第二話「魔術技師協会」
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 魔術技師協会の奥に位置する技師対策第十四課の執務室。現時点ではジーナとアリスしか所属していないはずのそこに、若い男がもうひとり。
「……よし。じゃあもう一度だ。カリアラ、よく聞け」
 昨夜からここに寝泊りしている元ピラニアは言葉を受けて頷いた。彼はソファに姿勢を正して腰かけている。まっすぐに見つめてくるカリアラの目を見返して、ジーナは鋭く指示を下した。
「右手を挙げろ!」
 カリアラは迷いもせずに力強く両手を挙げる。
「左足を上げろ!」
 更に真顔で両足を上げる。
 重心を崩してしまったために、彼の体はソファの上に転がった。
「……そのままぐるぐる回転して踊ってしまえばかやろう」
 力の抜けた弱音を吐いて、ジーナはまるで嘆くように机の上に突っ伏した。すぐ隣の席からアリスがのんきな声をかける。
「せんぱーい。何回やってもおんなじですよう」
「何回やっても悪夢にしか思えないから再確認しているだけだ! ああもうこんなことで合格できると思ってるのかあのバカは! 試験は来月なんだぞ!」
「サフィ君もまさか期限があと三十日切ってるなんて思ってなかったんでしょーねー」
「私だってこんなに早くされるとは思わなかったよ……」
 サフィギシル及びカリアラの強制連行から一夜明けた本日。ジーナによる報告を受けていた上層部は、まだ昼にもならない時間にいくつかのことを決定した。
 ます第一に、サフィギシルの提案通り魔術技師第一級資格試験を特別に決行する。受験者はサフィギシルただひとり。これはビジスから継承された特級資格が本当に彼にふさわしいものなのか判別するための試験とし、この問題には早急な解決が求められるという理由で、試験はたった二十七日後に実施されることとなった。
 つい先ほど出会った上層部の面々を思い出し、ジーナは毒を吐き捨てる。
「上のやつらはサフィギシルに権力を持たれたくないんだろう。ビジスがいないと何もできなかったくせに、いざ死んでしまった後はせいせいしたと言わんばかりだ」
「で、またビジス・ガートンみたいな人に牛耳られたくないからって出る杭打ちに必死なのねー。サフィ君大変ねー。いきなり組織に全力で妨害なんてされちゃって」
「あれでも一応、ビジスの知識があるんだから筆記は上手くやれるはずだ。論文も手間取るだろうが不可能じゃない。でも実技は……」
 二人は揃ってカリアラを見る。彼はまだ両手足をまっすぐに上げたまま、非常に間抜けな格好で黄色いソファに転がっていた。苛立つように髪をかくジーナと対照的に、アリスは無関心そうに言う。
「実技の内容まで指定されちゃあお手上げですよねえ」
「おれ、もう手あげてるぞ?」
 きょとんとした魚の声に、ジーナはますますかきむしる手に力をこめた。
 第二の決定事項として、上層部はサフィギシルの試験に対して条件を出してきた。実技試験で提出する『作品』は人型細工に限定し、他の形式であってはいけない。そして提出した人型細工がこちらの出した判定試験に合格できなければ、サフィギシルの一級資格合格もない。
 ビジス・ガートンと同等の力があるかどうか正確に確かめるためという説明が付随したが、結局は合格の可能性を消し潰す方法のひとつでしかなかった。
 うなだれるジーナに追い打ちをかけるように、のんびりとアリスが尋ねる。
「その、カリアラ君を完璧な人型細工として認めるための判定試験。どんな問題でしたっけ? 筆記のほうは図絵による左右上下の確認と、二桁までの計算とー」
「図形の把握、立体構成能力の有無判定、筆記と実技それぞれによる言語能力・会話試験! 身体能力測定もある。面接は口頭試問だ、さぞかし意地の悪いことをふっかけてくるに違いない。最初から最後までこいつには出来そうにないものばかりじゃないか! カリアラ、一足す一は一体なんだ!?」
「五!」
