第二話「魔術技師協会」
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 翌日、事態は大きな動きを見せた。捕らえられていた者たちが指導者の名を吐いたのだ。彼らは街中で騒ぎを起こして警備の手を薄くしたのも、サフィギシルを襲撃したのもすべてその男の指示によるものだと答えた。
 魔術技師協会技師対策第一課課長、フィダー・ヨーズ。反ビジス派の筆頭に挙げられる男である。
 捕らえられた者たちはフィダーに雇われたごろつきで、技師ではない。街中で暴走させる『作品』を製作したのは協会員であるフィダーの部下の一人だった。魔術技師協会にはサフィギシルの護衛についての情報を横流しした者もいる。更に襲撃の当日護衛につくはずだったジェイク・フロウは仕事の前に襲われたとされていたが、実際には自ら敵に腕章と指輪を渡し、進んで拘束されていたことも明らかになった。
 この事態を受けて魔術技師協会の職員はほぼ全員が取調べを受け、多数の反ビジス派による事件への関与が表沙汰となった。
 カリアラによって負傷したジェイク・フロウの偽者はいまだ意識が戻らない。
 それでも数々の証言により、事件の全貌が明かされていく。
 サフィギシル襲撃の二日後、魔術技師協会ではフィダーをはじめ事件に関わりのあった人物が一斉に検挙され、憲兵に引き渡された。
 この騒動により、魔術技師協会には一時的な業務停止命令が下される。
 再び組織が動き出すまでどれほど時間がかかるかは未定だが、ともかくカリアラとサフィギシルの試験は先延ばしとなり、彼らにはひとまずの自由が戻ってきた。

      ※ ※ ※

 澄みわたる空に薄い雲。晴れ晴れとした涼しげな風に乗せて、ぎこちない声が響く。
「イラ、しゃ、ワセ」
 ぎいぎいと軋む音を惜しげもなく立ててお辞儀をし、真っ赤に塗られたくちびるを不器用に曲げてにこりと一笑。人型細工のベキーちゃんは今日も今日とて元気に愛嬌を振りまいている。すぐ側で肉を焼く店主の顔も嬉しげに華やいでいた。毎度毎度の奇妙なふたりをぼんやり眺め、ピィスはどうでもよさそうに言う。
「毎回思うんだけどさー。なんでこんなに幸せそうなのかな、ここのご主人」
「きっとあれが彼にとっての美女なんですよ」
 平然と突き放すシラの言葉を聞いて、近くにいたリドーが意外そうな顔をした。彼はまだシラの本性を知らず、時おり見せる笑顔と同じく穏やかなひとだと思っている。シラは彼の視線を受けて、繕うように笑みを作った。見つめる者の胸の中が暖かくなるような微笑。ぽつぽつといた客の誰もが彼女を夢見るような目で見つめ、その後でベキーちゃんの歪んだ笑顔に目をやって、背に冷水をかけられたように現実へと戻される。サフィギシルはそんな周囲の人々の浮き沈みを眺めつつ、ぐったりと息を吐いた。
 魔術技師協会の業務停止から一日が経つ。黒幕が捕らえられたことで、サフィギシルたち四人には穏やかな日常が戻ってきた。数日間の安静を経て、カリアラの体の調子はすっかり良くなっている。動けるようになった彼はすぐに街に行きたがった。長い間家に閉じ込められていたピィスもそれに同調するし、サフィギシルにしても食糧が底をつきかけていて買い出しが必要だった。シラも、カリアラが行くのならと一緒について行きたがる。ひとまずの敵は一掃されたということで、四人は街の中心部まで連れ立って出てきたのだ。
 もうカリアラに買い物を任せる気にはなれず、サフィギシルは生活用具の補充のためにあちこちの店を回る。ピィスとシラは仲良く二人で舶来品の店を巡り、カリアラは知り合いのところに行っては笑顔で近況報告し、道端で遭遇した子どもたちと片っ端から遊びはじめる。
