第六話「魚のうた」
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 鼻を刺す臭いが閉ざされた部屋を満たしている。呼吸すら危うくなりそうなその中で、カリアラは飽きることなく壁を塗った。刷毛や筆などは、初めから頭にない。彼はただおのれの体ひとつをもって、思うがままに描いていく。手のひらは艶やかな赤に染まり、まるで熟した実を潰したかのようだ。幾多もの色が重なり合う指先は、毒々しく、だが決して目を離せない賑わしさに覆われていた。布で出来ているカリアラの肌は、十分に絵具を含んでいくのだ。かさぶたのようになったそれでさらに新たな塗料をすくい、カリアラは壁に色を載せていった。
 指の腹でねちねちと音を立てて、くすんだ黄色を広げていく。その上から鼻の頭で紫の点を飛ばした。生ぬるい絵の具に額から飛び込んで、顔中が色にまみれる。そのまま頭をこすりつけると、黄と紫は混じりあって奇妙なにじみをもたらした。
 カリアラはひゃあひゃあと笑い転げる。もう、大声を出しても構わない。この家には他に誰もいないのだ。邪魔をされることはなく、存分に戯れることができる。
 倉庫にあった染料を使い果たすと、今度は作業室からありったけの色粉と油を取ってきた。サフィギシルは専用の道具で練っていたような気がするが、カリアラは床に色粉を盛って、とろとろと油をたらしてはかき混ぜる。むらのあるそれをわしづかみにして壁を殴り、いっぱいに腕を振る。まるで絶叫のような軌跡を描いて新たな色が目に見えた。
 まだ。まだ。まだ。カリアラは頭の中で繰り返した。こんなものでは終わらない。まだ、出したいものがある。
 五本の指をくねらせれば、それは穏やかな波になった。ぐるりと回せば渦巻きがあちこちに発生した。それぞれの指を違う色に浸してでたらめに叩いていけば、まるで花畑のような細やかな色が広がる。カリアラはこの景色を知っている。全部、頭の中にある。
 色とはなんと便利なものなのだろう、と感嘆せずにはいられない。どんなに考えてもぴたり言い表せない言葉とは違い、色は絶妙な混じり具合で想いを形にしてくれる。丁度いい色が生まれなくても、ひたすら手を動かせば解決に近づくのだ。あんなにも苦しかった言葉探しとは、比べ物にならなかった。
 粉を混ぜては新しい色を作る。多彩に広がる色相は、おのれの声を偽りなく表わしてくれる。カリアラは叫んだ。喉ではなくその腕で声を上げた。腰が痛むほどに体を振り、足を踏みしめ、腹まで濡らして心を放つ。もはや彼の全身は筆先と変わりなく、まるで見えない手が彼を押しつけ、その内にあるものをひとつ残らずこすりつけているようだった。
 ぜんぶ。ぜんぶ。ぜんぶ。カリアラは熱に浮かされてそればかり繰り返している。おれの持っているものを、ぜんぶ、ここに。瓶に残ったジャムを匙でこそげ取るかのように、手足の先から頭まで内側から掻き出して、カリアラは何もかもを部屋にぶつけた。

