第6話「群れ」
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 技師たちは作品たちの残骸や瓦礫をかき集め、巨大な鳥の形を作る。その他の人々は彼らから距離を置きつつも、心配と興味をもってじっと覗き込んでいた。それぞれの口を出て行く言葉がざわめきとなって場を包む。
 カリアラが、こほ、と小さく息を吐いた。ピィスはふと彼を見上げて息を呑む。ぼんやりと川の向こうを見つめる顔が、紙のように白かった。悪寒からか肌がわずかに震えている。カリアラは青ざめたまま何度も何度も息を吐いた。まるで沫を吐き出すように。体の不調をあらわすように。ピィスは途端に不安になる。
「お前、大丈夫なのか? いくら傷がつかないっていっても……」
 カリアラは彼女を見返さないまま言葉をさえぎる。
「大丈夫だ」
 声はかすかに潰れている。カリアラは静かに続けた。
「まだ、生きてる」
 ピィスがその意味を訊こうとしたとき、作業を続ける後方でコウエンが言った。
「魔力はそこらのやつを使え! 集めるんだ、多いほどいい!」
 ピィスはとっさにあたりを見回す。まだあちらこちらに猫の残した魔力が漂っていた。街から奪い去った力は霧のように浮かんでいる。目に見えるほどのものなら、手で煽げば風に乗せて動かせる。ピィスはすぐにそれらを集めるために動きだした。カリアラも後に続く。リドーも五つ子も、まだその場にいる人々に説明して協力を求める。皆、わけがわからないなりに手を貸してくれた。大勢の協力を得て、鳥は形になっていく。
「ピィス! 魔石まだ持ってるか!」
「え? あ、うん!」
 コウエンに言われてピィスは石を差し出した。深い緑色の魔石。自分の家からコウエンが盗んでいたものだ。
「使うぞ。俺が盗っててよかったな」
 コウエンは受け取りながらにやりと笑う。ピィスは呆れまじりの笑みをもらした。受け取った石を即座に鳥に組み込みながら、コウエンは技師たちに指示を出す。
「入魂するぞ! 魔力を寄せろ、手順はギシタの四番式だ! 呪文をそらで言える奴は順に続け!」
 猫にやられて一人一人の魔力が少なくなった今、呪文を唱えて魂を器へと導くためには頭数が必要だった。完成を待つ鳥をぐるりと囲み、詠唱できる者が集まる。七人。彼らは触れるかどうかというわずかな距離で、それぞれの利き手を鳥にかざした。
 コウエンはカリアラとピィスを傍に立たせ、魂入りの筒を掲げる。ラベルに書かれた魂の名を読み上げた。
「キィアレフツディータグース。新たな路をお前に与える」
 術の始まり。隣の技師がそれに続く。
「目を開け声を上げろ。流れる血を思い出せ」
 手のひらと鳥の間が輝く。静かな呪文は次へと回る。
「翼を持て爪を持て。全てを切り裂く嘴を取り戻せ」
 コウエンの手の中で筒が震え始める。その色が濃くなっていく。
「光はお前に熱をもたらす」
「風はお前に動を与える」
「生まれ持つその力を余すことなく身に放て」
 立ち並ぶ人々は皆、息を呑んで術を見守る。
「路を見よ さもなければ闇へと舞い落ちる」
「路を読め さもなければ永遠の眠りが待つ」
「路を行け 再び命を求めるならば歩み出せ」
 戻ってきた言葉を受けてコウエンがふたを剥ぐ。
 全員が声を合わせて唱えた。
「『目覚めよ』!!」
 重なる叫びとほぼ同時、空気が密な塊となってその場を呑んだ。轟音に近い唸りを上げて風があたりを包み込む。技師たち以外は誰もが即座に目を閉じた。ピィスが風に打たれてよろける。カリアラが支えようとした瞬間、目を焼くほどの光が弾けた。それはすぐに一点に収縮する。中央に、地に立つ木の塊へと集まっていく。風がゆるむ。さらさらとした砂の流れる音を立てて、ゆっくりと収まっていく。
 鋭い鳥の声が響いた。
 周囲から、ため息にも似た感嘆の声が上がる。人の背よりいくらか大きな一羽の鳥が、翼を広げて立っていた。黒ずんだ藍色の体は力強く、二人ならば楽に乗ることができるだろう。鋭い爪やくちばしが危うく光る。ボークスヘッグは随所にもれる凶暴さを隠すように、大人しく地に伏せた。カリアラが迷わず乗りこむ。ピィスは一瞬戸惑うが、コウエンがその背を押した。
「大丈夫。こいつは強い」
