第6話「群れ」
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「……何があったんだよ」
 苛立ちのせいだろうか、問いかけは責めるように響いた。今にも睨みそうなピィスの前で、五つ子たちはみな同様に落ち込んでいる。リウレンが眼鏡を外して泣き始めた。部屋の空気がますます落ちる。
 逃げ込んだ彼らの家は、前に来たときと同じくがらんと人気を失っている。ピィスたちは、誰かに見つかることを怖れて喫茶室の中央に集まるが、カリアラだけは何を言っても水槽の壁から離れなかった。魚の泳ぐ水越しに裏路地が見えている。カリアラはそこから目を離さない。
 彼にも話が聞こえるよう、ロウレンが顔を上げて語り始める。


 事件は一人の酔っ払いが襲われたことから始まる。昨晩遅く、帰宅するため川べりを歩いていた男が、何者かに魔力を根こそぎ奪われた。人型細工ならばともかく、生身の人は魔力がなくても生きていける。だが、無茶な手段で急速に抜き取られた場合は別だ。それでは肉体を維持するための生命力も、魔力と共に奪われてしまう。生命力を大量に失うと、しばらくはまともに動くこともできない。一人目の被害者である男も失神してしまったのだろう。意識もなく倒れているのを今朝になって発見された。
 そして現在、彼と同じ被害に遭った者は七名にもなっている。
 全員が同じ症状をあらわしていることから、すべて同一人物による犯行と考えられた。
 七人の被害者はいまだ意識を取り戻しておらず、どんな人物に、どのような手で襲われたのかは依然として判明していない。
 朝から続けて三人の被害者が発見され、周辺の住民に注意が呼びかけられたのは昼前のことだった。誰もがまだ他人事として推理を囁きあっていたその時、立て続けに四人もの被害者が発見された。それも、彼らが噂を立てていた所からいくらも離れていない場所で。被害者に共通性はなく、家の中や庭で倒れる彼らは、無作為に襲われたと伝えられる。
 途端に誰もが家に閉じこもった。いつ、どこでまた被害者が出るかわからない恐怖が人々を支配する。次に襲われるのは自分かもしれない。それとも家族の一人かもしれない。なにしろ犯人についての推理は誰のものも的を射ず、元凶は一向に判明しないままだったのだ。
 だが五人目の被害者を見て誰かが言った。
 これは、何者かが噛みついた痕ではないのか、と。
 昼前に襲われたとみられる女性の服の襟口が、何か鋭利なもので引き裂かれていたのだ。意識を失う彼女の肩にも浅い傷が残っている。赤く腫れ、幾筋も並んだそれはまるで噛み付こうとした獣の歯から逃げたようで、抵抗するうちについたのではとおぼろな推理があげられた。
 それを聞いて警備兵の一人が言う。
 あの暴走して肉屋を襲った人型細工は、確か。
 リドーの部下であった彼らは、カリアラの本性がピラニアであると知っていた。


「だから」
 そこまで話し終えたところで、ロウレンの声は湿る。
「カリアラ君が疑われたんだ。それで、この前カリアラ君が飛び込んでいった肉屋のおじさんが、絶対そうだ、俺も襲われて殺されるところだったんだって大騒ぎして……それが、あちこちに広がって。それで、それで、今ちょうどお城に務めてた兵士の人たちが、なんかいっぱいクビになって帰ってきてて……その人たちも騒ぎ出してっ」
 嗚咽にのまれる彼の代わりに、ルウレンが続きを話す。
「おととい、『うろこを生やした魚の化け物』がお城を襲撃したんだって。それで兵士の人たちがたくさん怪我をしたんだ。それで、うちの隣の家のお兄ちゃんも兵士だったんだけど、その化け物とかいうのに攻撃された一人らしくて、一緒になって騒いでた。その人たちの怪我自体はたいした事なかったんだけど、急襲が原因でクビになっちゃって。その、クビになった理由はよくわからないんだけど、なんかそれで恨みを持ってるみたいでさ」
