エピローグ「人は笑う」
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「さて問題です」
 ピィスは人差し指を立てて言った。
「娘の誕生日のために猫型細工を作り始めたのはいいが、あまりにも強い魔力をもっているせいで予想外の進化を遂げさせてしまった粗忽な魔術師と」
「はいはい」
 シラは隣で相づちを打ちつつ水を飲んだ。ピィスは続ける。
「彼の素質を知っていて『なんか大変なことになるんじゃないかなー』と薄々勘づきながらも、面白いからという理由で彼に『作品』の作りかたを指南していたとある店の主人」
「ええ。そして?」
「……そしてその予想外の進化を遂げた『作品』が部屋にいるのにも気がつかず、うっかりと危険な石の封印を完全にはいだあげくに鍵を閉め忘れ、さらにその後『作品』が家を出ていくのにも気づかなかったお嬢さん。と!」
 接続詞にやたら力を込めると、ピィスは早口でまくし立てた。
「しぶとく打たれ強い猫魂を作り上げてどこぞの店主に卸していた某天才。この中で悪いのは誰だ」
 ぴし、と指をシラに向ける。シラはグラスを机に置き、どこか呆れた口調で言った。
「非は全員にあるんでしょうけど。どうしてでしょうか、最後の方が真犯人と言いたいのは」
「それが彼の人柄です」
 きっぱりと言うと、ピィスは髪をかきむしりつつ机に伏せる。
「あー、もー、なんでこんなことになったんだろー!」
 通行人がびくりとして目を向ける。シラは心配ないと言うように、彼らに軽く手を振った。
 ここはアーレルの中心部を少し逸れたあたり、人型細工のベキーちゃんが看板娘を務める店だ。彼女も主人も猫の被害を逃れたために、こうして今日も露店を出している。シラとピィスは二人揃って奥の席に座っていた。ここで待ち合わせをしているのだ。
 昼前になって、サフィギシルがなぜだか急に街に行くと言い出した。するとカリアラも行きたいと言い、シラも一緒にと誘いをかける。口を切ったサフィギシルは予想外の展開に困ったようだが、結局はシラもカリアラに抱えてもらい、全員で街に来た。
 サフィギシルはこの店についた途端、用事があると姿を消した。残されたカリアラとシラが食事を取っていると、ちょうどピィスが現れたのでそれからずっと共にいる。
 そしてそのまま何時間経っただろう。もう夕方に近いというのに、サフィギシルは戻ってこない。用事を終えたらまたここに集合と言っていたのは、彼本人のはずなのだが。
 カリアラは道を挟んだ向かいの空き地で子どもたちと遊んでいる。楽しげな話し声がここまで届く。シラはとっくに食べ終わった皿を意味もなく積み重ねた。退屈な口ぶりで言う。
「いいじゃありませんか。まだ死人が出なかっただけ」
「でもあちこちの家ぶっこわしてんだよ? その原因が全部身内と自分自身ってどういう悪だよ」
 ピィスはずばりと事件の秘密を口にした。夕方が近いためか、他に客の姿はない。主人も遠くでベキーと愛を確かめ合うのに夢中である。なので、少しは大きな声で喋っても構わない。
「あー、なんだかもう罪悪感とかそんなものでいっぱいでいやになるー。サフィ来ねーしー」
「本当。いつまで待っても来ませんね」
 シラはうんざりと空を見上げた。
 うっすらと金色がかった雲が天を覆っている。そこから同じ色をした光の粒が降っていた。昨日から続くそれは、今日もまだ街中をほのかに明るく照らしている。このおかげで、昨日はまるで昼のごとくに明るい奇妙な夜だった。薄闇の中、金の光がやわらかく降る幻想的な光景に、人々はみな外に出て空を眺めていたという。今夜もそうなるのだろうか。
 降りそそぐ光は触れると暖かい。これらはすべて自然の持つ魔力なのだそうだ。土から、水から、風から、木々から、魔力が空へと集まった。まるで、ビジスを追うようにして。
 それらはまた国中にふりそそぐ。猫に魔力を吸い取られ、弱っていた人々に確かな力をもたらしていく。
