第四話「目醒めの夜」
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 あせるな、あせるな。カリアラは胸のうちで言い聞かせた。
「そう、いいわよ。あと少し」
 背後から飛ぶアリスの声にうなずく。彼女の指導は的確だった。カリアラは言われるがままに指を動かしてここまでたどりつけたのだ。だが、今ひとつでも手順が狂えば積み重ねてきたことが台無しになってしまう。落ちつけ。次はここを交差させ、そしてこちらに引っぱって……。
 ぽさ。と軽やかな音を立てて完成品は背に落ちる。カリアラはまじまじと出来上がりを見つめると、大満足の笑みを浮かべた。
「できたー!」
 まっすぐにぶら下がるのは黒々と輝く三つ編み。
「これでジーナも強くなったぞー!」
「おめでとうカリアラ君。あたしに教えることはもう何もない……あなたは三つ編み王よ」
 無表情で生み出されるアリスの拍手に彩られて、カリアラはますます喜びの色を濃くする。それとまったく正反対に顔を渋らせるのは実験体となったジーナ。彼女は結わえられたばかりの三つ編みを指先でもてあそんだ。背に届く黒髪は、いまや彫刻かといわんばかりに堅牢な塊と化している。
「……よくもまあ、こんな器用に」
「どうだ、すごいか? すごいな、おれすごいな!」
 カリアラは内から沸く喜びに赤々と頬を染めている。はじめは束ねることすらおぼつかなかったのに、今ではすっかり三つ編み王だ。元ピラニアの手腕としてはかなりの進化と言えるはずだが、ジーナに誉めるきざしはなく、ますます眉根を寄せるばかり。
「なんだ? ジーナは三つ編み嫌いなのか? あのな、三つ編みは強いんだ。三つ編みをするだけでみんな強くなるし、いざという時はがんばって戦える。だからお前も今はさっきよりも強くなって……」
「なんでこんなホラに騙されて突き進むんだー! どこまで純粋なんだお前は!」
 ジーナは椅子を蹴り倒す勢いで立ち、カリアラの両肩を揺さぶる。カリアラは、お、お、お、と声も視界も振られながら納得の顔をした。
「すごいな。やっぱり三つ編みは強いな」
「そうよー。三つ編みは世界を動かすのよー」
「お前はどれだけ勉強の邪魔をしたら気が済むんだああ!!」
 涙目で怒鳴られてもアリスは飄々とした動きでジーナの手から逃れるばかり。そのうちにいつも通り室内での追いかけっこが始まった。恒例となっているので驚きもせず、カリアラは机の下に避難して成り行きを見学する。ジーナを三つ編みで強くしたから今日こそはアリスが捕まるか。いや、アリスは三つ編みの中の三つ編みというぐらいの三つ編みなので今日も逃げきるかもしれない。カリアラは「どっちもがんばれ」と心の中で応援しながら、ひょいひょいと無表情で跳ねるアリスや虫取り網を振り回すジーナを眺めていたのだが。
「こんにちはー……あら?」
 恒例のお楽しみ行事は、シラの登場でぴたりと止んだ。
「お取り込み中でしたか?」
「……いえ、大丈夫です。カリアラ、お迎えだぞ!」
 虫取り網を振りかざしたジーナに呼ばれてしまい、カリアラは残念な気持ちで外に出る。顔を見せるとこわばっていたシラの表情は安堵に緩み、はたはたと駆け寄ってカリアラに抱きついた。いつも以上に緊張しているようなので、背をなでてやると嬉しそうな息をする。
「どうした?」
「少しびっくりしちゃって。だって建物の中の人、みんな三つ編みしてるんだもの。どうしたのかと思った」
 ジーナがじろりとアリスを見るが、無視される。
「基本的に協会の人間はみんな『作品』大好きっ子ですもんねー。優しいわー」
 毎日勉強をしに通うようになってから二週間。カリアラは魔術技師協会の職員たちとすっかり仲良くなっていた。先ほどの休憩時間にも、長髪の者を見つけては練習台になってもらっていたのだ。もしかすると周囲に馴染みきれないジーナよりも打ち解けているかもしれない。その事実が、彼女の苛立ちを余計に高めているようだった。放つ言葉は自然と厳しくなっていく。
「ここは保育所じゃないんだぞ、ついでに三つ編み王養成所でもない。こんな使えない技なんて覚えてる場合じゃないだろう! どうしてお前は字のひとつも読めるようにならないんだ、この役立たず!」
