第6話「群れ」
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 悲鳴のような猫の叫びが随分遠く離れたところで、コウエンはようやく先導していた足を止める。カリアラも彼に倣って立ち止まり、ピィスをどさりと地面に下ろした。ピィスは安堵から来る脱力と疲労のために、力なく地に伏せる。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
 本当に心配そうに顔を覗き込んでくるカリアラに、様々な文句や罵倒を浴びせたいのはやまやまだったが、ピィスはとにかく休息することを選んだ。そうでなければ酔いのために吐きそうだ。無言のままゆっくりと地に横たわる。
 そこは小さな空き地だった。猫の声は届かないが、同じぐらい人の気配も感じられない。沈黙する民家の並びに唐突に空いた更地。草がきれいに抜かれているから、まだ土地が空いて日が経っていないのだろうか。
「ピィス、大丈夫か? おっさん、ピィスどうしたんだ?」
 不安そうなカリアラの尋ねを受けて、コウエンは笑いをこらえながら言った。
「馬鹿、この緊急事態に面白いことやらかすな」
「面白いって言うなー!」
 涙目で抗議するが、コウエンは構いもしない。ピィスの視線に背を向けて、担いでいた鞄の中から小さな瓶を取り出した。手馴れた手つきで栓を抜く。ほのかに薬品臭いそれを、ピィスの顔の前に置いた。
「ほれ、飲め。魔力が抜けて、脱力症状が出てんだろ」
 ピィスは体を起こして瓶を取る。だがその途端、思いきり頭を殴られた。
「なにすんだよ!」
「何じゃねぇよこの馬鹿が! 魚もここ来い! ピィスは飲んでろ。おら、座れこの馬鹿!」
 苦々しげに歪む顔が、冗談ではなく本気の怒りに染まっていることに気づき、ピィスは思わず姿勢を正す。カリアラも指示通りに座った途端、思いきり頭を殴られた。彼はわけがわからずに、きょときょととしてコウエンを見上げている。ピィスは怯えながらも大人しく水を飲んだ。
 それは濃水をより強化した液化魔力の塊だった。良薬口に苦しのごとく非常にまずいが、ともかく今は飲むしかない。コウエンに言われてピィスは初めて魔力が抜けたことに気づいた。あの悪寒はそのせいだったのだ。どうやら、魔力と共に生命力まで抜き取られてしまったらしい。ピィスは力を取り戻すため、吐きそうなほどの不味さを我慢して飲み干した。
「ったく、こんな時に来る馬鹿がどこにいやがる。死にに来たとおんなじだ。今ここがどうなってるかわかってんのか!?」
 今までになく怒りあらわなコウエンに、ピィスはただうなだれる。コウエンは現在の状況を説いた。
「川沿いの家が軒並みやられた。空家が多かったのと、大体は先に逃げられたのが幸いだが、下敷きになった奴も出てる。お前みたいに魔力を吸われてぶっ倒れた奴もいるし、全然収まる気配がねえ。このままじゃいつ死人が出てもおかしくねぇんだ。あの図体のでけぇ馬鹿猫のせいでめちゃめちゃだ」
「おっさん、あの猫みたいなやつ何なの?」
「さあな。俺らにもまだ全部はわかっちゃいねえ。ただ一つ確実なのは、あれがどっかの大馬鹿者が作りやがった『作品』ってことだけだ。……ペシフィロ先生は。城か?」
「え、ううん。今はノリスに行ってる」
「昨日はいたか」
「いや、昨日の朝からずっといなくて……」
 コウエンはくそ、と吐き捨てると両手で顔を覆って叫んだ。
「ああもう、冗談じゃねえ!」
 カリアラがびくりと固まる。手を剥がしたコウエンの顔は青ざめている。
「吸入石だ。俺の集めたあの石だ。そろそろ技師協会の監査が入りそうだったから、ペシフィロ先生のところに預けてたんだよ。封印つきで三十組。裏も何も買い占めたんだ、あんな大量の吸入石が他にあるわきゃねえ」
「もしかして、うちの書庫に置いてあった?」
「ああ。先生の封印掛かりの部屋なら安全だと思ったんだが」
 今度はピィスが青ざめる番だった。思い出すのは昨晩の事。吸入石が山と並ぶ書庫。その鍵を、自分はちゃんとかけただろうか?