※ ※ ※

 ついてこようとするシラにたくさんの言い訳をして、サフィギシルはひとり家に戻った。一応、嘘はついていない。カリアラは腹を空かしているだろうし、あまり大人数で行くと余計に気を逆立てかねない。だから、こうして夕食を手に単身でやってきたのだ。決して、これ以上カリアラに拒絶されたらまたしても泣いてしまい、みっともないからという理由だけではない。
 夕暮れを終えた空には星が広がっている。護衛の者には玄関で去ってもらい、裏口から家に入った。まずは台所で、折り詰めにした食事を皿に盛ろうと思ったのだ。だが扉を掴んだ手は驚愕に引きつった。
 井戸からの汲み置きを溜めてある水桶に、賑やかな色の塊が沈んでいた。よく見れば、それは絵の具まみれのカリアラだ。頭から突っ込んだ姿勢で上半身を水に浸し、ぐったりと静止している。悲鳴を上げて引きずり出すと、透き通る水がぼたぼたととめどなく流れ落ちた。慌てて心臓に耳をやるが、命に別状はない。単純に眠りこけているのだ。
 一体何があったのだろうか、カリアラの体にはもはや絵の具のついていない箇所はなく、全身くまなく多様な色でまだらに染められている。
(誰だ)
 そう言いたくて仕方がなかった。土間に寝かせた人型細工はこころよい寝息を続けている。深く吸い、満足そうに吐くその呼吸は、カリアラのものではなかったはずだ。彼は寝息を立てなかった。それどころかわずかな音がしただけで、びくりと起き上がっていたのだ。サフィギシルは、絵の具にまみれたカリアラの顔に触れてみる。それでも彼は目覚めない。一本の残りもなく色に染まる頭を叩けば、絵の具も流れきったのだろうか、もうこれ以上は出ませんとばかりに透明な水がこぼれた。
(誰なんだ、これは)
 カリアラは、笑っている。まるでやわらかな陽だまりで昼寝でもしているかのように。
 こんな表情は知らない。見たこともない。これは誰だと飽くこともなく問い続ける。
 そこにいるのは、まったくの他人だった。
 名前を呼ぼうとしてためらう。そんな簡単なことですら、どうしても叶えられない。この満足そうに眠る男が今この場で起き上がり、聞いたことのない声と言語で喋りだしても驚きはしないはずだ。サフィギシルは投げ出された男の腕を取った。手のひらから指先まで、毒々しいまでの鮮やかさと濁りに染められている。かさぶたのようなそれを剥がせば、カリアラが出てくるのだろうか。皮一枚を切り取ってしまえば、あの純粋な元ピラニアに逢えるのだろうか。
 知らない人を見下ろして思いつく。鍵は、まだかかっているだろうか。もしかかっていたとしても、物置には合鍵がある。だがそれはカリアラを裏切る行為ではないか。
(でも)
 横たわる男の体に触れる。それでも彼は目覚めない。サフィギシルは立ち上がり、早足で奥へと向かった。


