第四話「目醒めの夜」
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 作り物かと考えた。冗談で頭に何か被っているのかと。だが闇の中で目を凝らせば髪のない頭皮には大小さまざまな傷跡が走り、ひび割れた地面のようになっている。それらを裂いて盛り上がる、肉色の巨大な瘤。頭頂部から左側面にかけて無軌道に膨れたそれは、間違いのないハクトルの身体の一部であるようだった。サフィギシルは息をするのも忘れて彼の頭を凝視する。
「けったいなアタマだろ。十五の時からずっとこうだ。頭蓋骨がイカれちまってもう二度と治らねえ」
 ハクトルは腰に巻いた煙草入れからキセルを出し、火を点けた。一度深く吸って吐く。彼は細めた眼で凍りついたサフィギシルを見ると、漂う煙の中で笑った。
「警戒心がお留守ですよ、お人形サン?」
 指笛。甲高いそれに呼ばれて黄色の鳥が飛んでくる。ハクトルがキセルを差し出せば鳥はその先端に足を止め、火をついばむとすぐさまサフィギシルの顔面に飛び移る。不意をつかれて驚く間もなく鳥は唇にしがみついたまま口の中に頭を入れて、ぶわ、と身を膨らせた。
 その途端毛並みから大量の煙が噴出する。サフィギシルは一気に煙を吹き込まれてよろめきながら咳き込んだ。激しく体を揺らすたびに鼻や口だけでなく目頭や耳、全身の関節からも煙がもれる。手足がしびれ、混乱する思考が濁りはじめたところでうなる低音。サフィギシルは血の気が引くのを感じた。感情的なものではない。実際に、血液の代わりとなる魔力が波立ったのだ。
 青ざめた顔で見上げるとハクトルは糸を振っていた。先端には小さな塊が括りつけられていて、それが円を描くたびに音がしているようだ。遠いはずの物音は次第にサフィギシルに忍び入り、くわんくわんと耳の傍で飽和していく。転がされるような目眩と激しい吐き気。サフィギシルは状況もわからないまま甲板に倒れてしまう。
「言っただろ。経験が足りねえって」
 ハクトルは音を続けながら笑う。サフィギシルは霞む視界でそれをとらえた。怒りよりも悔しさよりも困惑が先に立つ。顔中を疑問でいっぱいにすると、ハクトルの笑みは勝ち誇る色合いになった。
「親父は犬師、姉ちゃんは鳥師。そして俺は“音師”だ」
 煙の消えたキセルに再び葉を詰め込んで、火を入れる。旨そうに煙を呑むと鳥が彼の肩に戻った。よしよし、と指先でなでると鳥は嬉しそうに羽を振るわせる。
「利口だろ? 姉ちゃんにもらったんだ。改造したのがばれると怒られるから、これ、ナイショな」
 シィ、と指を立てるがサフィギシルは反応できる状態ではない。断続的な吐き気から甲板に爪を立てるが、這うほどに船の揺れが体に響いて不調はさらにひどくなった。ハクトルがかすかな声を立てて笑う。つらいだろ、と楽しげに呼びかけた。
「技師作品の体ってのはなあ、整理されててわかりやすい。だからこそ動かしがいがあるってもんだ」
 彼は段差に腰かけて、煙草を吸う。音を出すのはやめたが怪しげな動きがあればすぐに鳴らすつもりらしい。いつでも再開できるように、手の中に握っている。サフィギシルは恐ろしげにそれを見た。波のように襲う吐き気からは解放されたが、体の不調は後をひいて起き上がることもできない。ハクトルはそれを見越したように余裕のある態度で語る。
「魔力はそれぞれ微弱な音波を発している。この頭と耳はそいつらの音をぜーんぶキレイに聴き分けることができるんだ。それこそ人間が判別できないはずの高い音から低い音まで、なにもかも耳に入る。俺はな、世界をすべて音として視ることができるんだ」
 ハクトルは自慢げに瘤の立つ頭を示す。
「これが、クソジジイにもらった俺の能力だ」
 だがその口端は不気味に引きつっていた。
「お前もよく知ってるだろうが、技師作品の魔力ってのは案外と慣性で動いているもんでね。川の水が上から下に流れるように、基本的には構造だけで術が発動するようになってるんだ。お前のその体はおそろしく複雑に入り組んだ水路だ。魔力はただ漠然と決められた形通りに進み、その流れが術となり身体を動かしていく。流れる魔力はそれぞれに音を生み、混じり合ってひとつになる。まあ合奏みたいなもんだ。正常に稼動している時は整ったオーケストラ、不調な時は耳に痛い素人楽隊ってな感じにな」
