天然醸造乙女系
第二話「恋する乙女はストーカー」



 裏門は人気が少なくじめじめとした陰気な場所だ。落とし穴をいつの間に、どうやって掘ったかなんて解らないけど、なかちゃんなら本当にやる。何より目がマジだったもの。
 目的地は結構近い。竹内君は下手をすると、もう着いてるんじゃないか。そんな不安を抱えつつ、休憩時間の校内を必死になって駆けていく。
 裏門が近づいた。角を曲る。竹内君の後姿がようやく遠くの方に見えた。
 ぐっ、と力のこもる音。それと同時になかちゃんが、素晴らしいスピードで竹内君へと向かっていった。ぐんぐんと距離を詰めていく。私は後を追いかける。
 もう、周りには誰も見えない。人気のない裏庭を上履きで駆け抜ける。
 前方でなかちゃんが叫んだ。
「スト――ップ!! 行っちゃダメー!!」
 竹内君が振り返るけど、その歩みは止まらないまま。彼は一歩を踏み出した。
「きひゃあ!?」
 バナナで滑った。
「わうあっ!」
 犬のフンで更に滑った。
「っああいだあ!?」
 画鋲を踏んだ。
「だだだ、ほごわっ、あああ、っとお!!」
 まきびしを踏んだ。ピアノ線に躓いた。あからさまな落とし穴をなんとか避けた。
 そしてそこに。
「ダメ――!!」
「いひゃああ!?」
 錯乱したなかちゃんが、タックルして突っ込んだ。
「バカ――!!」

 二人とも、見事に落とし穴に落ちた。

 中でもがいているのだろう、生ゴミの袋がガサガサと音を立てる。ひいひい悲鳴を上げながら、混乱した竹内君がなんとか頭を見せた途端。

 特大のタライが落ちてきた。

 とてもとてもいい音がして、落とし穴は塞がれる。すごい。こんな完璧な現実見たことない。コントよりもコントらしい。私は塀の上を見た。タライを落とした力強いその両腕は筋肉質で、格好はガテン系。
 それは何度か見たことのある、なかちゃんの父親だった。
「ナイス遥! いやあ、いいものが撮れたぞ〜」
 何ビデオ固定してるんですかおじさん。
 タライの下で、なかちゃんと竹内君がそれぞれうるさく喚いている。
「いやぁ、世の中にはまだまだダイヤの原石がいるもんだなぁ」
「おじさん」
 私は塀の側まで行って、どうしようもなく呆れた顔で彼を見上げる。なかちゃんのお父さんは異常に爽やかに笑って言った。
「おお、久しぶり。いやー凄かったねぇ今の」
「…………」
 何も言えない。何も言葉が出てこない。
 なんだか全てが吹き飛んで、私はひどく呑気な様子で辺りの機材を指差した。
「カメラ、何個設置したんですか?」
「五個! 編集するの楽しみだなぁ。出来たら一本あげようか」
 笑顔はとても爽やかで、今にも歯が輝きそうな日焼け顔。
 この人は一体何事なのだろう。そんなことを思いつつも、ついつい強く言ってしまう。
「お願いします」
 私もだいぶなかちゃんちに慣れてきたな、と心のどこかでそう思った。



