第二話「魔術技師協会」
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 交差するサフィギシル、シラ、ピィスの視線はそれぞれに「どうして誰も気づかなかったんだ」と訴えている。ただひとりその中に混じれないカリアラがきょときょとと彼らを見ていた。サフィギシルは重い肩と脇腹に重心を崩されないよう気をつけながら、疲れたように息をつく。
「じゃあ結局、爺さんとも“前の”とも別に何もなかったんだ。ただの師匠と同門の弟子ってだけで」
 何気なく口にした確認はジーナの顔を引きつらせた。サフィギシルの表情が不穏に曇る。シラもピィスもカリアラも、様子のおかしい彼女を見つめた。集まる視線に耐え切れないというように、ジーナは無言で目をそらす。
「なんでそんな顔してんだよ。何もなかったんだろ? なあ」
「まあ、なかったとは言えませんよね……」
 ペシフィロは苦笑して呟いた。サフィギシルは一度手に入れた安堵がみるみると崩壊していくのを感じ、悲鳴じみた声を出す。
「ジーナさん!」
 はあ、とわざとらしいほど大きなため息。ジーナは片手で頭を抱え、指先に力をこめる。作業机に更に深く座り込むと、いつものように大仰な身のこなしでゆったりと足を組んだ。気迫に押されて後じさるサフィギシルに、強いまなざしを向ける。
「……昔話をしてやろう。子どもには解らないかもしれない、複雑な大人の話だ」
 夜のように黒い瞳は剣呑に据わっている。ジーナは次にピィスを見やり、カリアラを見つめ、シラを軽く睨みつけてまたサフィギシルへと視線を戻した。目をやられた全員が緊張に息を呑む。ジーナはかすかな吐息に乗せてささやくように語り始めた。
「もう十年近く昔のことだ。この家には一人の老技師がいて、その側には彼の弟子である小娘がいた。だがその一番弟子は六年で技師の修業をやめてしまう。後継を失った老技師は、はるか遠い他国から新たな弟子を連れてきた。小娘より二歳下の気の弱そうな青年だ。いくら彼が前もって学習していても、言葉も文化も違う他国に馴染むには時間がかかる。その上師匠は放任主義にもほどがあって、弟子を家に放置して数ヶ月留守にするのは当たり前のことだった。弟子として連れてこられた青年は、自然とすぐ近くにいた姉弟子に頼ることになる。そもそも師匠にお前が面倒を見ろと頼まれていたものだから、小娘は仕方なくその男の側であれこれ世話をしてやった」
 個人名を伏せていても、誰のことを指しているのか解らない者はいない。彼女自身思い出の中に潜りつつあるのだろうか、ジーナは熱心な聞き手たちから目をそらして語り続ける。
「ある日、相変わらず師匠が留守をしている家で、弟子たちは部屋の片付けをしていた。集中しているうちにいつの間にか夜になり、悪いことに小さな嵐が近づいていた。小娘はこの家に泊まることにする。初めてのことではないし、これといった問題もない。今までもそうしてきたんだ。……だが、その夜だけはいつもとは違っていた」
 空いた間を補うように聞き手たちが息を呑む。ジーナはうなるように言った。
「酒があったんだ。大量に」
 部屋の中は沈黙に満たされる。
「そして次の日の朝二人は同じベッドの上で眠っていました。終わり」
「終わった!?」
「飛ばした! なんかいろんなもの一気に飛ばした!」
 途端に飛び出す言及に、早口で幕を閉ざした語り手は居直って言い返す。
「これ以上詳しくしたら子どもに聞かせられないだろう」
「何があったんだよ省略中! そっ……そういうこと!?」
「そういうことだ」
「そういうことなんですよねえ」
 当時を知るペシフィロにまでのんびりと肯定されて、サフィギシルはどうしていいか解らずに思わずジーナに食ってかかった。
「酒の勢いかよ!」
「ああそうだとも。言っておくが酒は怖いぞ、普段どれだけ真面目でも瓶一本で駄目になる。もうこの際だから言っておくがあの馬鹿男はそれが初めてだったらしいぞ人生は残酷だな!」
「こんな場所で個人情報を暴露するあんたの方が残酷だよ! 言うなよそういうことは!」
 子どもといえども言葉の意味に気づかないほど幼くはない。まるで自分のことのように赤面するサフィギシルをよそに、シラがふと呟いた。
「もしかして、サフィさんがお酒に強いのって……」
「そうだ。お前には二の轍を踏んで欲しくないということで、飲酒耐久度は最大に設定してある」
「あんたが原因だったのか!」
 不自然なほど酒に強い体はジーナが作ったものなのだ。長らくの謎が解けたことは嬉しいがそれ以上にやるせない。サフィギシルはあまりにも私情すぎる事の理由にうんざりと頭をたれた。ジーナは逆に堂々と台の上に座っている。そんな開き直りの彼女を見上げてピィスが不思議そうに言った。
