第六話「魚のうた」
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「カリアラ君、ちょっといいですか」
 遠くから呼び止めると、カリアラは壁を殴る手を止めた。ペシフィロが彼を見つけるまでに、随分と体を痛めてしまったのだろう。傍に寄ると、かすかな魔力の気配がした。乱暴に石壁を殴る拳から、蹴りつけた爪先から彼の力が漏れているのだ。
 小動物のように怯えるその手をやわらかく包んでやると、カリアラは、何が起こっているのかわからないという顔で、ペシフィロを遠く眺めた。いつも、間近にまで見つめてくる彼のものとは思えない、相手が危険かどうかをいまだ判断しかねる視線。ペシフィロはできるだけ普段通りの笑みを浮かべる。
「この壁はあなたよりも硬いから、このままでは壊れてしまいますよ」
 カリアラは口をつぐんでいる。ペシフィロは、薄く撫ぜるように彼を見つめて反応を確かめた。
「痛くありませんか?」
「……たい」
 植物がしおれるのと同じしぐさでカリアラは下を向いている。彼が、こんなにも歯切れ悪く答えるのは初めてで、ペシフィロは驚くよりもむしろ感心した。ペシフィロを見ていられないようにうつむく視線も、何も言えずつぐまれた口も、見覚えのあるものだ。ジーナやハクトルの子守りをしてきたペシフィロは、それが子どもらしい態度であると知っている。
 カリアラとはまだ数ヶ月の付き合いでしかないが、それでもこれが彼らしくない姿だということは分かる。サフィギシルがこれを見たら、不安になって自分の知識を総動員しかねなかった。それほどまでに、今のカリアラはカリアラらしくない。
 いい加減に離さないだろうかと、包まれたままの手をちらちらと覗く目つき。いかにも居心地悪そうに、唇をすぼめたり尖らせたりとせわしなく動かしている。さっきからずっと見つめているのに、決して視線が合わないのだ。こんな態度は、ピラニアのものではない。
 人間の、子どものものだ。
「どうして、ピィスとななに砂を投げたんですか?」
「ピィスは、違う」
 歯の隙間から押し出されるような声で、カリアラは床に呟く。
「では、どうしてななに?」
 予想していた通り、答えはなかった。だが逃げようとしているわけではないのが、不安げな表情からうかがえる。カリアラは随分と長く黙り込んでいたが、ようやく、決心がついたように口を開いた。
「おれはできないのに、あいつはできるんだ。全部、全部そうなんだ」
 言葉にして初めて納得がいったのだろうか、カリアラは小さくうなずく。
 そして突然に顔を上げた。
「ペシフ」
 まっすぐに見つめてくる目は、追い詰められた色をしている。
「どうしたらななはおれを見てくれる?」
 わからないペシフィロに、カリアラはとつとつと語り始めた。
「あいつ、変だ。いつもおれのこと見ないくせに、ときどき、すごく上から見るんだ。それで嫌なことを言って、またおれを見なくなる。おれがあいつを見ても無視するくせに、あいつはおれを変にするんだ。おれが見ても無視するくせに。あいつだけなんだ。おれは何もできないのに……」
 カリアラは、切実さに引き寄せられてペシフィロの肩を揺さぶる。
「おれ、どうしたらななと同じになれるんだ? どうやったら同じことできるんだ? おれ、このままじゃ嫌なんだ。このままじゃだめなんだ! おれ、おれ……」
 ペシフィロはためらいながらも口にした。
「悔しい、んですか」
 カリアラは呆けた顔をする。ぼんやりとした口が、くやしい、と呟いた。きっと今、初めて自分の言葉として形取ったのだろう。慣れない様子で繰り返すと、発音がはっきりと輪郭を定める。
「……悔しい」
 低く呟かれたそれは、迷いのない意志に裏付けられていた。
