第2話「敵は五つ子」
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 雨は一気に強さを増して、逃げる二人に降り注ぐ。カリアラのうろこは水を浴びてつやを帯びていた。彼はそれを気にするように見やりながら、ピィスに引かれて足を動かす。それはよろけ、時にもつれ、まるで覚えたばかりの走り方を忘れてしまったようにうろたえている。
 ピィスは彼を振り向かない。ただひたすらに闇の降りた住宅街を駆けていく。そこはまるで早くも夜が姿を現しかけたようだった。人気の代わりに雨だけが降り続ける暗い道。左右に並ぶ家々は、雨戸まで閉めきって眠るように佇んでいる。
 ピィスは雨に目を細めつつ、周囲の景色を確かめている。足取りに迷いはない。どこかを目指すようにカリアラを引いて走っていく。
 前方に黒い箱。いや、それは小さな建物だった。黒塗りの木箱のような不思議な家。民家の並ぶ列の中で、そこだけ異彩を放っている。まるで家を一つ二つ取りのぞき、替わりに箱をぽんと置いたかのような光景。ピィスはそこを見て短く告げる。
「あの店、行くぞ」
 カリアラはうなずいた。だがその拍子に体を崩して倒れかける。ピィスは素早く彼を支え、小さな肩に腕を回して濡れた背を優しく叩く。カリアラはつらそうに低くうなった。
「もうちょっとだ。頑張れ」
 後方にはまだ五つ子がいる。彼らの騒ぎ声は、雨の中で聞こえては消え、聞こえては消えと不安定に寄っては離れを繰り返した。何かもめているようだ。ひときわ大きなカレンの声が、雨音を縫って響く。
 構わずに黒い家へと近づいたところで、カレンの悲鳴。同時に振り向いた二人が見たのは、引きつるように足を張って進みを拒否するカレンと、困ったようにそれを引く兄弟だった。
「嫌、絶対嫌ーっ!」
「大丈夫だって、怖くないって!」
「いーやー!!」
 ピィスはすべてを聞き取る前に、店の方に向き直る。不思議そうに彼らを見るカリアラをうながして、歩きながら囁いた。
「ま、確かに怖いかもな」
「な、……が」
 カリアラは喋りきれず咳き込んだ。ピィスは足を止めて彼を見る。
「水が入ったか」
 喉を押すと、水にまみれたうろこの奥でかすかに水の音がする。ピィスはそれを指先で確かめて、不安げに眉を下げた。曇った顔を隠すためか、前を向いて歩き出す。
 ルウレンたちの呆れた声と、カレンの高い騒ぎ声をとぎれとぎれに聞きながら、二人は黒い店の前までたどり着いた。塗料を重ねた木の壁に、同材の黒い扉。ピィスはそれを迷わず引いて、慣れた様子で中に入る。カリアラも足を踏み入れたところで、すぐにピィスにぶつかった。
 中は狭く、外よりもさらに暗い。そこは二人がなんとか収まる程度の小部屋だった。ピィスはカリアラに扉を閉めろと指で示す。彼はすぐに従った。空気の詰まる軽い音。それを境に雨音は一気に薄れ、遠い外の事象となる。
 部屋の中に完全な闇が訪れた。見えるのは小さな細い光だけ。板と板の隙間を見せる、糸のように漏れる明かり。ピィスはその近くを探り、すぐにノブを見つけ出した。かちゃ、とかすかな音が響き、室内独自の篭った空気が一息に二人をなめる。
「おっさんいる?」
 広がったのは仄かなランプに照らされた、広いようで狭い部屋。天井や壁は遠く高く広がるが、人はそこまで進めない。足元には大量のかご、天井からはカーテンのように人の手足や髪の毛がぶら下がる。ピィスはそれを邪魔とばかりに払いながら、細い道を慣れた動きで奥に進む。かごの中には人の目玉に人の指、骨の一部や各所内臓。山のように盛られたそれらは人型細工の部品だった。限りなく人に近い精巧な作り物だ。かごごとに仕分けられ、その端には値段表や種類による相性表が立てられている。
