人間になってまだ数ヶ月しか経っていない元ピラニアと、絶望的に料理が出来ない小娘の二人組。これほどまでに失敗を約束された料理人が、今までこの世にいただろうか。 「まあちなみに言っておくと、オレは一度もまともな料理をしたことがないわけで」 「おれもな、料理とかはしたことないんだ。味見は前にしたけどな」 「どう考えても成功するはずがない……」 逆に腹が据わったのか平然と言う二人に対して、サフィギシルは落ち込むばかり。手足が動きさえすればこの横暴を阻止するだろうが、今の彼は身動き一つまともに取れない状態だった。サフィギシルは随分と長い間二人の顔を見つめていたが、結局は腹の底から押し出すような薄暗い声で言う。 「……頼むから、本当に、死人が出ないようなものを。せめて生物が口にできるものを作ってくれよ」 「それは難しいご注文ですなお客さま」 「何をどうすれば難しくなるんだよ!」 うやうやしく首を振るピィスの仕草はまたしてもわざとらしい。カリアラが真剣な顔で言う。 「サフィ、大丈夫だ。おれ頑張るから」 「頑張っても無駄なんだよこの場合!」 「まあまあ。そんなに怒ったら神経切れるぞ」 「誰のせいだと思ってるんだ……」 サフィギシルは苦々しく呟いて、大きな大きなため息をつく。 「ああもう。とりあえず、資料室にレシピがあるから簡単なの探してこい。他の設計図には触るなよ、余計なものを動かすな。言葉が少なくて危険度が低いものを選ぶんだ。いいか、聞いたこともないような料理を作るのはやめろ。食材がもったいないから材料が少なく済むやつを選べ。あと火の元には気をつけて、煮たり焼いたりしてる間は絶対に火の側を離れるな! カリアラは割れるような食器には触らないように……」 「あーはいはい。わかったわかった解りましたー。さ、行こうか」 「あっ、ちょっと待て! カリアラ、こっち来い」 げんなりとして逃げかけたピィスを慌てて制し、カリアラを手招いた。素直に近づいた彼をベッドの端に腰掛けさせて、だらしなく垂れていたエプロンのひもを結ぶ。左肩が固定されて動かし辛いはずなのに、器用な手つきで結び目を作ってやった。 「ちゃんと着ろよ。ほら手袋! それじゃ水が入るだろ! きっちりととめて、あんまり長い間水に浸からないようにして、染みが付いたらすぐにタオルで拭くんだぞ。刃物にも気をつけろ。木組みは燃えやすいんだから出来るだけ火にも近寄るな。炒め物じゃなくてとろ火でごまかせるものにしろよ。そうだ、ポケットにタオル入れとけ。汚れが散ったらすぐに拭くんだ」 くどくどと言いつけながら、ゆるんでいた防水用の手袋をはめ直させる。外れることがないように、わざわざひもを用意して手首のあたりをとめてやった。その後もエプロンのポケットにタオルを入れるなどして支度を整えてやる。細やかな彼の動きにピィスが遠い目をして言った。 「お前はなんでそんなにいい奴なんだろうなあ」 「べっ、別にこいつが壊れたら修理するのは俺で、それが面倒だからやってるだけで」 「いやいや、作品を大事にするのは製作者の鏡だよ。というか技師はみんなそんなもんだけどさ」 その言葉にサフィギシルは途端に黙り込んでしまう。カリアラが心配そうに覗き込むが、サフィギシルは相手の視線を払うように、動く右手を大きく振った。 「いいから。いつまでもこうしてないで、さっさとレシピ探してこい」 「そうか」 カリアラは気にしながらもうなずいて、素直にピィスの方へと戻る。 「じゃ、お料理しに行ってきまーす」 「はいはい。行ってこい」 二人は急に静かになった彼を気にするようにしていたが、サフィギシルは彼らに背を向けたままぞんざいに言い捨てた。カリアラたちは諦めてその場を去る。部屋のドアが閉じられて、二人の会話が遠く消えてしまっても、サフィギシルは何事かを思うように重い足を見つめていた。 ※ ※ ※ |
