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なかちゃんは素早くご飯を食べ終える。私も呑気に咀嚼しつつ、やっぱおむすびだけじゃ足りないんだけど。と思いながら彼女を見る。何があってもすぐに動ける食事がいいと、勝手にメニューを決められたのがちょっと悔しい。 しかしなかちゃんは真剣な顔でメール交換。さっきからずっと誰かと交信している様子。 仕方ないので私はお茶を飲み干して、竹内君を盗み見た。茶ソバもブリもどうやら食べ終わった模様。竹内君は至福の笑顔で箸を置き、両手を合わせてご馳走様と囁いた。 ふう、と息をつく。水筒を手に取って、おもむろに中身をふたに注ぐ。湯気が立つ。白くにごった少しとろりとした液体。 そば湯かよ。 私は静かに心の中でツッコミを。竹内君は嬉しそうに、ぽん酢+ワサビ+茶ソバエキス+ブリ臭さ+そば湯をぐいと飲み干す。また水筒を取る。今度は生ワサビをすったおろし金を傾けて、金具に残ったワサビのかすを落とすように湯を流す。そして一気に飲み干した。 ぷはぁ、とか言った。しかも語尾にはハートマークが付く勢いで。 「通ですねお客さーん……」 「ツッコミが甘い」 携帯を閉じる音。続いた彼女のダメ出しは、ほんの少し心に染みる。 「なかちゃんだってノー・ツッコミのくせに。ボケ殺しの中野のくせに」 「あたしはあくまで観客に徹したいの」 私も別に芸人になりたいわけじゃ。そう言いたいが、なかちゃんの目は竹内君に釘付けで、諦めて無音のため息だけにする。言葉はいつもと同じだけど、なかちゃんの目は潤みを帯びた恋する乙女の瞳そのもの。熱っぽい視線、というのだろうか。それを知らずと受けながら、竹内祐樹はカバンに荷物を片付けている。しかし大きいリュックだなぁ。まだ何か入っていそう。 「竹内っ」 女子の声。竹内君は振り返る。かちゃ、と軽いシャッター音。 一年生らしき女の子たちが、楽しそうに笑っている。声を掛けた人の手に、使い捨ての小さなカメラ。やや呆けた竹内顔を、また素早く激写する。 「んー、いい表情いい表情」 そしてまた、わざとらしい仕草で構えた。竹内君がガタリと身を引く。なかちゃんは身を乗り出す。そしてまたもや悲鳴が上がると思いきや。 「え、もー、ちょっとやめてよォ〜。待って待ってちょっと待って」 彼はどこか嬉しそうに、そわそわと髪を撫でつけ始めた。それはまるで乙女の仕草。 「変わんないってー。もー」 女の子たちは明るく楽しく笑っている。竹内は真剣な顔で身だしなみを整えて、姿勢を正してぱっと目を大きく開いた。カメラ目線で小首を傾げる。口元はきゅっと結んだ作り笑み。 爆笑が起こる。竹内サイコ―! とか言われている。その声には構わずに、竹内祐樹十六歳は乙女の笑顔を維持し続ける。一年女子は笑いながら、また一枚写真を撮った。 「いい笑顔が撮れたよっ」 竹内君は満足そうに照れ笑い。現像したらあげるから。そう言って、女子たちはまたそれぞれ雑談などを始めた。 これは一体どういうことなんだろう。写真じゃ奇声は出ないのだろうか。それともカメラを取った人が、慣れた相手だったからとか? まぁ、そもそも規模が違うか。部活ビデオは全校生徒の視線を浴びる映像だし。 なかちゃんは複雑な顔で竹内君を見る。少し不安が滲んでいた。 「……まぁ、ねぇ?」 上手いフォローが見つからず、言葉はどうにも繋がらない。なかちゃんは静かな声で呟く。 「まだ、これから」 竹内君が席を立った。リュックを何故か両手で抱え、ゆっくりと外へ向かう。 なかちゃんが立ち上がった。携帯をしまいつつ、竹内君だけを見据えてそっと後をつけて行く。私も慌ててお茶をしまい、及ばずながらそれに続いた。 竹内は特別教室側へと進む。私たちも後を追う。 音楽室に美術室、化学室に調理室。そんな特別教室棟には広々とした中庭がある。中庭、というには殺風景この上ないが、適度な広さと雑草はのどかな昼に丁度いい。 