつまようじを外した。 「君になら、出来るかもしれないな……」 えっなにこの反応。正解? 不正解? 「そう、この世は全てお笑いで出来ている……お笑いとはヒトのみがもつ知的な産物……人間はこの世で唯一笑うことのできる生き物なのだよ持川君」 すみません何を言いたいのか解りません。 おじさんはつまようじをゆっくりとまた鼻に刺し戻して言った。 「君になら、遥を止めることができるかもしれない」 「できませんよ! 無理無理無理! だってあんな、あんなっ」 「いいやできる。大丈夫、遥の攻撃は直接的なものではない。あの子がただの暴力で終わらせると思うかい?」 「いやただの暴力でとかそういう問題じゃないし! 話が違うじゃないですか!」 呼び出しておいてそんな結論はないだろう。やっぱりまた鼻の中につまようじ入ってるし。だがおじさんはそんな私の抗議なんか軽く流して言い切った。 「もちろん僕も最大限にサポートはさせてもらうつもりだ。どうだい?」 「どうって……サポートって、例えばどんなこと?」 「最高のロケ現場を用」 そこで言葉を詰まらせると、ん゛、ん゛、ん゛、とわざとらしい咳き込みをして平然と言い直す。 「最高の話し合いの場を用意して」 「何させる気だ――!!」 ああもうやっぱりこの人も所詮はお笑いマニアなのか。お笑いマニアにはろくな人がいないのか。そんなことを絶望的に考えながら、とにかく首を横に振った。 「もう嫌です。もう私はお笑いとかそういうのには関わりたくなくて……昨日のことだけでお腹いっぱいで。だからお願いします、お笑い抜きで解決させてくれませんか」 「それができると思うかい?」 おじさんはにやりと意味ありげに笑う。 「君は既に、僕たちと同じ世界に足を踏み入れているんだよ……」 その時。 近くの席から驚いたような声が上がった。続いて「なんだ!?」「えっ」というささやかな反応も。振り向くとファミレス中の人たちが腰を上げて窓の外の道路を見ていた。すぐ側を這う交通量の多い国道。 そのど真ん中を、なかちゃんが、自転車に乗って猛スピードで駆けていた。 振り乱した黒髪がばっさばっさと暴れるようになびいている。着ているのは制服だけど、額には真っ白な長いハチマキ、誕生日のケーキに刺してあるようなカラフルな細いろうそく。口くわえていた薄茶色の塊はもしかしたらつげのくし。 言い逃れもできないほどに完璧な丑の刻参りの格好で、彼女の姿はあっという間に彼方に消えた。 「そこの女の子、止まりなさい! そこの女の子、止まりなさい!」 その後を随分遅れてパトカーが追いかける。私はただ呆然とそれを見つめていたが、なんだか力が抜けてしまってまた椅子へと座り込んだ。 ふと見ると、おじさんは今までになくつやつやとした顔をして、嬉しそうにデジカメを回している。 ほう、と満足そうな息をついて撮影を終了すると、あいた口のふさがらない私に向かって人差し指を突き出した。 「ゲッツ!!」 貴様もか。 「今日はダンディーのスペシャルジョークを披露しよう。あるアメリカ人が昔……」 「ネタもやんの――!?」 速攻のツッコミにも負けず、おじさんはダンディー坂野風のネタを披露し始めた。 店中の視線がこちらに集まる。 違う、もうこんなの絶対嫌だ。私は、ただ、ただ平和に暮らしたいだけで。ちょっとお笑いが好きすぎるけど全体的にはいい子という友達がいて、平凡な生活を毎日のように繰り返して。それだけで。それだけで良かったはずなのに。 「なんでこんなことになってんの……」 いつの間にか奇妙な世界に迷い込んでしまっている。 「それもまた、お笑いの神様のお導きさ」 「そんな導きいらない……もういいです。帰ります」 私はふらつく腰を上げる。おじさんはつまようじを鼻から外し、自信に溢れた口調で言った。 「もし気が変わったら遠慮せずに連絡してくれ。どういう形であれ、決着をつける舞台と手段をきちんと用意させてもらおう。