第4話「孤独な王様」
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「十歳?」
 カリアラは聞き返した。ビジスは体の具合を確かめながら肯定する。
「ま、もう少しで十一になるがな」
 修理の終わった作業室。その片隅で、二人は城へ向かう準備を進める。もっとも、カリアラには何をすればいいのかわからないので、意味もなく引き出しを開閉しているだけなのだが。がたがたと煩わしい音を立てながら、カリアラが感心したように言う。
「王様ってすげぇ年寄りなんだな」
 ビジスはぴたりと動きを止めた。カリアラはきょとんと彼を見つめる。若い体の老人は、慎重に尋ねてきた。
「……カリアラ、わしは今何歳だと思う?」
「え? ビジスは爺さんなんだよな? じゃあ……十二、とかか?」
「八十九だ」
「ええっ」
 目を見開いたカリアラに、ビジスは呆れた息を吐いた。
「馬鹿が。人間は八十、九十生きるもザラだ。お前の種族と一緒にするな」
「そ、そうか。すごいな人間。長生きなんだな」
 きゅうじゅう……と呟いて再確認する元ピラニアに背を向けて、ビジスはなにやら鞄に荷物を詰め始める。引き出しから小さな筒を取り出しては選別し、一つ一つ開いた口に放っていく。
「それを言うなら人魚なんか三百年は生きるだろう。話を戻すぞ」
 彼は手を止めないまま、逸れた話題を引き戻した。
「ま、国を動かしているのは大臣どもだ。前の王も奥方も、そりゃあもう病弱でなァ。四年ほど前に死んだが、それでもよく生きた方さ。あの血筋はどうも長生き出来んらしい……いや、これも違うな。わしが言おうとしておったのは、そう、人魚だ人魚」
 言葉は道を違えていくが、作業の手つきに迷いはない。戸棚の引き出しは詳細に分けられている。だが貼られた名札を見ることもなく、ビジスは馴れた様子で必要な物を抜いていく。素早い動きを休めないままつまづきなく口を動かす。
「人魚の媚薬は子どもには効かないはずだ。あれは主に子種を得るためのものだからな。二次性徴もままならんお子様なんぞは対象外ということだ」
「じゃあ、王様は無事なのか」
「そうとも言い切れんよ。水の毒は食事用だ、老若男女を問わんだろう。相手が抵抗できないからと、強行手段に出るかもしれん。どちらにしろ危険なことに変わりはない」
「ビジスは何でも知ってるな」
「わしには知らないことなどないさ」
 口端がつりあがる。ビジスは思惑の読みとれない笑みを浮かべ、カリアラに横目を向ける。
「わしは世界の全てを知っておるよ、カリアラカルス」
「全部か?」
「全部さ。世界中の何もかも、な。だからなァ、困ったことにわし自身の悩みというものがない。解決できない問題など存在しないのだから」
 おどけたしぐさでため息をつく。カリアラは素直な気持ちを口にした。
「いいじゃないかそれ」
「いいや。逆にな、他のやつらの世話を焼きたくて仕方がなくなるのだよ。あの自己中心的でどうしようもない国王は、わしがおらんとどうやって生きていくだろう。不運まみれでうだつが上がらず、娘に上手くやられっぱなしの魔術師は大丈夫なのか。仮死状態も見分けられない半人前のぼっちゃん兵士や、やる気のない店を続けるろくでなしのクソ店主も気になる。そもそも腕と頭が足りなさ過ぎる、垢よりも役に立たん能無しの技師どもはどうなるだろうか」