「ご、ごめん! 鍵、オレがかけ忘れて……!」
「ああ!? かけわ、かけ忘れたって!」
 コウエンは絶句したままただ口を動かすが、やがて大きなため息をついた。
「……いや、俺が悪かったんだ。無駄に迷惑かけないように、お前には石のことを話さないよう言い聞かせたのが裏目に出たな。あと、どちらにしろちゃんと躾けてなかった先生もアレだしな」
 だが弱った顔を即座に引き締め、ピィスに強く指を向ける。
「というかな! 俺は前々から言いたかったんだが、お前んちは玄関だの裏口だのそのへんの戸締りがゆるいんだよ! 山ん中だからって油断してんじゃねえよこの馬鹿親子! 俺がこないだ魔石二・三個盗ったのにもまだ気づかねぇ!」
「ご、ごめ……って盗るなよ!」
「こっちは親しげな冗談のつもりでやったのに本気で気づかねぇんだからしょうがねぇだろ! ほら返す!」
「うわー、返されたー! ってこれすげえ高いやつだし!」
「安いの盗ったら面白さが半減で遊びにもならねぇだろが!!」
 言葉が途切れて荒い呼吸を互いに落ち着かせていると、カリアラが不思議そうに言う。
「何してんだ?」
「……なんだろう」
 叫びあいで暖まった顔を覆い、ピィスは疲れたように呟く。コウエンもまた呆れじみた息をつき、片手で自分の頭を叩いた。
「ああ! もう起こったことはしょうがねえ。ともかくどこぞの馬鹿技師が、あの石を動力源にした化け物を作ったことに変わりはねぇんだ」
 うんざりと顔をしかめて、雑な動きで頭を掻く。髪の代わりに黒い帽子が掻きむしられた。
「目的があるのか愉快犯か。わからねぇがビジス爺が死んでこっち、危ない奴は掃いて捨てるぐれぇいるんだ。新しい支配者気取りで不穏なことを企むような馬鹿の仕業に違ぇねえよ。……おめぇも災難だったな、とんだ濡れ衣きせられてよ」
 視線を受けてカリアラはきょとんと見上げる。言葉の意味がわからないのか、どこか怪訝に首をかしげた。コウエンは憎々しげに言う。
「こういう時のための管理だろうに、技師協会の奴らあっという間に隠れやがった。兵士の数も全然足りねえ。救助と避難の誘導で手一杯だ。リドーが応援を求めに行ったが、すぐに師団が動くとも思えねえ。なにしろ勝ち目があるかもわからねぇんだ」
「そんなに強いの?」
「ああ。兵士がもう何人もやられてる。武器があろうがいくら訓練されていようが関係ねえ。近寄っただけで魔力ごと生命力まで吸われるんだ、喧嘩にもなりやしねぇよ」
「じゃあ逃げるしかないってこと?」
「ああ、戦いようがねぇ。おまけに限度がないときた。底なし沼みてぇなもんだ。しかも異常に人懐こい、な。近づけば吸い込まれて干からびちまう。だがあっちは獲物を探して近寄ってくる。いいか、よく考えろ。みんな避難してだーれもいうなもんだ。ま、馬鹿猫の方が自分ですっ飛んで行ったんだがよ」
 コウエンは逃げた先ほどの場を示すように、忌々しく空き地を見回す。
「あのせいで余計に逃げ場がなくなった。猫の野郎、ご丁寧に街を一周しやがって。あっちこっちで逃げ道が塞がれてる。さっきお前らがいたところももう駄目だな。見たか? お前らが来た道の潰れよう」
 ピィスは首を振るが、カリアラはうなずいた。そういえば猫はあたりを覆うように現れた。必死になっている間に、周辺はめちゃくちゃになっていたのだろうか。
「ったく、生きてるのが不思議なぐらいだ。幸運に感謝しろよ」
 その言葉で忘れていた疑問を取り戻した。ピィスは隣に座るカリアラに訊く。
「カリアラ。お前、怪我は?」
「怪我? してねぇだろ。魚、どっか打ったのか?」
「オレを庇ってくれたんだ。家の下敷きになったんだよ。カリアラ、お前痛くないのか?」
 瓦礫を背に受けていたはずなのに、彼の体に外傷は見あたらない。不可解な二人分の視線を受けて、カリアラは真面目に言った。