 合鍵を手に、目的である部屋の前に立つ。奇妙な違和感がして、サフィギシルは廊下を眺めた。魔力製の白い明かりが、二階を均一に照らしている。だが、どうやらカリアラの部屋の中だけ上手く光を出せないらしい。ラーズイース、とこの家に棲む意識体に問いかけると、あたりの空気が申し訳なさそうに震えた。
 理解できないまま、サフィギシルは中空に魔力製の光を浮かべる。いちいちランプを取りに行くより早く中を知りたかった。カリアラの部屋は、予想通り施錠されている。ノブを回す手にかかる硬さがそのまま彼の拒絶のようで、いたたまれない思いがした。
 罪悪感に蝕まれながら、合鍵を挿し入れる。かすかな音が響けば、後はもう大した力も必要ない。もっと障害があるべきだと感じながら、サフィギシルは扉を開けた。
 塊となった闇が、廊下からの光を受けて扉型に切り取られる。鼻を刺す異臭がして、思いきり咳き込んだ。部屋の中には染料と油の臭いが濃密に詰まっている。袖で口許を覆いながら魔術の光を中に浮かべ、サフィギシルは固まった。
 身動きが、取れなかった。息苦しさどころか呼吸も思い出せない。視界中を覆ってもまだ足りないほどの色とかたち。乾ききらない絵具は何重にも塗り重ねられ、盛り上がり、うねりとなって壁を波立たせている。まるで血肉を溶いたかのような生々しい色彩は、今にも脈打ちそうだった。
(内臓だ)
 理解よりも早く言葉が生まれる。そのあとで、そうだとようやく納得する。これは内臓だ。それより他に言いようがない。
 なるほど、これでは照明の力も働かないだろう。壁に空間がなければ、この術は発動しない。サフィギシルは手のひらに明かりを寄せて、この巨大な絵を少しずつ覗いていく。
 足元、扉から入り込んですぐの場所に、大きな文字が描かれていた。床を削り取るのではないかというほど強く刻まれたそれは、カリアラの名前だ。カリアラカルス・ガートン。今まで見たどの筆跡よりも荒々しく、全力で床に這う言葉。あたかもこれはおれのものだと主張しているかのようだ。
(これは、カリアラの、なかみだ)
 深呼吸を繰り返すのは、恐ろしかったからに他ならない。この中に足を踏み入れるのかと警鐘が鳴っている。これは、カリアラのなかみだ。際限なくぶちまけられた、カリアラカルスそのものだ。小さな光はまだ奥をよく見せてはくれないが、この先にはもっと深い彼の内部があるのだろう。
 それでも、ここまで来たからには後戻りするわけにはいかない。見なかったつもりで扉を閉じるなど、到底できるはずがない。上履きを脱ぎ、爪先でそっと立ち、一歩ずつ足を入れる。ただひとつの異物としてサフィギシルは中に進んだ。
 隙間なく埋められた色形に鳥肌が立つ。どちらを向いても視界にはカリアラの描いた絵があった。その軌跡から、つやを帯びた絵の具の盛り上がりから、彼の息遣いが聴こえてくる。全身でそれを浴びながら、サフィギシルは明かりを強くした。
 突然、闇にのしかかられた気がして悲鳴を上げる。だが改めて確かめると、それもまた絵のひとつだった。闇夜よりもまだ深い暗色の塊が、目の前の壁にある。それは地下から噴き出したかのように、床から天井へと突き抜けていた。
「街灯」
 こぼれた言葉通り、黒を基調にしたそれはおそらく街灯なのだろう。まるで壁を裂くかのように荒々しく塗り重ねられ、どういうわけか、中途で大きく折れている。だからこそサフィギシルは、折れた部分がこちらに倒れてくるのではないかと怖れずにはいられなかった。
(街灯と、太陽)
 天井の傍で太陽が燃えている。街灯は折れて今にも倒れてしまいそうだ。足元を見てみれば、床にはひたひたと水が流れていた。そうとしか思えない色と波が、わずかな隙も残さず一面に広がっている。岩があった。水草があった。鮮やかな色の魚がたくさん泳いでいる。濁りを持つ河底には言葉が記されていた。いろ。これ。うまい。むかし。かわ。さかな。さかな。かわ。時には白墨で、時には色を引っかいて。カリアラはそうして声を連ねたのだろう。想いのまま記された文字たちは、自由な形に伸びていた。
(街灯と、太陽と、河。あとは……星と、光?)
 側面から正面まで様々な色が渦巻き、それらは単に衝動のまま塗りたくっただけにも思える。だがよく確かめれば正しい意味がありそうだった。折れた街灯の周りにはたくさんの星が散らばっている。ひとつひとつ色で穿っていったのだろう。無数には程遠いが、銀色のそれは明かりを受けて、まるで水面のように光った。
 サフィギシルは明かりと共に前進する。星は、まだ理解できる。だがこの空間はなんだろう。街灯の傍に、ぼやりとした淡い色が大きく塗りたくられている。それ自体が発光しているようにも見えるひかりの塊。きれいだが意味がわからない。
(なんかこの星、形がおかしいような……)
 鼻がつきそうなほどに顔を寄せて、そのまま、息を忘れた。星に見えていた多数の点。銀色に輝くそれには、かすかにだがはっきりと目鼻が記されている。髪もある。表情も。これは人間だ。五つ子がいる。ペシフィロもいる。ジーナやハクトルらしき人も。濃い背景色に紛れてわかりづらいが、模様のように伸びているのは道だった。建物もある。ナクニナ堂、時計塔、魔術技師協会、行きつけの肉屋、魚屋。そしてそれらの店の人間。みんな、笑っている。
「み、んな」
 サフィギシルは呆然とした。カリアラのなかみ。彼の世界。ではこれは。
 震えが止まらない。心臓が激しく脈打つ。街灯の傍に塗り込められた白い塊。闇に浮かび上がるそれにも目鼻があった。髪もあった。この顔を知っている。カリアラが一番多く描いた絵だ。
(俺、が)
 サフィギシルはおのれの似顔絵に触れた。
(俺が、いる)
 よく見れば隣にはシラもいた。光を纏う二人は幸せそうに笑っている。
 その姿がさらに白くぼやける。次々と涙があふれて、拭っても拭っても間に合わない。

(おまえのなかに、俺がいる)