「ビジスはみんなが好きなんだな」
「そうさ。皆もわしが大好きでなァ、ことあるごとにクソジジイと罵られたものさ」
 ビジスはにやりと笑う。カリアラは感心してうなずいた。
「そうか。すごいな」
「街に出れば何をするかと全員が警戒するんだ。その中を歩いて行くのは、そりゃあいい気分だったよ。声をかけると面白い反応をする。店に入れば深々と頭を下げられ、大体タダで物が貰える。内緒にしているわしの技法を教えてくれと、後から後から馬鹿どもが群れを成したさ」
「そうか。ビジスはエライんだな」
「そうさ。ついでにちょっと好かれすぎてなァ、昼間は目の焦点が合わん奴らが家の壁を引っ掻くし、夜は刺客が絶えんかった。ま、軽ーく倒して一日二十人ほどか」
「そうか。ビジスは強いんだな」
「お前は頭が悪いんだなァ」
 ビジスは異様に優しく微笑みながら、引き出しを強く閉めた。
「さて。後はもう二つ三つ……」
 そう言って、部屋の隅に隠された箱を取り出す。巨大なそれを机に置いて、埃を払った。
 ふたには血のように赤い塗料で『猛獣注意』と書かれてある。
 ビジスは何のためらいもなくそれを開けた。
「なんか書いてたな」
「『動物天国』と書いてあったんだよ」
 中には小さな筒が並んでいる。透明なその中に、やわらかく点滅する様々な色の光。カリアラは何気なく手を伸ばすとビジスに強く叩かれた。びくりとして硬直する。ビジスは顔色一つ変えず、中の筒を選って取る。
「これは獰猛な動物の魂たちだ。危険だから触ってはいかん」
「ビジスはいいのか?」
 不満そうに尋ねるが、ビジスはそれを気にかけない。
「わしはいいんだ。確実に相手を仕留められるからな。上手くないやつがいじるとすぐに暴走してしまう。敵以外に襲いかかってしまいかねん」
 筒を取り終えると閉じた箱を隠し直す。納得するカリアラに背を向けたまま、当然のように言いのけた。
「そうなったら勿体ないだろう。せっかく集めた魂が」
「そうか。ビジスは頭がいいんだな」
「お前に比べれば虫けらでも天才的さ」
 ビジスはにっこりと笑う。カリアラは訳も解らずつられて同じ顔をした。ビジスは笑顔のままで訊く。
「楽しいか」
 カリアラも笑顔のままで答える。
「わかんねえ」
「だろうな」
 冷静な顔で呟いて、ビジスは部屋の対面に向かった。積まれた箱をかきわけて散らかして、今までは隠れていた木の壁を剥き出しにする。そこには一本の棒が立っていた。天井に開く小さな穴から上の階まで突き抜けている。カリアラが以前、二階の小部屋で動かした物だった。
「これ、押したら崩れた奴だ」
「そうそう。まったく、考えもなく動かすもんじゃない。夜になるまで隠すこともできないんだ、いつサフィにバレてしまうかとハラハラしたよ。ようやく隠せばお前に目撃されるしな」
「ばれたら駄目なのか?」
「ああ。これは秘密の入り口だからな。それと、武器だ」
「武器?」
 カリアラの質問には答えずに、ビジスは黒く長い棒を握る。
 その途端、手の中から光があふれた。光は細い線となって棒の表面を覆っていく。まるでもつれた糸のように絡みあう光の筋。地図にも似たそれは棒のすべてに達するわけではなく、背よりも低い位置で止まっている。
 ビジスは低く囁いた。
「『解けろ』」
 唐突に光が消える。
