第2話「敵は五つ子」
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 少しの間、奇妙な沈黙が降りた。
「……何言ってんだよ」
 ピィスは力なく笑う。冗談だと返されるのを懇願する顔。
「だって、爺さんは風邪こじらせて死んだんだろ? もう歳だったからって」
 コウエンは無言で帽子を取った。ピィスは驚きに目を見開く。
「おっさん、それ」
「サフィギシルみてぇだろ」
 含み笑うコウエンの髪は、一つ残らず真っ白になっていた。
 彼は元々歳の割には白髪があまり目立たなかった。少なくともピィスが以前に見たときは、黒髪にまぎれてちらほらとわかる程度だったのだ。
「べつに老けたわけじゃねぇよ。サフィギシルと同じだ。“魔力無し”になっちまった」
 ピィスの反応を楽しむように、コウエンはにやにやと笑いながら頭をなでる。短く刈られた白い髪が、武骨な手に倒されていく。
「じゃあ、傷の手当てが出来ないってのも」
「ああ。人間の薬が効くんなら塗ってやったんだがな。人型相手にゃ魔力がなけりゃあ仕上げが出来ねぇ。俺としたことが、ちょーっと馬鹿やっちまってよ」
 コウエンは下から小さな箱を取り、カウンターの上に置いた。寝室に嫌というほどあったものと同じ物だ。黒く塗られた表面に銀の塗料で記されるのは、地図のような魔力の道筋。封印がかけられているという、分かりやすい表示だった。それを補強するかのように、ふたはしっかりと粘着布でとめられている。
「この中には魔石が入ってる」
 コウエンが振ってみせると、中からは重そうな音がした。ピィスはあからさまに興味を示し、その顔を近くに寄せる。物言わぬ箱をじっと見つめた。
「特殊なやつだ。知ってるか? 吸入石」
「げっ」
 ピィスは引きつるように顔を引く。コウエンは小さく吹きだして、そのままにやりと顔を歪めた。
「そうさ。違法も違法、大犯罪だ。見つかればの話だがな」
「……変わんねーな、おっさんは。何企んでんだよ」
 その箱を恐れるように、ピィスは椅子ごと後じさる。コウエンは箱をカウンターの上に置くと、肘をついて姿勢を崩した。
「知っての通り、この石は人の魔力や生命力を吸いつくす。ま、どちらにしろ石本体に“きっかけ”を与えなきゃ、ただの石ころなんだがな。俺としたことが、初めて見たからってうっかりそれをやっちまった」
「じゃ、それで力吸われちゃったってこと?」
「おうよ、半月は寝込んだぜ。おまけに早くも総白髪だ。ま、俺はまだ若けぇから治るけどよ。ジジイとあっちゃ、どんなことになると思う?」
 ピィスは先を察して表情を曇らせる。コウエンはそれを確認し、答えを待たずに話を進めた。
「そうさ。ましてやビジスは風邪引いて寝込んでた。ひとたまりもありゃしねぇ」
「でも、別にそうだって証拠もないんだろ?」
 食い下がるピィスに同情してか、コウエンは目をかすかに細めた。落ち着いた声で言う。
「ビジス爺の死体には、魔力が残ってなかったそうだ」
 ピィスの顔が不安に囚われた。余裕も希望も瞬時に失せる。コウエンはそれを見つめて続けた。
「世間的には秘密の話だ。知ってるのはペシフィロ先生と、城のやつら、あと技師協会に何人かいるだけだ。……先生はよ、お前が心配しないように黙ってたんだ」
「じゃあ、じゃあ爺さんは……」
「力を吸われて殺された。知ってるか? 吸入石は上手くやれば相手の記憶も吸えるんだとよ。稀代の天才ビジス・ガートンが、最後まで語らなかった多くの秘密。それを誰かが盗んだとは思えねぇか?」
 コウエンは箱を掴み上げた。そこに語りかけるように、淡々と話を続ける。
「俺はビジスの力を吸った、抜け殻の石を探してるんだよ。吸った力を吐き出せば、石は何度も使い直せる。だがかすかに痕跡が残るんだ。そしてそれを知ってる奴は少ねぇ。犯人が知らなけりゃまたどっかに放つだろうさ。この石は高く売れるしな。俺はな、裏も闇も探ってよ、吸入石を売買記録を片っ端から探ってる。成果はまだ出てこないがな」
 寝室に転がっていた大量の箱。集められた多くの魔石。ピィスはそれを見るように、後方に目を向ける。だが続いたコウエンの言葉に打たれ、力なくうつむいた。
「だからな、気をつけろ。その妙に腕のいいやつが、どんなやつかは俺ぁ知らねぇ。だがな、ペシフィロ先生が保証してても信用しきっちゃいけねぇよ。こんな事情だ、何があるかわからない。いいか、急に力を増やしたり、腕を上げたやつには近寄るな」
 暗い空気をまといながら、ピィスは弱く口にする。
「もしかして、一番怪しまれるのオレじゃねーの」
 コウエンは大きく顔をしかめる。
「カリアラを作ったのがオレじゃないって証拠もないし。第一、オレ」
「お前にゃ無理だ」
 即答。強い断言に導かれるようにして、ピィスは顔を上げてコウエンを見る。
 呆れたような薄い笑みがそこにある。ピィスは少し頬をゆるめた。
「馬鹿かおめぇ。じゃあなんで俺に修理を頼んだんだ? もしお前がビジス爺の力や記憶を盗んだってなら、自分でやった方が早いはずだ」
 コウエンはよどみなく話を続ける。
「ついでに言えばペシフィロ先生も潔白だな。最初は俺は先生のこと疑ってたんだ。一人でジジイの葬式の準備だの、片付けだの説明だのこなしてよぉ。何しろ唯一ジジイの家に出入りできる人物だ。ジジイの親友だったとはいえ怪しすぎる。……力が消えてたってことを知ってる奴らは、未だに先生のことを疑ってるんだろうな。王城勤めをクビにされたのもその煽りだろ」
「え?」
「知らなかっただろ? もう一つ言っておこうか。先生よ、最近ここにしょっちゅう通い詰めてたんだぜ」
 また開くピィスの口をからかうように、コウエンは自分の口をつつく。ピィスは気まずげにそれを尖らせた。
「最初は吸入石の鑑定を手伝ってもらってたんだ。でもよ、途中から『私にも何か作り方を教えて下さい』ってちまちまと部品いじりだしてやがんの。そっれがまぁ不器用不器用。ありゃ一生かかっても無理じゃねぇか? 相変わらず魔術以外はからっきしなんだな。あんなんじゃ疑う気にもなれねぇや」
「何で親父、そんなこと……」
「ばぁか。お前が元気ねぇからって励まそうとしてんだよ。ふさぎこむ我が子のために、そいつが一番好きなものに手を染める。いい話だろ? お?」
 ピィスの目が大きく揺れた。コウエンはゆったりと笑う。
「だからな、お前ももう元気出せ。つらいこた忘れちまえ。な」
 ――ここで止まってどうすんだ。コウエンは囁くように言う。
 ピィスは震える口をきつく引き、感情を堪えるように床を見つめた。