 カリアラは真面目なことこの上ない顔で答え、そのまぶしさに打たれるようにジーナは両手で顔を覆う。アリスは笑いひとつ浮かべずぼんやりと口を開いた。
「でも足し算の意味を理解してるだけでも優秀よねー。ふつう教えませんよ、生まれたての人型細工に」
「おおかたピィスか人魚が面白がって教えたんだろう。元々魚としての意識がはっきり存在していた分、魂を一から組み立て上げたサフィギシルよりも発達は早いはずだ。ああもう、それにしてもあとひと月……だから最初から私の案を受け入れておけば良かったのに」
 ジーナはどうしても感情の行き場がないようで、机の上をむやみやたらに爪で叩いた。
「あー、サフィ君を怒らせて却下されたやつですね。一体どんな案だったんですか?」
「猛獣使いとしての手腕を世界に披露する。ビジスは凶暴生物の扱いに誰よりも優れていたからな。凶悪な野生動物カリアラカルスを手懐け、飼い慣らしていることを大勢の人に見せつける。そうすればサフィギシルを甘く見ている敵どもも少しは警戒するはずだ。説得力を出すために、わざわざカリアラカルスがどれほど凶悪な生き物なのか強調した資料まで集めたのに……破かれた」
 その時のことを思い出してジーナの顔は悔しげに歪んでいく。この案を提示した時のサフィギシルの怒りようは今までにないものだった。目を通したカリアラカルスについての資料をことごとく破き捨て、言葉こそ足りないものの精一杯の罵倒を重ねる。
 予想外の変貌に、ジーナは椅子から立ち上がることすら出来なかった。彼女に対して怯えるばかりだった子どもが、急にひとりの怒れる男に変化したように見えた。その様子を思い出すと彼女の意識は不穏にざわめく。
「凶暴生物う?」
 暗がりのような回想はアリスの声に断ち切られる。ジーナはふと顔を上げた。
 二人の視線が向かった先は、相も変わらず両手足を空中に上げた間抜けな男。カリアラは無造作に手と足とを振りながら、ジーナとアリスに困り果てた目を向ける。
「おれ、がんばってるんだけどな。どうしても回れないんだ。どうやったら回れるんだ?」
 発言と同時にソファから床へと転がり落ちた。カリアラはびくりと一度硬直し、その後でキョトキョトとしきりに辺りを見回している。目が丸く見開かれてまるで魚のようだ。人間なのか魚なのか定まりきらない生き物を観賞しつつ、人間たちは複雑な思いで会話する。
「先輩、計画からして無理があったんじゃあ」
「いやでも巨大な猫型細工を破壊したという話だし……住民はみんなその時に凶暴さを知っているはずだから、と思ったんだが」
 その事件が起こったのはひと月ほど前のことで、今ならまだ人々の記憶にも新しいからと計画を立てたのだが。実行するべき本人にあれほど激怒されてしまえば始めの一歩も踏み出せない。
 ジーナは椅子の背に体を預けた。
「……解らない」
 どうして、サフィギシルがあれほどまでに怒ったのか。ジーナにはそれが解らない。
 彼女は勢いをつけて席を立ち、ソファに戻ったカリアラへと大またで歩み寄る。彼の肩を強く掴むと顔をそばに寄せて言った。
「どうやって手懐けた?」
 脅しをかけるような声と睨みつける鋭い目。かすかな敵意を浮かべる彼女をカリアラはきょとんと見返す。言葉の意味が通じていないことに気付き、ジーナはゆっくりと口を動かす。
「サフィギシルを、どうやって丸め込んだ?」
「丸めこむ?」
 カリアラの顔つきにはやはり理解が浮かばない。
「丸くするのか? でもサフィは大きいから難しいぞ。焼く前のパンならおれ丸くするの得意だ」
「…………」
 ジーナは整えた眉を波のごとくに歪めると、はあ、と大きな息をついて彼の肩から手を離す。誰に聞かせるわけでもなく「解らない」と呟いた。カリアラは不思議そうに首をかしげて彼女を見つめる。ジーナは複雑なものを抱える瞳でその顔を見つめ返す。
「お前のどこに、庇いたくなるようなものがあるんだろうな」
「先輩はサフィ君が自分にだけ懐かないのが気に食わないんですよねー」
 ジーナの動きがぴたりと止まる。疲れを見せていた顔がみるみる不機嫌な色に変わる。開かれた口からはすさんだ調子の声が出た。
