第四話「目醒めの夜」
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「せんぱーい。離力の杖どこいっちゃったんですかあ」
 突然の声に全員がぎょっとした。ようやく目の覚めたカリアラが見つめる先で、ジーナは腰に取りつく後輩を恐ろしげに見下ろしている。
「お前っ、いつからいたんだ!」
「ついさっきからー。ほら、杖がない。職務怠慢ですよー」
「ああっ!?」
 確かめると腰に佩いているはずの黒い棒が消えていた。コウエンがため息をつく。
「盗られたな。あのガキもそれでやられたに違えねえ」
「あの馬鹿、人の商売道具で……!」
 協会員は外回りの際には必ずそれを武器として携帯している。打ち込まれると生身の者には打撃以上の痛みはないが、魔術技師の作品には気絶させるほどの効果を持つ。ジーナもまた強制捜査ということで用意していたのだろう。ピィスが外を気にかけながら、ひとまずの結論を出す。
「じゃあ花火で気をそらしている間に、離力の杖で気絶させて、運び出したってことか」
「ああ。ったく、相変わらず手くせが悪い……とにかく追いかける方角を決めよう。カリアラ、そこにある地図取ってこい」
「わかった」
 カリアラはジーナが突き出した指の先から流れている水草を追いかけた。乳白色のそれに添って進めば、丸めて立てかけた紙がある。ジーナから伸びる水草の先端がこれだこれだと騒ぐように紙の肌をなでていたので、カリアラは確信してそれを掴んだ。カウンターでは具合の悪いコウエンを中心に、ジーナ、ピィス、アリスがカリアラを向いて待ちかねている。カリアラは彼らの輪の中央に紙を広げた。
「裏返しだ」
「そうか」
 頭を叩かれてひっくり返す。
「今度は斜め! ちゃんと広げろ」
 カリアラは、ななめってなんだろう。うらがえしってなんだろうと考えながら紙をぐるぐると回していたがジーナに手を叩かれて、止めた。もういい、と言い捨てられてカリアラは輪から外される。彼が抜けた空間を補うように、外に出ていたペシフィロが首を入れた。
「一応、陸路には封鎖要求を出しました。ですがあれだけ目立つ風貌ですし、山越えの線は薄いでしょう。大荷物を運ぶのなら街道を通るより他はない。しかしそれではすぐに通行所から足が知れる。あれだけ特徴的な風貌ですし、変装はできませんからね」
「できないって、なんで? だって……」
「んなこたどうでもいいんだよ。で、結局どうなんだ?」
 コウエンはピィスの言葉をさえぎり、熱のある目で問いかける。ペシフィロは一瞬ピィスに何か言いかけて、やめた。地図を指でたどりながら喋る。
「海路とみて間違いないでしょう。問題は方角と、船でどこまで行くつもりか。適当な無人島に潜むつもりかもしれないし、すぐに陸に上がるという方法もあります。これだけ風が少ないのにもう見えないということは、魔力機関を載せた蒸気船という線が強い。そうなれば、海流や風の影響は少ないし川登りも得意だ。その代わり目立つので、ひとまず島に潜伏するか、もしくは夜のうちに逃げきるか……」
「要するに全然決まらねえってことか」
「ええ。せめて海岸部隊に顔が利けば良かったんですが、なにしろビジスが再三船を潰した前科があるので、私はあのあたりの人には嫌われているんですよ。申し出はしてみますが、さらわれたのがサフィギシルと知れると厄介かもしれません。逆にハクトルを応援してわざと見逃す可能性がある。それに、今回のことはもしかすると……」
「なんだよ」
「多分、紙一重で合法ではないかと」
 呟きはため息のように聞こえた。ペシフィロは頭を抱える。
「サフィギシルもシラさんも、まだ人間として認められていないので拉致とは言えないんですよ。彼らはまだ法律上は物品の扱いです。となれば窃盗罪ですが、彼らには持ち主というものがない。一応はジーナが預かり人ということになっていますが、絶対的な所有権ではありませんから、ハクトルは下手をすれば無罪か、とても軽い罰となる。せめて人間としての権利を取った後なら良かったんですが……」
 その言葉がカリアラの頭を打った。ぐわん、と耳の中で奇妙な音が鳴り響く。ジーナに叩かれるよりも、サフィギシルに注意されるよりも痛かった。
「人間になればいいのか!?」
 カリアラは背を向けた人間の輪に潜り込む。
「おれが勉強できればいいのか!? できたらみんな助かるのか!?」