あの子の“お笑いハラスメント”に対抗できるのは、それが一番手っ取り早いということを忘れないでくれ!」 私はげっそりとしてよろけながら席を去る。 おじさんは背を向けた私に向かって高らかに叫び上げた。 「君はもう自らこちらに踏み込んでいるのだよ!」 振り向くと、爽やかな笑顔で人差し指をこちらに突き出す。 「ゲッツ!!」 もういいよ、と泣きたい気持ちで呟きながら、私は店を後にした。 嫌な予感がしていた。感じたからには確実に現実となる、肌に慣れた直感が。 それは家に戻り、階段を上がるほどに濃くなって、自分の部屋のドアの前で最高潮に達してしまう。ぞわぞわと寒気が伝わるような感覚。超能力などではない。玄関にこぼれていたかすかな土が、ずれていた足拭きマットが、閉めていたはずなのに開け放たれた居間の窓が、誰かがここに侵入してしまったことを教えてくれた。 家宅侵入ですよなかちゃん。 もう疑うことすらせずに友達の名を呟くと、沈黙する部屋のドアを思いきって強くあけた。 目に飛び込んだのは巨大な出川哲郎の顔。 部屋の中に、超特大出川哲郎ポスターが上から吊り下げられていた。 その笑顔の口元にはマジックで「頼みますよタモさーん」と書かれている。 それだけではなく部屋の壁一面に出川出川出川。出川哲郎の写真が、雑誌記事の切り抜きが、まんべんなく貼りつくされていた。 ふらつきながらも薄暗い部屋の中を見渡すと、出川記事が並べられた机の上に分厚い奇妙な紙の塊。近寄ってみてみると、それはどうやら手作りの品のようで、表紙には出川哲郎の満面の笑顔写真と共に「開運! 哲っちゃん日めくり」と書かれている。 めくってみた。 一ページ目。出川哲郎写真と共に手書きのコピー。 笑う門には出川哲郎 二ページ目。 行列のできる出川哲郎。 三ページ目、四ページ目、五ページ目……どんどん出川が続いていく。 世界の終わりとハードボイルド出川哲郎 トンネルの向こうは出川の国でした 行けども行けども出川哲郎 年がら年中出川哲郎。 骨の髄まで出川哲郎。 出川は嫁に食わせるな。 新発売の出川哲郎。 毎朝起きたら出川哲郎。 お昼休みはウキウキ哲郎。(ターモさああーん) 玄関開けたら五分で哲郎。 出川は呑んでも呑まれるな。 お休み前の出川哲郎。 夢の中まで出川哲郎。 無言で床に叩きつけた。 次に目に入ったのは、ベッドの上に寝かされた手作り出川哲郎人形。新聞紙とビニールで等身大に作られていて、顔には仮面を被るように目を閉じた出川の写真が被せてある。 その枕もとには穴の空いた四角い箱が置かれていた。 ハズレなし! 出川くじ 私は無言のまま手を入れてみる。三つに折られた手作りのくじが出てきた。開く。 おかむらに なぐられる 0点 「………………」 私は周囲をぐるりと眺めた。自分の部屋を占領する出川哲郎。 出川出川出川出川出川出川出川出川。 わたしは なによりも この芸人が 好きではない。 全身を生理的嫌悪に包まれながら出川の館を飛び出して、階段を駆け下りると居間の中に飛び込んだ。受話器を取る。番号を押す。呼び出し音。呼び出し音。呼び出し音。 「はい、もしもし」 かすかに軽い音がして、さっきまで嫌というほど聞いていた人の声が耳に飛び込む。 私はほとんど真っ白になってしまった頭でなんとかそれを口にした。 「おじさん、私戦う!」 言った後で若干の後悔が胸に浮かぶがもう戻れない。だってあんな出川哲郎攻撃を毎日のように繰り返されたらこちらの気がおかしくなる。だめだだめだホントにだめだ。出川だけはだめなのだ。 なかちゃんだってそれをよく知っているはずなのに。いや、知っているからこそなのだ。 おじさんが受話器の向こうでにやりと笑ったような気がした。 私は確かな声で続ける。 「もうだめ。もう怒った。こんな理不尽な嫌がらせは絶対にやめさせる」 そして憤りのまま強く強く言いきった。 「出川の顔も三度まで!!」 ちょっとうつった。 |