第二話「魔術技師協会」
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 名前だけは、ピィスから聞いていた。だから呼んだ。
「……ジーナ?」
 客が来るからここで待っているように、とビジスに指示を出され、作業室の椅子に座っていた。振り向いたのは物音がしたからだ。開かれたドアの向こうに、立ちつくす知らない顔がある。この人が聞かされていた客人なのだと理解して、席を立って歩み寄った。相手は目をみはったまま何の反応も示さない。どうしたのだろうと思って、ゆっくりと近づきながら、教えられていた名前を呼んだ。ただ、それだけだ。
 それなのに、次の瞬間自分の体は彼女に突き飛ばされていた。
「来るな!」
 馴染みきれない木組みの体が床に叩きつけられる。彼女は悲鳴のように叫んだ。
「気持ち悪い! 近寄るな! 見るな、喋るな!!」
 絶叫に近い声、蒼白に冷えた顔色。まるで怯えるような瞳が、尻餅をついたこちらを見下ろしている。
 一体何が起こっているのか解らなくて、どうして体が痛いのかすら生まれて間もない頭では把握できなくて、わけも解らず彼女を見上げた。恐怖にこわばったその顔を、じっと見つめた。
 視線を受けて彼女はみるみるうろたえていく。戸惑いと罪悪感を混ぜこぜにしたような表情。悲しそうに歪む顔をふいとそむけ、彼女はこちらからの視線をさえぎるように背を向けた。
「……目上の者には敬称をつけろ。さんをつけて呼べ」
 しぼりだすような声は、その時確かに震えていた。
 突き飛ばした手は強く固く握られる。彼女は二度とこちらを見ようとはせず、早足で来た方向へと戻っていった。
 それが、初めて出会った時のことだ。
 あのころはまだ幼くて、人間の表情がそれぞれどんな意味を持つのかなど知らなかった。
 何ひとつ理解できなくて、ただ、呆然と彼女の消えたドアの向こうを見つめた。

     ※ ※ ※

 鮮やかな過去の記憶は夢の一部だったのだろうか。それとも、眠りに近い状態で回想していただけなのか。どちらとも言い切れないが、とてつもなく気分の悪い目覚めには違いなかった。サフィギシルは目を開き、重く沈む頭をなんとか上げようとする。だが長時間かけて体内に取り込まれた酒類の数々が、体の動きをおそろしく鈍くしていた。間延びした胃が気持ち悪い。体の部品がぎしぎしと不吉な音を立てていく。
 無理に起きようとするのはやめて、横になっていた体を仰向けにした。目に見える天井は居間のものだ。部屋に戻る余裕すらなかったらしい。居間の、ソファの側に倒れている。
 嫌なことを思い出した。今までずっと目をそむけていた過去の景色だ。初めてジーナに出会った時、いきなり床に突き飛ばされた。
 痛みと恐怖と混乱にのまれていく中、浴びせられる拒否の言葉が頭にこびりついていく。そういう理不尽な思い出のはずだった。再考しても、憤りと嫌悪しか生まれないはずだった。
 だが、長い間思い出さないよう閉じ込めていた光景を、今改めて見つめてみると不可解な箇所ばかりだった。あのころ感じた印象とはまるで違うように思える。ただ一方的に暴力を振るわれただけではない。彼女の見せた表情、声、しぐさ。あのころの自分には理解できなかったものが、今になって大きな疑問となっていた。彼女はどうしてあんなに怯えていたのか。その顔に浮かんでいた罪悪感は、見間違えではないのだろうか。
「……あー、もう」
 解らないのと恐ろしいのと嫌悪感と体調不良でこのまま溶けてしまいたい気分だった。起きたくない。いろいろと立ち動かなければいけない今日の幕を上げたくない。
 だが最終的に眠れる体を動かしたのは、こちらの気分とは正反対に明るく響く呼びかけだった。
「おーい、開けろー。お姉ちゃんが遊びにきてあげましたよー」
「…………」
 疑うまでもなくピィスの声だ。敵に狙われているということで、昨夜のうちに家の周りは封印の霧で囲ってある。人を惑わし侵入者を寄せ付けない魔術だが、ピィスはそれに迷わされないタグという道具を使って来たのだろう。今まではそれで玄関まで近寄れるはずだった。