 そうして約束していた昼食の時間になり、全員が集合場所であるベキーの露店に到着したころにはシラは足の痛みを抱え、サフィギシルは疲れ果てて頭を落とし、護衛としてついてきたリドーに憐れみの目を向けられていた。
「今日、人生で一番歩いた……」
 サフィギシルはテーブルに伏したまま弱音を吐く。長椅子に置かれた大量の購入物を眺めつつ、リドーが呆れたように言った。
「いくら人型細工とはいえ、体力がなさすぎるんじゃないのか」
「外を知らないお坊ちゃまだからねー。カリアラを見習って元気に外で遊べばいいのに」
「あいつについて行ったら俺は確実に死ねる。それだけは断言できる」
 サフィギシルはからかうピィスに深刻な顔で抗議した。言った側から近くの空き地で子どもと遊ぶカリアラの声がここまで届く。彼はさんざん街中を駆け回ったというのにまだくたびれる気配がないようだ。随分と人気があるようで、子ども特有の高い声に何度も名前を呼ばれている。
 対するサフィギシルはテーブルに弱々しく頭を乗せて、食べ物の消化を待っていた。摂取した食物が動力に加わるまでにはいくらか時間が必要なのだ。リドーは不思議そうに彼を見下ろす。
「それにしても、たいした運動でもなかったはずだが。荷物はほとんど持ってやったし」
「すみませんありがとうございます」
「いやそれはいいんだが。どこか体の具合でも悪いんじゃないか?」
 何気ない台詞だったがサフィギシルは痛みを感じる。動揺に気づかれないよう注意して口を開いた。
「……別に。頭に知識が多いほど魔石は重くなっていくから、その分体も重くて疲れやすくなるんです。カリアラは頭が軽い分元気なんだ、きっと」
「まあ確かに軽そうな頭ではあるが。あれを一人前の知能に仕立て上げるなんて出来るのか?」
「その辺はジーナさんに任せっきりだよなー。製作者のくせに」
「いいんだよ、本人がやるって宣言したんだから。今は中断してるけど」
 そのジーナも技師協会の不祥事に巻き込まれて忙しくしているのだろう。事情聴取に来て以来連絡が途絶えている。ペシフィロもこちらの家に寄り付く暇もないらしく、一度せわしく敵の逮捕を告げた後はどこで何をしているのか解らない。
 サフィギシルはテーブルに頬をつけたまま、ぼんやりとジーナの顔を思い浮かべた。家に来たときに見せた微笑みが忘れられない。彼女が笑うところなど一度も見たことがなかった。初めて見る優しい顔は記憶の中にこびりついて居座ってしまったようだ。一日中そのことが頭から離れない。
「しかし、あの人も大変なことが続くな……」
 ため息まじりのリドーの言葉に思わずぎくりと反応した。彼はサフィギシルの動揺に気づくこともなく、重苦しい声で言う。
「ビジスが死んで、協会内での立場が危うくなっているはずだ。後ろ盾を失くしたようなものだろう。ただでさえ恋人が死んでからずっと辛そうだったのに……」
 さり気なく流れた言葉に驚きの目がリドーに集まる。三人を代表して、ピィスがぎこちなく口を開いた。
「恋人って、誰」
「え。なんだ、お前知らなかったのか」
 リドーは意外そうにピィスを見やる。平然と、至極当たり前のように答えた。
「“前の”サフィギシルだろう」
「ええ!?」
 大声を上げたのはピィスだけだが、サフィギシルもシラもそれぞれ無言で驚いている。リドーは固まった三人を順に眺め、気まずそうに顔をしかめた。
「……もしかして、言うべきじゃなかったのか? いや、まさか誰も知らないとは。ピィス、お前“前の”サフィギシルによくくっついていたじゃないか。気づかなかったのか?」
「だ、だってジーナさんと“前の”っていつもケンカしてたし」
「喧嘩といっても、ジーナさんが一方的に怒鳴っているだけだっただろう。ああいうのは痴話喧嘩というんだ。しつこく甘えてくる年下男が恥ずかしくて、あえて人前では厳しくしているんだと思っていたが。確かに仲睦まじいとは言えないが、どう見てもあの二人は……まあ、なんだ。男と女の仲だった。そういうのは見れば解る」