「落ちつけって。今そんなこと言ってもしょうがないだろ」
「だって、おれ、おれ……」
 みんなが何を話しているのかまったく理解できなかった。目の前でシラとサフィギシルを生かすための計画が立てられていることはわかる。だがカリアラにはそれが奇妙な音階にしか感じられず、彼らが見つめる地図というものも、ただ植え込みのごとくに大量の水草を生やす一枚の紙にしか視えない。カリアラは台に乗せられた地図をにらんだ。水草たちは揺らぎもせず垂直に伸びている。この植物が何を示しているのか、カリアラにはわからない。ペシフィロたちが草などまるで存在しないかのように振舞う理由もわからなかった。
 だが、カリアラが試験に合格して人間になっていれば。そういった意味のことはかろうじて感じられた。そしてわずかに把握できたひとつの筋がカリアラのあせりを強くしている。彼は知らずうちに足を踏む。大人しく立っていると心臓が飛び跳ねて、一緒に体もどこかに向かって走り出しそうだった。一点を見ていられずに落ち着きなく首を回す。カリアラはペシフィロの髪を見つけて飛びついた。
「こら、邪魔するな!」
 がむしゃらに騒ぐ手で三つ編みをしようとすると隣のジーナに叱られる。ペシフィロがそれを止めた。
「ジーナ。……ありがとう。お願いします」
 カリアラはうなずいて、まだ濡れているペシフィロの髪を編んだ。今の彼にできることはそれしかない。カリアラは懸命に緑色の髪を分けてはきつく引いて絡めていく。時おりペシフィロが痛そうに肩をすくめたが、彼はカリアラにされるがままの格好で話を続けた。
「ともかく、法律に反していないのなら国として追うわけにはいかない。あくまでも表向きは、ですけどね。ですが海岸部隊は裏として個人的な捜索に使えるほど仲のいい相手ではないんですよ。一応リドーたちにも協力をお願いしますが、海上の捜査となると……」
 カリアラは髪を編む。ペシフィロが強くなるように。他のものは顔を寄せて話し合う。
「それは公務の話だろう? 自警団はどうだ」
「公務隊の方がまだマシです。彼らは立場上こちらの命令に背くわけにはいかないことになっていますから。ですが自警団も商職協会もあくまで民間組織ですから、あれだけ引っ掻き回されてきたビジスのことで動くとは思えません。中心部ならともかく港側ではビジスは嫌がられていましたからね」
 カリアラには一体何を話しているのかわからない。ただ、ひたむきに髪を編む。
 群れの中の生き物がひとりでも多く、少しでも強くなるように。負けない群れになるように。
 みんなが生きていけるように、カリアラは髪を編む。
「ああもう! ビジスはなんでそんなに敵を作るのが好きなんだっ」
 三つ編みが完成したところでジーナが騒いだ。ペシフィロはそれをなだめながら、カリアラに礼をする。ありがとう、と早口で囁いてカリアラの頭をなでるとすぐに輪の中に戻った。
「戦っていなければ落ち着かない人ですから。とにかく掛け合ってみます。どちらにしろ船がなければ追えませんし」
「私もつてを頼ってみる。少し距離はあるが郊外には漁師の知り合いがいるから」
「ねえ、あいつら本当に売られちゃうの?」
 ペシフィロは腕を引くピィスに微笑みかける。
「大丈夫。ハクトルはそんなに悪い子ではありませんよ」
 だがその口ですらすらと解説を始めた。
「攫われた本人が自力で脱出すれば後追いはしませんし、彼は助けにきた者に捕まえられるとすぐに盗品を解放します。それに盗品にも最低限の礼は尽くしてくれますよ。退屈な時は歌を聞かせてくれたりして。もちろん水や食事もちゃんとくれますし、こちらの体調や部屋の気温にも気を遣ってくれて……」
「さらわれ慣れてるよこの親父ー!」
 驚かれてもペシフィロは微笑みのままに続ける。
「あの子の縛り方にはくせがありましてね、いくつかゆるい箇所があるのでそこを解けば比較的簡単に縄抜けができるんですよ。無駄な暴力は振るいませんが薬物に長けているので眠らされないよう注意が必要です。弱点は首の後ろと右膝の古傷です。頭は守りが堅いので狙わないほうがいい。とにかく相手の雰囲気にのまれてはいけません。長話を聞かされる前にやりましょう」
「やるって何を!?」
 ぐっ。と拳を固められてピィスはびくりと足を退いた。逆にカリアラは真剣に顔を寄せる。
「噛めばいいのか? 首の後ろを食うのか?」