 たんたんたん、と楽しげに口で拍子を取る。指先で膝を叩くと鳥が同じ調子で鳴いた。ハクトルは「これが今のお前の音楽」と笑いかけるが、自覚したこともないサフィギシルには本当かどうかわからない。ハクトルは煙を吐いて続ける。
「だが魔力ってのは意志がないだけバカなんだなぁ。似たような音があるとつい引きずられて動いちまう。例えば『人型細工が眠るときに奏でる音』を何倍にも大きくして聴かせると、つられて体が勝手に眠りだす。生身の人間でもあくびをしたら隣のヤツに移るってなことがあるが、それを強制的にしたと思えばいい。ちなみにさっきのは『死んだほうがマシってぐらいの二日酔いに苦しんでいる時の音』だ」
「ど、どうりで……」
 サフィギシルは心の底から納得した。彼の今の体調は、まさしく激しい二日酔いのそれだったのだから。音が止んでしばらく経つが、まだ顔を上げると目眩がする。サフィギシルは甲板にへばりついてハクトルを見た。視線は、自然と彼の頭に引き寄せられる。
 片寄って盛り上がる肉はまるで険しい山のように天を向いて立っている。普段かつらをつけているのは隠すためと保護も兼ねているのだろうか、足元のランプでわずかに照らされた表面は、生々しく、ふさがったばかりの傷口の色をしている。片方のみ突き出しているために向かって左側が空いているが、そこには普段鳥を住まわせているようだった。ただし、鳥の戻るべき巣材は今はサフィギシルの手の中にある。掴んだまま離すのを忘れていただけなのだが、鳥は文句を言うかのようにサフィギシルの手をつついた。まだぬるい熱をもつくちばしは銅でできているらしい。手紙を運ぶ機械鳥は雨で中身が濡れないよう、体の内側を銅で包んであるものが多い。返してやると、鳥はハクトルの元に髪を運んだ。
「ご苦労さん。……ありゃちぎれちゃってるよ。新しく編まなきゃな」
 ハクトルは一度かつらを頭に乗せてみて、すぐに横に置いてしまう。勢いで一部が破れてしまったようで、サフィギシルの手にも髪のかけらが残っていた。サフィギシルは剥き出しとなった瘤を見る。彼がそれを抱えて生きてきた人生とこれからのことを考えると、顔つきは痛ましげに歪んでいった。
 ハクトルは何か考えるようにサフィギシルを見下ろして、おもむろに両手で瘤を掴む。
「ガガガガガ。トルトル号面舵いっぱーい」
「そんな捨て身で!」
 瘤を傾けた方向に回転するハクトルにサフィギシルは声を上げる。だがハクトルはやさぐれた調子で吐き捨てた。
「うっせえな、そういう同情的な目で見られんの嫌いなんだよ。こちとら十年もこんな頭で過ごしてんだ、今さらそんな顔されても戸惑っちまう。そりゃベッドの長さは合わないし天井が低いと困るけどよ、慣れちまえばむしろ女王様にいじめられる要素が多くてウハウハだぜ?」
「そんなウハウハあんただけだろ!」
「知ってたか? 頭わし掴みにされて後頭部踏みつけられるとすっげえ気持ちイイんだぞ」
「知るわけあるかー! 一生実感しなくていい!」
 目の前の男が紛れもない変態だということを思い出して、サフィギシルは嫌悪に叫んだ。だが罵倒には慣れているのか、ハクトルはあっさりと受け流す。
「と、まあ今じゃすっかり馴染んでるわけで、お前が気に病むこたぁねえの。わかった?」
「……うん」
 キセルの先を向けられて、サフィギシルは悩んだ末にうなずいた。言葉通り納得したわけではなく、視線はまだ申し訳なさそうに瘤の上をなぞっていく。ハクトルは苦笑した。
「まあまったく問題ねえってわけでもないけどな。アーレルはよ、流通国家って呼ばれるだけあってあちこちの国から物が来ては去っていく。旅人や物が入ればそれだけ魔力の音が増えるし、おまけにひっきりなしに移動しやがるもんだから、街の中はいろんな魔力でいっぱいだ。それが全部音として聴こえるんだからたまんねえよな、うるさくてやってられねえ。おかげで年に何日もこの国にはいられない」