「……よけいに、カリアラが犯人だって断言したってことか」
 苦々しいピィスの言葉が解説の幕を引いた。
「ひどいよ、みんな、誤解ばっかりで……っ」
 ロウレンはうつむいたまま涙を流す。ラウレンが、今までになく深刻な顔でつけ加えた。
「兵士たちは、そのお城を襲った化け物の退治に失敗したらしいんだ。だから、今度は手負いのそれが街を襲うんじゃないかって誰かが言って、ちょうど、カリアラカルスの話……小説の方の作り話を本当にあったことだって信じてる人がいたみたいで。ピラニアは復讐心で大勢の人を食い殺す凶暴な魚だとか、そんな話が広まって……」
 池に餌を撒いたように、人々は謎の敵の正体に飛びついた。少しでも多くの情報を求める不安だらけの状況下では、噂はおそろしく早く広がる。人の口を伝っていけば話はみるみる姿を変えていくものだ。今、家の中で怯える住民たちは、見えない敵をどんなに凶悪な生き物として考えていることだろう。
 兄たちよりはまだ落ち着いているカレンが言った。
「とにかく、ほとぼりが冷めるまで、このあたりには来ない方がいいと思う。……そりゃカリアラ君がやったんじゃないってことぐらいわかってるけど、あの様子じゃ証言も効きそうにないし」
「話も聞いてもらえそうにないとか?」
 ピィスが訊くと、カレンはげんなりとした顔で答える。
「もっと悪いの。私たち、さっきみんなで被害者の家まで行ったのよ。傷があるっていうからさ、見せて下さいって。まあほとんど強引に入っていっちゃったんだけど。それでちゃんと確かめて、兵士の人に言ったのね。『この傷はピラニアのものじゃありません』って」
「そしたら?」
 カレンは薄いくちびるをあからさまにむっと歪めた。
「『危険だから子どもは家に帰りなさい』だって。……“大人の”専門家に証明してもらおうにも、またちょうどうちの親、郊外まで出かけてるのよ。仕入れの契約するためにって」
「誰が言っても聞きそうになかったけどね」
 苦々しいルウレンの声を耳にすると、カレンは憤りのまま「むかつくわ」と吐き捨てて、ひたすら嘆く兄弟たちを鋭いしぐさで指差した。
「ともかく、あれはピラニアの歯形じゃないのは確かなのよ。全然違うってこのオタクどもが言うんだから間違いないわ。だからって何なのかはわからないんだけど。そもそも、魔力が吸われてたのとピラニアは全然関係ないじゃない」
 でもね、とカレンは指をピィスに向ける。
「問題はその無実を信じてくれる人が少ないってことなのよ。得体の知れない謎の化け物が、どこからともなく襲ってくるー、っていうよりも、元ピラニアの人型細工の暴走だーって方が怖くないし、真実味があるじゃない。現にこの前カリアラ君は暴走したし、そのうろこ姿を見た人がたくさんいる。あいつがまた来たんだ、ってきっとみんなが思って……」
 そこまで言うとカレンは何か気づいたようで、落ち着きなく体を揺らした。
「うわ、そうだ本気でまずい。ピィス共々似顔絵が回されるかも。さっき兵士に顔見られたし、情報が集まったでしょ。うちには変装道具なんてないんだから、広まる前に抜け出さないと」
 それを聞いて全員の顔に焦りが浮かぶ。それぞれが慌てて席を立った。
「カリアラ、帰るぞ。早くしないと逃げきれない」
 カリアラは座ったままぽかんとピィスを見上げる。
「なんでだ? なんでもう帰るんだ?」
「バカ、みんながお前を捕まえようとしてんだよ。だからほら!」
「えっ」
 カリアラは今さらながらに驚いて、おろおろとその場にいる全員の顔を見た。
「おれ、何かやったのか? 何かいけないことしたのか?」
