第二話「魔術技師協会」
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《食べられないもの》
・熱いもの
・辛いもの
・ゆで卵、魚卵

※舌が弱いので、出来る限り冷たいものか、もしくは冷ます時間を与えて下さい。卵は形が残っていなければ大丈夫です。本人に自覚はありませんが、体に負担がかかるので、塩分と油分があまりにも多すぎるものは摂らせないで下さい。
※すぐに水を飲みたがりますが、与える量は適度に制限して下さい。
※衝動的に川や池に飛び込みたがりますが全力で止めて下さい。
※見た目と行動に合わず臆病なところがあるので、あまり驚かせるようなことはしないで下さい。
※時々まぶたを閉じ忘れて眠ることがありますが、本来の性質によるものです。


「…………」
 ジーナは紙に書かれた注意書きを睨むように見つめている。記された文章には綴りの間違いひとつなく、連なる文字も手本のようにきれいなものだ。ジーナはそれがどうしてもサフィギシルの書いたものには思えなくて、何度も何度も顔をしかめて凝視する。
「先輩、顔が悪人になってますよー」
「うるさい」
 つぶやく言葉は吐き捨てるようだった。アリスは別段気にもせずにカリアラの方を見る。注意書き付きで預けられた彼は、新しく設置された学習机に陣取って積み木遊びをさせられているところだ。その他にも机の上には子供用の学習器具が雑多に積み置かれている。
 その隙間を覆うように、カリアラは黙々と積み木を広げていく。上に積むという考えには至らないのか、ただひたすら平坦にさまざまな形のかけらが並ぶ。
「カリアラ君、楽しい?」
「わかんねえ」
 カリアラは無表情のまま答えた。不器用な手つきで淡々と同じ作業を続けていく。
「せんぱーい、立体構成能力ゼロですー」
「馬鹿かお前は! 上にも積め上にも!」
「あ、そうか」
 カリアラは言われて初めて気付いたらしく、手を止めると机上にそびえる木の箱や計算カードの山を見つめた。ジーナの使う本や書類もついでのように高く積み上げられている。カリアラはそれを見本にして積み木を積もうと決めたようだ。まず第一の土台としてまんまるい球体を設置した。
「どうしようこいつ馬鹿だ」
「わー、知能年齢何歳かしらー」
 女二人が生ぬるく見守る先で、案の定カリアラは球体の上に三角の木を乗せようと努力する。だが不安定な形がうまくつりあうはずもなく、彼が何回挑戦しても作業は上手くいかなかった。カリアラは困り果てた顔で抗議する。
「これ、へんだぞ。できないぞ」
「いいかカリアラ。変なのはお前であり積み木にはなんの罪もないんだ。むしろ何よりも変なのはお前の存在でありこうしてここで試験のために勉強をしていることも、全てが不合理な現象で……」
「先輩、それ以上愚痴られたらあたしぐっすり寝ちゃいますー」
 すでに机に突っ伏しながらアリスがやる気なく言った。
「お前はもっと真面目に働け! カリアラ、とりあえず四角い積み木を積んでいくことから始めろ。ほら、やってみるんだ」
 カリアラは難しそうに眉を寄せて、積み木の海に手を入れる。あまり見つめようとはせず、手探りのように触りながら怪訝な顔をして言った。
「しかくってどれだ」
 ジーナはがくりと頭を落とす。疲れた様子で席を立ち、椅子を置いてカリアラの隣に座る。
「この、しゃちほこばった、いかにも我輩が四角であると主張しているようなのが四角というんだ」
「そうか。これがしかくなのか」
「そしてこっちの湯上り卵肌な生娘といった風情をしているのが球。こっちの性格が悪くて友達がいなさそうなのが三角だ。これは基本だからな。しっかりと覚えるんだぞ」
「そうか。わかった」
 カリアラはジーナの言葉にひとつひとつ頷いている。その表情があまりにも真剣なので、冗談ではなく本当に知らなかったのだと思い知らされ、ジーナは苦く顔を歪めた。
「……まあ、他にも解らないことがあったら手を挙げて質問しろ」