 サフィギシルは目を丸くする。ナクニナ堂でのジーナの言葉が耳の中を再び走った。あちこちをふらふらしていて年に何度も戻らない。回想の中の台詞をハクトルが肯定する。
「せいぜい、季節の節目にひと月がいいとこかな。気温がはっきりしない時期は魔力が大人しくなる。新月も同じだ。月の光ってのは結局のところ太陽光だろ。陽の光を浴びて魔力は膨らむんだ。太陽も月も出ない夜は魔力が減る。ようするに音量も減る。だから今夜は具合がいい。喉がほっとするよ。昼間はでかい声で喋らねえと自分の声もかき消されちまうからな」
 大きな地声。全身に楽器をつけてしゃらしゃらと鳴らす音。変な趣味だとばかり思っていたのに確かな理由があったのか、とサフィギシルはさらに驚いた。その驚愕を愉しむようにハクトルは煙を吸い、月のない夜に吐く。
「煙草を吸うと聴力が鈍るっていうけど全然効いてくれねえなー。ま、吸ってるのは他の理由なんだけど。煙草の煙には種類によっちゃ魔力の流れをのろくする働きがあってだな、あんまりにもうるさい時にはこれが音を弱めてくれる。さっき煙を浴びたとき、しびれただろ。ありゃ体内の魔力の流れがよどんだからだ。人型細工に煙草は吸えねえってことだな。その近くにいる魔術技師も原則的には禁煙主義」
 笑うハクトルの周りには煙が充満している。サフィギシルは思い出した。ナクニナ堂の黒い壁は特殊な塗料を使っているため外の魔力を中に入れない。多分、それも煙草の煙と同じ役目を果たすはずだ。
「もう十年こんなことを続けてる。だがクソジジイを恨むわけにゃいかねえ」
「なんで? だってそれ、爺さんがやったんだろ」
「実行はな。だが望んだのは俺自身だ」
 怪訝な目をするサフィギシルをハクトルは笑い飛ばす。
「バカだよなー。成功率が低いってわかってたのに、無謀にも挑戦しちまった。だってよ、ビジス・ガートンの力だぜ? それが手に入るかもしれねえ、しかも生まれつき魔力反応に敏感な適格者にしかできない。俺はそれだ。俺はスゴイ。それで舞い上がっちまってよ、このザマだ」
 ハクトルは瘤を示して続ける。
「始めてすぐに脳がやられた。頭蓋骨が歪んで、頭皮は拒絶反応に腫れたり破れたり。生きてるのが不思議っつーか、人間はしぶといっつーか……まあ、ビジスの対処が俺を救ってくれたわけだ。だからってありがとうと感動に泣くこともねえ。手を下したのもクソジジイ、だが助けたのもクソジジイ。それだけだ。サフィにしても、望んだのはあいつ自身だ。ビジスはそういうところずるいからな。それまでどんな方法で誘い込んでおいても、最後の決断だけは本人に委ねる。絶対に十割の責任は負わねえんだ。まあともかくサフィがビジスの力を受けようとして苦しんだのも、何割かは自業自得。お前には罪がない」
「じゃあなんで、さっき……」
「ムカつくからだよ。理屈ではわかってても腹が立つことってあるだろ? 実際今もムカムカしてらぁ」
「それだけ!? それだけで拉致して売り飛ばすって、どんな悪人だよ!」
「だぁーから金が要るんだって。それに……」
 ハクトルの顔から笑みが引いた。サフィギシルは寒気を感じる。
「それに、何?」
「……お前、サフィの最期についてどこまで聞かされてる?」
「え。爺さんと喧嘩して、失踪して、一年後に事故で……」
「それ、本当に事故だと思うか?」
 思いもよらない質問に、目をみはる。
「どういうことだよ」
「落石事故だぜ? アーレルじゃ火薬も火器も軌道がそれて上手いこと使えないが、事故があったのはヴィレイダだ。あのあたりは魔力に邪魔されることもない。事故に見せかけて、誰かが岩を爆破したとしたら?」
 息を呑む。ハクトルはさらにたたみかける。