 カリアラが、息を呑む。ジーナの目がはっと怯むが謝罪を口にする前にシラが彼の腕を取った。
「酷いじゃないですか! このひとだって一生懸命やってるんです。そうやって頭ごなしに叱るからみんなに嫌われるんですよ」
「みんなって誰と誰だ、言ってみろ。お前だけじゃないのか? いいか人魚、」
「シラです」
「人魚。試験の日程はまだ決まっていないがいつかは必ずやってくるんだ。それを突破しなければお前たちは法律上人間として認められない。私は、こいつが人間になりたいというからわざわざ教えてやってるんだ。それなのにいつまで経っても読み書きはできない、計算もまったく駄目。それを罵倒しないでどうしろと?」
 勉強机に広げられた帳面には、文字の形をしていない無様な線がのたくっている。ジーナはカリアラを見ずに嘲笑った。
「甘やかしてどうにかなるならお前たちだけでやればいいさ。それができないからこその通いなんだ」
 壁には一面紙が張り付けられていて、日々の学習進行度やカリアラが珍しく上手く書けた字が並んでいる。目につくたびに読みあげろ。と注釈つきの発音表にはわかりやすいように身の回りの物の絵が添えられていた。すべてジーナが作ったものだ。だがシラの目にそれらの景色は映らない。
「毎日続けて成果がでないということは、要するに教え方が悪いんじゃありませんか?」
「なんだ。人間様に歯向かうつもりか」
「あら人間様だなんて。旧時代も甚だしい考え方ですね。その脳みそ取り替えてみたらどうですか?」
「あ、あのな!」
 カリアラは、今にも炎上しそうな二人の間に割って入る。
「あのな、おれ、ちゃんと勉強してるぞ! 三つ編み以外にもちゃんといろいろ覚えたんだ。編み込みと……ち、違うんだ! 髪以外のもちゃんとあるんだ! ええと、ええと、おれはな、ここにいてな、」
 心臓石の据わっている左胸を押さえて続ける。
「それで他のはぜんぶ糸になってて、あちこちに繋がってるんだ。おれはここにいてそれをぎゅわーって引っ張ったりして動かしてるんだ。な? おれちゃんとわかってるよな?」
 ふるふると顔を左右に向けて息が上がるほどに言えば、二人の温度はだんだんと冷めていく。カリアラはほっとして、まっすぐな目で呼びかけた。
「おれがんばるから。今日も帰って宿題するし、明日もちゃんと勉強する。だから大丈夫だ。な?」
 な。と不安な顔で念を押す。繰り返すたびに見上げてくる二人の視線はしっとりと弱くなった。
「……ああ。お前は頑張ってる」
 悪かった、とジーナの目が語っている。シラがいるため口に出せない彼女の気質をカリアラは知っていた。すべてを含みこんでうなずく。
「ちゃんとあれも書くからな。おれ、忘れてないぞ」
「うん、よろしい。書き尽くしたら言うんだぞ」
「あれって何のことですか?」
 無防備なシラの言葉が、ジーナを照り輝かせた。
「えー、それは言えないな〜。なにせ秘密の特訓だからなあ。カリアラ、誰にも言うなよ」
「わ、わかった」
 鼻歌でも飛び出しかねないほどの笑みに、シラの機嫌はどす黒く落ちていく。怨念を湛える彼女にカリアラはおろおろと首を振った。
「シラ、シラ、ごめんな。でもな、でもな!」
「わかりました! もうっ、行きましょ。みんな待ってるわ」
「あらー。今日はおうちに帰るんじゃないのー?」
「帰るけどな、今日はその前にナクニナ堂に集合なんだ」
 ジーナの動きがぴたりと止まる。まるで耳障りな音でもしたかのような顔で振り向く。
「……どこに集まるって?」
「ナクニナ堂だ。石とか部品とかいっぱい売ってて、黒い店」
「それは知ってる。お前、あんな悪徳技師の溜まり場に行くつもりなのか?」
 あんな、と、悪徳、にやたらと力がこもっていた。カリアラは不精ひげを生やした店主の顔を思い浮かべる。白くなった髪を隠すために室内でも黒い毛糸の帽子をしていて、犬をたくさん飼っていて、ピィスに「おっさん」と呼ばれている男。カリアラから見たナクニナ堂の店主は、ジーナのように苦々しく主張するほど極悪な生き物ではない。
「あのおっさんはいいやつだぞ。前に猫が暴れたときも助けてくれたし、ケガしたら直してくれるんだ」