 押されるがまま、転ぶようにして鳥の体にしがみつくと、カリアラが彼女の腕を引き上げた。
「乗れるだろ?」
 当たり前のような言葉。いつかとは立場が逆になっていることに気づき、ピィスは複雑そうに言う。
「乗れるよ。魔術技師の『作品』に不可能はないんだから」
 周囲の技師たちが笑う。それはビジス・ガートンの言葉だった。
 魔術技師なら誰もがそれを胸に抱えて生きている。それが彼らの誇りなのだ。
「よし、行ってこい!」
 コウエンはピィスを鳥の首に乗せる。動かし方を手早く教え、しっかり掴まるようにと言い聞かせた。指示を出すとボークスヘッグは大人しくそれに従う。ピィスは家の方を見つめて叫んだ。
「飛び立て!」
 一瞬の間を置くこともなく即座にばさりと翼を広げ、蒼い鳥は地を蹴った。


 前方から強い風が吹きつける。ピィスは必死に鳥の首にしがみついた。下を向くと体が震えた。人々が小さな粒のように見える。建物の崩れた跡が線となって広がっている。
 風が鳴る、翼が羽ばたく。あたりの空気を唸らせながらみるみると街を離れて行く。ピィスは掴んだ指の先から魔力と共に意志を伝える。川を越えて林を越えて、あの家に向かうように。
「いた」
 カリアラが身を乗り出した。ピィスはすぐさま示された方を見る。どろりとした闇が見えた。またしても猫の形に戻りつつあるそれが喰らいつくのは、木造の一軒屋。建物の形が目に見えるということは、既に封印は消えている。
「やばい、急げ!」
 命令を受けて鳥が急激に高度を下げた。粒のように見えていた家がみるみると近くなる。それを包み込む黒い闇も。おそろしい速度で近づく鳥に、猫が小さな悲鳴を上げた。家から離れようと逃げ場を探すが、鳥は地面低くを飛んですぐ傍まで迫っている。
「やれ!!」
 鳥がカッと目口を開く。猫もまた目を見開いた。せめてもの抵抗として爪をかざすが、鳥は迷わず相手の喉へと一直線に飛んでいく。その体が低く地をかすめた瞬間、カリアラがピィスを抱えて飛び降りた。鳥は猫の喉を掴み、そのままに引きずっていく。猫の悲鳴が風にのまれて遠ざかる。鳥は一度猫を放し、今度は足で掴み上げた。鋭い爪を黒い背に刺して飛ぶ。暴れる猫を裏山の上へと連れ去り、鋭く尖った木々へ落とした。さらに降下してくちばしによる攻撃を始める。抵抗を受ける間もなく、確実に敵を傷つけていく。
「え、えげつない……」
 ピィスは引きつった口で呟いた。コウエンが自信を持って大丈夫だと言ったのもうなずける。ビジスの手によって集められた動物だ、呑気なものであるはずがない。
 だが猫の命もまだ失せたわけではなかった。一方的にやられながらも、鳥の魔力を吸い取っていく。即席の鳥型細工は少しずつ木の肌をあらわにし始めた。
 鳥が猫を殺すが早いか、猫が鳥を喰うのが早いか。
 だが今はそれを見届けている場合ではない。ピィスは倒れていた体を起こした。痛みはたいしたことがない。あんなにも速い鳥から降りた割に、衝撃が軽かったのを訝しく思ったその時。
 こほ、と息を吐く音がした。ピィスは驚いて振り返る。
「ご、ごめん! 大丈夫か!?」
 カリアラが、ぐったりとしてその場に倒れこんでいた。飛び降りる際に下敷きになってくれたのだ。助け起こすと、カリアラの体の中からは水の跳ねる音がした。部品がずれて崩れる音や、木が軋むような音も。
「お前、中身……」
 カリアラは言葉を待たずに立ち上がる。その体は一度大きくふらついた。それでもカリアラは、足を踏みしめてまっすぐに家へと向かう。振り向きもせず駆けて行く彼を、ピィスも慌てて追いかけた。
 家を包む封印は跡形もなく消えている。駆け寄ると、猫によって壁が少し壊されているのが見えた。
「シラ!」
 カリアラは玄関を開けて飛び込む。ピィスも後に続こうとしたが、ぎくりとして足を止めた。
 血の臭いがする。それも、尋常ではないほどに濃く。
 あたりに蔓延するそれは、居間からしているようだった。一足先に入りこんだカリアラが言葉を失う気配が伝わる。それはすぐに悲鳴にも似た声に変わった。
「シラ、シラ!」
 ピィスはその場に凍りつく。カリアラが必死に叫んでいるのが聞こえる。
「シラ、シラ!!」
 その呼びかけを、かすかな呻きがさえぎった。
