「何かが違う――!!」 風にはためくピンクのフリルが目に鮮やかでああもうなんだかくらくらする。 なにこれ。なにこれなんなのこの状況。 竹内は真っ赤な顔で、随分と遠くにいるなかちゃんに向けて叫んだ。 「わたしは、ふんどし先生、だ――!!」 ふんどしじゃねえだろ。 だが竹内はドーベルマンたちを指差して、喉が千切れるほどに叫んだ。 「ディス イズ ペ――――ス!!!」 どれが。 「……そうきやがったか……!」 すぐ隣で嵯峨野が憎々しげに呟く。 「何かおかしいなとは思ってたんだ。……そうか、そういう風にしやがったか」 「いや解らないよ解説してよ部長さん。なにあれ。なんで裸エプロンなの」 「あいつ前日になって怖気づいて、俺にメールしてきたんだ」 嵯峨野はごくりと息を呑んで、いやにシリアスな声で言った。 「『ふんどし一丁だと恥ずかしいから、上着を着ていいですか』って!」 私はじっと竹内を観察してみた。 恥ずかしさからほのかに赤い華奢な肌に、ピンク色のフリルエプロン。 そしてその下からはたはたと覗くのは、紛れもない白いふんどし。 恥ずかしいのはお前の存在。 誰か彼にそう言ってやって下さいお願いします。 「上着がエプロン……ピンクのエプロン……」 しかもちゃんとふんどしもしてるのかよ。どうなんだそれは本当に。 「くそ、面白いじゃねーか……」 あのお願いですからそんな好敵手を見る顔しないで下さい嵯峨野部長。 「ふんどし?」「いやでもあれは」「ていうか今更ふんどし先生って」 あまりに異様な光景に、全員笑う余裕もなくざわざわと囁き合う。もれ聞こえた大半が「ネタ古いだろ」というご意見。ああ、この学校のみんなは冷静で好ましいなあ。 そんな聴衆の意見を聞いて、発案者の嵯峨野はにやりとした笑みを浮かべる。 「今日は懐かしのお笑いアワーだぜ」 だぜとか言った。 『…………』 なかちゃんは険しい顔で竹内を睨みつけている。 裸エプロン竹内はその目つきにびくりと怯え、震える手で肩に掛けていたかばんをごそごそと探り始めた。あの、色んなものが詰まっている大きな黒い旅行かばんだ。紐につながれてくつろいでいるドーベルマンたちとは裏腹に、竹内は真っ赤な顔で焦るように中から何か取り出した。 斧だ。明らかにゴムかプラスチック製と思われる、小さな斧の形のおもちゃだ。 「なんだ、もう出すのか」 嵯峨野がつまらなさそうに言った。目を向けるとにやりと笑う。 「説明しようかずっちん」 「お願いします」 頭を下げると嵯峨野はすらすら語り始めた。 「よかろう。今回の告白ネタは徹底的に懐古主義だ。竹内は『僕は死にましぇーん!』と叫びながら“ぶつけると悲鳴があがる”おもちゃの斧を自らの胸につきたてる。しかしそれは既に改造済み! なんと聞こえるのは悲鳴ではなく『わたしリカよ』というリカちゃん電話の再生音だ!」 うっわ寒う。 「ていうか誰がそんな改造したの」 悲鳴が上がる斧のおもちゃは私も見たことがある。だけどそれを改造だなんて、この男にできるのだろうか。 「それは強力な助っ人様のお力さ。この“犬笛”もな」 嵯峨野は胸ポケットから小さな細い笛を取り出す。そしてまたもやにやりと笑った。 「犬笛って……」 なに、と訊こうとしたその時。 竹内がおもちゃの斧を握り、真っ赤な顔で震えながら声を上げた。 「ボ、ボボボボボクは……!」 ああ言うのか言っちゃうのか。あんな寒々しいネタで告白してしまうのか。 だがそれを遮るように、嵯峨野が笛を口にくわえる。 そして、ふうっ、と息を吹き込んだ。 地べたに寝そべっていたドーベルマンが、三頭ともびくりと急に身を起こす。 凶悪な面構えのそれらはキッと竹内祐樹を見据え、喉の奥で低く唸った。 「え、えええっ」 竹内の顔がみるみると青ざめていく。ふるふると手を横に振るが、逆にそれが攻撃開始の合図となってしまったようだった。 三頭のドーベルマンが、竹内に襲いかかる。 「きゃああああああ!!」 竹内は甲高い悲鳴を上げておもちゃの斧をドーベルマンに振り下ろす。犬の頭に命中し、仕掛けられたかわいい声が悲鳴と共に響き渡った。 《わたしリカよ》 竹内は絹を裂くような悲鳴をあげながらも必死になって抗戦する。