「すげぇ痛かった。我慢した」
「いや我慢ってお前」
「ちょっと見せろ」
 コウエンは彼の腕を引いて、その肌をじっと見つめる。指ではじく叩くを繰り返し、呆然と口を開いた。
「……不透織布」
 信じられないものでも見るような目だった。コウエンはさっきまで被っていた布を見せる。
「これと同じだよ、魔力を透過しない皮だ。加工によっちゃ触りは肉と変わりないのに、鉄ぐれぇに硬くなる。傷もよっぽどのことじゃ付かねえ。……そうかお前、だから魔力を吸われてないのか。これは魔力を通さねえ。だから俺も吸われないよう被ってたんだ。どんな事情か知らねぇが、お前、命拾いしたな」
 生身の人の何倍もの魔力を要する人型細工は、それこそ魔力を吸われてしまえばただの木偶へと成り下がる。もしこの皮でなかったら、カリアラはピィスよりも先に倒れていたに違いない。コウエンの放った犬型細工も、あっという間に木くずへと戻っていたのだ。
「俺の犬にも付けとけば良かったな。ま、こんな高ぇもん、二軍の犬ごときにゃやれねぇが。おい、魚。猫にぶら下がった星みてぇな石が見えたか」
「おう。いっぱいあった」
「それが吸入石だ。“神経”で各部の要所に繋がってる。かつかつ石の音がしたろ。あれが吸入のきっかけだ。吸入石は、組になったそれぞれがぶつかり合うたびに発動する。そこら中の魔力を一気に吸い上げるんだ。集まった魔力はあいつの体をでかくする。一回りずつ、確実にな」
 あまりにも強い魔力は、視覚的な形どころか触感すら伴うという。濃く集まれば集まるほど、それは不安定な気体から液体へ、液体から固体へとみるみる形を変えていく。人々から吸い上げた魔力は猫の肉となって、より巨大に体格を増すのだろう。当然、大きくなればなるほど被害は上がる。魔力の塊とはいえ固体になっているかぎり、ぶつかれば物は簡単に潰れてしまうからだ。
「吸入石の容量は時間をかければ底なしだ。腹いっぱいになるどころかますますぐうぐう鳴りやがる。……本気でしゃれになってねぇ。このままじゃ街全体が呑み込まれるぞ」
 カリアラの目に不安がよぎった。
「みんな死ぬのか」
「そうかもな」
 コウエンの表情にもまた恐怖心が見て取れた。カリアラは真剣な顔で訊く。
「どうすればいい? どうすればあいつを倒せるんだ?」
「理屈で言えば石を壊すだけでいい。細工物ってのはそうやって殺すもんだ。心臓石をぶち壊すか、動力源になってる吸入石をぶっ潰すか。それか心臓部と繋がってる神経を断ち切るかだ。そんなのは最初からわかってんだよ、問題は方法だ。下手すりゃ近づくだけで殺されるのにどうやってそれを壊す?」
「おれはやられないんだろ?」
 カリアラは不透織布の腕を指した。コウエンはいかにも複雑そうに顔をしかめる。
「……今、俺もそれを考えてたところなんだけどよ。無理だ。体格差を考えろ、鼻息だけで吹き飛んじまう。石を壊されるってのは骨を砕かれるのと同じことだ、奴にとっちゃ激痛だろうよ。暴れないわけがない。おめぇ、大暴れするデカブツの全身に散らばった吸入石、全部ひとりで壊せるのか?」
 ピィスは不安そうに二人を見つめる。不穏な話を恐れるように、そっとカリアラの腕を引いた。目でやめろと訴える。コウエンもさらに不可能を言い聞かせる。
「心臓部はどこにあるかもわからねえ、あるとしても肉の奥だ。吸入石は下手をすりゃ三十組で六十個。……馬鹿なことは考えるな。お前ひとりじゃ倒せねぇよ」
 カリアラはじっとコウエンを見つめる。ピィスは彼の腕を引くが、カリアラは彼女を見ない。睨むコウエンを曇りのない目で見つめたまま、落ち着いた声で言った。
「じゃあ、“群れ”なら倒せるな」
 人間二人は理解を求めて彼を見つめる。カリアラはその視線を交互にまっすぐ見返しながら、当たり前のように言った。