※ ※ ※

 薄暗い部屋の中、カリアラはベッドの上で二人の話を聞いていた。
 研ぎ澄まされた聴力は遠い音もきれいに拾う。彼は天井を見つめながら、それらを理解しようと頭の中で転がしていた。だがすべてはのみこめない。知らないことや隠されたことが多すぎて、半分もわからない。
 壁を隔てた薄い声は、彼を置き去りにしたまま会話を続ける。カリアラは、まるでここに居るべきではないような、どうしようもない居心地悪さに包まれていた。
 水槽の中のようだ、と思う。人の体ができるまでの仮の住まいだった場所。ガラスを通してぼやけていくサフィギシルとシラの会話。それをただ聞くだけだった、あの時によく似ている。
 彼がもっと言葉を知っていたのなら、この想いが何なのか、ちょうどいい概念に当てはめて納得をつけただろう。だがそれは叶わない。あまり多くを知らない彼は、つきまとうその想いを持てあますだけ。
 カリアラはくつろげない布団に埋もれ、色んなことを思い出す。
 街を歩く人間たち、追ってきた五つ子、楽しそうなたくさんの子どもたち。どれも彼が憧れていたものばかりだ。ずっと、そこに混ざりたいと思ってきた。

  ――言われなきゃみんな人間だと思うだろうし。
  ――みんなの中に溶け込んじゃってわからないわ。

 確かに近く、この手の中にあったのに。カリアラは失った物を求めるように手を握る。目の奥に、怯えきった彼らの顔が次々と浮かんでは消えた。みんな、最後にはカリアラを怖がって、逃げるように道を開けていく。
 カリアラは自分の腕を見た。窓の薄い明かりを乗せて、ひっそりと浮かぶ銀のうろこ。

  ――十分よ。どう見たって人間だもの。

 掴もうとしても指先は空を掻き、記憶はどこかへ消えていく。
 残されたのは沁みわたる雨音だけ。疲れたように腕を下ろし、彼は静かに考え始める。

   どうすればいい。
   どうすれば、またあの中に戻れる?