 サフィギシルは声を上げて泣いた。描かれた自分の姿に縋りついた。ここにいる。ここにいるんだ。まだ乾いていない色がこびりつくが、気にしてなどいられない。
(だって、こんな)
 無様な嗚咽が止まらない。涙の量は増えるばかりだ。
(こんな、きれいな)
 きっと、他の色が混じる上から何度も白を重ねたのだろう。かすかな汚れを巻き込んで、それでも白は負けることなくまばゆいひかりを湛えている。まるで、濁りを含んだ水の底から光で照らし出したかのようなそれは、ただの白一色よりも格段に美しかった。
 何よりも強いものとして、それはカリアラの中にいる。
 震える手が壁に触れて色に染まる。それでもそこから離れられない。サフィギシルは食い入るようにカリアラの描いたらくがきを見た。街がある。人がいる。たくさんの人間が、彼の中に。

 ――生きよう。みんなで、いっしょに。

 彼はあの時そう言ったのだ。
 もう死んでしまおうとうつむいていたサフィギシルに、そう手を差し伸べてくれた。
 変わってなどいなかった。見知らぬ他人になど、なるはずがなかったのだ。
 泣きじゃくる耳に、コウエンの言葉がよみがえる。

 ――お前が信じてやらないで、どうする。

(カリアラ)
 泣きながら彼を呼ぶ。
(カリアラ。カリアラ。カリアラ)
 声にはならず心の中で、何度でも、繰り返し。それでもまだ足りなかった。子どものようにしゃくりあげ、顔を色と涙でぐしゃぐしゃにして、サフィギシルはひたすらに彼の名前を呼んだ。

※ ※ ※

 なんだか、胸元に震えを感じてカリアラは目を開ける。ここはどこだろうかと見回せば、台所の土間の上だ。そういえば、すべて絵を描き終えて、体中で水を飲んだところで力尽きたような気がする。あのまま眠りこけていたのか。どうやら日は暮れたらしく、台所は白々とした魔術の明かりに照らされている。
 しかし、この重みはなんだろうと考えたところで、ようやくそれに気がついた。
「サっ」
 びくりとして体を揺らすと白い頭も同じく揺らぐ。カリアラは、信じられない思いでその名前を口にした。
「サフィ……?」
 胸元にうずまるのは白髪の後頭部で、背中に回された彼の腕はしっかりとカリアラを抱いている。まるでそうしなければ壊れてしまうのだと言わんばかりにしがみつき、サフィギシルは肩を引きつらせていた。しゃくりあげる息には明らかな涙が混じっていて、カリアラは理解不能な状況に、ただ硬直するしかない。なんだこれは。一体なにが起こってるんだ。サフィギシルが自ら密着してくるなど、考えられない事態だった。彼はふれあいをことごとく避けてきたのだ。それなのに、今、彼の手はカリアラの背を掴んでいる。きつく絞められているせいで息が苦しいし、背中も痛いから幻ではない。
 どうして泣いているのだろう。カリアラは考えてみたが、まったくもってわからない。
 自分の手を見てはっとする。そういえば、体中絵の具まみれになっているのだ。しがみつくサフィギシルにもすでに色が移っている。カリアラは慌てて彼を離そうとするが、サフィギシルは首を振ってますます強く腕を締める。カリアラは困惑した。
「よ、汚れる」
「いいんだ。汚してくれ」
 嗚咽まじりに言われて驚く。絶対に怒られると思っていたのに、一体どうしたことだろう。これは本当にサフィギシルなのだろうかと考える。そして彼を支えるこの体は、本当に、おれのものなのだろうか。何もかもわからなくなったカリアラは、また、白い霧を感じている。ぼやぼやと視界を阻むそれに体が溶けていきそうで、気持ち悪さに眉を寄せた。
 体中のなかみを出して、残ったものは何もない。また、輪郭から空気に紛れていきそうな不安さがカリアラを襲っている。濃密な霧が全身に行き渡り、どこまでも膨らんで身体が消えてしまいそうだ。
 おれはどこにいるのだろう。これは、本当におれなのだろうか。
 ななに刺され、「殺されて」以来ずっと悩み続けている。空中に漂って今にも消えてしまいそうなのだ。
 この腕が自分のものなのかもわからないまま、サフィギシルの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜてみる。だが、白いそれが染まっていくのでひどくいけないことをしている気分になって、カリアラは密着するサフィギシルの頭を離させた。うつむいていた首が震え、涙と鼻水がしずくとなって服に落ちる。顔を真っ赤にしたサフィギシルが眠たそうにまぶたをこすり、洟をすすって顔を上げた。
 つるりとした眼がこちらを向いた。カリアラは身をこわばらせる。まっすぐに差し込んでくる、青い瞳。深く澄んだそこに、顔があった。絵の具だらけになった髪が乱れて荒れている。肌もくまなく染まっているのだろう、だがその色まではわからない。目は丸く見開かれ、口は呆然とだらしなく垂れている。
 息を呑めば、青い瞳に浮かぶ男も、同じくして息を呑む。
 サフィギシルはその瞳に像を浮かべ、まっすぐに見つめて言った。