 ペシフィロは自らの行動に不安を覚える。カリアラの心を正確に読んだわけではない。状況や表情から見た憶測にすぎないのに、果たして、決めつけてよかったのだろうか。責任に悩んでも、カリアラは既にその感覚を一つの言葉に集約している。
「おれ、悔しいんだ。悔しくて、なんとかしたいんだ……!」
 ペシフィロもまた、ようやくここで理解した。
 彼は、仕返しをしたがっているのだ。
「カリアラ君。やられたらやり返すということは、あまり良いとは言えないんです」
「なんでだ? おれ、嫌なことされたのに、なんでしちゃいけないんだ?」
 誰もが子どもの頃に経験したであろう反発が、彼の顔を上げさせる。
「おれが何をしても、あいつはおれを見ないんだ。おれはあいつに殺されたのに!」
 噛み付かれるほどに近寄られて、ペシフィロは息を呑んだ。痛ましく歪んだカリアラの顔を見ながら、せめて何か言おうとする。だが、浮かぶのはどれもこの場限りの繕いにすぎなかった。ペシフィロは心中で首を振り、思いついた言葉を捨てる。
「……私はまだ若輩者なので、この問題についての確かな答えを、あなたに渡すことはできません」
 こんなにも白く染まりのない彼の中に、己の曖昧な足跡を残すことはできなかった。ペシフィロは、慎重に言葉を選びながら続ける。
「この答えは、あなたが人間として生きながら、自分で見つけなければいけないんです。誰かに決められてはいけない。あなたが、あなたの目で見たものを捕まえて、少しずつ形にしていかなければならないんです」
「おれ、が?」
「そう。あなた自身がです」
 じしん、と呟く声はあやふやで、きっと彼はまだそれを理解していないのだろうと察する。カリアラはまた呟いた。おれじしん。言葉は煙のように揺れていて、彼が何度繰り返してもしっくりとくる様子はなかった。
「それはなんだ? 群れじゃないのか?」
「ええ。群れとはまったく違うものです」
 ペシフィロはそう口にして気がついた。カリアラは群れを人生の全てとしてきた。それが、群れなければ生きられないカリアラカルスの習性であり、本能だからだ。だが人間の場合は違う。彼は今ようやくそれを実感する時期に立たされているのか。
「じゃあ、わかんねえ」
「今はまだ分からなくてもいいんですよ。ゆっくりと実感していけばいいんです」
「でも、おれ、変なんだ。もやもやするんだ。あいつに、何かしなきゃいやなんだ……!」
 こらえきれないものが破裂しそうなカリアラの肩を取り、ペシフィロはにっこりと笑った。
「気持ちよくしてあげればいいんですよ」
 呆けてしまうカリアラに、少しずつ伝えていく。
「これもね、たくさんある選択肢のうちのひとつですから、正しい答えだと鵜呑みにはしないでください。いいですか。繰り返しますが、どうするのが正しいかは、あなたが経験して、色んなことを試してみて考えて、時間をかけて判断しなければいけないんです。ここまではわかりますか?」
「う、うん。いろいろする。考える」
 与えられる情報を、必死に飲み込もうとしているのだろう。カリアラは目を白黒とさせながら、肯いた。ペシフィロはさらに続ける。
「これはあなたの答えではなく、あなたとは別の人間である、私の持つ考えです。誰かに嫌なことをされたら、その分相手を気持ちよくしてあげればいいんじゃないでしょうか。嫌なことをされたら、同じかそれ以上に嫌なことをしてやりたくなりますよね?」
「うん。いっぱい嫌なことしてやりたい」
「じゃあ、誰かにいいことをされたら?」
 ペシフィロは微笑んで提案する。
「誰かに気持ちよくされたら、嬉しくて、同じかそれ以上のいいことをしてあげたくなるんじゃないでしょうか」