「料理の本料理の本、と。なんだよもう、探しにくいなあ」 資料室を兼ねている小さな書庫にはありとあらゆる本がある。縦長の室内はどこを向いても紙が見えない場所はなく、足元ですら設計図が積み置かれて動き辛いことこの上ない。ピィスはぶつくさと呟きながら、かろうじて整列された棚の中を目で追った。 「あ、これどうだ?」 それとは逆に乱雑な山の中を漁っていたカリアラが、取り出したものを彼女に見せる。大判の薄い本だ。刷り込まれた表紙の絵は、内蔵をさらけ出された人の体。 「人体解剖図じゃねーか!」 「それは料理とは違うのか? でもこれ、なんか『生肉の食べ方』って感じがするぞ」 「人間は人間を食べないんだ! 近づけるなー!」 極彩色の解剖図にピィスは本気で後じさる。カリアラはきょとんとしてもう一冊の本を見せた。 「じゃあこっちの骨がいっぱい書いてあるやつは、だしの取り方の本か?」 「なんでだしを知ってて骨格図が解らないんだお前は」 人型細工を作成する魔術技師は、当然人の体について熟知している必要がある。正確な解剖図も骨格を記した本も、この家にとっては必要不可欠なものなのだろう。もっと探せば色々と出てきそうな予感がして、ピィスは不気味に身を竦ませる。 「ったく、さっさと適当なの見つけて出よう。あ、これなんか薄くていいかも」 だが取り出した手はぴたりと止まった。カリアラが後ろからひょいと覗き込む。 単色で描かれた華やかな料理の絵。その右下には毒々しいドクロ印と『未成年禁止』の文字。 「なんだ。こっちがだしの取り方か」 「いや違うだろ。明らかに危険物だろ。ていうか題名……」 上部には大きな字で『料理でドカン』と記されていた。ピィスは思わず本を開く。 序章:爆発の手引き 一品:スープでボカン 二品:サラダでドゴン 三品:チキンでバッカーン 四品:灼熱地獄フルコース 解説:我が青春の爆発時代 「大変だ、全部爆発するぞ!」 カリアラが言った通り、各ページに描かれた料理は見事に弾け飛んでいた。 「材料に必ず火薬が入ってるよ! わざとだよこの著者!」 裏表紙を見てみると、そこには表紙で並んでいた料理たちの爆破後が描かれている。 「オチまでついてる!」 「この本強いぞ! どうするんだ、この料理作るのか!?」 「個人的にはちょっと試してみたい気がしないでもないけど……だってさ、せっかく作るんだから中途半端なのは嫌だろ? 微妙に酸っぱいとかさ、一部だけこげてるけど一応は食べられるとかさ。そんなつまんないもの作るよりは、いっそ伝説に残るようなすごい料理にしたくない?」 「そうか。じゃあすごいやつを作ればいいんだな」 あんまりな言葉の意味にも気付かずに、カリアラは納得してうなずいた。 「そうそう。……あっ、いや違う! 今日親父の帰りが遅いってことは、オレもここで晩飯食わなきゃいけないんだった! だめだ、真面目にやらなきゃ!」 「そうか。じゃあ真面目にやろう」 カリアラはやはりその意味を理解せず、ごく素直に承諾する。ピィスは途端に熱意を持って、真剣に本を探し始めた。 ※ ※ ※ 冬の気配が近づいた台所の中は寒い。黒土を固め敷いた足元は冷気が這っているようだった。カリアラもピィスもそれぞれに震えながら、一体何から始めるべきか戸惑うようにあたりを見回す。料理道具や調味料はサフィギシルの手によってきれいに並べられている。すっかり乾いた鍋たちは裏返しのまま出番を待ち、魔術技師の手によって利便性を高められた火台も炎の入りを待っている。台所の準備は万端だ。だが調理する人員はわけが解らず悩んでいる。 「……えーと。とりあえずレシピ読むか。全体を把握することは大切だからな」 「わかった。読んでくれ」 「よし。じゃあ解んないところがあったら手を挙げて質問しろよ。ええと、『おいしいカレーの作り方。