第6話「群れ」
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 今にも飛び出しそうな体を子どものように抱えられ、公園の隅まで引きずられた。ロウレンはいまだ解けない父の腕からなんとか逃れようとするが、一組にして引きずられるラウレン共々身動きすら上手くいかない。ルウレンとカレンもまた同じように、母の腕にしっかりと掴まっている。
 リウレンがすぐ傍で抵抗もなく泣いている。誰よりも大人しい末っ子は、いつものように声を殺してわめきもせずに涙を流した。
 ロウレンは手足を無駄に暴れさせながら言う。
「離してよ! カリアラ君が、カリアラ君がっ」
「駄目だ、ここにいろ!」
 物忌むような人々の囁きあいすら砕く声。怒鳴る父に周囲の視線が集まった。同情と痛みを伴う弱い瞳がいくつもこちらに向けられて、また静かに去っていく。
 並ぶ大人の背が高い。気がつけば、五つ子たちは人ごみの最後部まで下がっていた。剥き出しの山肌が行き止まりをあらわしている。ピィスの叫びもこのあたりには小さくしか届かない。だがそれでもかすれていく彼女の声は確かに耳に纏わりついて、心をきつく締めつけていく。
 背を向けた大人たちは、遠巻きにピィスを見つめる。さっき五人に向けたものと同じ目をしているのだろう。哀しいまでに弱々しい、貧弱な視線。
 崩壊の音が坂の下から響く。震動は伝わらない。轟音も遠く薄い。だがそれでも何が起こっているかは嫌でも理解させられた。
 遠い場所で猫が叫ぶ。身を震わせる不気味な声が伸びていく。
「助けに行かなきゃだめなんだ! 離して、離せよ!」
 あれだけの巨大な敵にひとりで向かって無事で済むはずがない。ロウレンは拘束を解こうと懸命に手足を動かす。すぐ傍でラウレンも同じようにもがいている。伸ばした足が見知らぬ人のすねを蹴った。睨まれて謝りながら、父は強く腿をつねる。痛みににぶい声を上げると後ろでよく似た声がした。母の方でも同じようなことが起こっているらしい。ルウレンが自慢の足をつねられつつも、逃れようと腕を振る。
「助けなきゃカリアラ君がっ」
 痺れを切らした母が怒鳴った。
「あなたたちに何ができるの!!」
 ぴた、とカレンの動きが止まる。ロウレンもラウレンも、ルウレンもまた動きを止めた。周辺の人々の目が同情と共にやってきて、再び言葉もなく去っていく。兄弟たちは同じように歯噛みしていた。鋭い事実が今さらのように胸をえぐる。何ができる。親の腕すら振りほどけない自分たちに何ができる。
 猫がまた耳障りな声で叫んだ。木の砕ける音がする。建物が崩れていく音もする。
「お願いします! 一緒に戦ってください!!」
 遠く聞こえるピィスの声はだんだんと枯れつつあった。それでも彼女は人垣の向こうで頭を下げているのだろう。返答のない呼びかけを繰り返しているのだろう。答えなければいけなかった。戦いたいと叫びたかった。
 だが、力ない自分たちに何ができる? 武器を持ったこともない、本気で誰かと殴りあったこともない貧弱な子どもがたった五人。それでどう戦えばいい?
 ロウレンはきつく口を結ぶ。無力さに押しつぶされてしまいそうだった。
 カリアラカルスを滅ぼしたのが人間だと知った時も、同じような気持ちになった。まだ幼かったころだ。何年も前にその生き物が絶やされたと教えられ、悲しくてしかたがなくて、五人揃って涙を流した。
 どうしてもっと早く生まれていなかったのかと考えた。そうすれば生きているカリアラカルスを目にできたかもしれないのに。愚かな狩りを止めることが、絶滅を防ぐことが可能だったかもしれないのに。
 それでも事実は変わらない。自分たちが生まれる前の出来事を動かすことはできない。そして今、目の前で起こりつつある悲しみを食い止めることですら。
「カリアラカルスだよ。カリアラ君は、カリアラカルスなんだ」
 彼らの悲劇を教えてくれた父は、無言で腕を強く締めた。それよりも自分の子どもが大事なのだと伝えるように。だがロウレンの耳には、カリアラの言葉がこびりついて離れない。