「……ペシフが言ったのか。ああそうだとも、サフィギシルは私だけを怖がって嫌っていたさ。優しくしてくれる奴には懐くくせに厳しくすると近づかない! どうせ私は子どもには嫌われるタチなんだ、昔から近づいただけで大泣きされる。挙句の果てにはおばさん呼ばわり!」
「先輩は見た目こわいですもんねー。見るからに悪役顔だしー。お化粧すると更に倍」
「だから今日は控えめにしただろう! 顔のことは言うな! どうせ気合を入れれば入れるほどババアに見られる老け顔さ。昔からペシフィロと二人でいると同年代に見られたんだぞあの童顔! 何歳離れてると思ってるんだ、九歳だぞ九歳! そもそもあれは昔から……」
「……すみませーん、なんかうちの親父の話が外まで聞こえてるんですがー」
 個人的な恨みの歴史は、語られる前に新たな声に遮断された。開いたドアの向こう側にはピィス、シラ、サフィギシルが並ぶように立っている。
「あ、みんな!」
 カリアラが素早くそちらに顔を向け、嬉しそうな声を上げる。その何倍も喜びに満ちた声が風のように飛び込んだ。カリアラは抱きついてきたシラに押されてソファの上に倒れこむ。
「ああ逢いたかったわ大丈夫元気なのいじめられたりしなかった? 夜は眠れた? ちゃんと食べるものは出してもらえた? 喉は通った? ああ心配したわ!」
「うん、大丈夫だ。シラは大丈夫か? サフィに迷惑かけてないか?」
「思いっきり!」
「否定しろよ」
 悪びれもせず答えるシラに、サフィギシルが疲れきったように言う。ピィスが声を上げて笑った。
「こいつさー、昨日さんざん酒呑みに付き合わされてへばってやんの」
「そうか。サフィ、ごめんな。おれ止められなかったな」
「あー、別にいいよ。初めてのことじゃないし」
 シラに抱きつかれたまま謝罪するカリアラに、サフィギシルは居心地悪く目を逸らす。避けた視線がジーナにぶつかりびくりと怯えた。シラはそれでようやく慣れない人目を思い出し、今更ながらに声を落とす。繕うような微笑みを用意するが口元はひたすら甘くゆるんでいった。カリアラの頭をなでる。ぎゅうと強く抱きしめる。カリアラはいつものように無抵抗のままそれに応じた。
 平然としたカリアラの表情が、凍りついたジーナをとらえる。ジーナは嫌悪の浮かぶ目でふたりを凝視していたが、力の抜けていた口が引き締められたかと思うと、シラの肩に手をかけた。
「すみませんが、関係者以外は退出していただけますか」
 肌に痺れが走るほどに張りつめた声。シラの頬がぴくりと引きつる。だが彼女はそれを内へと押し込んで、目をみはるほど美しい微笑みを浮かべてみせた。
「あら、私も関係者のひとりですよ」
「……あなたは今回の件に関しては部外者です。職務の邪魔になりますのでお引取り下さい」
 対するジーナは一度は言葉を飲み込みかけるが、気を取り直してきりりと顔を引き締めた。上から見下ろす姿勢のままに釘を打つように言う。
「彼の身柄はこちらで預かることになりました。面会時間は一日一回、昼食時のみ。許可のない外出や外部との接触は禁じられています」
「えっ、おれ外出られないのか?」
 初耳の事実にカリアラが目を丸くする。シラは彼の体を抱きしめて非難した。
「あんまりだわ。こんな所に閉じ込めてしまうんですか」
「外出の是非は申請によるでしょう。しかし彼もまたサフィギシル同様敵に狙われる身です。本人の安全を考えるのならば、もっと慎重に行動するべきではありませんか?」
 厳しく凄むジーナの目線がシラの額でふと止まる。にわかにできた怪我を示す貼り薬。きつく引かれた口元が、嘲笑いの形にゆるむ。
「人間の世界は動物には解らない危険もあるんだ。これからはくれぐれもお気をつけて」
 一瞬の呆然の後、シラの顔はたちまちに赤くなる。反論が出てくる前にジーナが強く念を押した。
「面会時間までは外に出ていてください。迷惑です」
 瞬発的に動きかけたシラの体はカリアラに止められる。シラは怒りを呼吸と共に飲み込むと、ほんの少し困ったようなやわらかい笑みを作った。