「でもさ、ジーナさんさっき恋人じゃないって言ってなかった?」
「肉体関係があるからって恋人とは限らないだろう」
 堂々とした口ぶりにピィスは顔を引きつらせる。
「……ええと、じゃあその一回だけで終わりだった、とか?」
 続けられた疑問に対してジーナは静かに口を結んだ。
「なんで黙るんだよ。なんでここで沈黙なんだよ」
 追求するサフィギシルの目から逃れるように、無表情でよそを向く。ジーナは完全に後頭部を向けた姿勢でぼそりと呟くように言った。
「多い時は連日で」
「何が!?」
「間が空いたら一日で二・三回」
「だから何が!?」
 泣きそうな声で尋ねてみても素直な答えは返らない。解りきった事実を裏付けてしまうように、ペシフィロがどこか呆れた調子で言った。
「言ったでしょう。なんだかんだと言いながらも仲は良かったんですよ」
 ああ、とも、うわあ、ともつかない声が口をつく。ジーナはこちらに向き直って涼しい顔で言い切った。
「大丈夫、愛はなかった。その代わりに情だとか諦めだとか本能は山ほどあったが」
「大丈夫じゃなさすぎる!」
 サフィギシルの言葉を軽く流して彼女はまたもや腕を組む。
「そもそも私がお前の製作を手伝わされたのだって、それが理由のひとつなんだ。ビジスが“前の”の体の詳細を知っているはずがないだろう? 私は計測が趣味なのもあって、あいつの体のすみずみを測って記録していたからな。身長から胴回りまで何もかも正確に再現することができた。ま、背丈は五ウィットほど足してやったからありがたく思え」
「五ウィットって。あってもなくても変わんないよ、それ」
 冷静なピィスの言葉通り、引き伸ばされた身長は手の指の第一関節ほどしかない。シラはくちびるに指を当てて、サフィギシルの全身をなめるように眺め回した。
「というか、どのぐらいすみずみなのか気になりますね……」
 びくりと身を竦ませる彼をかばうように、ジーナが二人の間に立った。シラの視線をさえぎったまま平然と説明する。
「正確な計測が作品の完成度を高くするんだ。顔だけでも、眉間の距離からくちびるの長さまで事細かに記録してある。半分以上戯れでやったことが、こんな形で使われるとは思ってもいなかったがな」
「でも計測した数値があるんだったら、爺さんはそれだけもらえばよかったのに。わざわざジーナさんに手伝わせなくてもさ」
 ピィスの顔が不満そうに曇るのは同情から来るものなのだろう。ペシフィロが彼女の肩に手を置いた。見上げる娘の視線を受けて、ゆっくりと首を振る。
「ビジスは嫌がらせでジーナの手を借りたわけではありませんよ」
「その通り。ビジスが意味もなくこんな酔狂なことをさせるはずがないだろう?」
 付き合いの長い二人にはビジスを知る自負がある。彼らを繋ぐ一つの点があらわれたようだった。サフィギシルはペシフィロとジーナを交互に見つめ、おずおずと口にする。
「……もしかして、俺のため?」
 当たり前だと言うように、二人は同時にうなずいた。
「考えれば解ることだろう。お前はこの先何十年も生きるんだ。いくらビジスが達者でも付いていけるはずがない」
「だからジーナに製作を手伝わせて、あなたを修理できるようにしたんですよ」
 サフィギシルはペシフィロが以前言ったことを思い出した。あの子はあなたのためにこの国に戻ってきたんですから。そもそもジーナを呼び戻したのはビジスの手紙だったはずだ。ビジスがまだこの体にいた時に、ペシフィロに預けて彼女に届けてもらっていたのだ。
 呆然としたサフィギシルの顔を見て、ペシフィロは嬉しそうに笑う。
「あの人が、何の策も打たずにあなたを置いていくはずがないでしょう」
「そんな初歩的な失敗をする男なら、私たちはどれだけ気楽に過ごせたか。どうせこれも知らないだろうから言っておくが、私はお前の後見人でもあるんだからな。ややこしい財産の管理を全部請け負ってるんだ、これからは感謝の気もちを忘れるな」
「あ、夕食代はつけでいいってそういうことか」
 ふとしたピィスの言葉を受けて、ジーナはますます居丈高にサフィギシルに向けて言う。
「そうだ。将来のことを考えて、今のうちから使いすぎないようしっかり見張っているからな。無駄遣いするなよ。あと、人が出した手紙は必ず読め! お前が無視し続けるからややこしくなったんだ」
「……はい」
 もはや反論の余地すらないのでサフィギシルは素直に答えた。確かに、ジーナからの手紙をきちんと読んでいればすれ違いはなかっただろう。届く端から部屋の隅に押しやったのは間違いなく自分自身で、他の誰のせいでもない。この場でジーナに謝ろうかどうしようか悩んでいると、彼女はひとつ息をついてサフィギシルに向き直った。