 ――なんで戦わないんだ。人間は、強いのに。

 人間は強いのに敵に向かうことができない。当然のように戦う彼を救い出すこともできない。
 そうして彼は、また人間に滅ぼされてしまうのか。
 羽交い締めにされた腕にぽたぽたと涙が落ちた。すぐ傍でラウレンも泣いている。見えないけれどあの頃と同じように、みんな揃って泣いているに違いない。罪滅ぼしにもなり得ない。最後のひとりを助けに行くことすらできない。
 何も、できない。
「できるよ」
 涙に震える声が言った。振り向くと、リウレンが泣きすぎて赤らんだ顔をしっかりと上げている。ロウレンたちはぽかんとして彼を見つめた。リウレンは震えている。だけど確かに前を向く。
 一番気が小さくて、いつも泣いてばかりだった気弱な末っ子。その彼が今までになく確かな意志のこもる目で、泣きながらもまっすぐにみんなを見ていた。
「僕たちにも何かできることはある。カリアラ君が言ってたんだ。誰にでも役割はあるって。なにかできることが必ずあるって。僕は、僕はすごく弱いけど……何のとりえもないけど、でも、それでもなにかできるって言ってくれて……」
 懸命に紡ぐ言葉は途中で涙の海に溺れる。リウレンはそれでもしっかりと足を踏みしめて、流れる涙も拭かずに喋る。
「だから、だから僕たちも……戦えなくても、僕たちにもなにか、できることは……っ」
 その後は、あふれる涙にすべてを呑まれて声にならない。
 だが伝えたいことは口にせずとも伝わっていく。何かできることがあるはずだ。戦えなくても、こんなに弱い自分たちでも、戦う彼を助けに行ける方法が。ロウレンは閃くように思いつく。
 ――あった。助けになれる行動が。
 ロウレンは残りの兄弟たちを見た。彼らもまた同じようにこちらを見ている。するすると糸を紡ぐように、それぞれの意志が纏まって同じ想いに繋がっていく。
 ロウレンは静かな声で呟いた。
「僕たちにできることは」
 五人の目がぴたりと合う。随分と久しぶりの感覚だった。全員が、同じことを考えている。
 見計らうまでもなく、押さえられた四人が同時に力を抜いた。一斉に両親の顔を見上げる。まるで計算したかのように、まったく同時に口を開く。
「逃げないよ」
 母が怯んで腕をゆるめた。拘束が解けて楽になるが、誰一人動かない。逃げようとはせず大人しくその場にとどまる。それでも父は疑わしそうに手を繋ぐ。
 無抵抗を装いながら、五人は同じかたちをした目を交し合った。言葉はいらない。そんなものはなくても、まだ、みんなどこかで繋がっている。自分たちはずっと一緒だったのだから。
 考えるのはたった一つのできること。力ない自分たちがカリアラの助けになれる、街を救うための方法。成功するかどうかはわからない。失敗して無駄に終わるかもしれない。それでも何もしないよりは何倍もましだった。
 また、ひそかに目を交し合う。こくりと小さくうなずくごとに、意志の繋がりを確認できる。