 何のためらいもなく明かされた事実に、ピィスは顔を引きつらせ、サフィギシルはみるみると青ざめる。リドーは深く腕を組み、更に言葉を重ねていった。
「まあジーナさんも毎回毎回嫌いだとか腹が立つとは言っていたが、結局どこかで心を許しているところがあったんだろうな。突き放すのも愛情表現のうちか、それとも照れが出ていたのか……いや、気のせいや勘違いじゃないぞ。実際、俺は“前の”に牽制され」
 何気なく続けた言葉が凍りつく。リドーはサフィギシル以上に青ざめて、気まずげに顔をそむけた。
「いやなんでもない。昔の話だ忘れてくれ。むしろ忘れさせてくれあの忌まわしい記憶を跡形なく消し去って永遠に平穏な心を……」
「どうしたの隊長! 言ってることが意味不明だよ!?」
「うわ震えてる、なんかすごく怯えてる!」
 リドーは何を思い出したのか、小刻みに震えながらぶつぶつと謎の言葉を呟く。だがピィスに肩を揺すられるとハッと我に返ったようで、真剣な表情でサフィギシルを見据えて言った。
「いいかサフィギシル。あんな大人にはなるな。あんな大人にはなるな!」
「二回言うほど大事なことなの!? どんな大人だったんだよ“前の”って!」
 切実な質問にリドーは深く頭を抱え、またしてもぶつぶつと呟き始めた。
「駄目だ……それを言うと何らかの形で報復が……呪いが」
「呪われるの!?」
「あいつならやりかねん……あの男なら例え命が尽きていても、必ず!」
「そんな無駄にかっこいい声で言われても! 具体的に何があったのか教えてよ!」
 声と共に顔つきすら引き締まるが内容は理解できない。サフィギシルは更に問い詰めようとするが、それに水を差すように遠くからリドーを呼ぶ声が聞こえた。どうやら彼の部下らしい。リドーは天の助けと言わんばかりに輝かしい笑顔で席を立つ。
「すまない、ちょっと用事が出来たようだ。帰りは送るからここで待ってろ」
「なんだその爽やかな笑顔! 三歳ぐらい若返ってる!」
「そんなんだからみんなに『顔はまあまあなんだけどねえ』って言われるんだよ……」
「じゃあまたここで! ちゃんと待っているんだぞ」
 嫌味な視線をものともせずに、駆け出したリドーの背はみるみると小さくなって雑踏に消えていった。
「……どんな人だったんだよ、“前の”って」
 サフィギシルは引きつった口で呟く。その問いは今までよりも謎が濃くなっていた。ピィスから聞いていた印象とはあまりにも違いすぎる。
「お前言ってたよな。“前の”は優しくていい人だったって」
「う、うん。少なくともその時のオレにはそう見えたんだけど……」
「まあ、大抵の人はそう思ってたみたいだけどねえ」
 やや遠くでベキーの主人が可笑しそうに声をかけた。彼は仕事の手を休め、意味ありげな苦笑を浮かべてこちらに歩み寄ってくる。いつの間にか他に客がいなくなっているからか、喋りながらサフィギシルの対面に腰かけた。
「礼儀もきちんとわきまえてるし、師匠と違ってやることが真面目だし。絵に描いたような品行方正で、どうしてあんな師匠にこんな弟子が……なんて言われてたんだよ。最初はね」
「最初はって……じゃあ、後で豹変したとか」
「その通り。いや、表面上は昔と変わらないんだよ。あくまでも人畜無害で感じのいい優男、ってね。でもねえ、だんだんと本性が出てきたというかなんというか……女のことになると大変でさ。彼女にちょっとでも気がありそうな男がいたら、片っ端から脅しをかけてたみたいだよ?」
 聞き手たちは驚いて顔を見合わせる。彼らの脳裏にリドーの様子が浮かんだのは言うまでもない。