 だが今回はもう一枚障壁を用意している。たとえ鍵を持っていても透明な壁が邪魔をして、目には見えても家には決して近づけないのだ。ピィスと同じくタグどころか合鍵まで持っているジーナから身を守るためだった。魔術で作り上げた壁は鉄のように硬くしてある。呼び鈴すら鳴らせない。
 しかしこうしていちいち迎えに行くはめになるのなら、もっと気軽な術にしておけばよかったか。後悔しながら重い体をなんとか起こし、のろのろと玄関に向かってみれば。
 そこには仰向けに倒れるシラの姿があった。
「シラ!? うわあ血! 血が!」
 彼女は玄関のドアに足を向けて、力なく全身を投げ出している。人形のように整った顔には乾いた血がこびり付いていた。額が割れて流血したのだ。鼻からも赤い筋が二本流れている。
 ドアは細く開いていた。その隙間からピィスの声がうるさく響く。
「あーけーろー。お前は完全に包囲されているーっ」
「バカそれどころじゃないって! もうちょっとそこで待て!」
 冗談を言うふざけた声に苛立ちながら返事をする。だが状況に気がつかないピィスはそのまま呑気な調子で続けた。
「そんな冷たいことを言うと、田舎のお母さんは泣いてるぞーっ」
「いねえよ!」
 思わず速攻で切り返しつつ、サフィギシルは気絶したシラの体をゆする。
 無抵抗で揺れる彼女の手には、大きな鉄のハサミがひとつ確かに握りしめられていた。



「……なんであんなもの作ったんですか」
 サフィギシルによる手当てを受けながら、シラは拗ねたように言った。
「だから侵入者の防止用だって。そりゃ言うのは忘れてたけどさ」
 手当てといっても血は既に止まっていたらしく、止血に悩むことはない。こびり付いた血を自らの手で洗い流してもらった後に、消毒をして保護のガーゼを貼りつけるだけのことだ。その短い治療の間、シラはずっと赤い顔で下のほうばかり見ている。
 随分ときまりが悪そうな彼女の額に薬を塗りつつ、サフィギシルはため息まじりの声で言った。
「そっちこそ、なんで外に向かって駆け出そうとするかなあ」
「だ、だって酔ってたし……ああもう朝だって思ったら、なんだかいてもたってもいられなくて」
 昨夜のうちから技師協会に向かおうとする彼女には「今日はもう遅いから、行くのは明日になってから」と説得していたのだ。恥ずかしそうに消えていく語尾を補うように、ピィスが優しい言葉をかけた。
「で、カリアラに逢いに行こうとして、透明な壁に思いっきりぶつかっちゃったわけか。かわいいなあ」
 誉め言葉だがピィスの中では「ばかで」という前置きがつけられているのだろう。カリアラを見る時のような、いやに優しくゆるんだ瞳がそれを物語っている。シラはますますばつが悪そうに、座る自分の膝を見つめた。
 まあ確かに一途な行動ではあるが、武器として鉄バサミを持っていこうとしていたのを知っている分、サフィギシルは素直に笑うことができない。この野生動物は我が子とも言えるピラニアを助けるために、敵と刺し違えでもするつもりだったのだろうか。
 凶器未遂の物体は、ピィスの目につかないよう玄関に入れる前に隠しておいた。無意識下の行動だったが、いっそのこと危険な意志の証拠として公開すれば良かったかもしれない。
 ピィスはうつむくシラをからかうように笑いかける。
「でもオレ美人なひとの鼻血って初めて見たよ。すっげえ貴重な体験だね」
「い、言わないで! 忘れてください!」
「惜しいよな。血が止まってなかったら、鼻の穴に綿を突っ込んでるところも見れたのに。額と鼻とわざわざ同時に打つなんて、かなり器用なぶつかり方だぞ」
 昨夜の恨みを果たすように、サフィギシルもまたからかいの笑みを浮かべて言う。反論できない悔しさからきゅうと口を結ぶシラに、更に調子に乗って続けた。
「呑みすぎるからばちが当たったんだよ。明け方まで呑んで絡んで呑んで絡んで……面倒見せられる方の身にもなってほしいよ」
「なんだ、宴会なら呼んでくれればよかったのに。お前全然酔わないもんなー。カリアラがいないと大変だっただろ」
 どういうわけだかサフィギシルは異常なまでに酒に強い。人型細工がどれくらいの飲酒量で酔っぱらうかは、製作者がある程度まで設定できる。ビジスが何か意味を持って耐久度を高くしたのだろうとは思うが、現在のサフィギシルにとってはいつまでも理性を失うことができない足枷のように思える。