「いいかカリアラ。あの店は不法行為を働く不穏分子の温床だ。奴らはいつも私たち魔術技師協会の邪魔をしては喜んでいる。法律で禁じられている『作品』の製作や部品の販売、不当な手段で入手した魂の流通所。まだまだ言い出せばきりがないし叩けばほこりが山ほど出る。ピィスはもう手遅れだが、お前やサフィギシルはあんな奴の店なんかに……」
 早口でまくし立てたところで気づいたらしい。ジーナは慎重に確認する。
「復唱してみろ」
「あんなやつのみせまんなかに」
「…………」
 案の定最後しか言えていない上に違う言葉が混じっている。ジーナは頭を抱えた。
「せんぱーい。もっと簡単な言葉で説明しないとー」
「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいましたあ!」
「昔話になった!?」
 やけになって老夫婦が悪徳業者に騙されて人生を転落していく話をしようとするジーナを無視し、シラはカリアラの腕を取る。
「もう約束の時間ですよ。行きましょう」
「あっ、待て今すぐ紙芝居を作るから! こらっ!」
「ごめんなジーナ。じゃあ、また明日な」
 慌てて紙とペンを取るが、カリアラは申し訳なさそうに執務室を出ていった。打ちひしがれるジーナの傍で、アリスが呟く。
「先輩の紙芝居って絵が写実的すぎて面白くないですよねー」
「お前に読み聞かせるために作ってるんじゃない! くそっ、明日までに絶対完成させてやる」
 だが下書きに向かうジーナの気勢は、のんびりとしたアリスの言葉に妨げられる。
「せんぱーい。あたしたちの本業っていつから学校のセンセイになったんですかー」
「なんだ珍しい。いつもはこっちの仕事の方が楽しいとかぬかすくせに」
「いや、ちょっと今ので思い出したことがありましてー」
 不審気に睨まれてもアリスが動じることはない。彼女はとろけるような声で告げる。
「ナクニナ堂の抜き打ち調査。たしか今日までにやれって言われてませんでしたー?」
 紛うことなき“本業”を思い出し、魔術技師対策第十四課の課長代理は「あっ」と素直に呟いた。


※ ※ ※


「あのさ、ひとつ訊いてもいい?」
「へい何でしょうお坊ちゃま」
 薄暗い店の中は奇妙な熱気に満ちている。サフィギシルは肩を狭めながら、ピィスに顔を突きつけた。
「俺、外見、大人だよな……?」
 見慣れたそれを平然と上下に眺めてピィスは「うん」と腕を組む。
「ま、推測して二十歳ぐらいに見えるね」
「じゃあなんでさっきから頭なでられてばっかりなのかなあ!」
 やけくその声は絶叫に近かった。サフィギシルはあちこちから伸びてくる手を払いのけるが、叩いても掴んでも別の手が頭をなでる。あっはっは、と明るい笑いの合唱が惜しげもなく降りそそいだ。
「本当もうやめてくださいって! 摩擦摩擦! 熱い熱い!」
「大っきくなれよー。二歳半ー」
 ピィスはひとり避難して安全な場所で彼を眺める。彼女もまたこの国に来たばかりの頃は洗礼を受けたものだが、顔なじみになってしまえば猫かわいがりされることもない。安心して部外者の気分になれる。
 ピィスは店内を見回した。取り囲む壁に窓はなく、外の光は入ってこない。目につく家具や壁紙はすべて黒で統一されて、室内の闇の濃度をよりいっそう高めていた。太陽光を受けつけないのは陽に焼けやすい素材がいくつも揃えられているためであり、同時に街を流れる魔力を遮断するためでもあった。黒色の、特殊な塗料を施した板は魔力を通さないらしい。完璧な防壁に守られた空間には、各種魔石や手足の部品、人工皮や毛髪素材がぎゅうぎゅうに押し込められている。それをさらに上回るほどぎゅうぎゅうとひしめくのは、サフィギシルを取り囲む中年の魔術技師たち。
「触るなー! 分解すんなああ!」
「ちなみにカリアラは一瞬で脱がされてましたがね」
「止めてやれよ! というか誰かあいつに抵抗と恥を教えとけ! あああ今なんかカチッていった! バラされる! 解剖される!! ジーナさん助けてー!」
「聞かせてあげたいなあその言葉。ねえやめようよみんな。冗談じゃなくなってきてるって!」
 気がつけばサフィギシルは完全に押さえ込まれている。その中でひときわ人相の悪い男が、わざとらしい笑みを浮かべた。
「ククク、これ以上分解されたくなければ我々に技師の知識を教授してもらおうか……」
「なにこの犯罪集団!」
