第4話「孤独な王様」
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 治療は意外に素早く進み、あっけなく完了が近づいた。兵士たちはビジスの姿に怯えながら、それぞれに手当ての仕上げをする。ビジスは少し離れた場所で、クラスタに生き残った事情などを話していた。語り終えると、感想を聞く前に言う。
「お前に一つ言っておかねばならんことがある」
 拭えない憔悴を残すクラスタの顔。ビジスはそれを真摯に見つめながら続ける。
「国王はまだ幼い。この国を栄えさせるも、絶やしてしまうも今やお前にかかっていると言っていい。それがどういうことか、お前はちゃんとわかっているか?」
 今までにない緊張感がクラスタを黙らせた。彼は何か言おうと口を開くが、出される前に元に戻る。答えを求めるクラスタの目を受けて、ビジスはにやりと笑みを浮かべた。
「何もかも、お前の好きにできるということさ」
 クラスタの緊張が、消えた。
「……それは、どういう」
「壊したければ壊せばいい。続けたければ続ければいい。お前がしたいようにすればいいんだ。何もかもお前しだいだ。さァ、お前は一体どうしたい?」
「な、長き平穏と、安定を」
「ならばそこに向かえばいい。何を恐れることがあろうか。お前にはお前にしかできんことがある。お前たちは、わしには行けない道を行ける。……わしはな、それが嬉しいんだ。後に続くものがあるということが」
 表情は珍しくもおだやかで、クラスタは息をつく。
「……あなたはいつもそうだ。持つものが悪意なのか、善意なのかわからない」
 呆れたようにも聞こえるそれに、ビジスは明るく笑って答える。
「この世に完全な善人などいるものか。この世に完全な悪人などいるものか。わしはわしだよ、クラスタ。ただの一人の人間だ」
 ビジスは落ち着いた声で言う。
「我々はただの動物だ。そうだろう? シラフリア・ローティス」
 息を呑む音がした。ビジス以外の何人かがそちらを見る。広い廊下の分岐点に、元ピラニアと元人魚が立っていた。カリアラのうろこを見た者がざわめく。青ざめたシラの顔が、人々の視線を受けてやわらいだ。うっすらと微笑むが、その目には隠しきれない動揺がありありと表れている。
「初めて聞く名前ですが。いつの間につけて下さったんですか?」
「は! 名前を持つ野生動物などいるものか。わしも初めて見たところだよ。不思議な人魚もいるものだなァ。異国の言葉を流暢に操るとは」
 シラの顔がわずかに引きつる。微笑みは消え去って、残されたのは強い警戒。
「そんな顔をしなくとも、別に何も喋らんよ。ああ、ペシフ。説明しておいてくれ。こいつらがやったことは正当防衛なのだとな。シラはわしについて聞いておるか?」
「ええ。今、カリアラさんから」
「ならば話は早い。では家に帰ろうか。ペシフ、もう一つ伝言だ」
 ペシフィロは包帯を片付けながら振り返る。ビジスはにやりと笑って言った。
「国王に、わがままを言うと人魚がくると言っておけ。あの子どもにはいい薬だ」
 失態を打ち消すように微笑むシラと、ビジスの顔を交互に見つつ、ペシフィロはわかっていない顔で言う。
「はあ。どうしても必要な時があれば、使ってみます」
「もちろんこの優秀な先生を、免職のままにしておくはずがないだろう? なァ大臣」
 クラスタはうなずいた。その流れをさえぎって、カリアラが口を切る。
「ビジス」
 彼の周囲は奇妙に人気が引いていて、遠巻きな凝視ばかりを集めていた。彼は皆を気にしつつ問う。
「どうやれば“話し合い”できたんだ」
 打たれたらしき頭を押さえて不満げな顔をする。ビジスは平然と言いのけた。
「惜しいなぁ。わしもさっきまでは覚えておったんだが。年寄りは忘れるのが早くていかん」
 その場にいる全員が無言になった。みんな何かを言いたそうな顔をしていたが、何一つ言葉にしないままそれぞれの作業に戻る。ビジスはカリアラたちを手招くと、腰を上げた。
「さて、家の場所まで忘れぬうちに帰ろうか。誰か馬車を用意してくれ。この娘は怪我人だ」
 どんな思いを隠しているのか、シラはずっと微笑みを貼り付けたまま。カリアラは二人の仲を気にするように、不安な顔で彼らを眺めた。だがビジスはあくまでも自分の速度ですべてを進る。どこまでも交わらない雰囲気のまま、三人は迎えの者に案内されて外へと向かう。
「もう一つだけよろしいでしょうか」
 それを、ラックルートが呼び止めた。彼は背を向けたままのビジスに尋ねる。
「魔術技師に対抗するには……本当に、逃げるしかないのですか」
「そうでなければ、わしはこの仕事をしておらんよ」
 呆気ない回答に、ラックルートの目には失意が宿る。
 だが、とビジスは続けた。
「今のところは、の話だ。望むのなら探してみろ。何か見つかるかもしれん」
「それはどうすれば」
 ラックルートは反射的に聞き返す。だが答えは告げられない。
 沈黙の中、ビジスが振り向いた。
 ラックルートも兵士たちも、クラスタもペシフィロも、じっと彼を見つめていた。続きの言葉を請うように、次なる指示を受け取ろうとするかのように。その場にいた全員が、帰ってきた偉大な人を見た。国を建て、王を立て、その手で世界を動かす男。諸国の誰もが畏れる脅威。死した後も思いもしない形で現れ、何一つ変わらぬ態度で好き勝手にかき回していく老人。
 全員が、求める視線を彼に向けた。
 並ぶのは様々な形の目。だが浮かぶのは確かにみな同じもの。畏れるような親しむような、疎むような縋るような、複雑な尊敬心。そして何よりも強い恭順の意思。
「……言っておかねばならんことがあったな。二人とも先に行け」
 カリアラとシラを外に出し、ビジスは床に座る怪我人たちへと向き直った。多くの視線を見つめ返し、口を開く。
「わしは死んだ。お前たちに話をするのはこれが最後になる」
 よく張った低い声は、静まりかえった空気を渡る。誰も目をそらさなかった。誰の視線も揺れなかった。ビジスは静かな口調で続ける。
「いいか、国を任せるなどとは言わん。ちゃんと生きろなどとも言わん。わしはもういなくなるから関係ない。だから、後は好きにすればいい。……わかるか?」
 黒く長い杖の先で、一人一人を指していく。その先端に吸いつけられるようにして集まる視線。まるで術をかけられているように、誰もが強く彼を見つめた。それを大きく受け止めながら、ビジスは杖を戻して言う。
「ここから先は、すべてお前たちのものだ」
 誰かが大きく息を呑んだ。それがきっかけとなったように、集まっていた視線がばらける。それぞれが身じろぎをする、互いに何かを囁き始める。注目が消えていく中、ビジスは無言で踵を返した。
 ふと、クラスタを見る。彼は力が抜けたのか壁に背を預けていた。疲労が満ちていたはずの目に、確かな気力が動き始めたのを見る。ビジスは満足そうに口元をゆるめながら外へ向かった。
「敬礼!」
 ざわめきがぴたりと止まる。ラックルートが立ち上がり、力強くビジスの背に礼をした。
 それに合わせてばらばらと全員が動きだす。よそを向いていたものも、怪我の酷いものでさえも、熱に浮かされたように起き上がり、敬礼した。
 ビジスはただ片手を挙げて、あっけなく去っていく。
 その姿が完全に見えなくなると、ふっと糸が切れたように、みな床に座り込んだ。