 その恩恵を受けるように、人々は皆外にいた。復興を手伝いながら、修復の作業をしながら。特に仕事がないものたちも、道端や庭先に椅子を出して座り込む。店先に日向ぼっこのように座り込み、雑談に興じる老人たちの姿があちこちで見られる。この露店もいつもは布天井を張っているそうだが、今日ばかりは開けた空を覆うことなくすべてを光に晒していた。
 ピィスは光をぽつぽつと浴びながら身を起こす。
「なんかもう。オレたち親子犯罪者かよ」
「でも反省しているんでしょう?」
「うん。もう馬車馬のごとくに働かせていただきます。今朝からずーっと復興の手伝いしてて、大工になれそうなぐらいいろんな作業を覚えました。だからいまは休憩中ー」
 冗談じみた口調で言うと、ピィスはまたもぐったりと机に伏せる。シラはいまだ現れないサフィギシルを探すように、ゆっくりとあたりの景色を見回した。
 あちこちで建物が潰れている。遠くに見える布張りの小屋は、泊まる場所を失った人達のための仮の住まいだ。だが悲惨な光景とは逆に、街は活気づいていた。崩れた瓦礫を片付ける物音が止むことはない。一時的な大工と化した人々は騒がしいほどに声を掛け合う。彼らはみな積極的に手を貸し合っているように見えた。
「親父なんか今回のことで怪我をした人全員の治癒に回ってさ。仮とはいえほとんど治しちゃったからね。ついさっきぶっ倒れて被害者の家で手厚く看病してもらってる。本当のこと言い損ねてるせいでみんな優しいからさ、針のむしろで苦悩してたよ」
「もともと、誕生日を迎える娘のためのしわざですしね」
 すでに聞き飽きた事件の原因を口にすると、ピィスは不機嫌に頭を押さえた。
「ていうかオレ誕生日三ヵ月も先なんだけど。不器用だから時間がかかると思って早めに作ってたって、もうそこからして大間抜けだよなあ」
「まあ悪気はないんですから」
 と、なだめるのはもう何回目になるだろうか。カリアラはすぐに子どもたちと遊び始めてしまったし、シラは昼にここに来てからずっとピィスと二人で過ごしている。父親についての文句も、街のさまざまな情報もどれだけ耳にしたことだろうか。シラはため息をつきながら、ゆったりと椅子に座りなおした。
 今までとは別人のように打ち解けてきたシラを見つめ、ピィスは面白そうに笑う。
「人見知りする性格だったの?」
「……ええ、まあ」
 今さらのように微笑みなどを浮かべてみたが、それはかすかに引きつった。もう、そんなことはやめてしまうことにする。どちらにしろピィスには怒鳴る姿を見られてしまったのだし。
「きっと、これからもっと気さくになると思います」
 シラは諦めて予告した。ピィスは笑顔で手を伸ばす。
「ま、長い付き合いになりそうだしね。これからもよろしくお願いしまーす」
「こちらこそ」
 シラもその手を握り返した。今度は自然に笑うことができた。
「しかし、随分と人手がありますね」
「王様が兵力全部つぎ込んでくれたんだってさー」
 それを聞いてシラは含み笑いをする。ピィスが不思議そうに見つめてきたが、説明や言い逃れをする前に、聞きなれた声が割り込んだ。
「ピィス、騙したな!」
「は?」
 二人は同時に声のした方を見る。サフィギシルが大きめの封筒を抱え、憤りながら近づいてきた。
「何のことだよ。しかし遅かったなー」
「ねえ。もう随分待たされましたよ」
「道がわからなくなったんだよ。ああ疲れた!」
 彼は空いた席へと座る。本当に疲れきっているようで、ぐったりと椅子に身を投げた。悔しそうな目でピィスを睨む。
「嘘ばっかりつきやがって。そんなにえらくないじゃねーか人間」
「だから何のことだよ。騙したとか嘘とか人聞きの悪い」
「字! 言葉! お前俺がちゃんと文字が読めないからってさんざん馬鹿にして! 道に迷って街中あちこち回ったけど、字が読めないやつ多いじゃねーか! 地図見せても通じないし!」