リカちゃんの声がとめどなくその場に響く。 「キャー! キャー! キャー! キャー!!」 《わたしリカよわたしリカよわたしリカよ》 先生が遠くから駆け寄ってくるのが解る。だが生徒たちは助けに行くことも出来ず、ただ必死にドーベルマンをぶん殴り続ける竹内を見つめるだけ。 「キャー! キャー! キャー! キャー!!」 《わたしリカよわたしリカよわたしリカよ》 竹内の攻撃は鮮やかに決まっていって、ドーベルマンはみるみると弱体化する。 「キャー! キャー! キャー! キャー!!」 《わたしリカよわたしリカよわたしリカよ》 悲鳴とリカちゃん音声を上げながら、竹内は三頭全てを着実に攻撃する。 素肌にふんどしとピンクのフリルエプロンで、凶暴な敵を倒していく。 「キャー! キャー! キャー! キャー!!」 《わたしリカよわたしリカよわたしリカよ》 「キャー! キャー! キャー! キャー!!」 《わたしリカよわたしリカよわたしリカよ》 「キャー! キャー! キャー! キャー!!」 《わたしリカよわたしリカよわたしリカよ》 見たことないけど、バイオハザードってこんなんかなあ。 「あーあ。借り物の犬をあんな風に」 「ていうか襲わせるなんて酷すぎるって! 倒してるけど」 だが嵯峨野は私の抗議を気にもとめずに言い切った。 「倒すだろそりゃ。あの犬、ちゃんと本気で噛まないようにしつけてあるんだよ。襲うフリだけするように仕込まれてるのにさ、本気で攻撃したら男らしくて困っちゃうじゃないか」 困っちゃうとか可愛く言うな。 「ま、あの様子じゃ中野が惚れることもなさそうだけどな。つうかそれはそもそも問題なんてないんだけど、やっぱな。一応な」 「……じゃあなに。竹内が犬に襲われてひゃあひゃあと情けない姿をさらして、それで結局派手に失恋するように仕組んだっての?」 冷え冷えとした声で言うと、嵯峨野は笑顔で指を突き出した。 「ゲッツ!」 それはもういい。 ってそうじゃない。問題は竹内だ。今は竹内祐樹の話だ。 竹内は三頭の犬を見事に倒し、涙を流しながらも崩れ落ちた犬たちの中に立つ。 そしてふんと足を踏みしめて、腹の底から声を出した。 「ボッ、ボボボボクは――!」 おおっ言うか。言うか竹内! 「しまりぬす――ん!!」 言えてなかった。 竹内は動揺して目に見えておろおろとする。 「いっ、ちがっ、しまぬりす? すります? しり、しま? シマリス?」 いいから落ち着け。 竹内はおろおろと混乱しつつ、ああ、ああ、と呟き始めた。 私は見ていられなくて、何気なく屋上に目を移してハッとする。 なかちゃんが、うっとりと彼を見ていた。 ピンクの裸エプロンで、 混乱のまま無意味に斧を振り回し、 自分の膝を殴ってしまって「いたあああ!」《私リカよ》 更に泡を食って額にぶつけて「いったあい!」《私リカよ》 とかやっている紛れもない天然の人材を。 今だ竹内! 今なら告白成功だ! そう言おうとした私をさえぎり、嵯峨野が大きな声で叫ぶ。 「竹内! 主張だ主張!」 「しゅ、しゅちょ? しゅしゅしゅっ、酋長!?」 「主張! こ・く・は・く!」 嵯峨野は苛立つように竹内に言う。あれ、なんで嵯峨野が告白を促してるんだろう。 竹内は嵯峨野の言葉にハッとして、姿勢を正すと真っ赤な顔で絶叫した。 「さっ、ささささ三年C組の――っ!!」 おお、言うか! とうとう言うか! 私はぐっとこぶしを固める。 竹内は今度こそ何の邪魔もなく、好きな相手の名前を叫んだ。 「ももっ、もちかわあんこさ――ん!!」 待て。 待て。竹内。 もしかすると、もしかすると、もしかすると。 そ れ は 私 の 名 前 じ ゃ な い の か ? 「すっ、スススス好きデ――――ス!!!」 呆然とする私にも構わずに、竹内はまっすぐにこちらを見つめてくる。 まるで恋する乙女のように、しっとりと潤んだ瞳で。 嵯峨野がポン、と私の肩に手を置いた。笑みを含んだ声で言う。 「いったん引いてCMに続く……ってとこかな」 ああ、そうすればコマーシャル中にここから逃げられるな。とぼんやり思ってしまうぐらい、私の頭はどうしようもなく真っ白だった。 |