 どうすれば、どうすれば、どうすれば。
 感情は入らない。強い意志は死を逃れるためのもの。
 まだ死ねない。大望を目前にして、ここで消えるわけにはいかない。

   おれは、どう動けばいい?

 ただ彼は生きるために。生きる場所を掴むために、全身でそれを探り始めた。
 彼らの持つ本能で。

※ ※ ※

 雨はもう随分とやわらかくなっている。ピィスはそれを確認し、退色予防の二重扉を順に閉めて店に戻った。
「大丈夫、もう行ける」
「おー、さっさと帰りやがれ」
 コウエンは笑いながら手を払う。元気になったカリアラが、不思議そうに真似をした。
「変なこと覚えるなよ。ほら、ちゃんと隠せ」
 近寄ったピィスが彼にフードを被せ直す。カリアラは身動きを制限される、大きな服の裾をつまんだ。
「へんだ」
「変でもいいんだよ。ほら、手も包む」
 サフィギシルが持たせていた手袋は、水掻きが合わないために、出されることなく鞄の中で眠っている。その代わりにコウエンから雨具を兼ねた外套を買い、カリアラの財布からはたくさんの金が消えていた。
「毎度ありーってか。今日唯一の収穫だな」
「よっく言うよ。商売する気ないくせに」
 ピィスは軽口を叩きつつ、カリアラの全身を見る。
「走れるか? 人目につかないうちに、さっさと戻りたいんだけど」
 カリアラはうなずくが、それでもピィスの不安は消えない。コウエンが声をかける。
「大丈夫、持ちはするさ。……ピィス」
「…………」
 二人の間で無言の何かが交わされる。カリアラがうかがう中で、ピィスは呟くように言った。
「気をつける」
 コウエンはそれに眉を寄せ、何か言おうと口を開くが諦めたようにつぐんでしまう。
「また来いよ」
 結局は、ため息と共にそう吐いた。うなずいたピィスは出口に向かって歩きだす。
「おっさん、ありがとな」
「ありがとな」
 そっくりと復唱するカリアラに、コウエンもピィスも疲れたように薄く笑った。
「じゃ、また」
 客人たちは片手を上げて外に出る。ドアの閉じるかすかな音が二回響いたその後は、仄暗い店にコウエンがひとり残されるのみ。彼は深々と息をして、奥の部屋に戻ろうとするが、新たな客に止められる。
「やー、ようやく止んだよ。あんな雨じゃ買出しにも来れやしない」
「また客かい。この勢いじゃ、昼寝どころか夜になるぜ」
 入ってきた常連客は、呆れ顔をしてぶら下がる腕の見本を探りはじめた。
「相も変わらず、か。ところで今出て行った子、随分と久しぶりだね」
 コウエンはやる気なくカウンターに足を乗せる。
「あんたも外に出ねぇからなあ。あいつがいてもわかんねぇだろ」
「ま、それもそうなんだけど。サフィギシルとよく一緒に来てた子だろ。近頃めっきり見てなかったが、どうかしてたの」
 コウエンはしばし天井を見ていたが、髪を帽子ごとかき回して口を歪めた。
「……ま、可哀相な話だよ。聞くか? 今日はどうも納得いかねぇ」
「聞きたいね。帰ったらまた部品部品部品の山だ。たまにはちゃんと人間の話に触れときたいよ」
 コウエンは呆れたように笑う。客も照れ笑いで振り向いて、また見本を調べ始めた。
 だが、続いたコウエンの言葉に驚いて向き直る。
「あいつがまだ小さい頃に、目の前で母親が病死した。同じような状況で、懐いてたビジス爺も死んじまった。……あいつが、一番最初にビジスの死体を見つけたんだ」
「どこで」
 コウエンはただ淡々と話を続ける。
「ビジスの家さ。丁度こんな天気だったかもな。あいつはジジイが風邪で寝込んでたのが心配で、雨が止むのを一晩待って、朝早くに見舞いに行った。そしたら」
 一拍の間があった。客は息をのんで待つ。
「ベッドの上で、天才は死んでいた」
 沈黙。その後に、客がぼそりと口を開く。
「……つらいねぇ。ビジス爺もなんで死んじゃったんだろうね。よりによって、何も残さないままで。俺たちの技にしたって全部隠したままじゃあないか」
「あいつはまだ後継ぎには未熟すぎたし、かと言って他に継がせるやつもいねぇ。それでいいと思ってたのかどうなのか、もうわかりゃしねぇんだよな」
「サフィギシルは惜しかったねぇ。そりゃ仲は悪かったけど」
「ありゃ逆に笑いの種だな。あそこまで行くと仲違いも見世物だ。爺さんなりに認めてはいたんだがなぁ」
「そうなのかい?」
 客は初めて知ったように、細い目を軽く開く。
「ま、それを上回る意見の違いっぷりだったってことだ。でも養子にしてたぐらいなんだ。“魔力無し”でも技術の方は完璧だった。違うなりに、何か残せただろうになぁ」
 コウエンは惜しさを顔に浮かべ、手のひらで目を覆う。そしてため息をついた。
「なぁんで死んじまったかね、サフィギシルも」