「ちなみにこの人は若い頃役者を目指してたけど悪人役しかもらえなくて道を諦めた人です」
「つべこべ言うんじゃねえ。さあ教えてくれるのか? 諦めて俺に嫁を見つけてくれるのか?」
「なんか違う野望混じってる!? だめだ! この人統率者に向いてない!」
「安い芝居はいいからよー。センセ、頼むから教えてくれよー。なんでもいいからさあ」
 涙目で抵抗していると、外野からのんびりとした声がかかる。よく見回せば悪ふざけに興じているのは二・三人で、後は店のあちこちに腰掛けては輝く目を向けていた。
「ちょっとでもいいんす。教えてくださいや」
「お願いします先生。基礎中の基礎でいいからよ」
 変化した場の流れに沿わせたのか、人相の悪い男も一緒に小さな目を瞬かせた。先生、だの、お願い、だのと単純な懇願が一点に向けられる。こんなにも大勢に頼まれたことのないサフィギシルは救いを求めてピィスを見るが、そこでもまたふざけた調子で「お願い」と媚びを売られて逃げ場すら失った。
「……あーもう。ちょっとだけですよ」
 と、身を起こせば席は素早く整えられて、技師達は出来のいい生徒の顔で背筋を伸ばす。この統一された変わり身の早さはどこから来るのか探るように、サフィギシルは並ぶ顔の隅々を見つめるが、やがて小さな息をつく。サフィギシルは外見も中身も自分よりずっと歳上の男たちを前にして、口を開いた。
「じゃあ、基礎中の基礎、技師作品の構成……とかでいい?」
 一言目は随分と震えた。だが一斉にうなずくのを見て、いくらか声に張りが出る。
「ええと。人型細工の体は心臓石を中心にした一点集中型になっています。これは人型に限らず、技師作品はすべて同じ構成です。それで、心臓石……俺の場合はこのへんにあるんだけど」
 左胸、人間の心臓より若干高い位置を示す。
「生身で言うところの感情・思考と記憶の一部はこの中にあります。要するに魂がここにいるということで、この心臓石が俺の本体とも言えるわけです。全身の各部位は直接にしろ間接的にしろ、必ず神経でこの心臓石と繋がっています。俺は心臓石の中から『あれを動かしたい』『これを動かしたい』と神経を通じて部品を動かし、こうやって喋ったり首を回したりしているわけです」
「センセー。ちょっと質問」
「はいなんでしょう」
「心臓石の中から命令を出したり考え事をしているって、それじゃ脳は何のためにあるんですかー」
「ああ、あれ高価いんだよな。省けるなら安上がりなのに」
「ええと、省略すると俺たちは考え事ができません。買ってください。言い方が悪かった、思考自体は心臓石の中にあるけど、思考能力は義脳を借りて行なっています。考え込むのに心臓だけじゃアタマが足りないってことで、別注でお願いするわけです。皆さんご存知のように、魔術というのは魔力を動かす技のことです。魔力をあちこち中継させながら移動させ、複雑な軌跡を描くことによって術を発動させます。技師作品の場合も同じで、魔力を動かす道程が長ければ長いほど複雑な効果……例えばまるで生身の肌のような触感だとか、そういうのが可能になるわけです。人型細工の人工皮は紋様入りの織布なので、魔力が布の繊維を伝って肌の上を走ることでそういった術が可能となります。でも、思考の場合は、心臓石の中だけでは動かしていく場所が足りない。そういうわけで、義脳の中に路を通し、思う存分走らせて難しいことを考えさせておいて、最後にまた心臓石にもどってきて結論を出すわけです。義脳は他に記憶の貯蓄も担当しています。過去の記憶を検証する場合なんかは、俺たちは義脳まで走っていって該当の記憶を引っつかみ、心臓石の中に持ち込んでいろいろと作業するわけです。義脳は本棚、心臓石は物を収納する場所の少ない小さな机だと考えてください。心臓石の中にはあまり記憶を留めておけないので、あふれたものは自然と義脳に戻っていくという仕組みです。わかりましたか?」
 イーハウ? と土地の言葉で聞き返しても、技師たちはまん丸く口を開けて呆けるばかり。ピィスですら同じ顔で中年たちに同化していた。サフィギシルは居心地悪そうに訊く。
「……え。もしかして、みんな知らなかった、とか?」
「うん。うん、そうだよー。なんだそういうことだったのか! へえー」
「今までずっとわけわかんねーままやってたもんな」
