天然醸造乙女系
第二話「恋する乙女はストーカー」



 なかちゃんが戻ってこない。この授業の開始直前、突然「トイレに行ってくる」と抜け出してから随分経って、もう授業は終わる時間。次はお昼休憩だ。私はとてもとても嫌な予感がひしひしとして、先生の英文なんか頭の中に入ってこない。
 チャイムが鳴った。教室中がそれぞれに騒がしくなる。私は教科書も片付けず、すぐに外へと飛び出した。嫌な予感がする。というか、予想が。
 向かうのは情報教室。休憩時間はコンピューター部の活動場所となる教室。廊下を走り食堂に向かう人の波を避けていき、辿り着いたドアを力強く開けた。……鍵は開いている。
「なかちゃん!?」
 ずらりと並ぶパソコンの列の最後部、見慣れた小ぶりの頭が見えた。背の高いなかちゃんはどこにいても分かり易い。なかちゃんは気が付かない。なんだかじっと画面を見つめているようす。
 私は少々早足になりなかちゃんの元へ行く。心臓が嫌な感じに激しく動く。
 なかちゃんの側に辿り着き、私は彼女が見つめる画面を後ろから覗き見て、とても素直に叫んでいた。
「買うな――!!」
 画面に大きく並んでいるのは盗撮用の小型カメラ、小型マイクに盗聴器。赤紫の毒々しい背景色に、杜撰な写真と大きな文字が並んでいる。
 なかちゃんはびくりとして振り向いた。その手元には値段と機種をメモりまくった小さな手帳。URLと支払方法まで記されている。あんたサイトごとに値段比べしてたんかい。
「何考えてんの! だめだって盗撮なんか!」
 なかちゃんはどこかぼんやり虚ろな目をして私を見る。それが少し怪訝に歪んだ。そっけない声で言う。
「何言ってんの?」
「え?」
 なかちゃんはつまらなそうに、小さな手帳を片付けた。
「ただちょっと見てただけ。もー、買うわけないでしょー?」
「え、そうなの? ホントに? え、ホントにホントに?」
 そしてカチッと窓を閉じて、接続を終了させた。平然とした声で言う。
「もしかしたら意外に安いかなって思っただけ。やっぱ足りないわ、お金」
「買う気だったんじゃん!!」
 チッ、と舌打ち。なかちゃんの目は強い力を放っている。本気の目だ。
「買うよ。私はやる時はやる女だからね。だからお金貸して」
「やだよ。ってうわー! 何これ変なもん落としてる!」
 デスクトップに並んでいるのは見慣れない奇妙なアイコン。そして画面の隅には嫌な、接続系の表示が浮かび……ってこれはもしやもしかして。
「で、結局串ってどうやって刺すの?」
「どんなサイト回ったのー! あーあーあーあーダウンロードしまくってる〜」
 仮にもコンピューター部の部長なのに、こんなんでいいのだろうか。
「別に学校のパソコンだもん。私関係ないし」
「あんた悪魔だ」
 とにかく終了させまくり、電源を落としてしまう。なかちゃんがこれ以上変なことをしないように。
「解ってる? 犯罪なんだよ犯罪。ストーカーになるんだよ」
「えー。だって別に好きだから追ってるってわけじゃないし。ならないよ」
 これだ。私はどっと疲れを感じる。この主張こそが、昨日からの彼女の行動原理なのだ。
 なかちゃん曰く、「あれは別に恋じゃない」。ただちょっと、貴重な天然素材を発見して上ずってしまっただけで、決して恋などではない、と主張するのだ。あの撮影からちょうど一日。昨晩は大量のメールが行き交いそのことについてお話をした。
 なかちゃん曰く、「あれは恋じゃない。でも、もし恋だとしたらすごく嬉しい」。間違った方向に理想の高い彼女にとって、竹内君のあの行動が本当に、天然でやっていることなら滅多に逢えない理想の人かもしれないという。
 でも、なかちゃん曰く「まだ解らない」。あれはただの作り事かもしれないし、何よりも心配なのは、あの行動は緊張からくる一過性の症状で、本当はまともな人かもしれないこと。
 私としてはどっちも心配要らない気がするんだけど、何しろなかちゃんにとってはほぼ初恋に近いらしく慎重さを取り払えない。慎重に慎重に「本当に奇怪なまでの天然ボケ」なのか、「日常生活の全てにおいて変人なのか」を怯えつつも調べたいと主張した。
 問題はその方法。
「今日は突きつめるよ。ちゃんと手回ししたんだから。行くよ」
 なかちゃん、私嫌だよ尾行なんて。
 と言ってみても聞いてもらえる筈がなく、「一人でやるから別にいいよ」と言われるのが関の山。そんなこと、恐ろしすぎて出来るわけがない状況。隠しカメラや盗聴器を買おうとする女なのだ、一人きりで暴走させると何が起こるか解らない。
「……なかちゃん、そのずっと握ってる人形何?」
 フェルト製のあからさまな手作り人形。だが問題は目が飛び出てて口から鼻から血が出てて、心臓に大きな穴が開いていること。不気味なそれを一度も見ずに、なかちゃんはあっさり言った。
「結構ホントに効くらしいよ」
「何に」
 なかちゃんは無言でスタスタ廊下に直行。私はそれを追いながら、心の中で竹内君の健康を願わずにはいられない。
 何しろこの人中学時代、藁人形作成講座とか取っていたらしいし。本人曰く「イマイチ」だったそうだが問題は効き目ではなく、それを作る彼女の根性。恐ろしきストーカーの卵が今、孵化を迎えようとしている。
 私が止めなきゃ誰が止める。そう心に誓いつつ、教室を後にした。
 向かうのは学生食堂。竹内君が昼食を取るその現場。
 私たちが願う結果はただ一つ。彼が本当に物凄い天然ボケであることだけだ。