「食っちゃだめー! 死ぬ! 首は死ぬ!」
 だが全力で否定しても、肉親たちは汚物を見る目で吐き捨てた。
「いやむしろ食ってしまえ。もうあんな弟いらない」
「おう。海の底にでも突き落としてやれ。あいつはもう息子じゃねえ」
 カリアラは深くうなずく。よし。と確かに呟いて忘れないよう反復した。
「首の後ろとひざを食う……首の後ろとひざ……」
「本気だ……」
 ジーナたちはこれからの行動についてさらなる話し合いを始めた。輪の外で、カリアラは繰り返す。首の後ろとひざを食う。頭は硬くて食べられない。ハクトルは敵。倒さなければ群れが危ない。あれは、殺さなくてはいけないものだ。
「そうかしらー」
 間延びした声が思考をさえぎる。口に出していただろうかと悩む前に、アリスがカリアラの腕を引いた。顔を寄せて、何も映していない瞳をカリアラに向ける。丸い器に茶を流したような、澄んでいるが読めない眼。カリアラは池を覗き込むかのようにアリスの深い場所を見た。何があるのかと、探した。
「ねえカリアラ君。本当に、助ける必要はあるのかしら」
 静かに落とした彼女の声は耳の奥まで侵入する。まるで音の塊がひゅるりと飛び込んできたようで、カリアラは耳を押さえた。
「戦うのは大変よ。あなたも危険になるかもしれない。夜の海で強い敵にどうして向かっていけると思う? ……そう、あのひとたちが必要だからよねえ。生きていく上であのひとたちがどうしても要るからよねえ。でもね、カリアラ君。本当に、あのひとたちは群れに必要なのかしら」
 アリスは笑わない。何の形も作らない。平坦に並ぶ顔の中で、ただ唇だけが無機質に動いていく。
「でも、サフィがいないと、おれは」
「怪我をしたら先輩に直してもらえばいいわ。彼女にならできるもの。だとしたら、サフィ君は要らないんじゃないかしら」
「サフィは」
 サフィは、と口の中で繰り返す。それが次第にジーナが、に切り替わりカリアラは混乱した。ジーナにも直すことはできる。それならば、危険を冒してまで助けに行く必要は。
「だめだ」
 カリアラは首を振った。迷いを払うために強く、何度も。ぼやける視線でアリスを刺す。
「シラが。シラも一緒に連れて行かれたんだ。シラがいないと、だめだ」
「ねえカリアラ君」
 アリスは笑った。カリアラには、そう見えた。
「シラさんは、どうして必要なのかしら」
 そっと空気を食むように、彼女の唇が囁く。もう一度同じことが続いた。カリアラは首を振る。
「だって、シラは、シラは、いなきゃだめなんだ。だって、いなきゃ、シラはいなきゃ」
「どうして? あのひとは何をしてくれるの?」
「し、シラは、シラは…………」
 答えられないことに気づく。シラはずっと外敵からカリアラを護ってくれていた。だが今はどうだった? カリアラ自身が、逆にシラを護ると宣言したではないか。カリアラは今自分が立っている場所が現実ではない夢の中のように思えて、逃げようとするが動けない。ただ丸く見開いた目でアリスの茶色の瞳を見ている。アリスの唇が、また、そっと囁く。
「だってあなた、今はもう……」
「アリス!」
 悲鳴にも似た叫びがしてカリアラは現実に引き戻された。はっ、と目を瞬かせていると正面には憤るジーナの顔。彼女はカリアラの肩を揺すった。
「カリアラ、私はお前がサフィギシルを見殺しにしたら二度と修理しないからな!」
「そ、そうか」
「そうだ! おかしなことを考えるな。今はサフィギシルとシラを助けにいく、それだけでいい。いいかもう一度言うぞ。サフィギシルを助けなければ、私はお前を直さない。勉強も教えないし人間になれないよう全力で邪魔をしてやる。そうされたくなければ二人を助けろ。いいか、わかったな!」
 カリアラは上から殴りつけられたような勢いでうなずいた。そうか。そうか。呟くうちに言葉は自然と強くなり、立つ足もしっかりと床を踏みしめる。そうだ。サフィは助けなければいけない。もちろん、シラも。
 ジーナはアリスをにらみつける。
「まだ早い」
「そうですかー?」
 だが小柄な娘はいつものようにのんびりと受け流した。
「どうせいつかは経験することなのに。あなたもそのつもりでしているんでしょう?」
「……こいつにはまだ無理だ。それに、何も今させることはないだろう。状況を考えろ」