 かごの隙間にはぽつりぽつりと小さなランプが点在し、弱々しくも部屋の明かりを勤めていた。下から仄かに照らす明かり。天井にも小さなランプ。すぐ傍にぶら提げられた、「見本」と書かれた腕や足をごく近くから照らしあげる。まだ魔力が入っていない、人形めいた木製の肌。開いた隙間は闇を匿い、継ぎ目の形を解りやすく披露している。
 暗い中、人の部品がぼんやり浮かぶ静かな店内。まるでここだけ外とは違う時間が流れているようだった。
「おっさーん。いねーのー?」
 ピィスは空いた場所からあたりを見回している。かごが邪魔して近寄りにくい黒壁は全て棚。詳細に区切られたひとつひとつに木製・紙製・布包みなど各種の箱が番号をふられて並んでいる。
 ピィスはカウンターに手をついて、その奥をうかがった。計算機や量りの類が取り残された、主のいない無人の席。その向こう側は店主の暮らす生活の場となっている。
「おっかしいなー……っ!?」
 入り口で立ちつくしていたカリアラが、ふらりと倒れるのが見えた。ピィスは品物を蹴散らして駆け寄るが、間に合いはしたものの重い体を支えきれず、そのままゆっくり床に落とす。
「カリアラ、おい! うわ水っ」
 彼の傷からは魔力ではない本当の水が漏れていた。傷口から雨が入りすぎたのだ。力の抜けた腕を振ると、ちゃぷちゃぷと音がする。
「やばい」
 呟くと、新たな声が部屋に響いた。
「なんだ、客かよ」
「おっさん!」
 ピィスは素早く振り返る。面倒そうに奥から顔を覗かせるのは、中年をとうに越えた男。いかつく寄った額の皺を隠すように、毛糸の帽子を深々と被っている。その影で黒い目が見開かれた。
「ピィス! 久しぶりじゃねぇか。なんだそいつは」
「あー細かい事情は後で言うよ。とにかくこいつ休ませて! もう魔力切れかけてんだ」
 店の主人、コウエンは大またでかごをまたぎながら二人のもとへやってくる。ピィスを避けさせて膝をつき、カリアラの肩を取った。だがその手をびくりと痙攣させる。
「うろっ……! バカ、また制御できねぇもん作りやがって」
「違っ、い、いや違わないけどええと、ああもうとにかく! 助けてくれよ」
「へいへい。意識は? 魚、聞こえるか?」
 コウエンは掴んだ肩を上げてカリアラの顔を見る。カリアラはうつろに目を泳がせて、のろのろと彼を見た。
「よし。移動するぞ」
 コウエンは慣れた手つきでカリアラを背負い、軽く揺する。
「ピィス、机の上に濃水がある。用意しとけ」
「でも、濃水飲んだらうろこがひどく……」
「今さら酷くもなんもねぇよ。ほら先行け! 通れねぇだろ」
 コウエンはあわてるピィスの後に続いて、カウンターの奥へと進む。
「ドア開けろ! 右だ右」
 叩きつけるように指示を出して、すぐ手前の部屋に入った。彼の寝室なのだろう、窓際には質素なベッドが据えられている。他には収納棚しか家具がないが、空間を補うように大量の箱が積まれていた。床に転がるそれらはすべて黒塗りの小さな物で、表面には銀の塗料で魔力の模様が描かれている。コウエンは足で箱を避けながらカリアラを奥へと運んだ。
「うい、どっこいしょ、と」
 呟きながらベッドへと横たわらせる。コウエンは改めてカリアラの体を見て顔をしかめた。赤いうろこに銀のうろこ。裂き傷だらけの酷い状態。
「水、これでいい?」
「おう。……お前、久々に来たと思やーこれか。あ?」
 呆れたように腕を組まれ、ピィスは体を縮ませる。コウエンはため息をつくと面倒そうに手を出した。ピィスはすぐさま水差しを渡す。
「魚ねぇ。可哀相じゃねーか。わざわざ陸に連れて来んなよ」
「……事情があるんだよ事情が。本人が人間になりたがってんだよ」
「魚がぁ? 陸に? 正気じゃねぇな」
 コウエンはカリアラのあごを引き、その唇に水差しの口を当てる。そして一気に濃水を注ぎ込んだ。飲みきれずにあふれた水は、布団に染みを作る前に頬や喉へと消えていく。うろこに溶けていくかのように、濃水はすべて消えた。