「調べたんだ。あいつはアーレルを出て一年間、姉ちゃんに手紙を送り続けた。今日はどこに行った、次はどこに行くつもりだって細かく日記みたいにな。だが手紙に記された道程と実際の行動はまるっきり違うってことがわかってるんだ。これは姉ちゃんも知ってる。姉ちゃんはあいつの葬式の後、手紙の通りに足跡を追ったんだ。そしたらすぐに話がかみ合わないことに気づいた。あいつは手紙で嘘をつき続けていたんだ。本当の道程は不自然なまでにしつこく形跡が隠されていて、結局あいつが一年間どこで何をしていたのかはわからないはずだった。……だがな、俺はそれを掴んだんだよ。ついこの間まで、俺はサフィが過ごした最期の一年を辿ってたんだ。そしてあいつの旅の目的を見つけた」
 ハクトルは伏せたままのサフィギシルに顔を寄せて、低く告げた。
「あいつは、ビジスを探していた」
「爺さんを……?」
「ああ。ビジス・ガートンがどこで生まれ、子どものころ何をしていたかってのはまだ誰も知らねえんだ。いろんなヤツが外見だとか細かなクセからビジスの出自を探ろうとしたし、今も研究し続けてるが判明していない。何しろビジスはどの国の言語だろうとスラスラ喋りやがったし、民族的なクセもない。別の世界から来たんじゃないかって説もあるぐれえだ。それを、あいつは調べようとしていた。結論が出たかどうかはわからねえ。だが旅を続けるうちに、あいつは本格的に追いつめられていった」
「何に?」
「わからねえ。あいつは力を受け損なってから精神的に危うかったし、もしかすると本人の妄想かもしれねえ。だがな、何かがあいつを責めていた、殺そうと追いかけていたことは確かなんだ」
 根拠を求める視線を受けて、ハクトルはひとつひとつねじり込むように言う。
「最後、ヴィレイダに行く直前、あいつが泊まった宿がある。あいつがいた部屋の壁には、びっしりと文字が書かれていたそうだ。言葉はたった二種類だけ。『殺される』ってのと……」
 禁じられた語を囁くように、声を落とす。
「『先生助けて』」
 サフィギシルは息を止めた。
「あいつは小さな字で助けてってビジスを呼び続けたんだよ。だが願いは叶わなかった。二日後にあいつは殺された。それだけならつらい話で済ませられる。だがな、ビジスはあいつが死んだあとその宿に来てるんだ。誰が教えたわけでもないのに、アーレルからまっすぐにその部屋に向かって何をしたと思う? 証拠隠滅だ。文字を全部消しやがった! あのジジイは部屋を見ても顔色ひとつ変えず、ご丁寧に自分の手で言葉を消していったんだとさ。助けてくれっていうあいつの声をなあ!」
 叫んだ後でハクトルは荒ぐ息を飲む。呼吸が先へと走り始める。
「おかしいじゃねえか。どうしてビジスにあいつの居た場所がわかったんだ? 初めからそこに言葉が残ってるって知ってたんじゃねえのか。本当はっ」
 一瞬、彼の目が潤む。
「本当は、あいつの声はビジスに届いてたんじゃないのか……?」
 動揺を鎮めるためのような深いため息。ハクトルは頭を抱えて、もう一度強く息を吐く。
「あいつの本当の足跡がどうして残ってなかったのか、やっとわかった。全部ジジイが消してやがったんだ。サフィ、あのバカ、もしかすると何かビジスに不利なものでも見つけたのかもしれねえ。だから……」
「爺さんが殺したっていうのか」
 口にした途端、目の前に地の底に続く亀裂が現れたような気がした。サフィギシルは悪寒に震える。ハクトルは首を振った。
「わからねえ。ビジスとは別の人間の可能性も高い。怪しい男がいるんだ。そいつはサフィのことを何でも知っていて、最後にいた宿のことも、それを消しに来たビジスの様子を覚えている従業員の名前まで俺に教えた。だから俺はあいつの後を追えたんだ。俺は、その男にもっと近づこうとしてる。何しろ好き勝手に用件だけ告げてどっかに行っちまう変人だ。あちらさんから見て利用価値がなけりゃ俺なんざどうなるかわからねえ。だがそいつが殺ったにしろ、犯人が誰なのかを知っているにしろ、俺は話を聞きだしたい。あいつが探していたものがあるなら俺がそれを見つけたい」
 ふざけていた彼の目つきは真剣に澄んでいる。サフィギシルは、初めてハクトルの素顔を見たような気がした。光のない夜の下でハクトルはまた段差に腰を落とす。背を曲げると長い手足がまるで蜘蛛のようだった。本当は、と彼は呟く。