 ――助けよう。僕たちにできる形で、今度こそ。

 揃いの目で期をうかがう。その時を見極めるため、人々の背をじっと睨む。まったく同じ緊張に胸をはやらせながら、五人は同時に息を呑んだ。

※ ※ ※

 ――息を殺してうずくまるなど許されない。
 コウエンは怒りのままに目の前の黒い山を崩した。墨を塗られた薄い板が、動物の巣のように無造作な洞を作り上げている。彼はそれを剥がしながら、中の闇に向けて叫んだ。
「このろくでなしが! さっさと出てきやがれ馬鹿野郎!!」
 差し込んだ日差しを浴びて、中に隠れる技師たちが悲鳴を上げた。頭を抱える十人近くの男たち。コウエンは彼らのこもる壁をさらに破壊しながら怒鳴る。
「一大事に自分たちだけこそこそ隠れてんじゃねえ! お前らにはあれが見えねぇのか、あの大暴れする『作品』が! 誰が作ったか知ってる奴は名乗り出ろ!!」
 咆えるような彼の声に誰もが間抜けな悲鳴を上げる。その反応を睨みつけ、コウエンは舌を打った。
「いねぇか」
 その途端、遠くで猫が絶叫に近い声をあげた。悲鳴だ、と直感する。動物式の細工物が痛みに苦しむ時の音響。彼の耳はそれらをすべて正確に聴き分けられる。苦しみに暴れる魂の声。その敵意は一点に集まっている。
「……あんの、馬鹿がっ」
 嫌な予感などという曖昧なものではない。それは確かな事実として体温を下げていく。現状であの敵に歯向かえるのはひとりしかいないだろう。ビジスほどの腕がないと活用できない不透織布を体に纏う、一匹の人型細工。その命がいつまで持つかは誰にも保証できなかった。
 コウエンは掴んだ板を中の技師に投げつける。
「こんな小細工して逃げ込んで、恥ずかしいとは思わねぇのか!!」
 見事に額に当たった男が言葉もなくうずくまった。紋様つきの黒い板は魔力の気配を遮断する。それらに囲まれている限り、猫はこちらに近寄らない。そうすれば殺されることはない。彼らは必死に隠れていたのだ。敵から随分離れた場所に、惨めな巣を作り上げて。
「いいか、敵は誰かの『作品』だ。その敵と戦ってるのも『作品』だ! 俺はそれが誰の作ったものかは知らねぇ。ただ言えるのは、たとえ天地がひっくり返ってもお前らの作じゃねえってことだ!!」
 コウエンは身を固める惨めな同業者たちに言う。
「恥ずかしくねぇのか。俺たちは魔術技師だ、世界の覇者ビジス・ガートンと同じ生業だ! それがどうだ、今お前たちは何をしてる? こそこそと隠れ回ってひゃあひゃあ騒いで何になる!」
 怒りの中には劣等感も混じっていた。羨みも、悔しさも。同じ魔術技師の『作品』が街のために戦っている。それなのに自分の不甲斐なさはどうだ。この技師たちの情けなさはどうだ。
 彼は腕には自信があった。一般の技師の中では、誰よりもビジスに認められているという自負すら存在したのだ。それなのに自らの失態が危機を呼んだ。彼の集めた吸入石がこの状況を呼び出したのだ。
「いいかもう一度言う。敵は技師の『作品』だ。俺たちは魔術技師だ! その誇りは絶対に忘れちゃならねえ! この生業を泥で汚すわけにはいかねえ!!」
 彼はおのれに向けて叫ぶ。ビジスに貰った不透織布を握りしめて声を荒げる。
「全員今すぐ立ち上がれ! ここで負けたらクソジジイの墓にすら立つ瀬がねぇぞ! ビジスが作った街を魔術技師が潰すのか!? この仕事を永遠におとしめるのか!?」
 逃げるなど許されない。息を殺してうずくまるなど許されない。今は、戦わなくてはならない。
 彼はいまだ顔を上げない魔術技師たちに向けて叫んだ。
「身内の恥はてめぇですすげ! さっさとここから這い上がれ!!」
 絶叫に続いたのは、身を冷やすような沈黙。
 だがその後で、がた、とかすかな物音がする。闇の奥で一人の男が身を起こした。睨むほどに強い眼差し。男は無言であたりの板をはがし始める。皆が次々後に続く。広がり始めた光の中で、一人一人がそれぞれの武器を手にしはじめた。『作品』を調整するささやかな物音が、ざわめくように広がっていく。
 深く据わった目を抱え、技師たちは、ゆっくりと立ち上がった。

※ ※ ※

 部屋の中は痛いほどの沈黙に満ちていた。王城の奥に位置する会議室。そこに居並ぶ大臣たちは、机の上に広げられた街の地図を見ることもなく、重く頭を垂れている。
 どれだけ策を凝らしても解決法が見つからなかった。兵は効かない、武器も効かない。魔力が吸われてしまうのならば、武器庫の奥に鎮座する魔術兵器も意味をなさないことだろう。唯一対抗できるかも知れないペシフィロはいなかった。そして、誰もが頼りにしていたビジス・ガートンも。
 奇妙な形で生きていても、救援の気がなければいないのと同じだった。彼はそういう存在だ。封印に隠れた今では姿を探す術すらない。
 通路の奥では何人もの女たちが泣いていた。運良く逃げこむことのできた国民たちの顔は暗い。城内外で警戒を続ける兵士たちも、浮かばない策を探し続ける重臣たちも、みな言葉すらろくに出てこなかった。
 ラックルートが立ち上がり、入り口に捨てられた小さな布を拾い上げた。兵士の所属と地位をあらわす赤地の紋章。その持ち主は、今はもうここにはいない。
 ラックルートはまだ新しいそれを見つめ、物憂げに目を閉じた。