「あら、それは知りませんでした。すみません、今度からは手を出す前に言葉で伝えてくださいね。サフィさんも昨日のことにはとても驚いてしまったようですから……」
 唐突に名前を出されてサフィギシルが口を開くが、言葉が形になる前にシラは優雅に立ち上がる。
 あまり差のない身長を少しでも高く見せるように、ジーナに対して胸を張った。
「それでは。このひとのことをよろしくお願いします」
 礼儀正しいお手本のような礼をして、シラはあくまで感情を隠したまま静かに部屋を出て行った。
 表面的には問題のない穏便なやりとりだ。しかし彼女の内心を読みとったカリアラやサフィギシルにしてみれば恐れるに十分なひとときである。カリアラはおろおろとうろたえた顔をあちこちに向け、不穏な空気に引きつっていたピィスのところでぴたりと止める。
「ピィス、頼む」
「うあー、きたー」
 真面目な顔での依頼を受けて、ピィスは額をぺちりと叩いた。
「まあどうせオレも部外者だしな。ジーナさん、その辺の空いた部屋で待ってていい?」
「ああ。どうせ昼もそこで取らせる。いつものところで待っていろ」
「了解ー」
 ピィスはひょいひょい跳ねるように大またで外に出ると、一度中を気にするようにちらりと覗き、ゆっくりとドアを閉めた。シラを呼ぶ彼女の声があっという間に遠くなる。その気配すら消えたところで、ジーナは険しい顔をしてサフィギシルに詰め寄った。
「お前、あの女に何をされた?」
「は?」
 サフィギシルは意外な言葉を笑い飛ばそうとしたが、睨んでくるジーナの目があまりにも真剣なので戸惑いながら口を開く。
「え、何って、何も…………」
 否定の言葉は思い出した数々のシラの所業に止められた。
「なんだその間は」
「いや、別に」
 ちょっと誘惑されて毒を嗅がされハサミで腹を割かれたぐらいで。
 と、正直に言うわけには絶対にいかないのでカリアラに助けを求めた。
「なあ! 何もされてないよな!?」
「サフィはな、一回喰われかけたんだ。おれがちゃんとシラを止めてればあんなことにはならなかったのに……」
「な、なんだその切ない言い方! 誤解を招くだろ!」
 ため息まじりの証言に、ジーナの顔がみるみると憤怒の色に染まっていく。
「ああそうか結局お前は上っ面の顔と態度でほいほい喰われる男なんだな! いいか、ああいう女こそ腹の中では何を企んでいるか解らないんだぞ! 甘い言葉に誘われて三度の飯から生活の面倒まで全部やらされる。だが結局本人は本命の男のことしか頭になくて、いいように使われるだけなんだ! お前はその歳からそんなヒモ飼いの女のような人生を歩むつもりか!」
「うわー! 誤解だけど一言一句その通りだ――!!」
 最近の生活を嫌でも思い返してしまい、サフィギシルは衝撃のままに叫んだ。
 アリスがカリアラの腕を引いて、耳元に囁きかける。
「先輩はねー、サフィ君が美人の人魚にたらしこまれてるんじゃないかってずーっと心配してたのよー。それで対抗のために気合い入れたら化粧しすぎて顔が恐くなっちゃうし、初めて見た人魚さんがあんまりにもきれいだったから、後でこっそり落ち込んでたの。あたし見ちゃったのー」
 言い終えると口元に指を当てるが、表情は相変わらずぼんやりとしたままだった。
 アリスはそのままサフィギシルを一方的に問い詰めるジーナへと指を向ける。
「あれが女の戦いとその二次被害ってやつなのよー。よおく覚えておいた方がいいわよー」
「そうか。……すごいな、こわいな」
 カリアラは完全に負けているサフィギシルの様子を見て青ざめた。だが、ふと気になったように訊く。
「女の戦いは、みつあみとどっちが強いんだ」
「それは無意味な問いかけね。女がみつあみをして戦ったら世界が危機に陥るわー」
「そうか。女は強いからな。みつあみがあれば最強だな」
 間違った認識のまま納得し、カリアラはいつものように力強く頷いた。


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