「カリアラ」

 ――おれだ。

 カリアラはサフィギシルの目に映る自分の姿を確かめている。これはおれだ。おれの顔だ。
「カリアラ。カリアラ。カリアラ」
 繰り返し呼びながら、サフィギシルはカリアラを見つめている。そうしなければ、体がばらばらになってしまうのだと言うように。切実な声に呼ばれながら、カリアラは突然に理解した。

 ――この目の先に、おれがいる。

 白い霧がたちまちに晴れていくのを感じる。サフィギシルの見つめる先に、カリアラがいた。間違いなく、消えてしまうことなどなく。
 ここにいたのだ。わからなくなってしまったおれが、この男の見つめる先に。
「俺は」
 サフィギシルはまた涙をこぼしながら、一生懸命に口を動かす。
「俺は、お前のためならなんでもする。なんだってできる」
「……お前、が」
 カリアラは呆然と呟いた。
「お前が、おれを見つけてくれるのか」
「見つける。散り散りになっても、溶けて消えかけてても、絶対に俺が見つけてみせる」
 涙に濡れた視線がまっすぐに差し込んでくる。そのまま意識を奪われそうな、おそろしく強いひかり。サフィギシルはカリアラの両腕を掴み、叩きつけるように言った。
「俺、もう迷わない。お前がどんな形になっても、お前を見失ったりしない。ずっとお前を見てるから。どこに行ってもお前を探し出してみせるから!」
 逃げ場なくぶつけられる彼の意志に、カリアラは言葉を忘れる。ただ、見開いた目でサフィギシルを捉えた。
「そうか」
 ようやく、息を吐くように言う。
「お前が助けてくれるのか」
 サフィギシルは肯いた。カリアラは、彼から目を離せないまま、ゆっくりと繰り返す。
「そうだな……そうだった。そうだったんだ」
 助けてくれと言ったのはカリアラだった。サフィギシルが命を失いかけたとき、そう彼に縋ったのだ。サフィギシルはそれに答えた。今でも、約束を忘れることなく手を差し伸べてくれている。
 カリアラは心からのことばで言った。

「おれは、生まれたんだな」

 お前が呼んでくれたから、またかたちを取り戻せた。
 この、人の四肢と頭を間違いなく手に入れた。
 そうして新たな生命で、サフィギシルと相対している。

 初めて、この目で彼を見て、
 初めて、この耳で彼の言葉を聴いて、
 初めて、この手で彼を掴んでいるのだ。

 彼らは互いの名前を呼んだ。
 カリアラはサフィギシルを見ている。
 サフィギシルはカリアラを見ている。

 彼らは、ようやく「二人」になれたのだ。

 体中の空気を吐き出すような息をして、カリアラはふつふつと笑う。
「サフィ。やっぱり、お前はすごいな」
 彼は言っていたではないか。“俺がお前を人間にしてやる”と。その言葉に間違いがなかったことを、カリアラは身をもって実感している。すごい、すごいと呟くと、サフィギシルが小さく震えた。
 カリアラは背に腕を回し、サフィギシルを捕まえる。そして、すぐ傍にある体に染み込ませるように言った。
「ありがとう。お前がいてくれて、よかった」


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第六話「魚のうた」