「群れになればいいんだ。おれひとりじゃかなわなくても、みんなで行けば倒せるだろ?」
「……いや、そんな、人数勝負ってわけでも……」
 だが戸惑うピィスとは逆に、コウエンは口元に手を添えた。
「有りだな、それ」
「ええ? だってそんな、多ければいいってもんでも……」
 コウエンはピィスの言葉に構わず、ぶつぶつと口の中で独り言を呟き始める。うつむいた目には驚きを噛みしめる色。彼はつと顔をあげ、カリアラに向けて言った。
「あるさ。うん、ある。魚、おめぇいいこと思い出させてくれた。吸入石の容量は確かに底なしだが、それにしても制限はある。大量の魔力を一瞬で吸い尽くすことはできねぇんだ」
「どういうこと?」
「わっかんねぇなお前も。いいか? 一対一、そうでなくて十対一でも俺らは猫にやられるさ。奴は一匹で十人前程度ならかるーくたいらげちまうからな。だがそれが三十人前だったとしたら? 五十人、六十人。街に取り残された奴をかき集めれば百人はいくだろうよ。奴は体格からして全体的に吸う仕組みになってるからな。みんなから平均して奪おうとする。だから、それだけの頭数があれば、一人一人の吸われる量は少なくなる。死人は出ない。そして、奴を囲んで一気に石を砕いちまえば……」
 コウエンは猫を示すように左拳をかるく掲げ、右手でそれをぐるりと囲んだ。
「あっという間だ。奴を倒せる」
 だがその言葉を打ち消すように、空が割れるような轟音がした。三人は一斉に天を仰ぐ。闇色の猫が巨大な頭を覗かせて、すぐ傍の建物の奥を通過するところだった。一歩ごとに地が揺らぐ。ぴんと立った三角の耳も揺れる。猫は何かを求めるように、頭をあげて通り過ぎる。先ほどまでは、耳の先が屋根にようやく届く程度だったのに、今となってはそのあごが風見鶏をかすめていた。
 音と震動が遠ざかると、全員が止めていた息を吐いた。ピィスが引きつった顔で言う。
「たお、せる?」
「……やるしかねぇだろ」
 コウエンの顔も負けないぐらいに青ざめている。カリアラもまた緊張したまま猫の去った後を見つめる。やるしかない。それ以外に、方法はない。
「群れを作る」
 カリアラは確認のように言う。
「群れになる」
 コウエンは力強くうなずいた。散らばっていた細かな荷物を鞄に戻しながら言う。
「詳しいわけは知らねぇが、西公園が避難所になってるらしい。そこに行けば人がいる。説得しろ。とにかく数を集めるんだ。いいか無茶はするんじゃねえ! 準備が整うまでは奴からは逃げろ。隠れて避けながら動くんだ。白の道は使うな。あそこは広いぶん奴の通り道になってる。できるだけ迂回して回れ」
 早口でそれだけ言うと、彼は不透織布を頭に被った。
「俺はそこらの魔術技師を片っ端から叩き起こす。クソジジイがいねえからって腑抜けになってる馬鹿だらけだが、うまく使えば戦力になる。ツケの清算でもエサにして引きずり出すさ」
 また、遠くで破壊の音がする。石積みの崩れていく音、組み立てられた木の割れる音。嫌でも聞こえるそれらを肌に感じつつ、三人は目を交し合った。
「無茶はするな。生き残れ。……忘れるな。これはそのための行動だ」
 低い声が深く胸に沈みこむ。コウエンはピィスの肩を叩き、行くべき道を指差した。
 ピィスは震えをこらえて足を踏み出す。カリアラが手を差し伸べた。ピィスはくせになってしまったように、その手をまた握りしめる。強く握り返されて、安堵から詰めていた息を吐いた。
「行くぞ」
「うん」
 頭の中に街の地図を浮かべながら走りだす。敵に見つからないように、人がたくさんいるところへ。
「いいか、てめぇピィスに怪我なんかさせんじゃねぇぞ!!」
 コウエンは怒鳴るように言う。カリアラが、空いた手を強く掲げた。


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