 しばしきょとんと行き詰ったカリアラが、理解して頬を赤らめた。
「じゃあ、じゃあ、ええと、おれがななにいいことをしたら、ななはおれにいいことしてくれるのか」
「反応は人によって違いますから、言い切ることは出来ませんが。でも、嫌なことをされて、嫌なことを仕返すよりはそちらの方が気持ちがいい。やり返しの応酬は、段々と大きくなっていくものです。でも、嫌なことではなく、いいことが広がっていくのなら、こんなに明るいことはないと思うんです。私は」
 私は、の部分を強調するとカリアラは素直に肯く。
「だからね、カリアラ君。試しに、ななに思いきり甘くしてあげてください。あなたが思いつくだけの“いいこと”を、彼にしてあげるんです」
 伯爵に言われたことをそのままに彼へと渡す。カリアラは真剣な顔で思索している。
「いいことか……。どんなのがある?」
「そうですね。例えば、普段は食べられない美味しいものをあげるとか。意外にチョコレートとか好きですよ」
「チョコいいな! 甘いな!」
「最初は一粒だけにしてあげてくださいね。口にするまで半日は葛藤すると思いますが、本当はチョコレート大好きなんです」
「わかった! おれちゃんと待てるぞ!」
 今すぐにでも実行しそうな顔つきが、ぴたりと止まった。
「あ、でも好き嫌いはいけないんだ。嫌いなものも食べさせた方がいいな。よし、おれきゅうり買ってくる!」
「えっ、ちょ、カリアラ君?」
「あと塩水だ! 塩水も買ってくるからな! それでむりやり飲ませるんだ!」
「いやそれのどこがいいことなんですかって、ええー!?」
 だが既にカリアラは廊下の奥へと駆け出していて、手を伸ばしても、声をかけても届かなくなっていた。
「……失敗したかもしれない……」
 ペシフィロは頬を引きつらせる。乱暴な所業に向かいそうなカリアラの攻撃心を抑え、ななを人間に戻す手助けも出来ると考えたのだが、いざ実行してみると目の前には不安しかない。カリアラが勢いよく暴走しないように、ちゃんと説明し直さなければいけないだろう。
 だが、とりあえず今のところはここにはいない彼に向けて。
「ごめんね、スーヴァ」
 ペシフィロは彼がこうむる被害を思い、一足先に謝罪した。

※ ※ ※

 日暮れの近づく部屋の中で、男がペンを走らせている。先ほどまで机上に伸びていた物の影は、今や暗がりとなった空気と交じり合い、その形を隠していた。すべて同色に塗り潰されていく世界の隅に、より暗い影が生まれる。
『……諦めたのか』
 オルドは書類から目を離さずに呼びかけた。その間もサインを記す手は止まらない。文面は暗がりに紛れて消えかけていたが、彼の手は正確な位置に己の名を記していく。魔術技師協会副会長、ハン・オルド。
『取りやめてしまうのか。お前たちシグマの一団は、最後の砦だったというのに』
 現れた影は答えず、被っていた黒い布を外した。丁寧に剃り上げられた頭が部屋に浮かぶ。全身の毛髪を剃り落とし、表情を掴めなくした男は壁際に座り込む。シグマというのは、彼の名であって彼の名ではない。彼となな、そして残り数人を含めた集団の総称だった。ただし、主人からその名で呼ばれるのは、今のところ頭首である彼だけだったが。
 シグマは頭首としてオルドからの言葉に答える。
『我々は始祖よりも昔からビジスに掴まっていた。これまで生き永らえてきたのも、所詮は彼奴に遊ばれていただけに過ぎない』
『だから諦めるのか。我らが遥か先祖から熱望してきた路筋を』
 ようやく、書類から手を離してオルドが嘲笑う。
『隠居した使影崩れには関係ない……とは言わせないぞ。お前の主に情報を与えてやっているのだから』
『報酬は払っている』
『全て運営資金行きだ。私に入るものではない』
 自嘲として歪められた口が、なめらかに動いた。