「殺したのがビジスじゃなければいいと思ってる。俺はさっきも言ったように、あいつの親友なんかじゃねえしたいした関係でもなかったよ。途中から俺に対しては猫も被らずにずっと嫌な顔してて、いつも腹に一物抱えてて、コイツ心から笑ったことないんじゃねえのってぐらい歪んだヤツだった。周りの人間は全部敵で、理由は知らねえがとにかくビジスを憎んでた。けどな」
 手を組んで、ハクトルは遠くを見つめる。
「あいつ、最後に会った時、笑ったんだよ。『初めて先生とわかりあえた』って、『僕はやっとあの人に近づけたような気がする』って、嬉しそうに笑ってたんだ。なのにもしその先生に殺されたんだとしたらさ」
 眼の下の蛇が震えた。
「……切ないだろ。そんなのは」
 呟きを恥じるように、ハクトルは笑みを浮かべる。サフィギシルは直視してはいけない気がしてぎこちなく揺れる蛇を見つめた。
「いつもの作り笑いとは全然違う、幸せそうな笑顔だった。俺あいつのそんな顔見るの初めてでさ、良かったなって一緒になって喜んでたのに、ひと月もしねえうちにアーレルを出やがった。それが、俺が最後に見たあいつの顔だ。……変だよなあ、それまで何年も呑んだくれてたり不機嫌な顔ばっかり見てきたのに、今となっちゃその笑顔しか思い出せねえんだ。俺が近寄れない時に葬式も終わっちまって、骨ですら見てねえから死んだって実感もなくて、帰るたびに『ああ、あいつ誘いに行かなきゃな』『めんどくせえけど姉ちゃんに頼まれてるしな』ってバカみたいに考えちまう。それですぐにあいつはもういないことに気がついて、なんであいついないんだろうって、すげえ不思議に思うんだ」
 そう言ってまた笑う。初めのような明るさが彼に舞い戻っていた。
「だからなあ、俺はあいつを探したいんだよ。ちゃんとあいつが何を見て、何を考えて死んだのか知りたいんだ。ついでにビジス爺が殺したかどうかも知らなきゃおちおち寝つけもしねえ。だからよ、俺はその怪しい男に取り入るつもりだ」
「もしその人が犯人だったら?」
「んー。ま、そうだな」
 わざと悩む顔をして、ハクトルはにかりと笑う。
「余力があれば、仇でも討とうかと」
 冗談めいたそれが間違いのない本気に感じられて、サフィギシルは目の前の男をとてつもなく大きく感じた。すごい、と心の中で呟いた。
「姉ちゃんには秘密だぞ。事実が明らかになるまでは事故ってことにしておきたい。だが俺は探す。……恐えんだよ、どこにも居場所がないって嘆いてたヤツがひとり、いなかったことにされちまうのが」
 あ。でもそんな必要もないか、といやに明るく切り返されてサフィギシルは眉を寄せる。
「なんで? 俺、そんなに口堅そうに見える?」
「いんやそうじゃなくてー、お前二度とこの国には戻らないし」
 耳にした言葉が思考回路に繋がらなくて、ぽかんとする。その後で改めて驚いた。
「は!?」
「なんだ忘れてたの? 今、お前が置かれている状況はあ」
 鼻先に指を突きつけられて、サフィギシルは青ざめた。
「……拉致そして人身売買」
「正ー解ー。てなわけでそろそろ再出航いたしマス」
「待って待ってなんかおかしい! だってさっきの話、全然これと関係ないし! なんで俺がっ」
「だーからー」
 立ち上がったハクトルは歌うように説明する。
「羽振りが良くて、いくらでも金を出すからサフィギシルを持ってこいって言ったお大尽。そいつが、さっき言ってた犯人かもしれない怪しい男」
 おわかり? と笑顔で問われてサフィギシルは絶叫する。
「それ俺最悪じゃねーか! 死ぬ死ぬ絶対殺される!!」
「だーいじょうぶイザとなったらテメエの心臓石だけ抉り取って保護しちゃるから」
「全然大丈夫じゃねえー! ばかー! ハクトルさんのばかー!」
 涙目で訴えてもハクトルは笑うばかり。サフィギシルに煙草の煙を吹きかけて、続けざまにまたしても二日酔いの音を出す。
「んじゃとっとと進みましょーねー」
「ちょっとでも見直しかけた、俺のばかー!」
 再びの目眩に叫ぶサフィギシルを笑いながら、ハクトルは出航の準備をはじめた。


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