 あまり他者に聞かれたくないのだろうか、ジーナは声を落とすと早口で言い、背を向けた。アリスはつかみ所のない表情で距離を置く彼女を見ている。その目がちらりとカリアラを向き、口の動きだけで「あたま」と喋ったのでカリアラは頭を押さえた。最近やけに重くなって支えるのも大変な、機械の頭を。
「では行きましょう。コウエンさん、連絡役をお願いします」
「おう。すまねえな、熱さえなきゃあのバカ頭ぶん殴ってやるんだが」
「いえ、無理は禁物ですよ。アリスさんはリドーの所に、ピィスは必ず誰かの傍について……」
「ニナ」
 一人ずつに指示を向けるペシフィロから離れ、コウエンはジーナに声をかける。呼ばれた彼女は不愉快そうに眉を寄せて、近寄らず顔だけを向けた。なんだ、と目つきで問う。
「あいつ、今回の行商でどこに行ってたと思う?」
「は? 知るかそんなこと」
「ヴィレイダだ」
 ジーナが息を飲むのが遠目にもよく知れた。コウエンはつまらなさそうに吐き捨てる。
「おまけに帰ってくるなり墓参りに行きやがった。らしくねえ。様子がおかしい」
 こわばる彼女を脅すように、コウエンは低い声で言った。
「気をつけろ。あのガキ、本当にどうかされるかもしれねえぞ」
 カリアラはその言葉を頭の中に刻み込む。倒す。と静かに呟いて、冷たい夜へ踏み出した。

※ ※ ※

「もうちょい右。そう。違うもっと上。あ、そこそこ。よし、入れて」
 カチ、とかすかな音がしてサフィギシルは力を抜いた。安堵に染まる息をつく。
「切れた……これでなんとかなる」
 シラはくわえていた木切れを吐く。口内に繊維が残っているのだろう、不味そうに顔を歪めて船べりにつばを飛ばした。
「もう、変な味。胸もしぼんできちゃったじゃない。せっかく頑張って発情したのに……」
 発情って。とサフィギシルの口が引きつる。人魚の乳房は発情期か故意的な発情でそれなりにふくらむらしい。だがしぼむこととの関係がわからなくて、サフィギシルは無防備に尋ねた。
「それ味と何か関係あるの? そもそも発情ってどうやって……」
 くす、と彼女は笑う。サフィギシルはその口が語る前に、何気なくビジスの石から人魚の知識を探ってみた。次の瞬間、真っ赤な顔で崩れ落ちる。
「ちょっ、は、ええ? うそ、そんな、ええ!? し、したの!?」
「騒ぐと気づかれますよ。やあね、見ちゃったの」
「見てない見てない知識だけ、理屈だけ! で、でも、なんでそれと味と……」
「男の人も、萎える、って言うでしょう?」
 サフィギシルはぐったりと沈没した。そうらしいね、と呟いた後でしばしうめく。だがいつまでもそうしているわけにもいかず、小声で彼女に礼を言うと、背に縛られた手首を床に押しつけた。内側に曲げてこれ以上力を加えると折れてしまう格好で、乗って、とシラに請う。シラは縛られた身体を器用に近づけて、サフィギシルを押さえつけた。木の割れる音がして彼の手首は外れてしまう。痛、と呟いたのはサフィギシルではなくシラだった。
「痛覚切ったから大丈夫だって」
「でも見た目が痛いんです」
 サフィギシルの右手首は腕から外れ、神経と呼ばれる白い糸が剥き出しになっている。この糸さえ切れなければ指先は自由に動いた。サフィギシルは心臓石の中から神経を伝って指を動かし、鎖が神経を断ち切らないよう押さえておく。両手は一本の鎖で縛られていたので、片側がゆるめばもう片方の拘束が楽になり、容易に外すことができる。サフィギシルは手首の拘束を完全に解いた。すぐに右手を元に戻し、今度は全身の鎖を解く。難しい箇所は関節を外せばなんとか抜けることができた。
「考えとしてはこの間のカリアラさんと一緒ですね」
「……うん。あの金づちのおかげで思いついた」
 だが素直に感謝する気にはなれない。そもそも行動原理が違いすぎる。しかしそれでもサフィギシルの動きは完全に自由になった。シラの鎖は解くことができないが、彼女には別の役割がある。二人は見合わせて、にやりとした。
「じゃ、作戦実行ってことで」
「ええ。頑張りましょう」
 と、行動に移りかけたところでサフィギシルはうずくまる。シラが声をかけようとすると、彼は恥ずかしげに振り向いた。
「見るなよ」
「何がですか。どうせ暗くてよくわからないわよ」
 サフィギシルはそれでも彼女からは見えないように、背を向けて呟いた。
「……ちょっと、願掛けを」


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