竹内は隣接したコンクリートの階段に腰掛けて、リュックサックを膝に置いた。 私たちは彼からは死角の場所で、地べたにしゃがんでじっと見守る。なかちゃんがまたメールを送った。何かを算段しているようで、なんか嫌な予感がする。 珍しく人気が少ないのは、風が強いためだろうか。ふと頭の中に「なかちゃんの仕業」という言葉が浮かんだが、思いつかなかったことにする。だってそんな十分に有り得ること。 竹内君がカバンに手を突っ込んだ。なかちゃんが慌てて携帯を閉じ、彼の手元を凝視する。竹内の手がゆっくりと掴み出した物は。 パパイヤだった。 「…………」 脱力する私に気が付くこともなく、竹内君は丸ごと一個のパパイヤを横に置き、またカバンに手を突っ込む。出てきたのは果物ナイフ。更に丸ごと一個のレモンと、安っぽい搾り器も準備した。 お前のカバンは何事だ。 竹内君はいそいそと、まずレモン汁を作ることから初めてしまう。 「よかったねなかちゃん」 なかちゃんは珍しく頷いた。こくんと一回。また一回。勢いづいて止められなくなったのか、ごんごんごんごんヘッドバンキングを始めてしまう。 止めないことにする。 「半分に切ってそのまま搾っちゃだめなのかなあれ」 なかちゃんはぴたりと首を止めた。ごく真剣な顔で言う。 「何言ってんの、そこがオイシイところなのよ」 「いやそうじゃなくて、ボケツッコミのない現実生活においてですね」 「そう! 誰も見てないじゃない!? 誰も見てないのにあんなボケをかますなんて、それはもう本物の証拠に違いないわよ!!」 なかちゃんは興奮でますます顔を赤くして、ゆさゆさと私の肩を両手で揺する。 私は静かに揺さぶられつつ、ぼんやりと「眠いなぁ」とか思っていた。こういうのを現実逃避というんだよね、きっと。 「ま、めでたくも初恋が成立したということで」 なかちゃんの手がぴたりと止まる。その顔が嬉しそうに緩んでいく。 「……まだまだわかんないけどね」 照れくさそうにそっぽを向いて、竹内君を見つめ出した。 竹内君はレモン汁を作り終わり、ナイフを開いてパパイヤを二つに割る。慣れた手つきで種をくり抜き、ちゃんとビニール袋にしまった。 カバンから大きなスプーンを取り出す。先端には白い紙が巻かれていて洋食屋のような風景。竹内君はレモン汁をパパイヤにかけながら、呑気に歌を歌いはじめる。 「コートリーハトーッテーモウータガースキー」 抑揚が異常にないのは何故だろう。 「カーサーンヨーブノーモウータデーヨブーゥウ♪」 片言なのは何故だろう。ちょっとだけ演歌調なのは何故だろう。 「バホホホホ♪」 どんな鳥だ。 「タババババ♪」 どんな鳥だ。 「めーしまーだかー?♪」 母さんを、呼んでる。 馬鹿だ。こいつ絶対馬鹿だ。見てる私たちもだけど、なんかもう絶対馬鹿だ。 笑いたいんだけど、隣でなかちゃんが恐い顔で凝視してて笑えない。私は歯を食いしばり、込みあがる笑いを押さえる。竹内は悠々とパパイヤを食べ始める。美味しい、と嬉しそうに微笑んだ。語尾にはやっぱりハートマークが付く声色で。 「なかちゃん……もしかして私たち、すごいキャラ発掘しちゃったんじゃ」 「シッ。奴らにだけは秘密にするのよ。奴らにだけは、奴らにだけは……!」 なかちゃん。 「そんなに憎い? V6」 「ネプチューンでもダメだからね。手紙送ったら殺すよ」 私たちは今、マスコミから保護するべき貴重生物を目にしている。 私は好きだけどね、あの番組。そんなことはとてもとても口に出来ない。 唐突に、なかちゃんの携帯が震動した。なかちゃんは素早く開き、何かメールを打ち始める。竹内は幸せそうにデザートタイムを送っている。私はただ無言で見守る。 「……どうしよう」 なかちゃんが、どこかか弱い声で言った。驚いて見てみると、その表情は薄曇り、今までになく気弱な顔でこちらを見ている。こんななかちゃん、初めて見た。 「本物なの。本物なのよ絶対に。こんな人、もう二度と逢えないかもしれない」 「うん、よかったじゃん。