 街の状況を伝えに来たのは、街部警備の一兵ではなく城に属する者だった。通された男は入り口に膝を折り、上がる呼吸も整えないまま街の被害を訴える。
 どれだけの惨状かは耳にしただけでも血の気が引くものだった。だがそれも、実際の現場の恐ろしさにはかなわないに違いない。報告を終えた男は、今にも倒れそうな体を形式通りに固めて叫ぶ。
「どうか一刻も早く応援を! 救援をお願い致します!!」
 だが、答える者はいなかった。机を囲む十余名の重臣たちは、揃って口を一字に引く。
 一人が「無理だ」と口にした。また一人が続けて「無駄だろう」と呟いた。その言葉に男の顔色が変わった。憤りを隠そうともせず真っ向から批難を叫ぶ。何故この非常事態に兵が一つも動かないのか。街の中では多くの人々が命の危機に晒されている。これは一刻を争うのだ、と。
 別の兵が男を引き下げに来る。ラックルートは押さえられる彼に向けて、待機しろとの指示を出した。今はまだどうにもすることができない。本来の持ち場に戻り、指示の下る時を待て、と。
 その場の皆が男の衣服を確かめた。身に着けた制服は間違いのない王城警備のものである。もとより彼は、街に行く必要はない。
 それを聞いて彼は礼すら崩して叫んだ。
「私はこれまで八年間、街部警備を務めてきました!」
 絶叫に近い怒声が冷え込んだ部屋の空気を揺るがす。
「いつまでも城に上がれず、家の汚しと罵られても、住民の安全を守るためにあの街に立ち続けたのです! それなのにどうして今あの場所を離れることができるでしょうか。どうして彼らを見捨てることができるでしょうか!!」
 声色は怒りから切実な望みに変わる。彼は深く頭を下げた。
「応援を! 少しでも早く、一人でも多くの兵をお願いします!!」
 だが、その言葉にも応えられる者はいない。誰もが彼から目を逸らし、重苦しさに頭を垂れた。彼は一人一人を順に見つめる。だが視線は一つも合わず、望む答えは帰ってこない。
 彼は一度うなだれた。冷たい石床を見つめて歯噛みする。
 そして決意の表情で、顔を上げた。低く静かな声で言う。
「過ぎた発言をお許し下さい」
 彼は部屋の奥に向けて叫んだ。
「国王陛下に申し上げます!!」
 裏側にある通路の奥には国王の自室がある。彼は石積みの壁すら貫くほどに、鋭く強い声を出す。
「侍女頭ベルーサ殿が街部にて負傷されました! 医師ニナリエ殿、ガラシオ料理長もまた敵の危機に晒されております! モリア氏の母上も力を吸われて倒れられました!」
 それはまだ幼き王が慕っている者たちだった。一度は退職させられて、毎日のように謁見を求めてきた人々だ。彼はその者たちをよく知っていた。“お伺い”に城内へと詰めかける彼らに対応するのが、ここでの仕事だったのだから。
「これが民草です! 名もなきただの捨て駒ではない、命あるこの国の民です!」
 重臣たちが慌てるのにも構わず、彼は奥にいる王に告げた。
「ご決断を!!」
 喉が千切れるほどに叫ぶと、彼は地位をあらわす紋章を引き剥がして石床に叩きつける。
 そしてそのまま踵を返し、街に向かって駆け出した。


