第6話「群れ」
←前へ  連載トップページ  次へ→


 部屋を出るまで一体どれだけ悩んだだろう。カリアラに朝も早く起こされて、彼の思うことを聞いた。そして彼が外に出たその後は、延々と布団の中でためらうばかり。結局、シラが部屋の扉を開けたのは、正午近くのことだった。
 酒の臭いはなんとか消えてくれただろうか。動くたびに思考をさえぎる嫌な頭痛は治まった。だが体は昨夜よりも重く、多くの不調が生じているといやでも思い知らされる。だるい、重い、気力がない。それでも彼女はゆっくりと下に向かう。緊張からざわめく胸を押さえ、一歩足を進めるごとに逃げたくなるのをなんとかこらえ、サフィギシルの元へ行く。
 カリアラはピィスと共に街へ出かけた。今、この家には自分たち二人しかいない。
 シラは階段の一段目で立ち止まり、目を閉じて深く息を吸った。不安をすべて押し出すように、思いきり息を吐く。
 私にできること。声には出さず呟いて、胸元をぎゅっと握った。


 このままじゃだめだ。そうカリアラが言った時、シラは多少なりとも説教を覚悟した。カリアラが話すのならば説得にしかならないが、それでもこちらに後ろめたさがある限り、優しい言葉も耳に痛い叱りとなる。だが、彼が話しはじめたのはシラについてのことではなかった。
「サフィが大変なんだ」
 封印をこのままずっと続けていけば、サフィギシルはあと何ヶ月も持たないだろう。そうビジスに伝えられたと彼は言った。昨日見ただけでもかなり弱ってしまっている。日に日に顔色が悪くなってきているのだ。だから、サフィギシルが封印を解き、外に出ていけるようにしなければいけない。カリアラは真面目な顔で伝える。
 確かにこのままサフィギシルを死なせるわけにはいかなかった。彼の中に潜んだビジスは何もしないと言ったのだから、ビジスに『頼まれた』自分たちがサフィギシルを導いていくしかない。
 無責任な話だと思う。だが責めたところでビジスが動くとは思えなかった。
 カリアラは真剣に言う。
「だからおれ、がんばることにしたんだ。シラも手伝ってくれ」
「私に何ができるのよ」
 すねた言い方をしてみても、カリアラは怯まない。彼はシラの戸惑いをさらに強めることを言った。
「サフィとなかよくなってくれ」
 シラは思わず聞き返す。
「仲良く? 私が、あのひとと?」
 カリアラは迷いもなくうなずいた。
「前は、サフィも部屋の外には出てこれてた。でも、シラが刺してからは、家の中でも自由に動けなくなってる。前よりもっと部屋から出てこなくなった。サフィ、怖がってるんだ。家の外だけじゃなくて、家の中まで。だから家を出る前に、先に家の中だけでも安心して過ごせるように、シラにサフィとなかよくなってほしい」
 確かに、ビジスを起こす前にはまだ明るさもあった。その状態まで戻すことができるなら、家の外に出すための大きな一歩となるだろう。
「でも、なんで私が」
 彼を脅して恐怖心を植えつけた張本人より、カリアラの方が適役ではないだろうか。そう思いながら聞くと、カリアラは当たり前のように言う。
「おれは外に行ってくるから」
 理解できない話の動きに不満の顔で見つめるが、カリアラは自分の調子を崩さない。
「おれ、みんなをびっくりさせたから、あんまり街に出られない。でもそれじゃだめなんだ。それじゃ、サフィもシラもちゃんと街に出られない。このままじゃみんな外に出られない」
 カリアラは淡々とそれを伝える。シラは気づいた。『作品』が暴走騒ぎを起こした後で、その製作者が街の人に受け入れられるわけがない。危険物とみなされたカリアラと、その責任者や家人が何事もなかったように街に馴染んでいけるだろうか。ピィスもカリアラも、二度目には変装をしていくぐらいなのだ。サフィギシルがようやく外に出た途端、警備兵に捕まるのは悪いことに思われた。
「だから、おれはみんなとなかよくなってくる」
 カリアラはしっかりとした声で言った。
「だから、シラはサフィとなかよくなってくれ」


 ひとつひとつ確かめていくように、ゆっくりと階段を下りていく。その度に不安が息を詰まらせた。カリアラのように迷いもなく人間と接することが、自分にもできるのだろうか。過去のわだかまりなど関係なく、本当に必要なことに向かってまっすぐに生きることが。シラは歩くほどに自問を続けた。
 カリアラは、もう街に着いたころだろうか。どんな風に人間に触れているのだろう。そして自分はサフィギシルとどう触れ合えばいいのだろう。
 答えは一つ。彼が恐怖に怯えないよう、本当の、素直な姿で彼と向かい合うだけだ。
 だが他でもないシラ自身が、その行為に恐怖を感じている。大丈夫、こわくないと強く言い聞かせてはいるが、それだけでは足の震えはおさまらない。彼女は怖々としながらも、微笑まないよう必死に心で呟きながら階段を降りきった。
 廊下に進むとほぼ同時、後方にある作業室のドアが開く。ぎくりとして振り向くと、サフィギシルが緊張した面持ちでドアの奥に佇んでいた。
 ――人間。
 そう頭で認めた途端、顔は勝手に微笑みの形を取る。
 泣きだしそうな敗北感に襲われながら、シラは優しい笑みを作った。

