エピローグ「人は笑う」
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「え、じゃあ食べられるところだったの?」
 腕を引く女の子の頭を撫で、カリアラは真面目な顔で答えた。
「うん。ワニはすごく大きくて、すごく強いからな」
 ここは、建物と建物の隙間にあるあまり広くはない空き地。カリアラはその隅に積まれた材木の山に腰掛け、集まった子どもたちに魚の時の話をしていた。年齢も性別もまばらな子どもたちは、真剣に耳をかたむける。カリアラの隣にちょこんと座るものもいれば、地面に足を投げ出しているものもいた。彼らはそれぞれ好きな場所に陣取って、質問を投げかける。
「やっぱワニって口でっかいの?」
「うん、すごく大きい。おれが何匹も入るぐらい。それに動きも素早いし、力がすごく強いんだ」
「そんなのがいっぱい!? どうやって助かったの!?」
 子どもたちが続きを求めて身を乗り出す。カリアラは動じることもなく、当たり前のように言った。
「うん。ワニはすごく大きくてすごく強いけどな、シラはもっと強いから」
「なに話してるんですかー!」
 道を挟んだ向こう側からシラが真っ赤な顔で叫ぶ。カリアラは彼女を指差して言った。
「あれがシラだ」
 子どもたちは途端におおーと声を上げる。
「あのお姉さんがワニを……」
「あんなにキレイなひとが?」
「わかんないよ、ああ見えてじつはすごいのかも……」
「うん。すごいんだ、シラは」
 カリアラは言葉の重要さもわからないまま、あくまで真面目な顔で言う。シラは赤い顔を覆ってうなだれた。サフィギシルとピィスがその隣で笑っている。楽しそうなピィスに手招きされて、カリアラは席を立った。
「呼んでるから、またな」
「うん。また遊ぼうね」
「明日も来てね! 続き聞かせて!」
「今度は公園で遊ぼう!」
 カリアラは嬉しそうに笑ってうなずく。
「ぜったいよ。約束ね」
 すぐ隣に座っていたティーアが、カリアラの手を引いた。近づけた耳に囁く。
「あのね、すごく強いから、みんなのもう一人の隊長にしてあげる。隊長にはないしょだよ。そんなこと言ったらさみしがるもん」
 子どもたちの間ではもう確定している話なのか、全員が楽しそうに笑いながら口元に指を立てた。
「だから、これからも怖いのがきたら守ってね」
「うん、守る」
 不安そうに縋りつく目をまっすぐに見つめ返し、カリアラは嬉しそうに笑った。
「カリアラー!」
 ピィスがまた声をかける。手を振って道に出たカリアラに、別の少女が慌てて言う。
「そうだ伝言! 隊長がね、えらい人に言って街の中を自由に歩く許可を取ってくれたって! だからもし別の兵士に何か言われたら俺を呼べって言ってた!」
「そうか」
 カリアラは振り返るとまた嬉しそうに笑う。少女も同じぐらい嬉しそうな顔で言った。
「『また暴走したら、その時は俺が止めてやる』って! わたしたちのリドー隊長もかっこいいでしょ!」
 小さな警備隊は、みんな揃って得意そうな笑みを浮かべる。
 カリアラは笑いながら彼らに大きく手を振った。