 カリアラの体をうっすらと魔力が覆う。まぶたが細く開かれる。コウエンはそれを見ようとせずに部屋の隅を探っていたが、包帯や道具類をいくつか抱えて戻ってきた。大きな布をピィスに渡し、拭け、と言い捨てるとカリアラの体に向かう。
「あーあー、水入ってんなーオイ。傷開いてんのに、雨ん中そのまんま来たんだろ」
 雨音は壁の向こうでさらに強さを増している。もうすでに豪雨に近い異常な雨音。その中で、コウエンはカリアラの体を細かく調べていく。関節を開いては出てきた水を拭き取って、工具を持つと何やらあちこち動かした。
「痛覚切るぞ。ほーら、もう楽だ。悪ィな、今は傷治せねぇわ」
「え、なんで?」
 尋ねるピィスを振り向かず、手際よく包帯を巻く。カリアラは目をうっすらと開けたまま、大人しくされるがままにしている。
「事情があるんだよ、ジジョーが。誰も彼も事情持ち、と」
 処置を終え、コウエンはカリアラに布団をかけた。
「ま、しばらく寝とけばマシにゃあなるさ。ゆっくり休んでけ」
 彼はピィスの肩を叩き、役目を終えた布を取って立ち位置を入れ替わる。
「あーあ、こりゃ昼寝もしまいだな。こんな天気じゃ客も来ねぇと思ったのによ」
「ごめん、ありがとう」
 片手でピィスの礼に答え、コウエンはあくびをしつつ店の方へと出ていった。ピィスはほっと息をつき、カリアラに向き直る。
「少しは楽になったか?」
 カリアラはいくらか生気の戻った顔を、ゆっくりとピィスに向けた。口の動きで肯定する。
「よかった。あの人、ここの店主で魔術技師なんだ。ここは人型細工の部品を売ってる店な。ビジス爺さんが生きてた時は、よく品物卸してた」
「そうか」
 久しぶりのまともな声に、ピィスは体の緊張をほどいた。椅子を引いてきて、彼の傍に座る。
「あのおっさんは爺さんと仲が良かったから、オレもよく来てたんだ。ここ、色んな部品とかあるしさ。面白いから。まぁうろこはまだ直らないかもしれないけど、休めば大分楽になるよ。雨がもっと弱くなるまで置いてもらおう」
「そうか……」
 カリアラはふと、腕をあげてそれを見つめた。銀のうろこが並ぶ肌。鈍い光を乗せるそれは手の先では消えているが、その代わりに密な線が走っている。指を繋ぐ厚い水掻き。手の甲は既にひれのように変化していた。
 彼はただ、何も言わずそれを眺める。
「ピィス」
 ピィスはその様子を痛ましげに見ていたが、ハッと彼を見つめなおした。
 カリアラは静かに問う。
「人間は、猫が怖いか?」
 感情の見えない声。ピィスは悩む時間を置いて、不自然なまでに明るく答えた。
「怖いってやつもいるさ。ほら、ロウレンたちだって怖がってただろ? ああいうやつもいるんだよ」
「そうか」
 だがカリアラの声に表情はない。彼はただ、淡々と問いを重ねる。
「人間は、血の匂いでへんになるか?」
「……なる奴も、たまにはいるよ。きっと。ちょっと変わってるかもしれないけどさ、その……」
「人間に」
 カリアラは手を見せた。悲しみも何も見えない平坦な目でピィスを見つめる。
「人間に、こんな体のやつはいるか」
 ピィスはそれを受けきれず、曇る顔でうつむいた。
 カリアラは眉一つ動かさず、また天井に目を向ける。
「そうか」
 変わらぬ声で言葉を繋ぐ。
「でもおれは、もう魚でもないんだよな」
 哀しみは現れない。何の色も見られない。ただつらそうに口を結ぶのはピィスだけ。
 ピィスは何も言わなかった。カリアラも、それ以上は喋らなかった。




 ピィスは一人店へと戻る。コウエンはカウンターに肘をついていたが、ピィスを見ると対面に置いた椅子を指さす。ピィスは逃げ場のない空気にためらうが、ぎちこなくそこに座った。コウエンはこわばる相手に息をつく。
「もう半年ぶりにはなるか。本当にあれ以来だ」
「おっさんも変わんねーな。相変わらず変な店。女の子が怖がってたよ」