※ ※ ※

 会釈一つ交わさないままどちらともなく居間に向かい、たどりつけばシラはソファに、サフィギシルは彼女からは背面となる食卓の椅子に座る。二人は互いに背を向けて、重く降りた沈黙をさまよっていた。
 シラは貼りついた微笑みを取り消そうと、水面下で自身と戦う。
 サフィギシルはとにかく何か話そうと、懸命に言葉を探す。
 だが竦みきった二人の心は身動きすら固めてしまう。あまりにも上手くいかなくて、二人は同時に息をついた。
 ――全くの同時。重なった息の響きに、それぞれが振り返る。
「……え?」
 思わず口を出た声も、また等しく重なった。

※ ※ ※

 山道を行き、急勾配の坂を駆け下りて橋を渡る。早足で行こうとするカリアラを落ちつかせながら、ピィスは街への道をたどった。橋に張られたロープは既に直されている。打ちたての新たな支柱が、黒ずんだ木によく映えていた。水に近い爽やかな空気の中を、カリアラは待ちきれないように急ぐ。
「だーから、街も人も逃げねーって」
 呆れた言葉も彼の耳には届かないのか、カリアラはピィスよりも一足早く街へと走った。
 橋を降りれば民家の屋根が目に入る。一本の道を海の方へと下っていけば、両脇に立つ建物は密度を増して、農家の小屋から民家へと、民家から商店へと規模を大きくしていった。急いだので、前よりも早く中心部に到着する。横道から露店の並ぶ白い道へと踏み込めば、そこには多くの人々が……。
「え」
 だが、そこには数えるほどの人間しかいなかった。異常な景色にカリアラは呆然と立ち止まる。追いついたピィスもまた目を瞬かせた。いつもならば人の通りが絶えないはずの大通りには、今日は露店の一つすら広げられていない。がらんとしたあまりにも広い道に、武装した兵士がぽつぽつと立っていた。
「五つ子」
 カリアラが脇道を見る。ピィスがそれに倣う前に、背後からがたがたと騒がしい音がした。振り向くと若い男が商店の壁に縋るように、積まれた物を崩しながらへたり込んでいる。こ、こ、こ、とこわばる顔で続けるのをカリアラはわけもわからず見つめた。ピィスは男の視線がカリアラに釘づけられていることに気づく。
 今までになく嫌な予感に、ピィスは身を凍らせた。
「こいつだ! こいつが襲ったんだ!!」
 男が叫ぶ。兵士たちの目が一斉に集まる。男は抜けた腰を引きずるように後じさりつつ、こいつだ、こいつだ、とカリアラを指して繰り返した。示されたカリアラはぽかんとして男を見下ろし、何なのかと尋ねるように一歩近寄る。
「馬鹿!」
 ピィスがカリアラを引き止めたのと同時、男は恐怖に絶叫した。兵士が駆け寄ってくる。いつもとは違う、厳重な武装の立てる音があちこちから近づいてくる。詳しいことはわからないが最悪なことに変わりはない。ピィスは悲鳴に硬直しているカリアラを引き、逃げ道を目で探る。
「カリアラ君!」
 聞き覚えのある声がしたかと思うと、たくさんの手がカリアラとピィスの体を奪った。驚きのままに引きずり込まれたのは、先ほどカリアラが見た脇道である。狭い場所に、まったく同じ四つの顔が涙模様で密集していてピィスは悲鳴を呑みこんだ。それでも意味を理解して、導かれるがままに走りだす。
「早くこっち!」
 ロウレンたちは流れる涙もそのままに、逃げ道を先導していく。地元民らしく慣れた動きでくねる筋を越えていくが、追ってくる兵士たちもまた土地のことは熟知している。走るほどに鋭い追っ手の声は増えた。それだけではなく回り込む指示も聞こえる。
「西だ! 出口を塞げ!」
 言葉の通り、路地の出口を兵士の影が隠した瞬間。
「残念ね」
 呟くような言葉と共に黄色の渦が視界を巻いた。それは力をもってカリアラたちを包み込む。見上げた先にカレンの顔。彼女は召喚の杖を掲げたまま、塀の上から飛び降りた。
「『跳べ』!!」
 発動の怒声と共に轟音が耳をつんざき、足場がふと失われる。
 衝撃をこらえた後に見えたのは、取り囲む兵士ではなく、先ほどまでの路地でもなく、人気のない住宅街の一角だった。カレンが舌打ちをする。
「あんたたち多すぎるのよー! 三人だったら余裕で家まで跳べたのに」
「だってカリアラ君の危機だよ、じっとしていられないよ!」
「それでも代表で一人いれば十分でしょ! いつまでも集団行動してんじゃないわよ!」
「なんだよ大人ぶって! ずっと仲良しだって約束しただろ!?」
「兄妹げんかは家でやれー!」
 血管も裂ける勢いでピィスが怒鳴ると、五つ子は我に返ったようだ。ピィスはまた大声に驚いているカリアラの背をなでながら、五人の顔を順に探る。
「……何がどうなってんだよ」
 すると彼らは一気に口を開いた。
「それが、昨日の夜からあちこちで人が襲われててっ」
「クビになった隣のお兄ちゃんが!」
「カリアラ君は何も悪くないのに!」
「みんなで説明には行ったんだけど」
「お城にも来たんだって!」
「あの時僕がちゃんと言えてればっ」
「みんな気絶したまま起きなくて証言が集まらないから!」
「肉屋のおじさんが勘違いして訴えてっ!」
「ちょ、一気に言うな! だから結局どうなってんだよ今!」
 一人を揺すると全員が黙り込む。目配せの後、ロウレンが口を切った。
「だから、昨日からいっぱい人が襲われてて! ……それでっ」
 同じ顔がカリアラを見る。びくりとした彼に向け、四人は声をひとつにした。
「いつのまにか、カリアラ君が犯人にされてるんだ!!」


←前へ  連載トップページ  次へ→

第6話「群れ」