「嘘っ! よくそれで形になってたな!」
 失礼な発言だが、技師たちは腹が立つより感心のほうが強いのだろう。へえ、はあ、と納得のため息を繰り返しては、自宅に置いてきた作品たちを思い出しているのだろうか、上の空でどことも知れない場所を見る。
「なるほどねえ。しっかし、こんなことを考えつくビジス爺はやっぱすげえってこたあな」
「だな。頭のどのへん使ったらこんなん思いつけるのか、センセ、その辺は知識にないですか」
「そればっかりはどうだろう……って、なんで学習教室みたいになってんだ。そもそもみんなは別に今日呼ばれたわけじゃないんだろ。どうしてこんなに大所帯に……ここ、そんなに広くないのに」
 敷地自体は十分な広さがあるが、足の置き場にためらうほど大量の商品が積まれているので動くことのできる場所は少ない。売り物の箱を割ってうねる道の隅には、ほのかな明かりのランプが随所に設置されて唯一の光源となっていた。すぐ足元にあるので、気をつけなければ蹴り倒してしまう。
「そりゃあ先生がコウの野郎にびびってるから応援にきたんだよ。大丈夫、俺たちがついてるぜ!」
 と、力こぶを見せるのが先ほどまで脅していた人相の悪い男なので、サフィギシルは苦笑する。
 コウ、と技師連中に呼ばれているのはコウエンというこの店の主だった。今はどうやら身体の調子が悪いようで、奥にある居住空間から出てこない。サフィギシルもピィスも、そしてまだ到着していないカリアラとシラも今日は彼に呼ばれたのだった。
「サフィ、しっかりお礼言っとけよ。この人たちみんなカリアラ連絡網で集まってくれたんだから」
「カっ……なんだそれ!?」
「カリアラが要るって言うからオレが作ってやったんだよ。もし街中でカリアラかサフィギシルが怪我をしたり迷子になってたり迷子になってたり迷子になってたりした時に、技師の間で連絡しあって家まで送り届けてあげましょうって」
「迷子強調しすぎてないか」
「カリアラにも感謝しとけよー。群れの中では連絡が一番大事なんだからって。これで誰かさんが迷子になっても安心だって言ってたんだから。まごころだよねー」
「俺はそんなに信用がないのか? そんなに迷子になると思われてるのか?」
 全身で「心外だ」と主張してピィスに向かうが、彼女はにやりと言い返す。
「だって今日もひとりでここまで来れなかっただろ?」
「あれはっ。だってこの店看板ないし、地図にも屋号書いてないし! こんな変な名前の店、載ってたら間違えな……」
「変な名前で悪かったな」
 一瞬、辺りの空気が冷えた。それほどまでに低い声だった。振り向けば、カウンターにはいつの間にかコウエンが座っている。具合は悪いままなのだろう、顔色は熱に赤らみ端々で咳が出た。声が、鈍く途切れているのも喉をやられているせいか。
「ナクニナってのはよ、ここらに伝わる女神の名前だ。馬鹿にすっと罰が当たるぞ」
 それだけ言うとコウエンは億劫そうに椅子の背にもたれかかった。呼び出した割にサフィギシルたちに目を向ける様子はない。むしろ目の端で確認しては苦々しく顔を歪めた。サフィギシルは恐ろしいものを遠目に見ながらピィスに囁く。
「なんか、俺、あの人に嫌われてる?」
「あー、かもなー。ちょっと複雑な感情がなー」
「何。俺なんかした? いや、もしかして“前の”サフィギシルが何かしたとか?」
 声を聞いた技師たちはそれぞれに含み笑いをする。
「当たらずとも遠からず。だよなー、コウ?」
「っせえ。そんなびびるんじゃねえよ。取って食うわけでもねえ」
 十分食われそうだよ、と囁くとピィスはたまらず吹き出した。
「お前、この時点でびくびくしてたら次の試練に耐えられないぞ」
「はあ!? 何、試練って何!」
「いや、この状態よりはマシかな? とにかく精神力が必要な人がくるから、覚悟してろよ」
「そういえば、今日呼び出されたのって『会わせたい奴がいる』とかって……」
 サフィギシルはようやく思い出した顔で、周辺を見回した。
「それ、誰?」
 どういうわけだかピィスも街の技師たちも同じ表情をしている。
 楽しげな笑みを頬にこぼして、彼らは「さあ?」と口を揃えた。


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