「タチ悪く絡まれて、半泣きで弱ったりしたんじゃねーのー?」
「言うな。昨日のことはもう思い出したくない」
「あはは。疲れてるねえお兄さん」
 ピィスは食卓の椅子にまたがったまま、笑いながら足を揺らした。お前はいいよな、とサフィギシルは何とも言えない気持ちになる。今の時刻はお昼前。カリアラの様子を見に行きたいが、酔いのせいで体はうまく動かないし、技師協会まで無事にたどり着けるのだろうか。
「ああもう、こっちは命狙われてるってのに……」
 シラの額にガーゼを貼りつつ呟くと、彼女は不思議そうにこちらを見上げた。
「なんですかそれ。狙われてるって、誰が?」
 裏のない純粋な疑問の視線に尋ねられた方が戸惑う。サフィギシルは人さし指を自分に向けた。
「誰がって……俺が」
「え!? 誰に!」
「誰にって、それはまだ解らないけど。あれ、言ってなかっ……ああ!」
 そういえば起きてからのごたごたですっかりと忘れていたが、昨日は言いづらい雰囲気だったせいもあって、結局は説明し損ねていたのだ。ピィスが目を丸くしている。
「え、お前シラに言ってなかったの? 何してんだよ、オレだって昨日親父から厳重注意受けたんだぞ。お前だけの問題じゃないんだからさー、ちゃんと説明しとかなきゃ」
「なんなの、どういうことなんですかっ。教えてください!」
「わかった、わかったから。落ち着いて」
 飛びつきそうに腰を上げるシラをなだめ、サフィギシルは改めて詳しい事情を説明をした。昨日、魔術技師協会でジーナに教えられたこと。世界中の野心ある者たちが、ビジスの遺した心臓石を狙うおそれがあるということ。
 ペシフィロから聞いていたというピィスはともかく、この情報自体が初耳だったシラの顔色はゆっくりと冷めていく。話すほどに静まる気色を怖れるように、サフィギシルは早口で付け加えた。
「あ、でもカリアラは今のところ大丈夫だから。技師協会は緊急時には兵士を集めて警備を固められるし、今はそういう風に安全な環境にしてあるってペシフさんが言ってた。だから、あいつはもう狙われる心配はないんだ」
 それだけは言っておかなければと思った。危険な中にカリアラを放置してきたと誤解されてしまったら、刺客にやられてしまう前に彼女に殺されかねないのだ。
 焦る口調で全ての話を語り終えると、シラはちいさな息をついた。
「……そんな重要なこと、どうして黙ってたんですか」
 声はひどく落ち着いていた。いつになく真剣な顔をされ、それにつられてサフィギシルも浮ついた態度を捨てる。
「言わなきゃとは思ってたんだけど、雰囲気とかいろいろできっかけがつかめなくて。それにカリアラが怪我したのとか……俺のせいだって解ったら怒られると思って。それで、言い出しづらかったから」
 ソファの上で正面から顔を見合わせていて、相手はこちらの言い訳をただ静かに聞いていて。まるで叱られる子どものような気分で落ち着かない。サフィギシルは弱々しい声で言った。
「だから、今まで忘れてました」
 情けなくも視線は下に落ちていく。
 帰ってすぐに彼女の気迫に押しつぶされたというのもある。あまりの恐怖に言うべき話が吹き飛んだのだとも言える。だが今それを口にするのはみっともない行為のようで、胸の奥にしまいこんだ。
「何言ってるんですか。そりゃ少しは怒りますけど」
「やっぱ怒るんだ」
 ピィスは小さな隙を見つけて口を出す。シラは困ったように答えた。
「いつもなら怒るところなんですけど。……そんなに弱らないでくださいよ、何も言えないじゃないですか」
 態度には珍しくうろたえた様子が見える。シラは幼い子どもに対するように、やわらかく語りかけた。
「カリアラさんを技師協会に預けた理由、あの女の人とケンカになったから、じゃなくてどうしてそっちを教えてくれなかったの。カリアラさんを守るためにやったのなら、ちゃんとそれを言えばいいでしょう。私はてっきり、あなたが自分だけ逃げるためにあのひとを置き去りにしてきたのかと……」
 さら、と長い金の髪が彼女の膝に揺れ落ちる。軽く頭を下げながら、シラは静かに謝罪した。