どしたの急に」 なかちゃんは、どうしていいのか解らないような顔をする。携帯をぎゅっと握り、不安そうに呟いた。 「でも、逆に言えば一旦これを逃しちゃったら、もう二度と何もないってことじゃない? ……そんな、失敗したらどうしよう」 こんななかちゃん初めて見た。それもそうだ、今までにない相手を見つけてしまったのだから。多分生まれて初めての気持ちを抱えているのだから。 「なかちゃん」 私は自信を持って言った。 「なかちゃんなら大丈夫。美人だし、気は強いけど何でもズバズバはっきり言うし、自分にも他の人にも嘘はつかないし」 「でも、それが嫌いって人もいっぱいいるし」 「相手を変えちゃえばいいんだよ。キッパリ言い切るタイプもいいなって思わせるようにすればさ。第一、一回振られたからって一生の別れになるわけじゃなし。何回も挑戦してみればいいだけだよ」 そうだ。なかちゃんがこんなことで再起不能になるわけがない。何処までも何処までも、自分の理想を貫くために、妥協はしない性格なのだ。 「大丈夫。ね?」 なかちゃんはしばし黙り込み、ゆっくりと頷いた。 「うん。うん、そうだよね。あたしならやれる。絶対になんとかしてみせる!」 表情にみるみると輝きが戻ってくる。いつもの顔だ。いつも通りのなかちゃんだ。 私はほっと一安心。なかちゃんは力強く拳を握り、よし、と気合を込めなおす。 「絶対にモノにしてみせるわ、竹内祐樹……」 その声が意外に低くてちょっとだけ寒気が走った。 「……大事に優しくしてやりなよー。苛めたりしちゃだめだよ?」 「しないよ。そんなことするわけないでしょ」 「自分がそう思っててもさー」 私の中に言いたいことが湧いてくる。日ごろからちょっと思っていた意見。 「なかちゃん自身は酷いことしてるって自覚なくても、たまに結構すごいことやってるよ? この間も放送部のお笑い組に難しいネタ振ったでしょ。ああいうの多いもん」 「あれは、奴らの技量を測るために……」 「でもやられた方にとってはただの嫌がらせなんだよ。竹内君の面白い行動が見たいからって、変なもの仕掛けたりとかしちゃだめだよ? なんかもう、この調子だとやりかねな」 「え」 私の意見はその一言でぴたりと止まる。なかちゃんは、心の底から意外そうな表情で、ぽかんと私を見つめている。それが静かに色を消して、みるみると青ざめた。 「だめって言っても、もう」 「何仕掛けた――!」 小声で絶叫。なかちゃんは頬に手をやりおろおろとうろたえ始める。 そしてとても簡潔に暴露した。 「罠を」 何のだ。 「ちょっと待って、それってどこに」 ふと気が付く。竹内君が、どこかに向かって歩いている。腕時計で現在時刻を確認しながら。 「よ、呼び出ししたの。先生の名前使って、十二時四十五分に裏門近くにって」 「それで!?」 なかちゃんは目を逸らし、とてもとても気まずそうに呟いた。 「行ったら落とし穴が」 「コラー!」 なかちゃんは動揺を全面に出しつつ弁解する。 「で、でも、ちょっと聞いて? まず現地に行くでしょ、そしたらまずバナナの皮があるの。滑るかい、って思って避けるとそこには柔らかい犬のフン。それも避けたら次は画鋲、まきびし、ピアノ線、そして草がなくて新しい土が盛られ、隅にはダンボールが露出しているあからさまな落とし穴が! 馬鹿にしてるのかと全てを避けると! なんとその避けた先こそが本物の落とし穴で中には生ゴミが」 「すな――!!」 「でもタライも落ちてくるのよ!? ちゃんと塀の上にスタッフが」 「更にするな! 早く、止めるよ!!」 「だって見たくない!? いい反応見せてくれるよ!?」 「だめ! 好きなら好きで大事に扱おうよ、大事な貴重なキャラなんでしょ!?」 なかちゃんがハッと息をのんだ。考え深げに沈黙する。 そしてしっかり前を向き、力強く頷いた。 「行こう!」 「そう。絶対に止めよう!」 私たちはどちらともなく駆け出した。 |