まず下ごしらえとして、鶏肉に塩・コショウ少々をふりかけ』……」 ふと本から顔をあげると、カリアラが手を挙げていた。 「もう? はい、言ってみろ」 「カレーってなんだ?」 「そこからかよ!」 真顔で尋ねる彼の頭を本で叩く。カリアラはびくりと硬直した後で、きょときょととあたりを見回した。 「なんだ、なにがだめなんだ?」 「多分お前の脳みそが。いいやもう、とりあえず材料切ろう。肉と野菜、肉と野菜……」 あらかじめ運んでいた食材の山の中から、適当なものを選んでは調理台に乗せていく。玉ねぎ、人参、じゃがいも。かろうじて知識のあるピィスはそれなりのものを選び取るが、カレーを知らないカリアラは、魚の干物やひじきなど好きなものばかりを並べる。その度にピィスが無言で近くの机に放り投げ、カリアラが悲しげな声を上げた。 「よし、じゃあ切るか。お願いします」 「えっ、おれがやるのか?」 「だってオレ包丁だめなんだもん。やってくれよ」 食材を前にして、ピィスは軽く頭を下げる。カリアラは頼みごとを受け入れて調理台の前に立った。一応、サフィギシルが料理をしているのを後ろから眺めていたことはある。カリアラは薄れた記憶をたぐり寄せ、立て掛けてあったまな板を敷いてみた。確かこうしていたはずだ。骨付き肉を上に置き、棚の中から包丁を出す。 そして両手で包丁の“刃”を握り、大きく大きく振り上げると肉に向けて叩きつけた。 「きゃ――!!」 耳の奥が裂けるような甲高い悲鳴が上がる。それと同時に重々しい音を立てて、包丁の柄が肉を殴った。 「ば、馬鹿! どこ持ってんだよ、見せろ!」 カリアラは痛みに硬直していたが、駆け寄ったピィスにうながされて手を開く。防水用の手袋が横一線に裂けていた。布が保護したらしく、肌の方には傷がない。ピィスは安堵の息をつき、きょとんとしているカリアラを叱りつけた。 「馬鹿かお前は! いや馬鹿だ、ほんと馬鹿! どこの世界に包丁の刃を握るやつがいるよ!」 「あれじゃだめだったのか? そうか、だから痛くなったんだな」 カリアラはここでようやく理解して、真剣な顔でうなずく。ぐったりとうなだれてしまったピィスに、思い出したように尋ねた。 「さっきすごい声がしたけど、お前が出したのか?」 ピィスは顔を赤くして、気まずそうに目を逸らす。 「そ、そうだよ。悪いかよ」 「すごいな。あんな声が出せたら敵も追い払えるぞ」 あくまでも真顔で言われてしまい、ピィスは複雑そうに眉を寄せた。カリアラは勢いで飛んでいた包丁を拾い上げ、困ったようにピィスに差し出す。 「包丁って難しいな。やっぱりお前がやってくれ」 「い、いやだよ! できないって!」 ピィスは向けられた刃先を見てびくりと怯えた。みるみる血の気が引いていく。恐怖心を浮かべた瞳はそれでも刃先を見つめていた。体は後ろに退いているのに、両目だけが包丁から離れない。カリアラは彼女の変化を不思議そうに見つめて訊いた。 「でもお前、前におれの背中開いてただろ。あれと一緒じゃないのか?」 「あれは刃がないんだよ。作品用だから切れないようになってるの! ちょっ、ほんと駄目なんだって!」 「大丈夫、もう解ったから痛くないぞ。ここの木のところを持てばいいんだ。ほら、こうやって……」 カリアラは彼女の手を取り包丁の柄を握らせる。悲鳴を呑み込む音がした。ピィスは身を固くしてがたがたと震え始める。だがカリアラは彼女の手ごと包丁を肉に向けた。ピィスは拒絶の言葉も忘れ、包丁と骨のついた肉を凝視する。立っているのも危ういほどに体中が恐怖に震える。顔色は既に土色に近くなっていた。脂汗が滲み始める。 カリアラはふと彼女の異変に気付いたが、きっと包丁を使ったら痛くなると思ってるんだ、でも今度は大丈夫。と考えた。怯えるピィスに平気だと教えるために、ますます強く手を握る。震えている彼女の手と包丁を骨付き肉に近づけた。ピィスが大きく首を振る。カリアラはそれでも手を離さない。