 見えない支配が静かに絶えた。

※ ※ ※

 遅れたことに詫びを言って、ビジスは馬車に乗り込んだ。その顔がやけに嬉しそうなので、繕うシラの微笑みも憎らしげに曇ってしまう。ビジスはますます喜色を濃くして芝居じみた口調で言った。
「今日はご機嫌がよろしいようで。空模様と同じように晴れ晴れとしていらっしゃる」
「……そちらこそ。随分と意表をつく行動ばかりで、とても愉快なんでしょうね」
「いやいや。姫様にはかないません」
 やれやれと持ち上げる手のしぐさですら、どこか道化めいている。ビジスの一挙一動すべてが気に障るとでも言うように、シラの気配は目に見えてよどんでいった。なんとかしてくれと訴えるカリアラを横目で眺め、ビジスは大仰な息をつく。
「ま、後はもう少し片付けをせねばなァ。お前たちの修理もだが、話しておかねばならんことがある」
「まだあるのか」
「まだあるのさ。大切なこと、サフィについてだ。この中で意地を張って眠っておる馬鹿息子についてだよ。まぁ……そうだな、折角だ。面白い場所で話そうか」
 カリアラが尋ねる視線を向ける。シラもまたひそかに興味を寄せていた。ビジスは焦らす間をおいて、二人の耳に囁きかける。
「それは、我が家の『あかずの間』で話すことにしよう」
 丸まる二対の瞳に向けて、ビジスは片目をつむってみせた。


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