第二話「魔術技師協会」
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 作業室の中に戻ると、様々な思惑の顔に迎えられた。呆れながらも思うところがあるのだろうか、ピィスは複雑な笑みを浮かべている。カリアラは今までの話がほとんど理解出来ていないのだろう、シラとピィスに質問してはことごとく話をそらされていた。
 その隣で、シラはこちらを探るような顔をしている。慎重に距離を測る動物の目。警戒心あらわなそれをからかうように、ジーナは目元をきつくする。投げかけた小さな敵意は素直にこちらに跳ね返った。即座に睨み返されて口元をつり上げる。優位に立つかすかな嘲笑。
「ペシフ、家まで送れ」
 顔色を変える彼女の側を通り抜け、見なくともどこにいるか解る友人の腕を取った。軽く触れているだけで、やれやれとため息をつきそうなことまで伝わってくる。もとより返事を聞く気はない。ジーナは振り向くこともなく、一方的に彼の腕を引いていく。
「では彼女を送ってきます。今日もここに泊まりますか?」
「うん、もう遅いし。親父は?」
「私は家まで戻りますよ。まだ仕事も残っていますから」
 それでは。と言うか言わないかのうちに、疲労にふらつく彼の体は廊下へと連れ出された。ジーナは別れの言葉も告げずに背を向けて路を行く。ずかずかと床を踏みつける音がやけに響いた。始めはゆっくりだったそれは次第に速く、急ぎ足に変わっていく。
「ジーナ、なにも、急がなくても」
 半歩ほど遅れて引かれる彼が言うのと、玄関のドアを開くのはほとんど同時だっただろうか。ジーナは外に出るとすぐにドアを閉めきった。家の壁が揺れるほど乱暴な音を最後に、彼女の動きはぴたりと止まる。同じくして訪れるしんとした夜の静寂。時すら止まったように思える一瞬の後、ジーナはノブを握ったままへなへなと崩れ落ちた。
「……虚勢の張りすぎですよ」
「う、うううるさい。だまれ」
 ため息まじりの声への返事は小刻みに震えている。ジーナは同じく震える両手で自分の腕を抱きしめた。悪かった顔色がますます白くなっていく。くちびるすら血の気が引いて紫色になっていた。
「くそ、久々にきた。だから人型細工は嫌なんだ。あんな細かい部品を細かい作業で細かく細かく積み上げて……ああ思い出しただけでも寒気が。震えが」
 竦んだ足が上半身を支えきれずにジーナはその場に座り込む。ペシフィロは彼女を落ち着かせるように、膝をついて肩を支えた。
「まだ直らないんですか、その完璧主義。あれだけビジスに手を抜けと言われたのに」
「それができたら弟子をやめてなんかいるか、ばかっ」
 毎度毎度聞きなれてしまった台詞にあわせ、ペシフィロもまたいつものようにため息をひとつついた。
 人型細工は魔術技師が作成するさまざまな『作品』の中でも、飛びぬけて精密なものだと言われている。大きな部品も沢山詰められてはいるが、中の仕組みはほとんどが細かい部品の噛み合いだ。その作業工程は気が遠くなるほどに地道かつ綿密で、魔術技師には小手先の技術よりも何よりも、延々と続く精密作業に耐えられるだけの精神力が必要となる。
 いっそ集中力など持たなければ良かっただろうに、彼女は作業を始めると異常なまでに熱が入り、時間も食事も全て忘れてひたすらに仕事を続ける。何時間でも、何日でも。その間ほとんど気を緩めようとしないので、作業が終わるとこうして糸が切れたように脱力してしまうのだ。
「ああああ部品の隙間の乾いた血をひとつひとつほじくっては糸で繋げて……」
「思い出すのはよしなさい。ほら、立てますか?」
「だめ。腰が抜けた」
 ペシフィロは肩を抱いて一緒に立とうとしてみるが、ジーナはそれについて来ない。凍えるように震えながら虚空に目を向けていた。毎回のことなので、ペシフィロもあまり心配はしていない。