研ぎ澄まされた刃先が肉の皮に触れる。 力ない悲鳴がもれかけたその時、どす黒い影がカリアラの首を締めた。 束縛から逃れたピィスが彼を見て目を見開く。 「なな! だめ、やめて!!」 黒い影はカリアラの首に巻きついたまま腕を取り、後ろ手に回して捕らえる。カリアラは混乱して魚のように暴れるが、しっかりと押さえられて動けない。絡みついた黒い影は人の腕の形をしていた。誰かに首を締められている。だが、生きているものの気配がしない。 「なな!!」 悲鳴のような声と同時に後頭部を殴られて、カリアラの意識はそこで途絶えた。 聞き覚えのある音がする。小刻みに響くそれは、料理をする時の音だ。包丁がまな板を叩いている。何かを手早く刻んでいく。カリアラはぼんやりとした闇の中で疑問を感じた。誰が切っているのだろう。聞こえる音はサフィギシルのものとは少し違っていた。サフィギシルはもっと力を抜いている。今聞こえるこの音は、強く叩きつけていて、まるで戦っているようだ。獲物を砕く音に似ている。口の中に取り込んだ魚を噛み砕くような……。 カリアラはぱちりと大きく目をあけた。黒土の床が視界に立てかけられている。世界が傾いてしまったのかと思ったが、よくよく見れば自分の体が横になっているようだった。なんだか頭の後ろが痛い。触れる床が冷たいせいで体中がしびれていた。手も動かない。まるで誰かに押さえられているようだ。 知識の足りないカリアラは、自分の手首がひもで縛られていることに気が付かない。ただよく解らないが体が動いてくれないらしい、と不思議に思っているだけだ。目の前には食材の箱がある。調理台に背を向けていることに気づいて、勢いをつけて寝返りを打ってみた。 新たに見えた光景に、緊張して身をこわばらせる。調理台の前に、知らない男が立っていた。黒い服を着た人間だ。髪の色も同じく黒く、いやに短く刈られている。少し屈んだ首筋が不気味なまでに白かった。その他はすべて黒だ。手も、足も、黒い布で執拗なまでに隠されている。 「誰だ」 呼びかけると男は素早く振り向いた。包丁を持つ手にも黒い布。男はカリアラを忌々しげに睨みつけ、低くかすれた声で言う。 『見るな』 聞き覚えのない音だった。理解できないカリアラは、警戒して相手の目をじっと見つめる。黒い男の鋭く尖ったまなじりが憎しみに吊り上げられた。 『見るな』 同じ言葉を囁くが、カリアラはただ彼の目をまっすぐに見つめるばかり。男はますます顔つきを剣呑に歪めていく。光のない黒い目は魚の視線を受け止めない。わずかに位置を逸らしたまま憎らしげに舌打ちをした。 『なな! 起きたのか、開けろ!』 木を殴りつける音とピィスの声が同時に部屋に入り込む。カリアラも、ななと呼ばれた男も閉ざされた入り口を見た。鍵の代わりをしているのだろうか、棒が打ちつけられている。 『開けろ! カリアラに手を出すな!』 聞こえる声は確かにピィスのものなのに、何を言っているのか解らない。男はこちらに視線を戻し、ゆっくりと近づいてきた。逃げようと思うのに体が上手く動かない。 「“ コド ”が」 濁った声で吐き捨てられる。憎しみのこもるそれが耳の奥にこびりついた。 男は肩に掛けていた黒い布をカリアラの顔に被せる。急に視界が閉ざされて、カリアラはばたばたとその場で跳ねた。何が起こっているのか解らない。それなのに動けない。闇の中から逃れようと暴れていると腹を蹴られた。そのまま続けて喉を、胸を。硬く尖った靴の先が鋭く急所を突いていく。カリアラは更に暴れた。 『なな、なな! 何やってんだ、やめろ!』 意味の取れないピィスの声がドア越しに聞こえてくる。蹴りつけられる痛みが彼の体を襲う。 だがまたしても後頭部を殴られて、体の痛みもピィスの声も薄くぼやけて消えてしまった。 何ひとつ理解できないままに、カリアラはもう一度深い眠りの中に落ちた。 |