 握る手を動かすと、光の走った部分はあっけなく切り離されて彼の手中に収まった。そうして改めて見ると、それは黒い杖である。表面には光の模様の跡が見えた。細かな筋の痕跡は浅い溝となっているらしく、つやのある表面はそこだけ闇を匿っている。ビジスは扱い慣れた様子で杖を軽く振り上げた。
「取り出すのも久々だ。これはわしが自分の為に作った武器さ。あやつにはまだ使えんよ」
「サフィか」
 現れた杖をまじまじと見つめ、カリアラが確認する。ビジスはついて来る魚の目を転がすように、杖を動かしながら言った。
「ああ。まァ、いずれは譲り渡すがな。さて、入り口を開こうか」
 杖の先が床を突く。続くのは呟きにも似た呪文の詠唱。
「西のキワの晴れの闇 サはミネのナジを呼び 道はここにヨスへと続き 辿り着くのはチジツの宴」
 床板が震動する。杖の先を囲うように、白い円がうっすらと浮かんでいく。
「ニシ、ダツ、ロウヤ」
 しんとした空気の中に、不思議な調子の声が落ちた。
 震動は止まる。白い円はあっという間に消えてしまう。残るのは、ただのいつもの茶色い床板。ビジスはカリアラと共に下がった。そして随分気さくな声で、床に向かって話しかける。
「さて。生きておるかねラーズイース?」
 床は一度大きくたわむと、液体のごとくにとろけた。カリアラはびくりとするが、ビジスは満足げに融けていく淵を杖で叩く。
「結構。それをしばらく維持すること。……さ、行こうか」
 最後の言葉はカリアラに向けたものだ。ビジスが、一体何を怯えているかと言わんばかりの表情で振り向くので、カリアラは複雑そうに穴と彼とを交互に見やる。
「王城内部に直結だ。滑り降りて、後はしばらく歩くがな」
 床はもう固く戻り、現れたのは人一人が落ちていけるほどの穴。筒状になっているのが辛うじて理解できる。奥は暗く先が見えず、ビジスの顔にも思惑がうかがえない。カリアラは顔をしかめた。
「これ、大丈夫なのか」
 ビジスはにやりと笑うだけ。カリアラは諦めた顔で鞄を取った。
「うん。行こう」
 渡すと、ビジスは荷物を巻きつけるようにしてかける。カリアラは何も持たない自分の手を不安そうに確かめた。ビジスは杖の先を向けて言う。
「心配するな、武器はいらん。話し合いで解決させるからな」
「そうか」
 カリアラはビジスの荷物を眺めたが、追求はせずに穴を向く。ビジスが軽く背を押した。
「お前が先に行け」
「おう」
 素直に返し、慎重に穴の縁を掴む。一瞬、床板が軽く震えた。血液が脈動したかのような感触。まるで生き物のような反応に、カリアラはつい手を放す。尋ねる前にビジスが答えた。
「ま、お前と同じようなものだ。建物に魂を宿らせてあるのさ」
 カリアラは目を凝らして床を見る。うつむいた彼の背に、ビジスは意思の読めない声で告げた。
「……ここに移した魂が、“前の”サフィギシルのものだと言ったらどうする?」
 部屋の空気が一気に冷えた。カリアラは見開いた目で振り向く。
「これ」
 もれた声をかき消すようにビジスは笑った。明るく高く張られる笑い。カリアラは不信に彼を見る。
「冗談だ。そんな顔をするな。ほら、早く入れ」
「……そうか」
 カリアラは納得がいかないままに足を入れる。慎重なその動きを見つつ、ビジスは冷ややかな声で呟いた。
「そうできたらよかったな、という話さ」
 カリアラが振り返ろうとしたのと同時、ビジスが背を強く押す。
 彼がどんな顔をしているのか確かめる間もなく、カリアラは深くへ滑り落ちた。