「まあ、今日のところはこのぐらいにしておこう。もう夜中だ、休め」
「は?」
 修理されている間にそんなに遅くなっていたのか、という気持ちと、このまま作業机の上で眠るのかという疑問が同時に湧いて、どちらを先に口に乗せるか悩んでいると彼女の腕がこちらに伸びた。
 不審に思う暇もなく、サフィギシルは彼女に抱きかかえられる。
「ちょ、ええっ、なんで!?」
 重たそうに持ち上げられて混乱のまま尋ねると、彼女は怪訝に眉を寄せる。丸くなった周囲の目にも構わずに、彼の体を横抱きにしたまま当たり前のように言った。
「その体じゃベッドまで行けないだろう? 無理に動くと部品が壊れる」
「だからってこんな、ええ!? わ、笑うなー!」
 爆笑するピィスに向かって叫んでみるが、余計に笑いを煽るだけ。すぐ隣ではシラも笑いを堪えているし、カリアラは何が可笑しいのか解らなくて彼女たちに尋ねている。サフィギシルは恥ずかしくて仕方がなくて、燃えそうに熱い顔を少しでも彼女から離せるように身をよじる。だが動かせば動かすほどジーナは腕を強く締めるし、元々修理中の体は思うように動いてくれない。
「い、嫌だって。やめろよ」
「やめたらどうなるか考えろ。今更恥ずかしがってどうする。昔はもっと……ペシフ、ドアを開けろ」
「はいはい」
 奥の部屋へのドアを開けるペシフィロですら笑いをかみ殺している。後ろの方でピィスがふざけた声を出した。
「昔はもっと、何だったのー?」
「そうだな、例えば……」
「言わなくていい! 聞きたくない!」
 奥の小部屋に入り込み、何故だかドアを閉じられてピィスの声が遠くなった。
 唐突な密室に、身の危険を感じたのはシラの所業のせいだろうか。いやこの人はシラとは違うし、と必死になだめる心と共に体はベッドに投げられた。軋む音と跳ねる手足。乱暴な動作に抗議する間もなく上から布団を掛けられる。
「とりあえず休め。明日、午前中には直しに来る。少なくともあと一週間は動けないと考えろ」
「……そんなに時間かかるのかよ。一番弟子なのに」
「人型細工は専門外だ。直してもらえるだけありがたく思え」
 じゃあ何が専門なのかと尋ねる前に、手首を掴み上げられた。
「この手! どんな使い方をしたらこんな血まみれに出来るんだ。もっと管理に気をつけろ。手だけじゃない、体中がガタガタだ。カリアラの修理で無茶をしすぎたのもあるが、何よりも姿勢が悪い! 普段から口を酸っぱくして背筋を伸ばせと言ってるだろう。何回言えば解るんだこの馬鹿人形!」
 上から叩きつけるような言葉はいつもと全く変わりない。サフィギシルを人間扱いしないのも、触れ方が乱暴なのも。昔からこうやって叱られてばかりいた。彼女は常に厳しくて、その上怒鳴る内容は理不尽なことばかり。どうしてこんな嫌な人がいるのかと思っていた。彼女のことが恐ろしかった。
 でも、様々なことを知った今では。
「すぐに背中を丸めるから内部に負担がかかるんだ。毎日毎日懲りもせずにおかしな姿勢で……あちこちで部品がずれかけている。最近疲れやすいだろう? 元々そういう体だが今はよけいに酷いはずだ。中身が不調なんだからな。徹底的に修理するぞ。指の先まで洗浄してぴかぴかに磨いてやる」
 ジーナは慣れた手つきでサフィギシルを横たわらせる。手足をきれいに伸ばしながらも叱る口は休めなかった。サフィギシルはされるがままの状態でぼんやりと彼女を見上げる。ジーナはこちらを見返さない。これもいつもと同じだと思っていると、話が尽きてしまったのか説教がぴたりとやんだ。
「……戦いたいんだろう?」
 ぽつ、と吐かれた呟きが静かな部屋の中にしみる。サフィギシルは彼女を見るが、伏せられた顔からは感情が読みとれない。ただ、黒髪を乗せる頬の白さがくっきりと目に映る。
 ジーナは下を向いたまま、力強い声で言った。
「故障したら私が必ず直してやる。だから、お前は思うがままに生きろ」
 そしてそのまま手を伸ばし、見上げてくる目を阻むようにくしゃりと彼の髪を乱す。サフィギシルが空いた手で抵抗すると、何も言わずにそのまま部屋を出て行った。
 結局彼女がどんな顔をしていたのか解らなくて、サフィギシルは悔しげに閉じられたドアを見る。だが頭を枕に戻し、天井を向いたところで彼女の言葉がゆっくりと沁みてきて、安堵と、喜びと、言葉にならない暖かな感情に涙が出そうになってしまう。ドアの向こうから聞こえてくるみんなの声すら嬉しいものに感じられて、サフィギシルは自由が利く右の手で、そっと目のあたりを覆った。


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