第5話「生きるための選択」
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熱帯の森(1) 愚者により絶やされたピラニア、カリアラカルス

 さて、次の森はカーダーの熱帯雨林……いわゆる熱帯島の中と決めた。何を馬鹿なと思う方もいるだろう。だが、私とて無防備なまま魔境に行くほど頭の悪い男ではない。ちゃんとした現地民を雇い、奥には入らず、安全な外側だけを周遊する計画だった。
 だが友人たちは必死に止める。磁石も効かず、魔力も土地に惑わされるし、危険な生物がたくさんいる。お前はカリアラカルスの餌にでもなるつもりか、と。
 私は笑った。カリアラカルスが人を襲うことは少ない。たとえ稀なる奇種といえども、彼らは他のピラニアたちと同様、非常に臆病な生き物である。ただし、大量の生命力と魔力を保持し、極めて高い知能を用いて結束固い群れをなす。そのため、集団になった彼らに襲われれば危ういが、わざわざ私を選ばずとも食糧は大量に……と並べてみても、今となってはただの妄想にすぎないか。彼らはもうこの世に存在しないのだから。
 セタ歴八八二年、カリアラカルスはある愚かな罪人により絶滅した。カリアラカルスの名誉のために、森の中に行く前に、その話をしておこう。

 熱帯島の地有魔力は世界一むらがあるらしい。そのため、彼の地には多くの変種が存在している。カリアラカルスもその一類だ。彼らを追う人間は昔から多かった。その魅力に取り付かれた愛好家や学者たち。そしてその体に潜む、強い魔力や生命力を狙う輩。
 カリアラカルスの有する力は他にはない特殊なものだ。普通、魔力の強い動植物を食すれば、取り込んだ者の魔力は一時的には上がる。だが時間と共に元に戻ってしまうという、どうしようもない欠点があった。取り込んだ力は排泄と共に流れ出てしまうためである。だが、カリアラカルスの力は違う。一度食せば永久的に、奪った魔力や生命力を維持できるのだ。強い魔力を望むのならば、努力する必要はない。ただカリアラカルスを食べるだけで、力が身につくのだから。
 そのため彼らは多く狩られた。大量のカリアラカルスが魔術師や魔術兵器に投与され、いつしか彼らは種の危機に立たされる。群れとなり、人を避け、高い知能で狩人たちを翻弄するが、抵抗空しく数は減るばかりだった。
 また、ラグラード・トリエによると、絶滅前の数世代のカリアラカルスは、繁殖能力に欠陥のあるものが多かったらしい。人間を避けるため、熱帯島のより深部に住むようになり、土地の持つ特殊な力にやられたと言われている(熱帯島で磁石が壊れるのも、魔術の効果をねじ曲げられのも、この力が原因である)。
 種を繋ぐこともできず、カリアラカルスはみるみる数が減っていった。そしていつしか探しても見つからない状態にまで陥り、彼らを狙う者たちは皆手ぶらで島を去っていく。その頃、絶滅したとも囁かれた。
 だが、カリアラカルスはわずかに生き残っていたのだ。それを発見したのはある三人の男たち。彼らは学者と技術者で、カリアラカルスを見つける装置を発明した。
 カリアラカルスは互いに呼び合う音波を持つ。それは時に群れを固める合図となり、時に恋の相手を探し出す道具となる。この波長は彼らだけの種の音で、非常に広範囲に行き渡ることが判明していた。三人の男たちは、それを拾い、カリアラカルスの位置を特定する装置を開発したのだ。それを用いて調べた結果、熱帯島のある場所に、カリアラカルスの最後の群れが発見される。他のどこにも反応はなく、本当に最後の集団だった。
 愚かなこの人間たちは、希少価値を大きく掲げ、大量の前金を手に大掛かりな捕獲に出る。まず一日目にその半数を掴まえ、殺した。そして翌日、逃がしたものも捕獲しようと探索装置を起動して、一様に仰天する。取り逃がしたカリアラカルスたちが、一斉に彼らの元に向かっていたのだ。それも、装置の目盛りを振り切るほどの大声を上げながら。それはまるで怒り狂った襲撃の合図に見えた。
 一人は報復だと言った。一人は復讐だと泣いた。そして一人は戦いに来たのだとわめく。

 カリアラカルスの最後の群れは三人を食い殺し、捕獲の狩人たちをも殺し、鎮まらない怒りのままに森を抜け、流域の集落にたどりついて人を襲い……最後には、人間により種を完全に絶やされた。
 というのが小説『群魚』の結末である。その残酷な描写が評判を生み、現在でも数多く読みつがれるこの物語の流行が、ピラニアを、そしてカリアラカルスを狂暴な魚として人々に印象付けることとなった。
 もし、あなたやその周囲の人々が、この物語を事実として捉えているなら是非誤解を解いて欲しい。真実は、まったく別の結末を迎えたのだから。

