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 魔力塔の石壁は沈みゆく陽に照らされて赤々と映えていた。雑に束ねた同色の髪を揺らしながら歩く影。ピィスは工具箱を小脇に抱え、なぜか手にどんぐりを握りしめて慣れた道を進んでいた。数歩行けばまたひとつどんぐりが落ちている。呆れ混じりの笑みを浮かべて拾い上げ、目の前のドアを確認した。掲げる札にはカリアラの名が記されている。
「よーっす副長。生きてっかー」
 明かりすらつけていない部屋の中は大量の物の影に押しつぶされてしまいそうだ。この男は相変わらず部屋に物をやたらと溜め込む。ピィスは術で明かりをつけて、部屋の隅に積み上げられたがらくた山に手をかけた。大量の毛布や箱をはがしていけば、最終的に残されるのはうずくまるひとりの男。
「ちっっっ、さ!」
 丸く固まるカリアラに、ピィスは容赦のない言葉を浴びせた。
「ヒイこっちまで鬱になる。暗い! 暗すぎる! 暗黒世界に飛び込み中か!」
「……なんで分かった」
「え。ホントに飛び込んでるの暗黒世界」
 そうじゃない、と嘆息してカリアラは顔を上げた。
「こうしてること。なんで知ってる」
「うんそれがまあ重要なところでしてね。あたしが飯でも食うかと歩いていたら、道にどんぐりが落ちてるわけですよ。端が黒く塗りつぶされたやつな。これは何らかの沈みを表す暗号でして、それがお前の部屋に向かって点々と並んでる。要するにうちのワンワンがここに落ち込んでる人がいますよーとあたしに教えてくれたってェわけなんだが、ここで一つ言ってもよろしい?」
 ピィスはカリアラの額にどんぐりを押しつけて言った。
「お前ら本当は仲良いだろ」
 ぐりぐりと、そのまま先端で額をえぐる。
「険悪なふりをして友情で繋がれてんだろ。なあ、正直に言いやがれ」
「俺はいつかこの手で奴を跪かせたい一心で修業してるだけだ」
「その嫌いな相手に剣を教わること自体がずれてんだよ。まあそっちの歪み組は一生やってりゃいいわけですが、こっちのはさっさと済ませてくれないかなあ。上の二人が喧嘩してちゃあ、業務に差し支えて仕方がないのよ」
 おら。と沈む頭をぐしゃぐしゃとなでくり回して突き放す。
「てめえの失言に落ち込んでる暇があったら、とっとと謝ってこいっつの」
 カリアラは目の縁を赤く潤ませて、拗ねた顔で睨みつける。
「……煙草臭い」
「はーいまた吸っちゃいましたー。ごめんなさいねー」
 開き直って笑いながらカリアラの服をめくり、新たな傷が増えていないか確認する。
「これだってさっさとサフィに直してもらえばいいのにさあ。人がせっかくわざと手ェ抜いてやってんのにどこまでも意固地なんだから。ん? ボクは心配かけたくないから見せに行くの嫌でちゅか? ああん?」
 とりあえず縫い直そう。そう言ってカリアラを横たわらせると、ピィスは彼の痛覚を切る。カリアラは毛布を顔に押しつけて、うめいた。
「……怒るから、嫌だ」
「あいつが怒ったぐらいで動揺するお前じゃないでしょ」
「そうじゃなくて、俺が」
 カリアラは毛布の中でとつとつと自省する。
「怒るのは、嫌だ。あいつが騒ぐと腹が立って俺は怒る。怒ると、言っちゃいけないことを言う。言わないようにしてきたのに、わざわざ相手が傷つくような言葉を選んで……。怒るのは、嫌だ。制御が効かなくなる」
「そりゃあ人間だからねえ」
「人間は、しんどい」
 カリアラはますます強く顔に毛布を押しつけた。
「昔はこんなことなかったのに。こんなに、落ち込んだり、嫌になったり、つらかったりしんどかったりすることはなかった。馬鹿のままでよかったんだ。何も考えずにどんどんまっすぐ走っていける、あのころのままでよかったのに。……俺、馬鹿のままでいればよかった」
「馬鹿のままねえ」
 ため息混じりに吐き出して、ピィスはカリアラの毛布をはぐ。弱々しく沈んだ顔の鼻をぐいとつまんで笑った。
「あたしにはお前は今でも頭の悪いバカやろうに見えるけど?」
 さあ出来た、と縫い終えた腹を見せればカリアラはぎょっとして、まんまるく目を見張る。ピィスは企みを頬に浮かべてにんまりと煙草をくわえた。
「お前っ、これっ、……いやだ! 絶対いやだ!」
「もー照れ屋なんだからあ。どうしても行かないってんなら、分かってるよねお兄さーん?」
 引きつったカリアラの顔面はみるみると青ざめていく。
 ピィスは火を点けながら、小気味良く指を鳴らした。
「なな。やっちゃって」



 社長室は小雨でも降りそぼるかのように湿気ていた。それはあくまでも心情的な感覚なのだがうざったさに変わりはない。シラはうじうじと背中を丸めるサフィギシルを苛立たしげに睨みつけた。
「だから言ったでしょう。仕事の邪魔になるからついていくなって。幼児ですかあなたは」
「だってさー……だってさー……」
「ああイライラするう! さっさと立ち直りなさい!」
 このままでは仕事もろくに進まないが、サフィギシルは暗澹と闇の中にこもるばかり。カリアラに言われた言葉がことごとく胸を刺して出血し、回復不能になったようだ。どこまでも沈みこんで液体になってしまいたい。と力のない声で呟く。