 コウエンは笑う。どこか馬鹿にしたような、相手にしこりを与える表情。だがピィスはそれをかわして店の中を見回していく。据えられた視線をもてあますかのように、コウエンを見ないようにして。コウエンはピィスから目を離さない。濁りかけた黒目は探るようでもあり、危なっかしい我が子を見守るようでもある。コウエンは逸らさずに続けた。
「何してた」
「別に。家でのんびり過ごしてただけ」
 彼がひとつ喋るたびに、ピィスの肩にはかすかな緊張が走った。続くのは、平然とした装いの声。
「平和だけど退屈だったよ」
「だからあんなもん作ったのか」
 ピィスは顔を軽くしかめて、コウエンへと目を戻す。
「尋問かよ」
「そうだな。ま、全部教えてくれりゃあ意地悪くもならねぇさ。言ってみろ」
 コウエンはいかつい顔でにやりと笑う。ピィスは口をとがらせて、諦めたように喋りだした。
 街に来る前、カリアラに教え込んだ建前の製作事情。祖母の家の返品物に、なんとなく魚の魂を入れてみたという話。だからビジス製だと言ったところでコウエンの眉は怪訝に跳ねた。
「……おめぇよ。俺を何だと思ってる? ビジス爺の部品については一番よく知ってるつもりだ」
 ピィスは顔をこわばらせる。ねめつけてくる彼の視線を無言で避けた。
「その俺にそんなホラ吹こうなんざ、ちょっと頭が足りねぇな。俺には解る。確かにあれはビジス製だ。……半分はな」
 ピィスの目が驚いてコウエンに戻る。意外なことを知った顔。コウエンはそれを不可解そうに見下しながら、大仰に腕を組む。
「後はジジイのもんじゃねぇ。細かい部品は同じだがな、組み立て方が違うんだよ。クセがある。ジジイのクセとはまったく違う。あと、魔力の編み方も大分違うな」
 短い間で調べたことを暴露していく。ピィスは目を軽くみはり、引き込まれるようそれを聞く。
「修理もしてあるな。あちこちがビジス製じゃなくなってる。手製のもんにすげ替えたんだ」
「でも、それって」
「ああ。できる奴ぁ見たことねぇ。わかるだろ? あの理解できねぇビジス製を分解し、自分の個性を組み込んだ上、違和感なく動く物を作る。……要するに、そんなことができるやつは」
 腕をほどき身を乗り出して、コウエンは低く囁いた。
「ビジス・ガートンと同等の力を持つってことだ」
 ピィスは大きく息を呑む。それすら伝わる静かな部屋を包むように、雨音が遠く響いている。
「なにもんだ。一体誰があれを作った」
 ピィスはただうつむくばかり。だが状況は喋らなければ変わらず、最後まで逃げることはできないと沈黙が教えてくれる。責めるようなコウエンの気迫に耐えきれず、ピィスはぼそぼそと嘘を口にする。
「……この間、親父が連れてきたやつで……あんまり詳しいことは、言えない人で……」
 ちらりと彼をうかがった。そして彼の表情を見て、怯えるように顔を弱める。
 どす黒く沈む顔色。皺は深く、今にも噛みつきそうな荒々しさを紙一重で堪えている。心の深くで渦巻くものを鎮めるように、彼は押し殺した声で問う。
「いつ会った」
「い、言えない」
 ピィスは強く首を振る。
「今、どこにいる」
「言えない。でも、悪い奴じゃないんだ。カリアラも……あいつもすぐに直してくれたし、いい奴で」
「ピィス」
 存外に穏やかな声。コウエンは大人の顔で言う。
「悪いこたぁ言わねぇ。そいつには関わるな」
「……何で」
「怪しいからだよ。もし、だ。もしそいつが『最近急に腕をあげた』なら……」
 あからさまに反応したピィスには気づかずに、コウエンはどこか別の場所を見るような目で口を開く。ピィスを通した向こう側に、彼にしか見えない何かが存在しているようだった。その相手を憎むように、コウエンは低く囁く。
「そいつが、ビジス爺を殺したのかもしれねぇんだ」


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