※ ※ ※

 暗闇の中で二人は息を詰めていた。
 土に固められた地下道を一体どれだけ歩いただろう。街へ行くのと同じほどの距離を経て到着したのは、ビジスの言葉を信じるのなら王城の床下ということらしい。カリアラは長い道の終着地点にぴったりと張りついて、出口をふさぐ石に触れる。
 厚い石の上から、何人分もの足音が近づいてきた。靴や鎧がそれぞれに音を立てる。
「諦めたようだな。……休憩するか」
 リドーの声。続くのは彼らが床に腰掛けた音。金具の当たる騒がしい響きと共に、疲れた息が山ほどもれる。
 ビジスはカリアラをはしごから下ろさせて、自らが出口に上がった。下方を見ずに囁く。
「いいか。穏便に、話し合いで決着をつけるんだぞ」
 カリアラが神妙な声で「おう」と言うのを聞きながら、ビジスは石に杖を当てた。小声で呪文を詠唱する。
「ワノヤ リリド 終地の郷。『爆ぜろ』」

 その途端、彼の周囲は爆発した。

 石板どころかあたりすべてが砕け落ちる。突然明るくなった地下に、兵士が数名足を取られて落ちてきた。ビジスははしごから飛び下りると彼らの急所を鋭く撃つ。
「何者だ!」
 動揺したリドーの顔が現れる。ビジスははしごを駆け上がり、その喉元を容赦なく突き上げた。
「ビ、ビジス」
 カリアラは落ちる瓦礫に覆われながら、呆然とするばかり。
「何をしておる。さっさと行かんか」
 ビジスはその腕を引き上げた。動けないカリアラをよそに、裏に鉛を据えた靴で瓦礫を蹴っては道を開けつつ、残りの兵士にとどめを刺す。顔色が異常なまでに輝いていた。カリアラはおずおずと尋ねる。
「話し合いは?」
 ビジスは倒れた兵士の頭を踏んで、あっさりと言いのけた。
「それはお前の担当だ。さ、平和的に話し合ってこい」
「ええー!」
 ビジスは杖で上を示すが、見上げた先ではリドーが死にそうに咳き込みながらも怒りの顔を覗かせているし、残された兵士たちも武器を構えて待っている。カリアラはおろおろとビジスを見た。
「なんだ、だらしない。じゃあわしが話しかけるさ」
 どす黒い笑みが借り物の顔を凶悪に染めていく。サフィギシルであればまずしない表情に、カリアラは言葉を飲んだ。
「侵入者だ! 応援を頼む!!」
 リドーの声に導かれ、ばらばらと足音が近づく。ビジスはそれを待たずに城内へと駆け上がった。退く兵士たちを一瞥して、悪人の笑みを浮かべる。持参した黒い杖を、棒術の姿勢で構えた。
 動揺しつつも向かってきた彼らの剣を杖で受け、まるで風に乗せるように流しては無駄のない動きで急所を突く。目元は常に愉しげな笑みに歪んでいた。口からは切れ目のない呪文が歌うように放たれている。手の握り方を変えるたび杖の溝に色が蠢く。中に虹を閉じ込めているかのように、様々な色の光が見え隠れする。
 術によって強化された杖の先は甲冑すら打ち砕いた。一つ、また一つと屈強な男が倒れていく。ビジスは周囲を見回した。ここは廊下の分岐点。右手の道には遠くへと続く水槽がある。床下に声を張り上げた。
「行け、カリアラ! 水槽に沿って行けば辿り着く!」
 カリアラは戸惑いながらもはしごを上る。彼が奥へと行けるよう、ビジスは道をふさぐ兵士を倒した。行く手が空く。背を押すと、カリアラはよろけながらも城の奥へと駆けて行った。
 追おうとする兵士を殴り、倒れたところで首を踏んでは向かってくる新手を討つ。視界からは人の姿が消えつつあった。その代わりに見えるのは、床に広がる敗者の姿。
 背後から咳が聞こえた。続くのは剣と杖のぶつかる音。見合わせた顔に驚愕と疑惑が浮かぶ。
「サフィギシル……!?」
 尋ねるリドーの剣を受けて、ビジスは馬鹿にした笑みをもらす。
「まだわからんか、イジナス家の三男坊。相変わらず上手くない人生のようだなァ」
「まさか。お前はもう死んだはずだ……それに」
「老いぼれとでも言いたいか?」
 ビジスが笑みを消すのと同時、リドーの剣は空を斬る。無防備に空いた体で遊ぶように、杖先は反撃の隙も与えず小刻みに突いていく。リドーは重心を崩したまま体を支えきれず床に倒れた。
「くそっ」
 上げようとした顔をかすめて杖が鋭く突き立てられる。息を呑むリドーに向かい、ビジスは不敵な笑みを浮かべた。
「悪いがわしは元傭兵でねェ。平和ボケした若僧なんぞに負ける気はせんのだよ」
 青ざめたリドーの眉間を突き、呻き声を上げさせたところでビジスはまた辺りを見回す。絨毯のように広がった人の波からは、苦しげな声が漏れている。時々、何かを求めるように手や頭が上げられるがまたすぐに地に伏せた。時をおかず、廊下の奥から新たな兵士が姿を現す。彼らはこの惨状を見て硬直し、畏れを浮かべてビジスの姿を凝視した。
「ふん。雑魚しかおらんな」
 ビジスは鞄から筒を取り出す。その隙を狙って兵士が一気に駆け寄るが、ビジスの顔に焦りはない。歯で筒のふたを飛ばすと、にやりと顔を笑みに歪めた。
「さァて。楽しませてもらおうか」