「どちらにしろ歩いては送りませんが……ここから跳ぶわけにもいかないでしょう。あっちに陣を描いてきます。そこまでは歩けますか? それとも運んであげましょうか?」
 冗談ではなく本気で言っているらしき彼を見て、ジーナは嫌な顔をする。
「どうやって運ぶつもりだ。抱っこか? おんぶか? お前は私を何歳だと思ってるんだ。これでも今年で二十七だぞ、あと三年で三十路なんだ」
「えっ」
 言葉を失う友を見て、ジーナは更に顔を歪める。
「なんだその反応は」
「いえ……そうですよね。いや、忘れてました」
「ああそうだろうな。私に対するお前の態度は、昔からひとつも変わってないんだからな!」
 二人が初めて出会ったとき、彼は二十二、彼女は十三。成長する姿を側で見てはいたが、彼にとっては彼女はまだまだ幼い妹のように思えるらしい。ジーナは変わり映えのない彼の態度に苛つきながら吐き捨てた。
「まったく……そっちこそ一人でやれるのか」
 今の彼は積み重なる疲労のせいで術の制御が危うかった。体色を変えるほど大量に流れる魔力は、一つでも間違えば大きな事故を引き起こす。気が緩んでいる時は特に注意が必要だった。
「まあ、準備程度なら。跳ぶときはあなたの力を借りますよ」
「当然だ。この役立たずが」
 青ざめた顔でにやりと笑うと、ペシフィロもまた穏やかな笑みを返す。術の制御は昔からジーナの役目だった。二人が揃えば呪文を唱えることもなく、短時間で正確に術を放つことができる。だからこそ二人はいつも一緒だった。少なくとも、彼女が大人になるまでは。
「もう平気ですか?」
「まだ、もう少し。先に準備してろ。その間に休憩する」
「中で休ませてもらえばいいのに……どうしてそう意地を張るんですか」
「こんなところ、あいつらに見せられるか。恥ずかしい」
 ジーナはまだがたがたと震えながら家の壁に背を預ける。顔色が回復する様子はない。いつもよりも酷いのは、子どもたちに弱ったところを見られないよう虚勢を張っていたためだ。
「本当、損な性分ですね」
「うるさい」
 この、集中した熱による反動さえ起こらなければ、彼女は今でも技師を続けていただろう。だがどうしても直らない性質と判断されて、悔しさからあてつけのように技師一級を取得し、それと同時に自らビジスの弟子をやめた。
「……性格が直せるならとっくの昔に実行してる。私だって、こんなのは嫌なんだ」
 弟子をやめると言った時、ビジスは引きとめようとはしなかった。あっさりと手放して、その代わりに技師協会へと送り込む。技師にとっては敵となる一団への牽制として、手駒を中に据え付けたのだ。
 協会側も、ビジスと通じる人間が組織の中にいるならば利用しようと企んでくる。破天荒な特級技師を制御するため、ジーナを特別扱いにした。彼女の価値を知っているのは上層部だけである。当然、他の協会員との気まずい齟齬は避けられない。元々男ばかりの世界で“囲われた女”と呼ばれ、蔑みを受けながら一人きりで戦ってきた。
 全てはビジス・ガートンのため。
 クソジジイと罵りつつも、彼女は叶わぬ恋の相手に人生を捧げてきた。
 そのビジスも、もういない。残されたのは数々の問題と手間のかかる人型細工。ジーナは深いため息をつく。明日からのことを考えると、頭の上に重いものがのしかかってくるような気がした。技師協会の内部は荒れに荒れている。ビジス亡き後魔術技師という職業がどうなってしまうのか、誰にも予想できていない。これからこの特殊な世界がどう変わるのか見通しがつかないのだ。
 それだけではなく今回の敵についての問題もある。ジーナは少し遠くで陣を描くペシフィロに、投げるように問いかけた。