 休憩時間が終わるから、とおじさんはあっけなく去っていった。カメラなどの機材を片付け、軽快にスキップして消えていく。おじさん。タライがまだそのままです。
 大きなタライは狭い穴を塞いだまま。深い中のお二人さんは、諦めたのか沈黙している。
 私はとにかく除けようと、その近くに歩いて行った。そして止まる。
 中から、なかちゃんのしおらしい言葉が聞こえたのだ。
「ごめんね。ほんとにごめん。こんなことになっちゃって……」
 緊張が明らかに滲む声。らしくない上ずった音。そういえば、落ち着いて考えてみれば狭く暗く閉じた場所で二人きり。その二人とも、やけに動揺している様子。
「い、いいんですいいんです。全然かまわないんです」
「あのっ」
 なかちゃんの声が鋭く響く。沈黙。私は思わず息を飲んだ。
 そして静かに唐突に、人生初のお言葉が、彼女の口を飛び出した。
「好きです」
 がた、とタライが揺れた。続いたのは甲高い声。
「ボボ、ボボボボボボボッ」
 タライを一緒に震わせながら、竹内君は言葉を揺らす。ボボボボボ、とそればかりを言い続ける。それが、息を呑む音で止まった。
「ぼ、ぼぼ僕も、入学した時から……っ」
 そうきたか。そうきたか竹内!
「えっ」
「ずっと綺麗な人だなって思ってて、それで、それで放送部の時も立候補してっ」
 よかったねなかちゃん! すごい、こんなことってあるものなんだ。うわあ!
「あ、あの時は、そのせいで動揺しちゃって……! あんな風になっちゃって、は、恥ずかしくて」
 そうか、別に撮影に緊張してたわけじゃないんだ。竹内君はなかちゃんに緊張してただけなんだ。
「中野さん、面白い人が好きだって聞いて……それで僕、馬の頭に色々付けて」
 え。
「だ、だからそれを被ってたら安心できて。ごめんなさい、あの時は驚かせて」
 ちょっと待って、今何かとても不吉な兆候が……。
 だけど更に、竹内祐樹はとんでもないことを言ってしまう。
「今日も、本当は近くにいるって解ってたんです。昨日の夜、友達が気をつけろとか電話してきて……だから、チャンスだと思って。ほ、本当はぽん酢で食べたりはしないんですよ? ちゃんと、いつもは普通の食べ方で」
 がた、とタライが揺れた。かたかたと僅かに震え始める。まるでなかちゃんの感情を表すかのように。
 ううっ、と小さな声が漏れた。竹内君がひゃあと悲鳴を上げる。その後は、堪えるような濁った嗚咽。
 なかちゃんが泣き出した。
「な、中野さん!?」
「バカァ!!」
 タライが吹っ飛んだ。竹内君はゴミ袋の山に埋った。
 なかちゃんは涙で顔をぐしゃぐしゃにして、失意のままに穴を抜け出す。
「バカ、バカ、バカぁあ!!」
「なかちゃ」
「バカ――!!」
 私の方は見もせずに、そのまま遠くへ走り出す。どんどんどんどん走っていって、あっと言う間にその姿は小さくなった。嘆きの言葉も小さくなる。消えるかどうかの最後の最後、なかちゃんは付け足した。
「パ――――ク――――」
 なかちゃん、それすごく古い。
 インパク知とかあったよなぁ、なんて呑気に思い出しつつ、私はゴミに埋もれた竹内君を救出する。
「あ、ありがとうございます……」
 呆然として気が抜けて、見ているだけで可哀相になってくる。ごめんね竹内君、君は間違っていない。間違ってるのはきっとなかちゃん。
 でも、間違っていても人生は続くのだ。修正が効きそうにないなかちゃんが、生まれて初めてまともな気持ちを持ったのだ。あのお笑いに他人の命を軽くかけるなかちゃんが、初めて相手を助けようと必死になった。結果的には逆効果になったんだけど。
 私は竹内君を見る。失恋に強く落ち込む、魂の抜けたような姿。
 なかちゃんもきっと傷ついている。泣いているところなんて本当に初めて目にした。
「竹内君さぁ」
「は、はい」
 竹内君はハッとして姿勢を正す。初々しいにもほどがある人間性だ。私は思った。
「なかちゃん……中野遥のこと、本当に好き?」
「は、はい! それは本当です!」
 この二人をなんとかくっつけられないか。お互いに上手くいくことは出来ないか。
 私は真っ赤な顔の竹内君に向かい、思わずこう言ってしまった。
「もうちょっと頑張ってみない? 協力するからさ」

 後々に、「言うんじゃなかった」と後悔することも知らずに。




天然醸造乙女系
第二話「恋する乙女はストーカー(3)」
作者:古戸マチコ
掲載:へいじつや
製作:2002年5月