「彼女、技師協会の人でしょ。ビジスだけじゃなくて一般技師の調査の仕事もするわけで、そしたら自然と男との関わりが多くなるじゃない。その分“前の”サフィギシルの嫉妬の対象も広がるわけだ。彼女に気があろうがなかろうが、ほとんど無差別にやっててねえ。今ちょうど三十代前後の技師はみんな“前の”を恐ろしい魔物だのなんだのって言ってるよ。ま、僕は今も昔もベキー 一筋だから無事に過ごせたんだけど」
 今までの印象を覆されてしまったのだろう、ピィスは目を丸くしている。
「し、知らなかった」
「そりゃ女子供には優しい顔しか見せないもん。あの人は本当にうまかったよ、猫被るのが」
 サフィギシルは思わずシラを見るが、彼女は微笑みひとつ浮かべずにひたすら黙り込んでいた。ここ最近はずっとそうだ、サフィギシルの前では恐ろしく機嫌が悪い。カリアラが刺されて以来ろくに口も聞いてくれない。
「でも、その彼女ってジーナさんなんだろ? じゃあジーナさんが爺さんの愛人ってのはただの噂に過ぎなかったってこと?」
 危険から逃れるように質問すると、主人は気まずそうに顔を歪めた。
「いや、まあ、それがねえ。言いづらいことなんだけどさ。ビジスが彼女を愛人にしたのは、“前の”サフィギシルがこの国に来る前なんだよねえ。なんか前々から随分可愛がってるなあと思ってたらさ、堂々とこの娘は愛人だとか言い出して。そうしておおっぴらに公言した数年後、ビジスは“前の”をこの国に連れて来て弟子にした。……で、いつの間にかあの娘と“前の”は恋仲になっていた、と」
 一区切りをつける間に聞き手たちは息を飲む。緊張する視線の中で主人は声をひそめて言った。
「つまり、“前の”は師匠の愛人を寝取っちゃって、それで師弟仲が険悪になったってわけだ」
 その場に流れた沈黙は、いつも以上に息苦しいものだった。胸から喉まで密な空気を詰め込まれているような気がする。サフィギシルは身動きすらできなくて、硬直して主人を見つめた。
 だが目に映るのは苦笑する中年男の顔ではなく、記憶の中のジーナの笑顔。あの時見せた微笑みにはどんな意味が隠されていたのだろう。どんな想いで、死亡した恋人と同じ顔に微笑みかけていたのだろうか。
「まあ噂だよ、噂。でも技師の間ではそれが通説になってるよ。仲が悪かったのも、“前の”が失踪したのも、何もかも痴情のもつれが原因だってね」
 こちら側の動揺に居たたまれなくなったのだろう、主人はそれだけ言うとそそくさとベキーの方へと戻ってしまった。残された者たちは誰一人喋らない。サフィギシルはぼんやりとテーブルの上を見つめた。
 初めてジーナに出会った時のことを思い出す。気持ち悪い、近寄るな。怯えるように叫ばれて思いきり突き飛ばされた。あれも、“前の”サフィギシルと同じ顔をしているのが原因なのか。泥沼のような関係を経て失踪した恋人が、こんな形で目の前に蘇ってしまったことをおぞましく感じたからか。
 今まで距離を置いていたのも、自分に厳しく当たってきたのも、何もかもそれが原因で。
「……結局、私たちには何の関係もないことなんですね」
 冷ややかな言葉に背筋が粟立つ。顔を上げると、シラはこちらに横顔を向けて座っていた。目は合わない。誰に話しているのかも解らないほど心の距離を開けて喋る。
「最初から、全部。敵に狙われることになったのも、閉じ込められて勉強をさせられるのも、嫌味を言われるのも、大怪我をしてしまったのも。全部あなたのせいじゃないの」
 ピィスが援護の言葉を探すようにシラとこちらを交互に見る。だがシラは口を挟む隙を与えない。怒るでもなく、叱るでもなく、顔面から一切の表情を消して語る。
「そうでしょう? だって私たちには関係のない話じゃない。あの女の人が厳しくするのは、あなたが彼女の恋人と同じ顔だからでしょう? それだけの理由で、私たちまで巻き添えになって睨まれて。結局は何もかもあなたのせいじゃないの」