 カリアラは即座に両手を挙げる。
「片手でいい」
 少しの間どちらを下ろすか悩むようにしていたが、力強く右を下ろした。
「もう解らないのか。教えてやるから言ってみろ」
「愛人ってなんだ?」
 あまりにも直球すぎる質問に、ジーナの顔が凍りついた。こわばる彼女の表情は怒りのために引きつっていく。
「……ほう? お前はなぜそれを知りたいんだ?」
 漂う凄みにびくりと身を引きつつも、カリアラはたどたどしく理由を告げた。
「あのな、みんながな、ずっと愛人がどうとかって言ってるんだ。でもおれ愛人ってなにかわかんねえから、みんなが何言ってるのかもわかんなくて。でもな、おれも一緒に話とかしたいんだ。だから愛人って何か教えてくれ」
「お前は流行についていけない父親か」
「家族の中でひっそりと仲間はずれになってたりするんですよねー」
「そうなんだ。おれもみんなと同じ話がしたいんだ」
 カリアラは困ったように力なく眉を下げた。
「確かにお前はひとりだけ別の次元で会話していそうだな」
「何の違和感もなく話が続いているのが不思議ですよね」
 からかいや冷やかしのない彼の様子にジーナはため息をつく。まっすぐに見つめてくる魚の目をななめに見つつ、苦く染まる口を開いた。
「愛人っていうのはな。一方的に弄ばれてのめりこんで引きずられ、それでも決して一番にはなれない嵐のようないばら道だ。自分でもいけないとは解っているのに止められなくて流される。そうして波にのまれたまま永遠に溺れ続ける辛く苦しい生き方だ」
「えっ、ジーナはおぼれてるのか!?」
「ああそうだ溺れているとも。あっぷあっぷと死にかけのまま流されっぱなしだ覚えとけ」
「わかった、覚える」
「わー、会話が変な感じに成り立ってるー。異次元だわー」
 アリスは手の仕草だけで驚きを表現するが、表情には変化がない。カリアラは踊りのような奇妙な動きを不思議そうに見つめていたが、ふと思い出したように積み木へと意識を戻す。
「しかし、お前たちはどんな話をしてるんだ。もっと現状について作戦を練るとかしないのか」
「先輩、怒らないんですかー?」
 態度こそ不機嫌だがそれほど荒れた様子はない。ジーナはつまらなさそうに言う。
「どうせ技師どもと関われば自然と耳に入る話だ。どちらにしろ、サフィギシルには言おうと思ってた」
「『私はビジス・ガートンの愛人です』って?」
 遠慮のかけらも見せないアリスを不愉快そうに一瞥すると、彼女はふいと顔をそむける。
「ああ、そうだ。……別に隠すことでもない」
 だが言葉とは裏腹に声は暗く大人しかった。ジーナは取り繕うように話を変える。
「それにしても、圧倒的に知識が足りない。どういう生活をしてきたんだお前は」
「川で泳いでたのよねー」
 ぼんやりとろけるアリスの視線はカリアラへと向けられる。彼女はあくびの混じるような気の抜けた声を出した。
「魚には知識もそれほど要らなかったんでしょう。ようするに食うのと寝るのとそれだけあればいいんだし。動物にとっては生きるために必要のないものなんて、どうでもいいものですよー」
 カリアラはまた真剣に積み木に取り組んでいる。高く高く昇ろうとする稚拙な形は今にも崩れてしまいそうだ。だがそれでも先ほどからしてみれば、随分と進歩が見られた。カリアラは重ねた積み木をじっと見つめ、慎重にまたひとつ四角を乗せる。
「生きるために必要なもの、か。こんな事態にならなければ、お前には三角や四角なんて要らなかっただろうにな」
 実際、カリアラは今まで形の名前など気にもしていなかったのだろう。あまりにも基本すぎることがらも、生活に無関係なものは彼の中には蓄えられない。
「まあ人間にだって学がない人なんて山ほどいますしー、サフィ君もカリアラ君は魚の知能のままでいいって考えてたんでしょうね」
 アリスは置き去りにされていたサフィギシルの注意書きを取って言った。