『オルドの一団はもはやない。かつて世界にあった使影たちは、全てビジス・ガートンに壊された。散り散りになった皆はなんとか暮らしているようだが、恨まずにはいられない。我々は殺されたのだ。使影としての生き方を捨てるというのは、つまりはそういうことだろう?』
 答えないシグマに、オルドはさらに続けていく。
『執拗に付け狙われ、殺され、こんな仕事を強要される。何が魔術技師だ。何が副会長だ。人を厭う生き物が、ここまでやっていくのにどんなに苦労したと思う。私はビジスに拾われたなどとは思わない。我々はあれに殺されたんだ』
 攻撃的に募る言葉が、一瞬、ほどけそうになる。オルドは改めて背後の影を向いた。
『シグマ。まだ間に合うだろう。スーヴァニヒタードゥには変色者の子がいたはずだ。それを能力者として育てることで、我らの悲願が達成される。ビジス・ガートンはもういない。邪魔をする鬼は死んだのだ』
 わずかな間を置いて、シグマは抑揚のない声で答える。
『あれの子は、攫われた』
 オルドの顔が、暗がりでもわかるほどに青ざめた。
『……鬼にか』
『否。僅か一ヶ月前のことだ。ビジス・ガートンは既に死亡している。あれが鬼として子を攫えるはずがない』
『では、誰が』
『分からぬ。だがビジス・ガートンと同じことを企む輩がいる。それは確かなようだ』
 インクの染みた指を噛み、オルドはうわごとのように呟く。
『サフィギシルは動いていない。あの子どもはまだ何も知らないのだ。あれが行うはずがない……あれはまだ、目醒めていない……』
 己に確認する言葉はそこで終わり、彼は舌打ちをする。
『まあいい。それならばスーヴァニヒタードゥを使え。あれを洗い直せばまだ希望はあるはずだ。人になどせず、影として路を読ませ……』
 提案は、それ以上続かなかった。シグマはまるで作りたての彫刻のような顔で床に座り込んでいる。オルドが何を言おうとも、目を向けることすらしない。使影としてこれほどなく正しい姿を前にして、オルドは皮肉に吐き捨てた。
『あれは、特別か』
 棘のある嘲笑にも、シグマは顔色ひとつ変えない。オルドはそこに叩きつける。
『どんなに古式を貫こうとしていても、所詮はお前もビジスに攫われたかつての子だ。お前たちシグマは皆そうしてあれに人にされた。どんなに影を装っても、感情は抜けないのだろう? 笑い事だ。どの一団よりもこの路から遠いお前たちが、この世で最後の使影だとはな!』
 蹴りかねない勢いだがオルドは手を上げはしない。その代わりに声が荒れていく。
『ビジスに与えられた蜜はそんなに甘いか。そこまであれを父と慕うか。お前たちのような腑抜けが何故ビジスに生かされた。何故我々オルドは村を焼き払われなければいけなかった。使影はもう跡形もない。今の世に残るのは、使影とは名ばかりのただの傭兵たちに過ぎん。徒党を組んで賃金の交渉ばかり企むあれらが使影と呼ばれ、世界を読み解こうとする我らは潰された。お前たちシグマを除いてだ!』
 名指しにされても、シグマはわずかな呼吸すら見せようとしなかった。動いているのかもわからない口で、静かに告げる。
『我々の主は、お前がサフィギシルに介入するのをよしとしない』
『私は魔術技師協会副会長だぞ。どうしてあれを放置できる?』
 オルドは笑みに喉を鳴らした。
『ただでは行かせん。あれから目を離しはしない』
 机に腰掛ける彼の姿を、シグマの視線が一瞬かすめる。だがそれ以上は関わろうとしないのか、彼は床に報酬を置くと、音もなく部屋を去った。オルドがそこに手を伸ばしたところで、遠巻きな声がする。
「あのー……」
「何でしょうか」
 オルドが平然と答えた先で、魔術技師協会の会長であるソーマが頬を引きつらせる。
