第三話「嘘と抱擁」
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 カリアラは決意を固めるように、ひとり小さくうなずいた。直立する彼の前には山のように積まれたがらくた。使わなくなった家具、同じく使用されない道具。生活に根付いたものから用途の知れない謎の物まで、無差別に身を寄せあっている。
 室内の三分の二はがらくた山に占められていて、人が過ごせる場所は少ない。おまけにドアの鍵は壊れてしまって、力を込めて押しただけでも開いてしまう有様だった。この暮らすには不便とも言える部屋が、カリアラの寝室だ。
 面積自体は家の中で一番広く、建てられた当初は家長用の個室だったに違いない。だがビジスは二階まで行き来するのを面倒がって、作業室の奥にある小さな部屋ですべてを済ませた。現在の家主であるサフィギシルも同様だ。彼は就寝時間が遅いので、二階で眠るシラたちを起こさないよう下で過ごすくせがついた。シラはと言えば、鍵がうまく掛からないのがどうやら気に入らないらしい。小さいながらも安全な向かいの部屋を使っている。
 カリアラは鍵がなくても気にしない。ついでに言えば、身を隠さなければ安心できない川での暮らしが抜けないために、眠る場所はできるだけ狭い方がいいと考えている。この部屋の場合、あちこちから押し付けられたがらくたの山のせいで、人が行動できる場所はかなり狭められていた。複雑に入り組む家具はどこか迷路のようにも見える。身を潜める穴がいくつも開いた大きな岩に似ているので、カリアラはこの部屋をとても気に入っていた。川の中の景色のようで落ち着くのだ。まだベッドに慣れていなかった頃は、布団ではなく雑多な物の山の隅にへばりついて眠っていた。
 そんな慣れ親しんだがらくた山をまっすぐな目で観察し、丁度いいものを探す。カリアラは絶妙な均衡で重ねられた物の中からいくつかを取り出した。遠慮なく引っこ抜いていくたびに、騒がしい音を立てて塊が崩れていく。だがカリアラは気にもせずに動きを続け、堂々と部屋の中を散らかした。
「よし」
 埃立つ残骸を背にしてベッドの近くへ移動する。散乱する物の被害を受けていない床の上に座り込み、山の中から抜き取ってきたいくつかの物を並べた。かなり大きなガラスの花瓶、長方形の黒い箱、少しへこんだ小さなボール、枠を赤く塗られたランプ。指先を使わない雑な動きですべてを置くと、今度はポケットから白のチョークを取り出した。手のひらで握りしめて、不器用な動きでボールから花瓶に向かって線を引く。
「サフィは、シラを、直せる」
 黒ずんだ床の上に線が現れ、頼りなく佇むボールと巨大なガラスの花瓶を繋ぐ。カリアラはまた「よし」と言って、新たな線を書き加えた。
「ジーナは、サフィを、直せる」
 今度は硬く黒い箱から弱々しいボールへと。これらはすべてカリアラから見た仲間たちの印象だった。若干空気が抜けてしまった小さなボールはサフィギシル。見た目に合わせて色は白だ。硬く尖った黒い箱はジーナをあらわし、あまりにも大きな花瓶はシラのことを意味している。カリアラは繋がれた三つの物を見下ろしてうなずいた。ここ最近、群れの中の関係が複雑になってきていて彼には難しかったのだ。こうやって外に出して整理すればよく解る。そうアリスから教わっていたのを思い出してやってみた。シラにはサフィが要る。サフィにはジーナが要る。だからサフィもジーナも群れのためには必要だ。
 そう結論を出したところで、ふとランプに目をとめた。片手持ちの小さな明かり。火を付ければ赤く光るはずのそれは、彼から見たピィスだった。そういえばピィスは誰に要るのだろう。首をひねってみたものの、彼女に繋がる線はない。
 カリアラはピィスについて考えた。始めは体が小さいからまだ仔魚かと思っていたが、ああ見えても十分に大人の域なのだという。子どもではないのならいつまでも守ってやるわけにはいかない。
 力が強くて元気がある。声が大きいから威嚇もできる。だが彼女は戦うのには向いていないように思えた。逃げ足は素早いはずだが、以前巨大な猫が現れた時は上手く走れていなかった。カリアラが彼女の手を引いたのだ。人の手を握っていると体の動きが遅くなり、いざという時二匹とも敵にやられる恐れがある。毎回ああして連れまわす必要があるのなら、それはかなり困ることだ。
 群れは大きいほうがいい。一匹でも多い方がカリアラには望ましいのだ。だからピィスも必要だ。