「いや、そりゃそうだろ。この辺けっこう識字率高いらしいけど、さすがに全員ってわけには……」
「それに魔術技師! 昨日から思ってたけどみんな技量低いし、やたらと不器用な奴も多いし! ベキーとかなんだよ人間じゃないだろあれ! あんなのでも上手な方ってどうなってんだよ一体!」
「いやそれは言うなよここで」
 ピィスとシラは思わず主人を窺うが、どうやら聞こえてはいないようだった。彼は幸せそうにベキーの髪をといている。背が届かないので専用の台に乗って。
「ろくに計算できない店員もいるし! 協会の受付はやたら喋りがはっきりしないし、ずっとおどおどして要領得ないし! 全然違うじゃねーか!」
「違うって、何が……あ」
 顔を赤くしてまで続く文句にピィスは眉をひそめていたが、ふと何かを思いつく。
 仮説を確認するように、不機嫌なサフィギシルに向けて訊いた。
「もしかしてお前、“人間”は全員すらすらと字が読み書きできると思ってた?」
「そうだよ!」
 サフィギシルは力いっぱい肯定する。ピィスはシラと顔を見合わせた。おそるおそる問いを重ねる。
「それでもってもしかして、“人間”はみんな爺さんみたいに頭が良くていろんなことを知っていて、手先が器用で技量が高くて、計算も速くて喋りが達者な完璧な奴だと思ってた、とか?」
「そうだよ! あとせめてペシフさんぐらい魔術が使えるだろうと思ってたし、お前と同じで四ヶ国語は喋れるとも思ってたよ!」
 サフィギシルは恥ずかしげもなくきっぱりと言いきった。
 あの家の中で限られた人間しか知らなかった彼にとって、“人間”というものはすなわちビジスのことだったのだ。外を知らないサフィギシルは、あの特異な天才を“平均的な人間”だと勘違いしていたらしい。
 そして、それに比べて未熟な自分は“人間”として不合格だと思い込んでいた。
「お前……かわいいなぁー」
「なんだよそれ」
 驚いた顔で見つめるピィスに、サフィギシルはむっつりと口を結んだ。
 シラは懸命に笑いを堪えている。うつむいた肩が楽しく震えた。
「な、なんで笑うんだよ。今までずっとそういう風に思ってたから、なんでいつまで経っても言葉が身につかないんだろうとか、字が上手くかけないんだろうとか真剣に悩んでたんだよ俺は! ピィスは目の前でさらさらと計算解くし、外国語も書けるし、『これぐらい簡単』とか言うし!」
「あー、ごめんごめん。あのな、オレがやってた計算問題はものすごく初歩的なやつ。あと外国語って言っても、あれは『こんにちは』とか『おやすみなさい』とかそんな簡単な短文だし」
 ピィスは笑いながら謝罪する。そうやって偉いようなふりをしてからかっていたのだ。ぽかんとした畏敬の目で見つめられるのが愉しくて、ついつい何度も彼には理解できない物事を披露した。悪気があったわけではないが、知らぬ間に彼の劣等感の源になっていたとは。
「だから騙したっていうんだよ。ああもう随分時間を損した。勘違いして落ち込んで損した」
「ホントごめんな。悪かった」
「いいよもう。……いろいろと助けてもらったし」
 サフィギシルは疲れたように息をつくと、置いてあった水を一口飲みほした。
 そしてちらりとピィスに目を向ける。見つめ返す彼女の視線を受け取ると、彼は顔を赤らめながらかすかな声で呟いた。
「ありがとう」
 ピィスは思わずぽかんと彼を見つめたが、その後で嬉しそうに笑う。
 赤い顔でそっぽを向いてしまった彼を、面白がるように言った。
「それ、あいつにもちゃんと言ったか?」
「……まだだよ。今から」
 サフィギシルはどこか拗ねた口調で言う。その後で、いやに真面目な顔をした。
「でも、言葉よりも……」
 だが言い切る前に周囲を見回す。
「カリアラは?」
「ああ、ほらそこにいるだろ」
 ピィスは道を挟んだ向かい側の空き地を指す。
 全員が、そちらを見た。


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