第6話「群れ」
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 庭の中は、まだ熱をもたない朝の空気にしんと冷やされている。男は座り込んだ周囲に工具や部品の箱を並べ、作りかけの犬型細工を膝に抱え込んでいた。頭が沈んでしまうのでは。というほどにのめりこむそれは、彼が初めて完成させることができるかもしれない『作品』であり、家庭内での立場を回復するためのものでもある。
 いかに魔術技師という存在を認められているアーレルでも、それ一本で生活できる技師はごくわずかなものでしかない。大半は他に仕事を持ち、趣味や副業の一環として制作を楽しんでいる。だが図面や材料は非常に値の張るものであるし、この、作業室すら持たない男などは、まともな『作品』を完成させたことすらない。そのため彼は家族から再三の批難を受けていた。今度こそは、かわいらしい犬型細工を完成させて、妻や娘に喜ばれなければ食事まで抜かれてしまう。彼はその危機感に、まだ夜が明ける前からずっと木組みの犬を作っていた。
 眠気をともなうその仕事も今日で終わりだ。彼の手の中で、木製のおもちゃにも似た犬型細工は、魂の封入を待っている。あとは胸の位置に核となる心臓石を詰め、手足など各所の部品から飛び出している神経をそこに繋ぐだけだ。買ってきた犬の魂は心臓石の中に宿り、白い糸、神経を通じて全身を動かしていく。心臓石は最大の動力源でもあり、作品を作る上では非常に重要なものだ。だから、そんじょそこらの安物では、うまくいかない。
 男は、貯金をはたいて購入した心臓石を箱から出した。手のひらに乗る、黒みがかった楕円の石。ちょこんとした外見とは裏腹に、重量はかなりのものだ。人為的に、大量の魔力が詰められている証拠である。重ければ重いほどその価値は張り上がるし、色の濃さも同様に金額や魔力と比例している。
 見つめると引きずりこまれそうになる、深海のような藍。その力ある色が、なめらかな石の中で解放を待ち望んでいる。
 男はごくりと息を呑んだ。片手で掴む度胸などなく、淡雪に触れるかのようにそっと捧げ持っている。
「あなたー。ちょっとお隣まで行ってくるからー」
「あ、ああ!」
 突然の声につい取り落としそうになる。男は背に隠した石をしっかりと掴み直し、隣家に消える妻を見送った。石よりも先に自分の心臓がどうにかなってしまいそうだ。いくら相場に無知な妻とはいえ、これほどの物となれば見ただけで価値が知れる。返してこいと、ほうきで殴られるのは目に見えていた。ここまできて無に帰すわけにはいかないのだ。彼は石を強く握った。ちょうどいい、留守となった今のうちに完成させてしまおう。
 内部を晒した犬の腹には、各所の部品に繋がる糸が無造作に飛び出している。白く、強靭なそれは神経と呼ばれる特殊な繊維で、専門の店に行けば十本いくらで売っている。彼はそのひとつを取り、軽く引いた。先端は後脚に繋がっている。残る逆側の端をつまみ、高級な心臓石の表面に押しつけた。
 黒ずんだ深い海に、ぼやけた白のくらげが泳ぐ。少なくとも男の目にはそう見えた。だが実際には神経の先端が心臓石に潜り込んだだけであり、頼りない生物にも似た白い糸は、石の中で枝分かれしてまたたく間に根を張った。引いてみるが離れない。これで、犬の足は動力を得たはずだ。
 さてそれでは片足だけでも動かしてみるかと、詰めていた息を吐いたところで、それは起こった。かつん、と背後から硬質の音。まるで何か重いものがぶつかり合っているようで、不審のままに振り向くがそこには塀があるだけだ。音は、その煉瓦塀の奥からしている。男は首を伸ばした。疑わしく探る先に建物はなく、河原に続く土手の道が横たわっているだけだ。だが、目を凝らしてもいつも通りの景色はない。緑色の雑草も、乾いた狭い道でさえも、ぼやりとした闇に色彩を狂わせている。男は固く目を閉じた。急に明るい場所を見たので、視力が追いつかないのかと思ったのだ。だが閉じたまぶたの向こう側から硬質の音が近づいてくる。かつん、かつん、かつん、かつん……。
 血が、ざわめいた。
 急激な寒気が腹側から素早く広がり、胸や顔を冷やしていく。熱が血が背へと流れ、あまりのことに彼は土に這った。風が暴れているようにびりびりと鼓膜が震える。唐突な体の異常にわけもわからず土を掻くが、その間にも、静かな音は彼へと近づいてくる。かつん、かつん、かつん。
 凍えるほどの冷気に侵され、彼はがたがたと震えながら犬型細工を抱き寄せた。岩のように重い頭を浮かし、すぐそばにまで迫った不気味な音をその目で見る。