 だが、もし危機が訪れたときには、群れの中に必要な者を優先的に守らなければいけない。
 この考えで行くと、ピィスはまず一番に見捨てられることになる。もちろん一匹たりとも失いたくないとは思っているが、生きていく中ではどうしようもない事態というのも存在する。強い敵に襲われたら、分散してすぐに逃げなければならない。だが必ず何匹かは食われてしまうものなのだ。群れのすべてを完全に守ることなど不可能だ。ある程度の損失は諦めなければならないだろう。
 分散や損失など、難しい言葉や細かい理屈は解らない。だがカリアラは川の中でそういった自然の動きを頭に刻み込んでいた。言葉として解らなくとも、その中身を理解することはできる。野生の理屈は誰に教わるまでもなく、ごく当たり前のこととして彼の中に染み付いていた。
 だから、悲しみはない。そうなるのが当たり前のことなのだから、もしピィスがいなくなっても仕方がないと思うだろう。カリアラはそれ以上深く悩むこともなく、象徴たちを見下ろした。
 がたがたに並ぶそれらは、まるで今の群れの中をあらわしているようだ。シラも、サフィギシルも、ジーナも、線で繋がってはいるが同じ方を向いていない。このままでは大きな敵がやって来たらみんな倒されてしまう。ここにワニが泳いできたら、あっという間に荒らされてしまうに違いない。カリアラは困った顔で床を見つめた。だが聞こえてきた足音に、入り口へと目を向ける。人の気配が近づいて、ピィスがひょこりと顔を見せた。
「なんだ、ここにいたのか。珍しいな上にいるの」
「うん、そうなんだ。いらっしゃいませこんにちは」
 カリアラは覗き込む彼女に向けて、ぺこりと軽くおじぎする。
「……誰に教わったんだそれ。まあいいや、おじゃましまーす。うわ、散らかってんなー」
 ピィスはがらくた山の残骸を爪先立ちで回避しつつ、ぶつぶつと愚痴をもらした。
「まったくもー、下に誰もいないしさー。サフィはまだ調整が終わってないみたいだし。お前何やってんの? あ、わかった。ばかだな、それだけじゃ意味がないのに」
 カリアラとその側に並ぶ物を見つめ、ピィスは呆れたように笑う。ひょいひょいと転がる本や道具を避けながらがらくたの海へと向かい、混ぜこぜにされた中から大きなボールを取り出した。
「ほら、これがないと遊べないだろ」
 そう言って、いやに楽しそうな顔で、並べられたものに向けて力いっぱいボールを転がす。
 群れとして置かれていた象徴道具は華々しく弾け飛んだ。
「た、大変だー! ワニが来た――!!」
 カリアラは蒼白となって倒れた仲間たちに飛びつく。重量のあるシラ花瓶とジーナ箱に潰されて、サフィギシルボールは音を立てて破裂した。
「うわー! サフィが死んだ――!!」
「は?」
 カリアラはぺしゃんこになってしまったサフィギシルボールを取って、おろおろと青ざめる。そんなことを言われてもピィスは訳が解らない。だがとりあえず彼の頭が悪いことは解ったので、落ちていた本で混乱するカリアラの頭を軽く叩いた。

        ※ ※ ※

「お前ってさー、ほんっと群れのことばっかりだよな」
 混乱が落ち着いたカリアラを引き連れて、ピィスは階段を下りていく。カリアラは叩かれたり怒られたり説教をされてみたり、と忙しすぎる頭を押さえてきょとんとした。
「ピィスは群れのことばっかりじゃないのか?」
「群れについて考えたこともねーよ。そういう何かひとつに執着する考え方してたらさ、いつかどこかで挫けるぞ。柔軟に行けよ柔軟に。第一さー、敵なんてそうそう来るもんじゃないって。人間の世界にはな、ワニなんて来ないの。危険なことなんて何ひとつない平和な日々が待ってるの」
「でもな、すごく危険なんだ。このままじゃだめなんだ」
「何がだよ。刺客の方も一段落したんだろ? もう安心してもいいって、うちの親父も……」
 喋りながら廊下を歩き、ピィスはいつも集っている居間のドアに手をかける。カリアラが「あっ」と小さく呟くが、気にせずそのままドアを開けた。そして固まる。
 居間の中には冷笑を浮かべるシラと、熱い怒りを見せるジーナが互いに睨み合っていた。
 火花どころか火柱が立ちかねない迫力に、ピィスは素早くドアを閉める。
「ごめんなさいオレが間違ってました」
「そうなんだ。大変なんだ」
 青ざめた彼女にカリアラは真顔で答える。
「昨日からずっとこうなんだ……もし今敵が来たら、あっという間にみんな食われる。どうしよう」