「リドー・イジナスです」
 ラックルートは大臣たちに紋章を掲げて見せた。
「昔……八年前、彼に街を守らせろというビジスの指示がありました。家柄にそぐわない上、本人も拒んでいた。その時は、随分と罪なことをさせると思ったものですが……」
 だから、ビジスが死んだあとで城での職務に就かせたのだ。それが正しい選択なのだと思っていた。だが実際に起こったことは明らかに逆を向いている。ラックルートはため息をついて言った。
「あの方の選んだ道が外れていたことはない」
 それが、ビジス・ガートンという存在だった。
 どれだけ議会が別の道を示していても、彼の言葉に従わなければ必ずどこかで不都合なことが起きた。どんなに理不尽な選択でも、彼の指示は最終的には良い結果に繋がった。前代の王はよく嘆いていたと言う。自分がどれだけ学び、自らの頭で策を講じても、結局はあの男の進言に勝るものはないのだと。
 だが、その偉人はもういない。本人がそう宣言したのだ。自分はもう死んだ、お前たちに話をするのはこれが最後だ、と。
 誰一人彼を探し出そうとは言わなかった。皆、いやというほどにわかっているのだ。あの老人がそう告げたからには、本当に、二度とこの場所に現れることはないのだと。
 そしてこの国の行く先は、渡されたのだということも。
 誰もが選択を迷っていた。確かに今まで国を動かしてきたはずの男たちが、全員まるで放り出された赤子のように、おろおろとさまよっている。国の父とも言える偉大な男はもういない。残されたのは、いつまでも彼にしがみつくしかなかった者ばかり。
 水底にも似た沈黙を破るように、突然、足音が近づいた。
「陛下!」
 制止を求める声がする。だがそれにも構わずに、閉じられていた入り口が勢いよく開かれた。全員が驚いてそちらを見る。まだ幼い形だけの国王が、息を切らして立っていた。
「街は?」
 顔がひどく青ざめている。リドーの言葉が聞こえたのか、それとも誰かが奥の部屋まで伝えたのか。王は震える声で訊いた。
「街はどうなったの。誰かが助けに向かったの」
 病弱な彼は厳重な警戒に守られて、大人しく部屋にいなければならないはずだった。
「なんで!? なんで助けに行かないの!?」
 大臣たちは言葉を探して顔を見合わす。皆がみな言葉に詰まっていたが、結局は総轄を務めるクラスタが口を開いた。率直に状況を説く。助けられる方法がない。敵を倒す手立てがない。
 だが王は聞き入れる様子もなく口を開いた。
「僕は助けてくれるのに。みんなが、みんなは僕を守ってくれるって言うんだ。大丈夫ですって。敵が来てもかならず守ってみせますって。なんで? みんな、なんで僕しか守ってくれないの?」
 喋るほどに顔がみるみる赤くなる。涙すら浮かび始めた彼を、追いついた側近たちが優しく押さえた。クラスタは小さな王にしっかりと言い聞かせる。
「それは、あなたがこの国に必要な方だからです」
 王の血筋を絶やしてしまうわけにはいかない。いざとなれば城に残る者たちだけでも、一時的にどこかに逃げる計画まで立てられていた。そちらの方が、現状ではより実行に近くなりつつある。
「でもこんなにたくさんいなくてもいいでしょう? ねえ、街に兵を向かわせて」
「今はまだ動かすわけにはいきません。お部屋にお戻りください」
 側近の者が肩を取る。王はそれを打ち払い、思いもよらず力強い声で言った。
「ここは僕の国だ!!」
 大臣たちは思わずぎくりと肩を揺らす。大人たちの視線を受けて、小さな王の表情は少しずつ弱まった。彼は震える喉からしぼり出すようにして、懸命に言葉を続ける。
「でも、だけど、僕ひとりじゃ意味がない。ここはみんながいるから国なんでしょう? いろんな人がいるから、だから、だから国なんでしょう?」
 彼は精いっぱいの虚勢をはって、自分の臣下に向けて叫んだ。
「なのにみんなを守らないでどうするんだ。国を殺してどうするんだ!」
 だが、それに従うものはいない。今にも泣き出しそうな顔が、懇願にゆるんでいく。
「……兵を向かわせて。みんなを助けてよ……」
 その願いは個人的な感情から来るものだとその場の誰もが理解していた。策も何も存在しない、ただの子どものわがままに過ぎないものだ。
 それでも以前の彼とは何かが違うような気がした。
 ビジスの襲撃があった日から、未熟な王は少しずつ変化しはじめている。居並ぶ臣下の感情を、ほんの少し動かすほどに。
 クラスタはもう一度朱線の走る地図を見た。兵たちを死にに行かせるわけにはいかない。だが、このままでは甚大な被害が出る。下手をすれば街だけではなく国中に被害が及ぶだろう。国が潰れるのと、応援を求めて隣国に出した伝令が届くのとでは一体どちらが先だろうか。
 まだ敵が現れてからどれほども経っていないのに、事態ばかりが悪い方へと転がり落ちる。あまりにも異常な状況だった。心のどこかでビジスに助けを求めていることに気づき、クラスタはかぶりを振った。もし助けてくれるのならば、誰が頼みに行かなくともこの場に出てきているはずだ。もうあの男を頼りにすることはできない。死者に縋るわけにはいかない。いま必要なのはビジス・ガートンなどではない。自分自身の決断なのだ。
 全身に流れる汗を感じつつ、彼は幼き王を見る。
 そして迷いを定めるように、ゆっくりと息を呑んだ。


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