「なんでこんなになっちゃったかなー、俺たち……」
 昔はこうだった、ああだった、と思い返すたびに切なくて涙が滲む。激怒したカリアラと彼の言葉が頭の中に鳴り響き、全身に重みを感じる。カリアラはすぐに感情的になるサフィギシルとは対照的に、冷静で、滅多に怒ることがない。だからこそごく稀に怒ったときの衝撃がすさまじいのだ。サフィギシルの心臓はまだばくばくと早駆けていた。
「……怖かった……」
「もう。あのひとだって怒りたくて怒ったわけじゃ……」
 言いかけたところでドアが奇妙な音を立てる。シラが怪訝に開けてみれば、廊下にはカリアラが倒れていた。
 しかも、その背から腹にかけて剣が突き刺さっている。
「うわあああ!?」
 悲鳴はぴたりと重なった。串刺しにされたカリアラの全身は小刻みに震えている。同じく揺れる柄の先には使影の武器特有の黒い印。サフィギシルはカリアラに駆け寄りながら鋭く叫ぶ。
「シラ!」
「はい!」
 向かう先は言うまでもなくななの所だ。シラは整った顔立ちを禍々しく歪めて走る。
「今度こそ液体にしてやるううう!」
 いつもならばカリアラに「俺がこの手で倒したいから」と止められるところだが、今度という今度は我慢ならないのだろう。シラは憎き敵を探して疾走し、サフィギシルは敵討ちを彼女に任せてカリアラの治療に向かう。カリアラは青い顔で呟いた。
「おれころされるいつかあいつにころされる」
「だから言っただろ、危険な喧嘩はするなって!」
 どういうわけかカリアラは首を横に振る。痛覚を確かめると既に切断してあるようで、痛みは感じないようだ。ひとまずはホッとして、突き刺された剣を抜くとカリアラを肩に担いだ。いつもよりも数段軽い。傷口からかなりの魔力が失われた証拠だった。
「もしかして気まずいからって我慢してたのか? ……っの馬鹿! 馬鹿魚!」
「ちが、おれ、そこ、あるいて。ぐるぐるしてて。それで」
「すぐ来なかったってことだろ? 意地張ってんじゃねえよ馬鹿!」
「そうじゃ、なくて」
 聞くのは後だと着ている服をめくったところで、サフィギシルは固まった。
 晒されたカリアラの上半身。力を失い布に戻りかけているそこに、赤い文字。
 彼の腹には真っ赤な糸で「おれがわるかったです ごめんなさい」と刺繍されていた。
 目を移せばカリアラの顔も耳も首でさえも、同じぐらい赤く染まっている。カリアラは泣きそうな顔でうつむいて、弱々しく頭を抱えた。
「……ピィスが」
 消え入るような呟きに、サフィギシルはすべてを察する。ふつ、と口から空気がもれた。そのまま体を二つに折って苦しげに爆笑する。涙すら浮かべるほどの笑いぶりにカリアラは体を縮めた。
「……笑うな」
「だって、お前、これ、っはははは! ははははは!」
「笑うなあ!」
「ははははは! あっははははは!!」
 ひいひいと死にそうな息をして、サフィギシルはカリアラにもたれかかる。
「っあー。大変だなあお前も。な」
「大変だ。ものすごく」
 された仕打ちが恥ずかしくて這いずり回っていのだろう。手足には細かい傷がいくつも走る。サフィギシルは改めて、カリアラの全身を点検した。細かな箇所まで調べるのは何年ぶりのことだろう。昔は毎日のように続けていたのに、いつしか遠くなっていた。
「お前さー。いつまで経っても怪我する場所変わんないな」
「お前も。……修理の手つき、ずっと同じだ」
 カリアラはうつ伏せたまま、作業台に頭を沈める。
「ごめんな」
 ぼそりと、目を逸らして呟いた。
「俺にはな、お前の仕事はできないんだ。お前の仕事はお前にしかできない。だから、俺は、俺にしかできないことをする。他に誰もできないならそうするしかないだろう。だから俺はああいうことを続けてるんだ。お前が気に病むことはない」
 サフィギシルはつい手を止めるがカリアラは話を続ける。いつかのように、淡々と静かな声で。
「俺は、お前と違ってああいうのはそんなに大変じゃないんだ。だから、俺を見てつらいとか、申し訳ないとか思わないでくれないか。お前がそうやって苦しんでると、俺がつらい。仕事をするよりもずっとつらい」
 カリアラはサフィギシルに頭を向けて、遠い場所を見つめて言った。
「嫌になったら、ちゃんと言うから。だから、それまでお前は黙っててくれ」
 背けられた目と目が合うことはない。カリアラの耳はほんのりと赤く染まり、もう昔のようにはいかないことを教えてくれる。だが、それでも芯の部分は。
「……お前はさー。なんでそんなに、なあ」
 郷愁に胸を揺さぶられて、目の前が白く霞む。サフィギシルは堪えながら呟いた。
「お前は変わんないよ。ずっと、お前のままなんだな」
 カリアラは頷いて、お前もだ、とかすかに告げる。
「相変わらず、すぐに泣く」
「お前の分まで泣いてやってんだよ。感謝しろ」
「うん。ありがとう」
 そう言って笑うので、サフィギシルもまた泣きそうな顔で笑う。なんとなくそうしたくなって、カリアラの頭をくしゃくしゃとかき混ぜた。そしてまた、ふたりで笑った。


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