「カリアラ君は悪くないよ!」
 言葉は兄弟四人の重なりを得た。カリアラは困惑を拭えない。
「じゃあなんでだめなんだ? なんでおれ、みんなと一緒にいられないんだ?」
 ピィスは言葉に困ってしまう。カリアラは、どうしていいかわからないように部屋中を見回した。不安に沈んだ表情で、まるでどこかに答えが隠れているのではないかというように。だがどこにもないと理解すると、戸惑う目はまたピィスや五つ子たちへと戻る。誰もがそれをまっすぐ見返すことができず、いたたまれずにうつむいた。カリアラはまたおろおろと迷子になる。
「……とりあえず、先に経路を決めておこうよ。安全な道を探すんだ」
 ロウレンが席に座り直した。ルウレンが市街図を取って机に広げる。ラウレンはペンを取り出して、悩みながらもバツ印をつけ始めた。被害者が倒れていたという場所を一つ一つ記していく。カリアラが兵士たちとはちあわせた場所にも印をつけた。
「多分ここは警戒されてる」
「警備の詰所がここと、あとこっちで」
「被害は川沿いが中心だ。山側はまだ情報が行ってないんじゃないかな」
「でも、それだとすごく遠くなるし……間を取ってこのあたりか」
 五つ子たちの連携で、逃走経路が瞬く間に決められていく。口を出せない兄弟間の話し合いにはところどころで「囮が」などと嫌な言葉も聞こえ、ピィスは感謝と申し訳なさに、小さな体をさらに縮めた。
 だが、ふと眉を寄せてカリアラを見る。
「カリアラ、お前城で何かやったのか?」
 返事はない。赤みがかった濃茶の瞳は、ただ泳ぐ魚ばかりを見ていた。喫茶室の壁は道に面した水槽となっている。水に囲まれて座るカリアラが、漂う魚たちと同じに見えてピィスはぎくりと肩を揺らした。彼と自分たちの間に、透明なガラスの板が立てられているように思えたのだ。表情もなく水を眺める彼は、ひどく遠い生き物に見えた。
 水槽越しに見える路地を、複数の人間が横切った。足早に去る彼らを追って、カリアラは水槽に触れる。キッ、とかすかな魚の声が彼の喉を振るわせた。その途端、泳いでいた魚たちが叩かれたように散る。カリアラはびくりとして手を引いた。だが魚たちは、カリアラカルスの声に怯えて水槽の隅で暴れている。彼らはみな少しでも遠くに逃げようと、壁に頭をぶつけていた。
 カリアラは、手の置き場もわからぬままにその光景を見つめている。振り向いた彼の顔があまりにも寂しくて、ピィスも五つ子たちも目を合わすことができなかった。
「おれは」
 カリアラの声は弱い。
「おれは、どうすればみんなとなかよくできるんだ?」
 問いかける目が皆を掴む。切実な声が追いかけてゆく。
「まだだめなのか? おれは人間になったのに、なのにまだだめなのか? どうすればいんだ? どうすればみんなとなかよくできるんだ?」
 カリアラはまっすぐな目で一人一人を見つめるが、誰もがその目を同じように見返せなくて、気まずいままうつむいた。カリアラは一つとして合わない視線をさまよわせながら言う。
「おれはもう、魚じゃないのに」
 その言葉は静まり返った部屋の中に、ひどく哀しい音で響いた。
「……作戦、決まったよ」
 ロウレンが気まずさを紛らわせるように言うが、空気は重く沈んだままぴくりとも動かなかった。カリアラ以外は言葉もなく顔を寄せ、市街図に上書きされた逃走経路を確認する。それが済むと、誰ともなしに立ち上がった。カリアラの腕を引き、ピィスは彼に言い聞かせる。
「逃げよう。とりあえず、それからだ」
 カリアラが次はいつ来れるのかと尋ねたが、その問いには誰も答えることができなかった。


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