 震える喉から悲鳴がもれた。巨大な闇の塊が、四肢をもってのそりと彼を見下ろしていた。景色を透かす太い足が塀に触れると、煉瓦は積み木のごとくに崩れる。彼はまた悲鳴を上げた。だがその声すら掻き消えて闇の中へと消えていく。
 塊は近づくにつれ肥大化しているようだった。だが彼の体は逆に弱まっていく。力を吸い取られているのだ。血の気と熱が彼の体を離れ、それを呑んで闇は見る間に膨れ上がった。全身の力が抜けていく。耳元で風が吹いている。
 かつん、とひときわ大きい音がして、彼は意識を失った。

 庭の中、崩れた煉瓦に囲まれて倒れる彼の傍には、作りかけの犬型細工と繋ぎたての魔石が転がっている。だが高価なそれは色を失い、ただの透明なガラスと化していた。

※ ※ ※

 一度、大きく息を吸う。吐くと同時にピィスは腹の底から叫んだ。
「サフィー! 食糧持ってきたぞー!!」
 効果として震えるぐらいはしてもいいだろうに、木造の一軒家は相変わらず反応もなく立っている。ピィスは壁を睨みつけた。もう、何度季節が変わっただろう。それなのに、この家はいつだって同じように見える。こうして玄関に立っていると、まるで半年前のあの時に戻ったようで、ピィスは足をすくませた。
 気のせいだと言い聞かせる。だが、頭の奥では薄暗い部屋の光景が再び流れ始めていた。あの朝、同じく食糧を手にピィスはビジスを見舞いに来た。だがベルを鳴らしても反応はなく、鍵は掛けられていない。熱のない廊下を進み、散らかった作業室の奥、ビジスがいつも使っている寝室のドアに手をかけると、そこには。
「どうした?」
「うわあああ!?」
 突然ひょこりと顔を出されて、ピィスは飛び上がりそうになる。声をかけたカリアラはそれ以上に驚いたらしく、靴箱の陰に隠れようとして壁にぶつかった。もうそんな狭い場所に入れる体格ではないだろうに、まだ魚のころの感覚が抜けていないのだろうか。びくびくと跳ねているので、そっと背中をなでてやる。
「はいはい落ちついて。ごめんな。でもいきなり出てくんなよ」
「だ、だってサフィが開けろって。玄関。だから」
 なるほどと呟く口が安堵にゆるんでいくのを感じる。ピィスは愚かな不安を笑った。いくらなんでもあの時に戻ることなどありえないのだ。見上げると、そこには今までとは違う景色がある。きょとんと目を丸くする元ピラニア。彼は、サフィギシルに変化を与えてくれるだろうか。
「んじゃサフィは起きてるんだな。今は作業室?」
「うん。いつものところだ。でもな、だめだ」
「は?」
 カリアラはきっぱりとした表情で言う。
「今日はサフィはだめなんだ。やることがあるから。だからおれが一緒に行く」
「は?」
 同じ言葉を繰り返したのは、意味がわからなかったからだ。ピィスは説明の抜け落ちたカリアラの台詞を、根気よく考え直す。
「……ええと。サフィは、今日はやることがあるから、オレには会えないってこと? んで一緒に行くってのは、どこに?」
「街だ」
 迷わない彼の顔には、それ以外に何があるのかと書いてある。ピィスは訊くまでもないことだと悟った。だが納得するわけにはいかない。
「いや、あのさ。サフィが会いたくないからって、そうやって遠ざけたりは」
「今行ったらぶつかる。お前、ケガするから行っちゃだめだ」
「何にぶつかるんだよ」
「サフィに」
 ぽかんとしたが、カリアラはあくまでも真顔で答える。
「ちゃんと方向を考えて泳がなきゃだめだ。今はあっちはぶつかるから」
「……はあ」
 支離滅裂だが、なんとなく言いたいことはわかる気がした。なにしろ、昨日思いきりぶつかってしまったばかりなのだ。ピィスの胸にはその時のやるせなさがまだ残っているし、このままサフィギシルに会っても、また怒鳴るだけで終わる予感もしている。なるほど、カリアラの言うことは妙に正しいように思えた。
「それ、お前が考えたのか? ぶつかるとか、なんとか」
「うん。おれ知ってる。ばらばらに泳ぐとな、すぐに敵に食われるんだ。ピィスのとこにはな、たぶん水の流れがあるんだ。水の流れにもっていかれる魚は、群れから離れてぐるぐる回る。おれ、陸の水は見えねえけど、だからいつもサフィにぶつかるんだろ? それじゃだめだ、頭を打つ。だからな、ここの水から離れなきゃだめだ。あのな、おれはもう手があるからな、心配しなくていいぞ」
 説明を聞くうちに、立っている場所が川底のように見えてきてピィスは目をこすってしまう。強い流れが渦となって体を巻き取ろうとしている。このままではまた不安なまま流されて、暗くうつむいているサフィギシルにぶつかって……。