「ええと、僕はだね、これでもヴィレイダ語は得意な方で、それで、ここは一応会長室になってるわけで。つまり、その、」
 大変言いづらそうな顔で、彼はオルドに訴えた。
「全部、聞こえていたんだけど……」
「それが、何か?」
 言葉通りの表情で切り捨てられて、ソーマは頼りない笑みを浮かべる。うん、そうだね。と口の中で呟くと、普段から薄い影をさらに部屋に溶かしたまま、観葉植物の葉を撫でた。根元に栄養剤を撒いていたのだ。
「そんなことをする暇があるなら、仕事を片付けてください。会長でしょう?」
「はい……。えっと、明かり、つけてもいいかな」
「ご自由に」
 冷ややかに言い放ち、オルドは会長室を出て行く。残されたこの部屋の主は、しばらく閉ざされた扉を眺めていたが、やがてため息と共に呟いた。
「僕には無理ですよ、ビジスさん……」

※ ※ ※

 ばたばたと騒がしい足音が近づいてくる。伯爵はその音源を確かめて、目を細めた。
『やあ、カリアラ君』
「あっ、ピィスのおじさんだ!」
 駆け抜けようとしたカリアラが慌てて止まる。しつけられた通りの礼をすると、まっすぐな目で主張した。
「おじさんだけどお父さんなんだよな。おれ、もうわかったぞ」
『ははは。君はとても面白いねえ。そんなに急いでどうしたんだい?』
 質問されて目的を思い出したのだろう。カリアラは興奮に頬を彩らせて腕を振る。
「あのな、あのな、おれはな、きゅうりを買いに行くんだ。さっきもな、行ったんだけどな、金もらうの忘れたんだ。だからな、もう一回行くんだぞ」
『なるほど、お使いか。君はとてもかしこいねえ』
 互いに言葉が通じないのだから、理解するには時差が生まれる。カリアラはシグマと呼ばれる通訳を確かめて、そのまま彼の顔を見つめた。かすかな残りもなく綺麗に剃り上げられた顔。眉も、まつげも取り除かれたそこに表情はなく、どんなに探してもまばたきすら見つからない。
 カリアラは、作り物のようなその顔から視線を離さずに言う。
「お前、ななのお父さんか」
 わずかに、シグマの額が揺れた。それを見てカリアラは確信に肯く。
「なんだ、気がつかなかった。でもよく見たら、似てるな。ここのな、このへんと、このへんが、おんなじだ。似てるのは親子なんだろ? だから、お前はななのお父さんだ」
 通訳が止まっていた。カリアラはぐにゃぐにゃと自分の顔で説明をしていたが、はっと思い出したように「きゅうりだ!」と背筋を正した。手短に挨拶をして、カリアラはその場を去る。彼の姿が完全に消えたところで、シグマはようやく言葉を訳した。
 伯爵は目を丸くして、すぐさま笑みに顔を崩す。
『見破られてしまったねえ。初めてのことじゃないかい?』
 シグマは答えないが、沈黙がその代わりとなった。伯爵はカリアラの消えた方を眺め、存分に頬をゆるめる。
『どうやら、ますます楽しくなりそうだ』
 押し殺した声で、シグマが訊ねる。
『……あれはスーヴァニヒタードゥに付きまとっております。よろしいのですか』
『いいじゃないか。それでこそ人になれるというものだろう? まぁ、あの子に始終付きまとわれるのは苦痛だろうが、それが罰というものだ。簡単に赦すわけにはいかないさ。スーヴァニヒタードゥには、それ相応の苦しみを乗り越えてもらわなければ』
 まるで空が暮れるように、顔つきから笑みが引く。
『いくらビジス先生にそそのかされたとはいえ、あれは命令もなく人を殺したのだからね。容易にはいかないよ』
 床を向くシグマは肯定も否定もしない。伯爵は、その顔立ちに訪れる夜と同じ暗がりを浮かべながら、一人、静かに歩き始めた。


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