 静かな言葉は刃物のように全身を切りつける。サフィギシルは何も言えない。舌の上に棘を乗せているようだ。続けられたシラの言葉は憎しみに満ちていた。
「カリアラさんが刺されたのはあなたを庇ったからでしょう。それなのにどうして敵を止めなかったの。どうして修理もしないで立ち尽くしていたの。あなたが敵を押さえていれば傷はもっと軽く済んだはずじゃない。どうして何もしなかったの」
 棘が、胸の中まで落ちる。砕けて傷を広げていく。
 反論できるはずがなかった。言い訳など口にできるわけがなかった。あの時立ちつくしてしまったのは、動けなかった原因は。
「……怖かったからでしょう?」
 向けられた憐れみの目に息が止まる。顔をそむけたのはそれが図星だったからだ。あからさまな正解の仕草を受けて、こちらを見るシラの顔は憤りに染まっていく。
「敵が怖くて動けなかった、それでひとを傷つけた! 臆病なのは解るわよ、一度目は仕方がないと思えるわ。でもどうして!? どうして『戦えない』なんて言うの!」
「違う、それはあいつが! カリアラが勝手に言っただけで、俺は……!」
 サフィは戦えない。だからおれたちが代わりに戦う。カリアラはシラにそう告げていたらしい。はっきりとした理由を口にする前に彼女は部屋を出て行った。だから、彼の言葉の本意を知らない。サフィギシルの気もちを知らない。
 彼女は彼を強く睨みつけて言った。
「じゃあ戦うの? 武器を持った敵に向かっていくことができるの?」
 サフィギシルは悔しげに口を結ぶ。ひとつの直線だったそれは様々な想いによって波打った。何も言えない彼を見て、シラの顔は怒りに赤らむ。
「役立たず! みんなに戦わせておいて自分だけ逃げるつもり!?」
 サフィギシルは彼女を睨む。怒鳴られて泣きそうになるがそれ以上に悔しかった、腹が立った。戦うのは怖いけれどただそれには理由があって、本当は、本当は。
「俺だって戦いたいんだ!」
 身を乗り出して怒鳴り返せば向けられるのは鋭い挑発。
「じゃあ、やってみなさいよ」
 シラは激情を抑えるように、あくまでも静かに言った。
「戦いたいんでしょう? 足手まといになりたくないんでしょう? じゃあせめて人の手を借りずに動いてみなさいよ。買い物の行き帰りにも護衛の人が必要なんて不便じゃない。そんなにびくびく怖がらないで、家までの道ぐらいひとりきりで帰ってみたら?」
 嘲るような嫌味な言葉に冷静さは吹き飛んだ。他の何も目に映らない、事情を告げる余裕もない。サフィギシルは席を立って吐き捨てた。
「……解ったよ。帰ればいいんだろ、ひとりで! 俺がいると邪魔なんだろ、どっかに行って欲しいんだろ! カリアラとふたりで仲良くしてろよ、そうすればいいんだろ!」
 無関係なことまで口にしてしまったのは、彼女がしきりに『私たち』と言っていたのが気に入らなかったからだ。その中に自分が含まれていないのが、ひどく悲しかったせいだ。
 帰路に向かって進む体はピィスに強く引きとめられた。
「落ち着けよ! シラもそんなこと言わないで。リドーが戻るまで待ってなきゃ」
「お前には関係ないだろ。いいんだよひとりでも帰れるから」
 もうどれだけ止められても残る気にはなれなかった。彼女の手を振り払い、憤りのまま歩きだす。
「荷物もちゃんと持って帰ってくださいね。それぐらいできるでしょう?」
 背にかけられた嫌味な言葉に足を止め、並んでいた買い物袋を乱暴に引っつかんだ。捨て台詞は出てこない。振り返る気にもなれない。サフィギシルはきつく口を結び、早足にその場を去る。
 握りしめた袋の中で、夕食の材料が音もなく潰れていった。


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