「首謀者は、本当にフィダーだけなのか」
「そういうことになっています」
 裏に意味を含む回答。ジーナは小声で更に尋ねる。
「オルドは」
「無実だそうです。証拠が一つも出てこない」
「最悪だ」
 オルド副会長が今回の事件に関わっていないはずがない。彼は反ビジス派をまとめあげる人物なのだ。そもそも、捕らえられたフィダーは単独で人を動かせるような男ではない。ならず者を金で雇い、自らの部下を使って計画を練る程度ならできるだろう。だが暗殺者を仕込むほど裏に通じているようには思えなかった。
 ジーナはカリアラが技師協会に来た日のことを思い出す。リドーたちの協力を得てサフィギシルと共に連行する前、彼は何者かによって崖から突き落とされている。サフィギシルを狙う計画にしては不自然だった。カリアラを壊しても意味がないのだ。人質として使うのなら、もっと確実に回収できる方法を選ぶはずだ。その上怪しい人影はすぐに姿を消している。
 だが、それがサフィギシルの腕を確かめるためだとしたら? サフィギシルは重傷のカリアラをその日のうちに完全に修理した。上層部の者たちがカリアラを見て驚いたのは、人型細工としての性能ではなく、傷一つない完璧な修復だったのかもしれない。そう考えれば、オルドがカリアラの体を執拗に調べていたことの説明がつく。あれはサフィギシルの手腕をその目で確認していたのだ。そうすると、彼は少なくともカリアラの事件には関与していることになる。
 だが、証拠がない。捕まったフィダーがオルドの忠実な部下であり、普段から手下のように扱われていたことなどは言いがかりの範疇だ。もっと確実な物証がなければ尋問すらままならない。
「……何か作戦を考えなければいけません。しばらくは敵も静かになるでしょう。ですが、大きな行動に出られない分、少しずつ切り崩しにかかってくるおそれがある」
「そして、切り崩される外殻は私というわけだ。構うものか。嫌がらせにはもう慣れた」
 だがそう言いながらもジーナの胸には暗い闇が降りていた。しばらくすればまた協会に出勤しなければならなくなる。大量に検挙されたとはいえ、敵対する反ビジス派は数多く残っていた。オルドの手下もまだ多い。手駒を一気に失うほど頭の悪い男ではない。
 そんな敵だらけの場所に、一人で通わなくてはならない。そう考えると胃が重く沈んでいった。これまではビジスがいたから戦えた。腹が立つほど放任で、何ひとつ計画を人に伝えない不満だらけの師匠だが、それでも彼は必ず彼女を守ってくれた。普段は文句を取りあってくれないくせに、本当の危機に立たされた時にはどこからともなく現れて、最良の策で道を切り拓いてくれる。だからこそ戦えたのだ。だからこそ、これまでやってこれたのだ。
 だが、彼はもうこの世にいない。
 幾度となく確認したその事実が、またもや身を竦ませた。
「ジーナ、大丈夫か?」
 その緊張感を崩すように、背後から間の抜けた声がした。
 驚いて振り向くと、カリアラがドアを開けてひょこりと顔を出している。突然のことに無言で凝視していると、彼は夜闇の中に出てきてジーナの前にしゃがみこんだ。真正面から対面する形になって、ジーナは思わず目をそらす。カリアラは心配そうに彼女の顔をじっと見つめた。
「……何の用だ」
 うっとうしく感じながら尋ねれば、カリアラは平然と口を開く。
「あのな、おれ次はいつから技師協会に行けばいいのか聞きに来たんだ」
「来なくていい。まだ予定は決まってないんだ、お前が泊まる必要があるのかどうかも解らない」
「でもジーナはひとりだと危ないんだろ?」
 向けられた真剣な目にどきりとする。疑問を顔に浮かべると、カリアラはすぐに答えた。
「今ピィスから聞いたんだ。技師協会の中は敵がいっぱい泳いでるから、ジーナは大変なんだって」