 実際に起こった事件はこうだ。
 翌日、三人の作った装置は、カリアラカルスの最後の群れが大声を上げて向かってきていることを示す。だが、その反応は唐突に薄くなった。精度を上げて確かめると、どういうわけか、数十匹のカリアラカルスは次々と数を減らしている。一匹、また一匹と反応が消えていき……カリアラカルスは装置の上から完全に姿を消した。
 代わりに、三人の元に、大量のカリアラカルスの死骸が流れ着いたのである。息絶えた数十匹の体には、明らかに同種によって食いちぎられた痕があった。

 さて、あなたはこの事実をどう思うだろうか。ある学者は群れが一気に狩られたことで、恐慌を起こして誰彼構わず共食いをしたのだと言った。自らが生きるため、すぐ傍にある魔力を求めるために食った。そして彼らは内側から全滅したのだ、と。
 だが私はある異説に惹かれている。カリアラカルスの最後の群れは、愚かな人間たちへの“あてつけ”として、自ら命を絶ったという自傷説だ。
 流れ着いた死骸には、魔力がほとんど残っていなかったという。傷口から水に流れ、深く広いボウク川に消え去ってしまったのだ。もちろん、魔力の抜けたカリアラカルスに商品価値など存在しない。研究のための数匹以外は捨てられた。愚者たちは成果を半分しか得ることが出来ないままに、熱帯島を去ったのである。
 これは、カリアラカルスの狙い通りだったのではないだろうか。利口な彼らは勝ち目のないことを悟り、せめて利用されないようにと、互いに自ら殺しあった。それがこの自傷説である。私はこちらを支持したい。全く個人的な感傷から、ではあるが。

 この話には後日談がある。
 カリアラカルスを絶滅させた三人の愚者たちは、多方面からの批難を受けて、その研究者生命を絶たれてしまう。そして狩りから数年後、三人が三人とも元凶となった機械を抱え、意味不明のわめきをあげながら熱帯島に飛びこみ、二度と戻らぬ人となった。
 この事件を境目に、カリアラカルスは狂魚と表記されることが格段に多くなる。



 サフィギシルは本を閉じた。指先が冷えていて、感覚が鈍かった。息を吸い、心を落ち着けようとする。だが気づいてしまった予測ばかりが、呆然とした頭を回っていた。
 大量の死骸。同種による食いちぎられた跡。死骸には魔力が残っていなかった。食すれば永久的に消え行かない特殊な力。カリアラの持つ不自然なほどに濃い魔力、大量の生命力。
 どうしてあいつ一匹だけが生き残ることができた?
 まさか、と呟く。だがそれはひどく弱く、空気のように吐き出された。
 サフィギシルはふと飛び出ている付箋を見て、動きを止める。
「人魚」
 ビジスの残した一つの言葉。そして気づく。熱帯島に飛び込んだ三人の人間たち。彼らが機械を抱えていたのは、カリアラカルスの反応を見つけたからではないだろうか。精神的に追い詰められていた彼らが、未練にしがみつくように、日ごろから熱帯島に通い、定期的に装置を試していたとしたら?
 彼らは、一匹で生き延びていたカリアラの音波を拾い、熱帯島に駆け込んだのではないだろうか。そして帰らなかったのは、密林でのたれ死んだというよりは……。
「シラが、殺した?」
 現れた人間たちを逆に『狩り』の獲物にした。彼らからカリアラを守るために。
 もう一度、ビジスの記した文字を見つめる。人魚。ただそれだけの言葉。ビジスはどこまで事実を知っていて、何を思いこの本を取り出したのだろう。サフィギシルが気づく場所に、わかりやすく付箋を貼って場所を示して。
 肌をのぼりつめた寒気は恐怖によるものだった。サフィギシルは頼りない足取りで歩いていく。喉がやけに乾いていた。何か飲んで、少し落ち着こうと思った。部屋を出て居間に向かう。
 白々とした魔術の明かりに照らされた、生ぬるい廊下を行く。思い出すのは自分を襲ったシラの姿と、冷淡な野性の仕組み。カリアラも同じなのだろうか。彼もまた、自分自身が生きるためには手段を問わず、同種を殺すことも厭わずに……。
 廊下が終わり、サフィギシルは居間に続くドアを開ける。そしてそのまま固まった。

 カリアラが、そこにいた。

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