「……ごめんなさい。知らなかったとはいえ、私が悪かったわ」
 すらりとした細い指がこちらに伸びて、そっと顔を上げさせられる。
「落ち込まないで。ほら、顔あげて。これからが大変なんでしょ? 私も出来る限りのことはするから。だから元気出しなさい」
 心強い彼女の言葉に見つめあう目が弱っていく。自分でもそれが解っているのに止められない。
 サフィギシルは小さな子どもの表情で、泣きそうな目でシラを見つめた。彼女は呆れたように笑う。ピィスもまた同じように笑いながら、ぶらぶらと足を揺らした。
 なごやかな空気が流れる。だがほんの少しの時間を置いて、ピィスが悩むように言った。
「しかし、どうすればいいんだろ。お前、爺さんの力受け継いだんだからさ、刺客ぐらいぱーっと倒したりできないもんなの?」
「……それが、使い物になるかどうかは微妙かもしれない」
 サフィギシルもまた悩みながら、ひとつひとつ言葉を重ねた。
「受け継いだって言っても、脳みそをそのまま移植したわけじゃないんだ。どっちかと言えば爺さんの頭の中にあったものを、全部ひとつの辞書にまとめて渡された状態に近い。しかもその辞書は情報量が膨大で、あまりにも分厚すぎて欲しい知識を手に入れるのにやたらと苦労が必要なんだ」
「でも、それなりに使えているじゃありませんか」
「まあ、普段よく使う分野はね」
 確かにシラの言葉通り、魔術技師としての作業や生活に根付いた箇所は活用できているのだが。サフィギシルは上手い言葉を探しながら状態を説明していく。
「辞書だって何回も開いたり、付箋をつけたところはいつでもすぐに開けるだろ? それに、爺さんがまだこの中にいたときは、ある程度の生活に必要な知識は選んで教えてくれてたみたいなんだよ。爺さんがいなくなってから、急にいろんなことがやりづらくなった。それでもまあ探し慣れた分野なら大体うまく扱えるようになったけど、戦闘は……考えたこともなかったから」
「あ、それに体がついていくかどうかも解んないよな。お前、まだ思いっきり全身を動かしたことなんてないだろ。人型細工は体が重いし、もしかしたらものすごく運動オンチかもしれないぞ」
 それはないと否定したいが、言い切れるだけの裏づけがないのも事実だった。ピィスは椅子の背に抱きつくように体を預け、怪訝な顔で問いかける。
「でもさあ、刺客って実際そんなに来るもんなの? みんなが欲しがる知識を持っていたっていうなら爺さんだって同じだろ? でもオレも周りの人も、誰も危険な目には遭わなかったし。そりゃ裏でさくさく倒してたのかもしれないけどさ、少なくともオレは爺さんが狙われるところなんて見たことなかったよ」
「ジーナさんが言ってたんだけど、爺さんはもう強いって知れ渡ってたから、狙うのはよっぽど無謀な奴らか血気盛んな人たちぐらいのものだったらしい。爺さんがわざわざ狙われるようなことをしたとか、危険な地方に出向いた時は山ほど来たらしいけど。でもそれも見せしめで痛めつけて道端に晒したり、拷問した状態で黒幕に送りつけたりしてたから、どんどん数は減っていったって」
「……エグいことするよなあ……」
 ピィスはうへぇと顔を歪める。シラは顔色ひとつ変えず平然と肯定した。
「まあ、効果的ではあったんでしょうね。じゃああなたも敵を返り討ちにして、狙おうとしている人たちを先に脅してしまえば安全になるんじゃないの?」
「簡単に言うなあ」
 椅子の背にあごを乗せたピィスに向かって、サフィギシルはあっさりと言いきった。
「いや、それをやろうとしてるんだけどさ」
「はあ? なに、血祭りにしたりすんの?」
「そうじゃなくて、言っただろ。魔術技師資格の一級を満点で通過しなきゃいけなくなったって」
「ああ、あの勢いでそうなってしまったとかいう……それを取れば何か変わるんですか?」
 疑問を浮かべた二人の視線を順番に見返しながら、サフィギシルは昨日言われた話をまとめた。
「もともと、技師協会の方で俺が爺さんの特級資格をそのまま継承するのは問題あるんじゃないかって話になってるらしいんだ。この前出したふたりの人間資格登録書も、まだ本登録されないままだろ? あれも俺の特級資格を認めるかどうかでもめてるから、なかなか受理されないらしい」