「いやむしろ内部分裂が先だろ……」
 おそるおそるガラス越しに覗いてみるが、二つの影は動かない。物音も、言葉でさえも聞こえないということは、長い間ずっとこうして対峙しているのだろうか。ピィスは引きつった口で質問した。
「あの二人、そこまで仲悪かったっけ? もうちょっとマシじゃなかった?」
「なんかな、サフィが怪我してからすごく恐くなったんだ」
 ジーナがサフィギシルの修理のために通い始めて二日になる。彼女は初日からシラに対して事あるごとに難癖をつけ、相手を見下し、徹底的に馬鹿にした。そうくればシラもいつまでも大人しくしているはずがなく、受けた嫌味を三倍にも四倍にもして投げ返す。こうした二人の抗争により、家の中はまんべんなく険悪な空気に満たされていた。ジーナが家の中にいるのはせいぜい半日、そのほとんどは作業室に閉じこもっているので接触する機会は少ない。それなのにそのわずかな時間で二人は毒を浴びせあう。シラは作り物の微笑みを浮かべて、ジーナは敵意を剥き出しにして。
「ピィス? 来てたのか」
「うわ、呼ばれた……」
 ピィスは小声で呟いて、おそるおそるドアを開けた。カリアラが後ろからひょこりと中を覗き込む。微笑みを貼り付けたシラと目があった。元からきつい顔立ちを、さらに厳しく引き締めているジーナとも。
「お前もいたのか。丁度いい、二人とも入れ」
「ごめん、なんか目に見えるような見えないようなギリギリの雰囲気が足を止めてて」
「いいから来い。カリアラ、押せ」
 冷ややかなジーナの言葉を受けて、カリアラは硬直したピィスの背を押す。驚いて見上げる彼女に申し訳ない顔をした。
「ごめんな。おれ、言うこと聞かなきゃだめなんだ」
 そう言ってピィスの体を完全に部屋に入れると、力ない足取りで手招くジーナの側に寄る。引きつるシラを煽るように、ジーナはカリアラの腕を取ってべたりと密着してみせた。シラの顔色が変わる。微笑みですら薄く剥がれそうになる。カリアラはおろおろと静かに怒る彼女を見つめた。
「シラ、ごめんな。でもおれが言うこと聞かないと、サフィを直してもらえないんだ!」
「卑怯な……!」
 悲しみの言葉を受けて、シラは強く歯噛みする。ジーナは黒く笑ってみせた。
「戦略と言ってもらおうか。この集団に私の力が必要な限り、お前たちは私には逆らえないのさ」
「ジーナさんすげえ悪人」
「そんな言われ慣れた言葉ではこれっぽっちも動じないな!」
 確かにこの状態では悪役以外の何者でもない。どす黒い闇のオーラが今にも背から漂いそうだ。カリアラは囚われた人質のごとくにぐったりとうなだれる。シラは笑みすら忘れて憎々しげにジーナを睨み、ピィスは呆れた顔をする。
「じゃあ何か。カリアラはジーナさんに取られちゃったってわけか」
「そうなんだ。おれ、昨日からジーナのこんぶなんだ……」
「昆布はもういい」
 冷静なピィスを無視してシラとジーナは険悪に対立する。
「いい加減にしてください。いつまでやれば気が済むんですか」
「使えるものは魚だろうが機械だろうが十分活用させてもらう。子分を取られて悔しいのか?」
 馬鹿にしたような笑いにシラの顔は怒りに赤らむ。
「子分なんかじゃありません。あなたとは違うんです! 昨日からそうやってこのひとを連れまわしては独占して、おまけに『帰った後でも近寄るな』と教え込む。そんなに私たちの仲を邪魔したいんですか、そんなに子分が欲しいんですか!」
 シラはジーナを指差して力強く言いきった。
「あなたにはペシフィロさんがいるでしょう!」
「いるのかよ! オレの親父だよ!」
 だがピィスの反応を無視してジーナは悪い笑みを浮かべる。
「子分や手下は多ければ多いほどいいに決まっているだろう? ペシフだけじゃ物足りないな」
「肯定されたよ! 子分だようちの親父!」
「うん、ペシフはこんぶなんだ。おれもいつかは街で売られるんだ……」
「お前はどうして何回教えてもちゃんと理解しないかなあ」
 ピィスは疲れてしまったように弱々しく頭を押さえた。要するに、ジーナはシラへのあてつけとしてカリアラを占領しているらしい。そこまでシラを苛めにかかる理由は解らないが、これ以上馬鹿らしい対決に身を挟みたいとは思わなかった。ピィスは切り上げでもするように、呆れ声を張り上げる。