「……何を話してたんですか」
 空いていた最後の席につくと、シラが恥ずかしそうに訊く。カリアラは笑顔で答えた。
「あのな、シラがワニをいっぱい倒してくれた時のこと」
「へー、強いんだ。いっぱいってすごいな」
 ピィスは笑いながらも目を丸くする。シラはつまらなさそうに言った。
「たったの四匹です」
「十分だよ」
 サフィギシルとピィスの声が、見事なまでに重なった。
「生々しいな四匹……ここで百匹とか言ったら嘘臭いのに」
「いっ、いいじゃありませんか。あの時は私も必死だったんです!」
「うん。シラがいなかったら、おれ、食われてた」
 カリアラは、シラがなぜ恥ずかしがっているのかわからなくて首をかしげる。
「どうしたんだ? 大丈夫か、顔赤いぞ」
「……いいです、もう。サフィさん、話があるんでしょう?」
「あ、うん」
 サフィギシルは思い出したように置いていた封筒を取る。四角い大きなものが一つ、小さめのものが一つ。サフィギシルは小さいほうの封から中身を取り出した。
「これ、カリアラが爺さんから預かってたとかで、今朝もらったやつ。“ご褒美”だってさ」
 そう言うと彼は折りたたまれていた紙を広げ、全員が読めるように掲げてみせる。
「『後継認書』?」
 ピィスがぽつりと書類名を読みとった。
「あの、言葉が難しくて……『サフィギシル・ガートンを、ビジス・ガートンの第二子として、且つ後継者として認め』……?」
 シラはうろんに眉を寄せる。サフィギシルはわかりやすいよう、内容を簡略して読み上げた。
「ようするに、ビジス・ガートンの持つ知識と力をすべてその『作品』であり息子であるサフィギシル・ガートンに受け渡しました。だからビジス・ガートンのもつ地位と権利も彼にそのまま受け渡されます。保有の土地を含む財産もすべてです。証人として国王代理クラスタ・ジャスカ大臣の但し書きとサインも付けたぞ文句あるか。……って内容」
 言葉の通り、末尾には別の筆跡による言葉がいくつか記されている。細かな模様を描く印は、国家元首の認印だろうか。
「抜かりなく火にも水にも強い魔術加工がしてある上に、インクも全部特殊なものを使ってるらしい。鑑定したらちゃんとビジス・ガートン本人の肉筆だと証明されるようになってるんだよ。ここに来るのが遅かったのは、道に迷ったからだけじゃなくて鑑定に時間がかかったからもあるんだからな」
 文面を読み続けていたピィスが、どこか呆れた口調で言う。
「……紙に書かれてる方、言葉が丁寧になっただけで本当にそのまんまの内容だなオイ」
「爺さんだから」
 誰もが納得できてしまう不思議な言葉を呟くと、サフィギシルはもう一つの封筒から二枚の紙を取り出した。一枚ずつカリアラとシラに渡す。二人はそれぞれ文面に目を走らせた。
「これ……」
「なんだ? これ、なんて書いてあるんだ?」
 字の読めないカリアラのために、サフィギシルが説明する。
「二人の“人間申請”仮登録書」
 その言葉に、ピィスがあっと声を上げた。サフィギシルは反応に笑みをもらす。
「魔術技師協会に行ってきて、さっき登録申請してきた。ビジス・ガートンの持っていた魔術技師特級資格の最大の特徴は“無条件で自作に人間としての権利を与えられる”ことなんだよな」
 彼は得意そうに言うと、ビジスの残した認書を指した。カリアラとシラの二人を順に見つめながら言う。
「それを受け継いだ俺にも同じ権限が与えられた。だから、もう二人はここと近隣五国の中では完全に“人間”としての扱いを受けられるんだ。作り物扱いなんてされない。そのうちに住民票も発行される。正式なこの国の民として、永住も認められる」
 シラはまじまじと彼を見つめた。カリアラは話を理解できなくて、きょとんとしている。
「よくわかんねぇけど、いいことなのか」
「ええ……いいこと、です」
 シラはまだ実感が湧かないのか、曖昧な表情で書類を見ている。
 ピィスが途端に興奮してカリアラの背中を叩いた。
「すげぇいいことだよ! これで正式な人間になれるんだぞ!」
「えっ、そうなのか!? おれもう人間なのか!?」
 カリアラはようやく意味を理解して、嬉しげに顔をほころばせる。サフィギシルはそこに厳しく釘を刺した。
「でもまだ仮登録なんだからな! 協会員は理屈で散々負かしてきたから問題ないと思うけど、これから何も問題なく進むかどうかはわからない。そもそも体は木組みのままだし。特にカリアラ、お前はまだ色々と不完全だ。うろこも出るし牙も出るし、頭が随分足りないし。完全に人間になれたわけじゃないんだからな」
 カリアラは言葉を受けて真剣な顔になる。サフィギシルは、目を伏せた。
「……でも」
 場が静まる。ゆっくりと、逸らしていた視線が戻る。
 サフィギシルはカリアラの目をまっすぐに見つめて言った。
「俺がお前を人間にしてやる。何年かかっても、絶対にだ!」
 それは確かな気持ちの表れ。言葉よりも確実な感謝のかたち。
 カリアラは途端にほどけるような笑みを見せる。そして、まっすぐに見返して言った。
「うん。頼む!」
 サフィギシルは笑った。シラも、ピィスも笑った。
「じゃ、おめでたいから乾杯しよう。おじさーん、なにかお酒四人前ー!」
「ってお前まだ未成年だろ!」
 サフィギシルの言葉も無視して店の主人は笑顔で答えた。
「お、なんかあったのか? 了解ー」
「まあ特別特別。ほらそこのおねーさんも明らかに喜んでるし」
 と示した先には、満面に期待を浮かべて待ち構えるシラ。カリアラは彼女を見てぎょっとすると、おろおろと手をさまよわせる。
「ピ、ピィス。シラは酒はちょっと……」
「大丈夫、呑めます。気にせずたくさん持ってきてくださーい」
「はいよー!」
 あわわわわ、と明らかに慌てる彼にも構わずに、四つのグラスと一本の果実酒が運ばれた。
「あ、これ旨いんだよなー呑みやすくてー」
「そうなんですかー」
 シラは嬉しそうにグラスを並べる。ピィスがいやに慣れた手つきで瓶の栓を開けていく。
「お前普段から呑んでるだろ」
「えー、何のはなしー?」
 明るく笑って流しながら、ピィスはグラスに透明な酒を注いでいく。カリアラは、真剣な顔でサフィギシルに予告した。
「サフィ、ごめんな。すごいぞ」
「は?」
「すごいぞ」
 それ以上の説明がされる前に準備が整う。なみなみと酒の注がれたグラスを渡され、そのまま四人で向き合った。
 沈黙と、真面目な表情。
 だがすぐに、堪えきれなくなった一人が笑う。するとたちまち笑みは伝染し、くすくすとかすかな声が広がった。喜びもまた伝わっていき、見合わせた顔たちは温かい感情に包まれていく。
 ピィスがグラスを軽く掲げる。
「では、新たな人間の誕生に」
 それに続けて四人は声を揃えて言った。

「乾杯!!」

 それぞれのグラスが音を立てると、皆もまた弾けるように声をあげて笑いだす。共に同じ気持ちを抱え、楽しくて、おかしくて、いつまでも笑い続けた。


 人間は、この世で唯一 “笑う”ことのできる生き物である。


[終わり]

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