 ビジスの遺した手紙を元に協会に届け出てからもうひと月は経っている。こちらが待っている間にも、技師協会の上層部では様々な議論が交わされていたのだろうか。サフィギシルは更に教わったばかりの知識を語る。
「で、特級資格ってのは試験自体がないんだよ。他の階級みたいに一般の技師が受験して取るものじゃなくて、誰もが認める技師にだけ与えられる、特殊な位置付けのものなんだ。というか、爺さんが自分の都合のいいように設定したものらしくてさ。規定自体が『ビジス・ガートンと同等かそれ以上の実力をもつ者にのみ与えられる』ってなってるらしいし」
「……なんですかそれ。いいんですかそんな自己中心的な規定で」
 シラは信じ難そうだが、ピィスは当たり前のように言う。
「まあ技師協会は爺さんが作ったんだし。というかそもそも魔術技師っていう職業をちゃんと形にしたのが爺さんだからさ。いいんじゃないのそれぐらいは」
「技師協会は国家機関だしな。この国の公的機関はほとんど爺さんの息がかかってるんだってさ。それはともかく、特級資格を認定するのは爺さんの仕事だったんだ。自分と同等の力を持つかどうかを見極めて、更に何らかの行為をもって大衆にも認められて初めて特級の称号がもらえるとかなんとか」
「それじゃ、問題ないじゃありませんか。認めるって遺書が遺されてたんだし」
「あ、わかった! みんなに認められてないからだめなんだ!」
 問題を解いた生徒よろしく身を乗り出したピィスに対して、サフィギシルは教師のように頷いた。
「そういうこと。爺さんが認めたっていうだけじゃ、ただの身内びいきの可能性があるからってことで、俺は一般の技師たちや協会の人たちに実力を示さなきゃいけない。で、一般の技師たちにも協会員にも狙う敵にも、力の継承を証拠としてわかりやすく提示できる形が、技師一級の満点合格ってわけだ」
 正解して得意げだったピィスの顔が難しげに曇りはじめた。
「……よりによってなんで満点なんだよ。すっげえ難しいんだぞ、技師一級。合格者もまだ三人ぐらいしか出てないんじゃなかったか?」
 サフィギシルの表情もまた気まずげに弱っていく。
「大丈夫だと思ったんだよ……全部筆記試験だと思ってたから。爺さんの知識流用すれば楽勝だし、それなら継承の証拠にもなるだろうって……」
 そう考えてジーナに啖呵を切ったのだ。だが家に戻ったあとでふと気になって調べてみれば、宣言した関門は予想外に困難を伴っていた。シラは不思議そうに尋ねる。
「筆記試験じゃなかったんですか?」
「筆記もあるよ。たださあ、それだけじゃなくてさあ」
 ピィスはシラの疑問を受けて、呆れたように代弁した。
「論文と、実技試験もあるんだよな」
 サフィギシルは聞いただけで疲れを感じてソファの背に頭を乗せた。
 凍りついたシラの顔が、みるみる焦りを帯びていく。
「論文……って、あの書けなくて書けなくて悲鳴をあげたり、何日も徹夜して死人のような形相になったり、奇声を上げて部屋中を走り回ったりするあの論文ですか!?」
「どこの論文だよ」
 言葉は異口同音となった。
 シラが以前暮らしていたという研究室では、一体どんな論文が生み出されていたのだろうか。
 慌てるシラにはそれ以上構わずに、ピィスが追い打ちとなる言葉をかける。
「論文もだけど、実技の方が問題だろ? だって作った『作品』を試験官に見せて、完全な出来だ素晴らしい! って認めさせなきゃいけないんだから。しかもお前、いま提示できる『作品』って……」
 そう。とサフィギシルは苦々しく頷いた。
 技師一級の試験となれば、人型細工など高度な技を要する『作品』を提出しなければならない。
 だが、今、サフィギシルが作り上げたそれなりの『作品』と言えば。
「あいつしかいないんだよな」
 三人はひととき無言で目をかわす。そして今ここにはいないもうひとりの家族の顔と、頭と、行動と言動を思い起こして、ほとんど同時に深く深く頭を落とした。


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第二話「魔術技師協会」