※ ※ ※

 透明なガラスが部屋の半分を覆っている。それは水のない巨大な水槽であり、本来ならば人魚が暮らす場所となるはずだったらしい。シラは今はなくなった魚の尾を探すように、そっと偽の足をなでる。水槽に邪魔をされてはいるものの、さすがは国家元首の私室である。駆け比べができそうなほどの部屋は、しかし、子どもらしい賑やかな色の遊び道具に飾り立てられていた。
 それ以上に鮮やかな、黄色い花。まるで花畑のように並ぶそれはどうやら造花であるらしい。贅沢な家具にもおもちゃにもその花が飾られていて、部屋の明度を眩しいほどに上げていた。シラの座る長椅子も、もれなく黄色く染まっている。
 壁一面に『いらっしゃい人魚さん』『ようこそおまちしておりました』と色とりどりのつたない文字が躍っている。囲うのは花弁の多い造花たちと、国王陛下自ら描いた彼なりの人魚の絵。嫌というほど幼さを際立たせる作品たちがシラを囲む。
 年若い国王は、ブライ以外の者を外へ出した。奇妙な部屋には三人だけが残される。
 王は顔いっぱいに笑顔を浮かべ、シラの隣に腰掛けた。
「いらっしゃいませ。僕ね、ずっと待ってたんだ。君が来るの」
「……待ってた?」
 小さな手が指をぎゅうと握ってくる。シラが優しく微笑みかけると、王は嬉しそうに頬を染める。
「うん。母上が教えてくれたんだ。いい子にしてたら、この本の通りに人魚が来てくれるって。ブライ」
「はい」
 ブライは待ち構えていたかのように、大判の薄い本をシラに渡した。表紙は厚く、装丁こそ立派だが、素朴な絵には絵の具のむらが見えている。どうやら手作りの絵本であるようだ。表紙には、海辺に立つ一人の少年。国王にとてもよく似ている。
 題名は、『こどくなおうさま』。
「母上が作ってくれたんだ。特別に見せてあげる」
「ありがとうございます」
 暖かく微笑んで、シラはページをめくった。
「王様は……」

 おうさまは、とてもとても さみしいです。
 ちちうえと ははうえが いなくなってしまったから。

 さみしいことを こどくといいます。
 おうさまは こどくなまいにちを おくっていました。

 そんなあるひ。おうさまが うみにいくと
 きれいなおんなのひとが みずのなかからでてきました。
 そのからだは ひとのもの。でもあしは さかなのしっぽ。
 おんなのひとは にんぎょ だったのです。

 ぎこちない言葉は美しい筆跡で続く。素人の綴る脈絡のない物語。人魚は主人公に手放しの好意を寄せて、暖かく包みこむ。主人公は彼女の愛を一身に受け、立派な王へと成長していく。人魚は老いず美しいままずっと彼を支え続ける。
 大人になった王は人魚に求婚するが、彼女はただ泣くばかり。
「私はあなたとは違う生き物、妃にはなれません。でもあなたは立派な王になるために、花嫁を迎えなければならない。私は海へ帰ります」
 そして人魚は故郷へと帰ってしまう。王は深く悲しんで、海の中を探させたが見つからない。執務など手につかず、国は徐々に崩れ始める。
 王は食事も睡眠もろくに取らず祈り続けた。
 人魚が戻ってくれるように。
 足なんかなくてもいい、自分には彼女しかいないのだ、と。

 すると きせきが おきたのです
 ぼろぼろになった おうさまのもとに うつくしいじょせいがあらわれました。
 それはなんと にんげんのあしをもった あの にんぎょ だったのです

 にんぎょは おうさまのそばに ずっとずっといられるように
 つらくくるしい たびをして
 せかいのはての ねがいをかなえる きせきのいしに
 にんげんにして もらったのです。

 おうさまは にんぎょを おきさきにして
 ずっとずっと しあわせに くらしました。

 おうさまは もう こどくではなくなったのです。

〜おわり〜

 シラはそっと足を押さえた。長く歩いた負担は重く、座っていても熱い痛みを訴え続ける。読み終わった絵本を閉じる。裏表紙には幸せそうな男女の絵と、それを囲う黄色い花。
「母上はいつもいつも『いい子にしていないと人魚は来ません。一人ぼっちになってしまうのよ』って言ってた。だから僕、すごくいい子になったんだ。そしたら本当に人魚が来てくれた!」
 王はシラにすがりつく。シラは優しくそれに応える。
「ずっと楽しみにしてたんだ! 人魚が見つかったって聞いた時から! ちゃんとここで暮らせるように、水槽も作ったんだよ!!」
 幼い王は誉めてくれと言わんばかりにシラを見上げる。シラはおだやかな微笑みを返しながら、閉じた絵本を持ち直す。
「見つかったのは川だけど、人魚なんだよね! それにすごいよ、もう人間になってくれたんだ!」
 そして王の小さな頭を、思いきり叩き飛ばした。

 幼き王は勢いあまって床に倒れる。
 わけがわからず混乱する彼に向かい、シラは優しく暖かい極上の笑みを浮かべた。

 甘い香りが部屋に漂う。


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第4話「孤独な王様」