「全然勉強教えてないし。この文章も製品の説明か、ペットの飼育について書いてあるみたい」
「ペット……ねえ」
 カリアラは人間たちの話に構わず黙々と木を積み続ける。細かい作業はまだまだ苦手なのだろう、彼の手つきは人間らしい動きというには不器用すぎた。積み木ひとつ運ぶにも両手を使うことが多い。指先という存在をすっかり忘れてしまったように、手のひらや指の腹しか使っていない。
 眺めていると、まるで魚がひれを使って積み木をしているように見えてきて、ジーナは思わず目をこする。幻を払うように力なく首を振った。
「お前たちは何なんだろうな。木人形が、唐突にやってきた人魚と魚と三人暮らし。ありえない話だ」
 ペシフィロからこの話を聞いた時は、一体何の冗談かと笑いたくなったものだ。人魚が陸にやってきたので足をつけた。その仲間のピラニアも人間の体にした。今ではみんな一緒の家でなかなか上手くやっている。それはジーナの想像をはるかに越えた事態だった。
「家族なんじゃないですか」
「家族? 木細工と人魚とピラニアが?」
 何気ないアリスの言葉に、ジーナは馬鹿にした笑みをもらす。アリスは気にする風でもなく、やる気のない口調で言った。
「でもサフィ君はほとんど人間みたいですよねー。あれならもう人間として考えてもいいんじゃー」
「何が人間だ」
 冷ややかな言葉は切り捨てるように響いた。ジーナはカリアラに指を向け、ぐるりと回すように示す。
「見た目がどんなに人間に似ていても、結局これは木と石の塊だ。それがどうして人として生きていけるんだ。私は人型細工が人間だなんて絶対に認めないからな」
「そんなこと言ったらまずいですよー。うちの仕事は技師の支援なんですから」
「建前はそうでも、やってることは支配と管理だ。どうせ元々嫌われ者なんだ、これぐらいは問題ない」
 実際に、協会員は技師たちからはことごとく嫌われている。新たな実験ひとつにも執拗な調査と許可が求められる。不法な魔石や魂を所持していないか抜き打ちで監査が入る。だがそうでもしなければ、平和の基盤が揺らぐのも間違いのない事実だった。魔術技師の作品は技術と悪意さえあれば兵器にもなりうるのだ。作品に込める魂を手に入れるため、殺害を起こす者もいる。アーレルでは不穏な動きは常に技師と関わりがあると言えた。
 だからこそ、魔術技師協会は国の機関としてかなりの権威を持っていた。実際に戦闘になることが多い分、平穏な王城警備の一団よりもこちらの方が危険な仕事と言われている。兵卒の者が多くこちらに流されるのも、それこそが適材適所と考えられるためだった。
「技師は協会員の敵、協会員は技師の敵! 情けをかけると泣かされるぞ」
 鋭く言い放たれた言葉にカリアラの手が止まる。彼は驚いた目でジーナを見つめた。
「じゃあ、ジーナはサフィの敵なのか?」
 彼女の指がぴくりと揺れた。言葉を喉に詰まらせてしまったように、無言でカリアラを見る。だがこちらに向かって差し込んでくるような、まっすぐな目に痛みを感じて顔を伏せた。
「……そうかもしれないな。少なくとも、あれがそう思ってるなら」
 頼りなく言った後で、自らの言葉に傷ついてしまったように力なく口を結ぶ。カリアラは弱る彼女を不思議そうに見ていたが、ふと、気の逸れた手が持っていた積み木を取り落とした。落下地点は重ねた山の中腹部分。座る彼の頭ほどの高さの山は、騒がしい音を立ててあっという間に崩れ落ちる。
「あーあ、やっちゃった」
 のんびりとしたアリスの声は、いやに無責任に聞こえた。カリアラは困ったように散らばった積み木を見下ろす。
 ジーナがため息をついて椅子を下り、床に落ちた積み木を取っては机へと戻し始める。カリアラは机に乗せられた彼女の手に指輪を見つけた。だが近くで確認すると、細やかな花の細工の付いたそれは、昼間見せられたものとは違うただの飾り物だった。


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