「ああもう、その昆布さんから伝言を預かってきたんですけど! とりあえず聞いてくれる? 今日は夕食を持ってくる時間がないから、なんとかして自分たちで食べてくれって。仕事から手が離せないんだよ、昆布じゃないし子分でもない働き盛りの父親だから。王様の子守りしなきゃいけないし」
 普段料理を担当しているサフィギシルは、利き手と足を修理していて台所に立つことができなかった。
「そうか。じゃあ、誰が晩飯作るんだ?」
 何気ないカリアラの質問に、その場の空気がぴたりと止まった。
 シラは口元を引きつらせて静かに黙り込んでいる。ジーナもまた全く同じ表情で、気まずげに目を逸らす。急に冷めた二人の態度に、カリアラは不思議そうな顔をしてそれぞれの目を窺った。だがことごとく逸らされる。疑問の視線をまっすぐに受け止めない。
 彼女たちの表情を見て、ピィスがぼそりと呟いた。
「もしかして、二人とも料理できないんじゃ……」
「何のことだ?」
「何がですか?」
 白々しい逃げの台詞はぴたりと見事に重なった。シラもジーナも驚いて顔を見合わせる。
「……ほう? なんだ、やっぱり夕食のひとつも作れないのか。居候はこれだから困るなあ」
「でっ、出来ますよ! ちゃんと練習したんですからっ」
「本当に? カリアラ、どうなんだ? こいつはまともな料理が作れるのか?」
 裏にある意地悪さには気付かずに、カリアラは正直に答えてしまう。
「シラはな、料理したらすごいんだ。まっ黒いのができるんだ。苦いけど我慢しなきゃいけないんだ」
「なんで言うのよ!」
 思わず素顔に戻るシラに、ジーナはにやりと笑ってみせた。
「ああ、やっぱりな。所詮は役立たずじゃないか。サフィギシルがいないと何もできないんだな」
「でもジーナも料理は全然出来ないって言ってたぞ」
「なんで言うんだ!」
 またしても暴露は正直に続く。批難するジーナを見てシラが嬉しそうに笑った。
 だがそれでは話にならない。二人はむうと口を引き、苦々しく見つめあう。
 きょとんとしたカリアラの目にも構わずに、呆れきったピィスも視界から排除して、彼女たちはお互いにぎこちなく睨みあう。睨みあう。睨みあう。二人はそうして何も言わず延々と見つめあった。

       ※ ※ ※

 午後の日差しは着実に傾いて、部屋の中に伸びる影は徐々に長くなっていく。サフィギシルは見飽きてしまった部屋の景色に、退屈なあくびをした。鉄の固定具で固められた両足がひどく重い。怪我の修理だけではなくて、全身の調整まで始められてしまったのだ。もうしばらくはベッドから離れることができないらしい。
 しかし、そんなことで家の中は大丈夫なのだろうか。カリアラがまた何か壊してはいないか、階段から落ちたりしていないか、家事は誰がやっているのか、部屋が散らかってはいないか。生活じみた心配が次々と浮かんでは消え、浮かんでは消えて彼の頭を悩ませる。
 コンコンコン、といやに綺麗なノックが響いてカリアラの声がした。こちらが返事をする前にドアは勝手に開けられる。だが中に入ってきたのはカリアラではなくピィスだった。
「なんだよいきなり。ちゃんと応答してから来いよ」
「残念ながら悲しいお知らせがあります」
「聞いてんのかおい」
 だが彼女は薄暗い表情でわざとらしく首を振る。サフィギシルは小さく構えた。彼女がこうして芝居じみた仕草をしている時は、必ず何かを企んでいる。
「なんだよ、一体何があったんだよ」
「うちの親父が今日は来れなくなりました。だから誰かが代わりに料理をしなきゃいけません。ですが、シラも、ジーナさんも……逃げました」
「はあ!? 逃げたって、外に?」
 思わず身を乗り出すと、ピィスは普段の口調に戻して喋り始めた。
「うん。なんかさ、ちょっと部屋を出てる隙に二人ともいなくなってんの。完全にもぬけの殻ですよ。家中探してもいないから、どう考えても外に逃げたに違いないね。二人とも料理できないみたいでさー、お互いに無様な姿を見せたくないからって何も言わずに消えちゃった。……だからさ」
 ピィスはそこでカリアラを中に入れる。サフィギシルはぽかんと口を開いた。カリアラは両手に防水手袋をはめ、新品のエプロンを首からぶら下げている。
 ピィスは彼と自分を順番に指差すと、わざとらしく可愛らしい声で言った。
「この二人で晩飯作ることになっちゃった。ゴメンネ」
 サフィギシルはこれからの自分の身の上を想像し、陰鬱な顔で低くうなった。


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