※ ※ ※

 街にはまだ人気がなく、ただ弱まった雨だけが風に煽られながら落ちる。ピィスは薄れてきた雲を確認しつつ、より人に遭遇しにくい道を選んでは走っていった。カリアラも服のなびきを気にしながら後に続く。ピィスは度々心配そうに振り返り、カリアラはそのつど平気な顔を見せた。
 そうして何とか家路に続く橋の前までたどりつく。雨により川が増水し、湿った空気に不吉な音を響かせていた。怒号にも似た水のぶつかる音を前に、ピィスは一瞬足を止める。
 嫌な声が聞こえたのはその時だった。
「カリアラ君!!」
 五つ子のロウレンかルウレンか。とにかく誰かが叫ぶように彼を呼んだ。
 舌打ちと共にカリアラの服を引き、ピィスは急いで橋へと向かう。カリアラは引かれた服が大きくずれて、直したために足が遅れた。ピィスは先を急いでいる。疲れた体で濡れた橋を無茶に駆ける。
 その体が大きく崩れた。
 古木の橋は水を浴びて滑りやすくなっていたのだ。黒ずんだそれを掻くように、ピィスの体はまっすぐに川へと向かう。避けられない行き先には頼りなく張られたロープと腐りかけた芯木。そしてそれらを巻き込んで、ピィスの体は一瞬で橋の下へと消えた。
「ピィス!」
 叫んだ直後に水の音。カリアラが川を覗くと、もまれるように流されていく小さなピィスの頭が見えた。
 カリアラは迷わずそこに飛び込む。
 水の音が、また一つ。




 泳げないわけではない。暑い時期はこの川で何度か遊んだこともある。だがそれも、穏やかな流れの時のこと。土色に濁る川の水に、ピィスはただ流される。冷たさに心臓が止まりそうだ。
 初めはまだ空気と水を交互に浴びて、遠ざかる景色も見えた。だが浮き沈みを繰り返すうちに、足元を強い水の流れに引かれてそのまま深くに沈められる。岩があった。穴があった。そこで生まれた急流に戯れられた。その不幸をきっかけにして上下左右の速度の違う流れの中で、ピィスは逆らえない巨大なうねりにただ翻弄されていく。
 ピィスは最後の空気を吐き出した。泡は分散してたちまちに見えなくなる。
 息が苦しい。体の中にみるみると水が入り込む。
 ――駄目だ、もう。
 諦めかけた瞬間、ぐいと強く腕を引かれた。しっかりと引き寄せられて、そのまま胴を抱えられる。ピィスは自分の体が誰かの意思で川を遡っていくのを感じた。殴りつける水流は激しくなるが、確実に岸に近づいている。
 足が砂利にぶつかった。上半身が水面に出たかと思うと腕が陸にぶつかった。ひどく固い砂利の山に吸いつかれる感触がする。わけがわからない状態で、ピィスは河原に押し上げられた。手も足も顔も何もがたがたと震えている。考えるより先に咳き込んで、ピィスはひたすらに水を吐いた。体中の隙間という隙間から水が入りこんでいる。
 体の重さに倒れこむ。冷たい砂利を全身で「痛い」「邪魔だ」と感じながら呆けていると、カリアラが川から身を乗り出しているのが見えた。
 ああ、助けてくれたんだ。さすが、やっぱり魚だな。ぼんやりと思いながら彼を見る。目が合った。カリアラは何故だか小さく頷いた。
 そしてふいと川下に体を向けて、そのまま川に身を沈めた。


 一体何が起こったのか、理解したのは少しして。ピィスはあわててやたらに重い体を起こし、彼の消えた川を覗く。だがそこにあるのは荒々しい水の走りだけ。
 冷たいものが、心臓をゆるく掴んだ。それは徐々に力を増して苦しめていく。鼓動がやけに耳に響く。水の音がどこか遠い。
 ピィスはふらりと手をついた。すう、と血の気が引いていった。


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第3話「ビジス・ガートン」へ続く。