 ピィスは我に返った。まだ生きている、早くなんとかしなければ。焦りからもつれる動きで転がるように居間へと駆け込んだ。
 その視界を鮮やかな赤が覆う。
 置かれたソファから壁にかけて、大量の血が広がっていた。
 ピィスはこみ上がりかけたものをかろうじて飲み込んだ。血だまりの中に、シラが倒れている。その下半身は服ごと赤く染まっていた。魔力が抜けて、義足と生身の接続が解けたのだ。それはまだ義足が固定しきれていないシラにとって、足の付け根を強引に引き裂くのと同じだった。少しでも早く処置しなければ、出血が死を招く。
「ピィス、どうすればいいんだ!? どうすれば治るんだ!?」
「ち、血を止めなきゃ! 何か布……カーテン! それ外せ!!」
 喋る先から言葉が震える。カリアラはすぐにカーテンを引き剥がした。ピィスは血に怯えながらもシラに近寄る。出血の割には意識はしっかりしているようだ。シラは気丈な表情で、黒ずんだくちびるを動かす。
「……大丈夫。人魚は、人より血が多いから」
 かすれてはいたがいつも通りの声色だった。だがその顔はおそろしく青ざめている。ピィスは震える手で彼女の服を剥がした。息と吐き気を同時にのむ。うろこを持つ魚の形の下半身。それを縦一本に割る深い傷が開いている。床の上に血まみれの義足が転がっていた。痛みに苦しみ床を転がったのだろう。そうして血が床中に広がったのだ。
 混乱するピィスの頭を治癒の呪文が駆け巡る。確実に身についているとは言えない術ばかりだが、今はこれに頼るしかない。ピィスは傷に手をかざし、片っ端からそれを唱えた。淡い光が指先を出ては傷口へと入り込む。少しずつ、裂かれた身を繋いでいく。ふさぎやすいよう、片手で傷を閉じる形で押さえつけた。あちこちにある出血の元を一つずつふさぎ、命を繋ぎとめていく。
 傷口がなんとかふさがる。出血も止まり、ピィスはその場にへたりこむ。今日ほど父が魔術師でよかったと思ったことはない。片手間でも術を学んできたことを、こんなにもありがたく思ったのは初めてだった。全身を汗が流れている。死にそうな息をつく。
「動くなよ。動いたらまた開くからな」
 ただでさえ、魔術の治癒は仮のものとされているのだ。未熟な術の効用はあまりにも心もとない。今はなんとか止まっているが、またすぐに血が流れだしても不思議ではないのだ。術はいつ解けてもおかしくない状態だった。
「これでいいか?」
 カリアラがカーテンを持ってきた。ピィスはそれでシラの足を包む。応急処置になるかどうかはわからないが、そうせずにはいられなかった。出血は止まったが、このままでいいはずがない。だがどうすればいいかわからない。
「まだ、しばらくは平気」
 シラはカリアラを見つめて言った。仮の治癒が効いたのだろう、さっきよりも表情がやわらいでいる。彼女は不安そうなカリアラを、落ち着かせるように続ける。
「まだ、大丈夫」
 まだ、という言葉がいやにおそろしく感じた。これからも大丈夫な保証はないのだ。
 ピィスは立った。ぬるりとした血が足にこびりついている。血の臭いによる吐き気がひどい。急激な魔力の消費にめまいがする。だが今はそんなことよりシラの怪我の方が先だ。なんとかして回復に導かなければ。
 部屋を見回した目が止まる。背後に位置する食卓に、人の影。
「サフィ!」
 シラが、あっ、とかすかな声を上げた。
 ピィスはそれを気にすることなく彼に近寄る。サフィギシルはこちらに背を向けて座り、無言で机に突っ伏している。呼びかけにも応じない、何度言っても反応しない。ピィスは苛立ちのままぐいと彼の肩を取った。
「何やってんだよ! 早くなお……」
 言葉が消える。彼に触れた手も止まる。
 服ごしに伝わる肌が硬かった。
 襟から覗く首元には、うっすらと継ぎ目が見える。投げ出された腕は織布を貼りつけた木だ。伏せた顔は色を失い完全な作り物に変化している。体温がない。魔力の気配が全くない。

 彼は、完全に、木製の人形になっていた。

 ピィスは呆然としたまま手を離す。
 組んでいた腕が解け、サフィギシルは机の上にがたりと崩れた。


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最終話「受け継がれるもの」に続く。