「確かに、間違いではありませんね」
 まだ距離を置いているペシフィロが声をかけた。カリアラは振り向いてこくりとうなずく。
「そうか。やっぱり危ないんだな」
「そうだとしてもお前には関係ない」
「でも、ジーナも群れだ」
 突き放そうとそむけた顔は強い言葉に引きとめられる。彼の真意が掴めなくてまじまじと見つめると、カリアラはまっすぐにこちらを見返した。
「おれたちにはサフィが要る。ジーナはサフィを直せる。だからサフィはジーナが要る。おれたちもおんなじだ。おれたちにはお前が要る。だから、群れだ」
 力強い言葉が淡々と耳を打つ。いつか聞いた彼なりの確かな理屈。カリアラは更に続ける。
「おれはな、人間になったから戦える。サフィがおれを直してくれるから、お前がサフィを直してくれるから戦える。だから戦う。敵を倒す。群れを守る」
 カリアラはまっすぐにこちらの目を見つめて言った。
「だからお前はおれが守る。これから、ずっとだ」
 呆けていた口元が、きゅう、と山型に結ばれる。ジーナは顔があたたかくなるのを感じて慌てて冷たい手をやった。動揺を抑えるように、さり気なく深呼吸をする。とにかく何か言わなければと感じたが上手い言葉が出てこない。考えて、考えて、結局は呟くように吐き捨てた。
「……勝手にしろ」
「そうか」
 カリアラは許可と受け取ったのだろう、言葉を聞いて途端にぱっと笑顔を浮かべる。その変化があまりにも鮮やかで明るくて、ジーナはまたもや小さく口を結んでしまった。カリアラはこちらの様子にも構わずに、にこにこと笑っている。その嬉しそうな笑顔にも、一連の行動にも下心というものは何ひとつないのだろう。あくまでも当たり前に、自然にこうしているだけなのだ。
「……お前は……まったく……」
 片手で額を押さえてみても、彼に伝わるはずがない。ジーナは窮して小さくうなり、カリアラに向けて追い払う仕草をした。
「わかった。守られるから家に戻れ。今はまだ安全なんだ、助けがいる時は呼ぶ」
「そうか。わかった、危なくなったら言うんだぞ。あんまりひとりになっちゃだめだぞ」
「はいはい。もう眠れ。お休み」
「そうか。おやすみ」
 ぞんざいに言い捨てると、カリアラはうなずいて家の中へと戻っていった。
 ぱたん、と玄関のドアが閉じられる。深夜の澄んだ静けさが耳の中でしんと鳴った。
「…………」
 ジーナは先ほどの彼の言葉と明るい笑顔を思い出して、ぐったりと顔を伏せる。ペシフィロが笑っている気配がした。顔が赤くなっていくのは甘い感情などではなく、単なる不可抗力だ。
 だが、弱りきった心にはあまりにも効果的で、深く深く参ってしまう。
「これは……効くなあ」
 膝に付けた頬がみるみるつり上がる。ふつふつと笑みがこぼれる。ジーナは赤らむ顔を伏せたまま、たまらなくなったように声を殺して笑いだした。
 今までずっと、サフィギシルがどうしてあれほど彼を大事にしているのか解らなかった。シラのことにしてもそうだ。あんな美形の生き物が、どうしてあんなにカリアラにべたべたとくっつくのかいまいち理解できなかった。でも、今では。
「ペシフー、気をつけろー。あれは強力すぎるぞー」
 くすくすと笑いながら呼びかけると、歳の離れた友人は不思議そうにこちらを見つめる。ジーナは人の悪い笑みを浮かべてからかい混じりに忠告した。
「あのままじゃ、ピィスが落とされるのも時間の問題かもしれない。娘が魚に取られるぞ」
 ペシフィロは思いきり動揺して手に持つ杖を落としてしまう。あまりに素直な反応が可笑しくて仕方がなくて、ジーナはとうとう声を上げてけたけたと笑いだした。


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