 手回し、というのを軽く流していたけれど、実際に目にしてみると非常にきっついものだった。
 竹内君は食堂の席につき、お弁当をカバンから出している。
 たった一人で。賑やかな食堂の中でたった一人でぽつねんと。
「三人もいたのよ。ま、簡単だったけど」
 沢山いると隠れるのが大変だからと、普段一緒にご飯を食べてるお友達を休ませたのは、一体どんな技を使って。ちょっとだけ知りたいが、それ以上に知りたくないような気もする。
 私たちはおむすびを食べながら、竹内君がよく見える位置にこっそりと座っている。両サイドは団体さんに囲まれて、隠れるには都合がいい。
 竹内君はたった一人でお弁当の包みを開ける。なかちゃんの毒牙にかかって欠席している友達のことをどう思っているだろうか。それもまた知りたいようで知ったら気持ちが怯みそうだ。
 緑色の包みの中は、黒い無地の弁当箱。ごくごく普通の大きさだ。
「チェックいち、弁当の中身」
「あ、数えるのね。というかもう始まってるのねヘン度調査」
 なかちゃんは私の言葉に反応などすることなく、ただじっと竹内君を見つめている。
「さぁ……どう動く? 竹内祐樹」
 そういう名前だったのだ。なかちゃんは「平凡でイマイチ」となんだか少し苛立っていた。
 どんな手を使ったのか、なかちゃんは昨日のうちに名前住所家族構成、出身中学その他色々全て調べていた。誕生日に部活履歴、趣味や友達関係まで。スポーツテストの内容まで見せられた今日の朝、私は本気でこの人を怖いと思った。
 名前が普通な竹内君は、どこか乙女を感じさせるつつましく女々しい仕草で弁当箱の蓋を開ける。
 なかちゃんが身を乗り出した。私もつられてその中身を目撃し……まばたきした。
 緑がひどく目に映えた。

 竹内君の昼食は、茶ソバとブリの刺身だったのだ。

「微妙ー……」
 どうだなかちゃん。どうなんだこのボケは!
 なかちゃんはじっと彼を見つめている。昨日と同じ表情だ。口をきつくきつく結び、瞬きすら惜しむように、竹内祐樹を凝視している。
「なかちゃん」
 私は遠い目で言った。
「合格なのね?」
「ちっ、ちがッ。ま、まだまだこんなんじゃ」
 なかちゃんは顔を赤らめつつも目を離さない。竹内君はそんな中、嬉しそうにカバンに手を突っ込んだ。
 取り出したのはミツカン味ぽん特大ビン。竹内君は水筒の蓋をひっくり返し、なみなみとポン酢を注ぎ始めた。
 なかちゃんの頬がますます赤らむ。
「……合格なのね?」
「ち、違うって! もー!!」
 なかちゃん、今の君はとてもとても嬉しそうだ。というか竹内、丸ごと持ってくるなよポン酢。……ポン酢?
 違和感を感じるのと、竹内君が動いたのは同時だった。竹内君はいそいそと両手を合わせて可愛らしく「いただきます」と囁いた後、ブリの刺身をおもむろに、ポン酢の海に突っ込んだのだ。
 そして食べた。咀嚼しつつ、「うふふ」といわんばかりの笑顔を見せる。
 更に茶ソバを一口掴み、遠慮なくポン酢につけようとした所で動きを止め……何か思い出したように、カバンに手を突っ込んだ。
 出てきたのは生のワサビ。そして大きなおろし金のセットだった。
 だから丸ごと持ってくるなよ。いや、問題はそんなことではないような気も……。私はふとなかちゃんを窺った。なかちゃんは、ブレザーの胸のあたりをきゅうっと掴み、うっとりと口を半開きにして竹内君を見つめている。
 なかちゃん。
「惚れたのね?」
「だっ、だから違うって! もう、やめてよー!」
 顔がとても赤かった。
 竹内君は綺麗な円を描くように、生ワサビをすっている。テーブルの上に並ぶのは、ポン酢のビンに普通の水筒、そして茶ソバとブリの刺身が盛りだくさん。私はそれとなかちゃんを交互に見つつ、爽やかに微笑みながらおむすびを口にした。

 この人たち、全員変人。
 今更ながら、心の底からそう思った。




天然醸造乙女系
第二話「恋する乙女はストーカー(1)」
作者:古戸マチコ
掲載:へいじつや
製作:2002年4月