 ぐい、と腕を引かれて現実に戻る。カリアラが、戸惑うピィスの腕を取って強引に外へと進んだ。わけのわからないまま彼につられて、よろめきながらも歩いていくと完全に庭に出る。封印の霧を抜けてしまえばもう家は見えず、サフィギシルを呼ぶことも、足がすくむこともない。カリアラはピィスの顔を覗き込んだ。
「ほら。水から離れた」
 鼻先を寄せて笑う。それは魚が顔を近づけるのと同じ動きだったのだろう。だがピィスは赤くなるのを止められなかった。彼女の動揺などお構いなしに、カリアラは得意な顔でピィスの両腕を握る。そのまま意味もなく振ってみては、口許をゆるませた。
「手はすごい! おれ、ちゃんとできた!」
「……お前の方がすごいよ……」
 もはやそう言うしかない。ピィスは力なく笑った。呆れが、蓄積した濁りを溶かしてしまったようで、ふわふわと体が浮かびそうだ。ただ笑う彼女を見て、カリアラは「よし」とうなずく。
「次は、街だ」
「なんか今日、やけにやる気満々だな。どうした」
「うん。決まったんだ、やること」
 カリアラは芯の通る声で言った。
「おれは、みんなとなかよくなるんだ」
 それが何か理解するまで、少しの時間が必要だった。ピィスは気づいて息をこぼす。
「……ああ、そうだよな。街の人たちとも仲良くしたいよな」
「うん。だから、ピィスも手伝ってくれ」
「わかった。オレにできることならなんでもやるよ」
 力づけるように笑うが、内心は新たな不安に囚われていた。
 カリアラが街で騒ぎを起こして、十日になる。うろこを生やして道端で暴れる姿は、まだ人々の記憶に強く残っているだろう。それでも『作品』の暴走を見慣れている人たちだ。カリアラは無害なのだと理解すれば、少しは距離が縮まるはずだ。多くの技師とビジスを有するこの地には、少なくとも他国よりは免疫がある。
 そのため、アーレルに住む大半の人々は、魔術技師協会に認められた魔術技師と『作品』にならおおらかに接してくれる。だがカリアラは、彼らにとっては製作者不明の怪しい『作品』、それも狂魚と呼ばれるピラニアの一種である。よほどの腕で管理されていると知らせなければ、信用は得られない。
 やはり、サフィギシルが外に出るべきなのだとピィスは考えている。彼が実力を知らしめなければ話にもならないのだ。製作者とその『作品』の関係は密接で、互いの能力がそれぞれの身分を確立させると言ってもいい。力のある魔術技師の作品は安心と共に迎えられ、未熟な技師の作品は警戒に満ちた態度を取られる。カリアラが前者なのだと証明できれば街での動きも楽になるが、製作者が不明のままではどうにもならない。サフィギシルに無断で事情を語ってみても、証拠がなければただの虚言に終わってしまうだろう。
「……体の具合も悪いくせにさ」
 今ごろ、サフィギシルは家の中で、死人のように青ざめた体を丸めているのだろうか。それを思うとピィスは泣きそうになる。霧を生み出す封印の術は多大な魔力を要するのだ。人型細工は魔力を失えばそれで終わりだというのに、どうしてそこまでして閉じこもろうとするのだろう。
 ピィスはため息をついた。カリアラのことにしても、街のことにしても、サフィギシルが外に出さえすれば解決するはずなのだ。むしろ、そうしなければ何も変わらない。そう考えると、今街に出るのは無謀なことと言えるのだが、カリアラは相変わらず嬉しそうに笑っている。街に行くのが楽しみでしかたがないのだ。
「サフィもさあ、このぐらい喜んで外に出てくれればいいのにな」
「そうだな。街はすごくいいところだから、サフィも出ればいいと思う」
「だよなー。みんないい人ばっかりだしさ、色んなもの売ってるし、賑やかで見てるだけでも楽しいし。一回出てくれば絶対大丈夫だと思うんだよ。ほんっと、見もせずに無条件で嫌がっててさー」
 どうして内に閉じこもるのかは知っていた。
「怖がってんだよ、あいつ。何も恐ろしいことなんてないのにさ。怖くて外に出てこれないんだ。あーもー、どうしてそんなにびびってんのかオレには全然わかんねー!」
 長年外の世界を生きたピィスには、サフィギシルの考えていることが理解できない。こうなのだろうと想像することはできるが、同じ気持ちになるなどは到底不可能なことだった。ピィスは髪をかきまぜて、不満に口を尖らせる。
「わかんねーよ、オレには」
「うん、おれにも全然わかんねえ」
 カリアラはそう言うと振り向いた。出たばかりの家は封印に隠されている。彼は、その二階のあたりに透明な目を向けた。
「でも、シラにはわかるんだ」


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