第2話「敵は五つ子」
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 顔を真っ赤にしたままで、リウレンは必死に喋る。
「おお、お願い、します。もう……逃げないで下さい」
 震えながらも見つめてくるのは強いまなざし。どもりも次第に消えていき、多少の弱さをあらわしながらもしっかりと意志を伝えてくる。
「みんな悪気はないんです。ただ、ちょっと興奮しすぎてて。みんな本当に熱帯魚が好きで、カリアラカルスが好きすぎるだけなんです」
 リウレンは唇をきつく結び、カリアラたちの答えを待つ。ピィスは困った顔をした。
「でもなー……」
「僕は!」
 その言葉を打ち消すように両手を強く広げなおし、泣きそうな目でいっそう声を張り上げる。
「僕は、一番遅れの末っ子で、いつも役に立たない出来損ないで……みんなみたいにちゃんとした特技もなくて。こ、こうやってお話しすることしかできません。でも、僕だって兄弟だから……少しでも、少しでもみんなの力になりたいんです」
 喋りながらも顔はますます赤くなって、声も細く消え入るようになっていく。勢いづいた彼の気持ちは、戸惑う二人の視線にさらされて、しぼむように弱っていった。
「い、いけないことですか? 僕、間違ってますか?」
 独り言のような囁き。その目には、涙が今にもこぼれそうに溜まっていく。
 だがカリアラは不思議な顔でリウレンに訊いた。
「何言ってんだ?」
 場に流れる気まずい空気と相互しない、普段通りの彼の声。カリアラはどうしてそんなことを言うのかわからないという表情で、きょとんとしてリウレンを見た。
「だってあたりまえだろ。仲間のためにがんばるのは」
 リウレンもきょとんとして彼を見返す。悲しみをどこかに忘れたような、唐突に平常をもたらされたような顔。カリアラはさらに続ける。
「あと、お前にもできることは何かある。役割は誰にでもあるんだから。もう大人だろ?」
 な。と同意を求めてピィスを見るが、二人の気持ちは同じとは言えないようで、まなざしは噛みあわない。ピィスは眉根を寄せた。
「いい話なんだけど、オレ、問題はそこじゃないと思う。今答えを出すべきなのは、この疲れた状況で、あの熱いやつらに耐えられるかどうかだろ?」
「それは嫌だ」
「えっ」
 カリアラは即座に返答。リウレンは静かに驚いた。
「はっきり言うなーお前もー」
 だるそうに首を回すピィスをよそに、リウレンは一人考え込むよううつむいていたが、口をきつく結びなおしてまっすぐにカリアラを見る。
「僕にもできること、一つだけあります」
 涙を拭き、強い意志の浮かぶ目で、彼はカリアラとピィスを交互に見つめた。
「僕、よく詩を書くんです。今からとっておきのものを披露します! それが少しでも良かったと思えたら、ちょっとだけでもいいから、みんなとお話しして下さい!」
 カリアラは詩が何なのかわからずに、尋ねる顔でピィスを見た。だが疲れたように見返され、諦めてリウレンに目を戻す。
「わかった」
「……聞くだけな。とりあえず言ってみろよ」
 面倒だといわんばかりの表情で、ピィスは頭を掻きはじめる。リウレンは嬉しそうに頬を染めて、折りたたまれた粗末な紙を取り出した。
「ありがとうございます! あの、すぐに済みますからっ。題名は……」
 震える手でそれを広げ、息を吸って落ちつかせた声で言う。
「わくわく村 死の大行進」
 ピィスの手がぴたりと止まった。


わくわく村の村長さんは  今日も今日とて潮干狩り
妻の名前はわく わく子  娘の名前は ンガヌェーア
そこに戦車がやってきて  村はいきなり火の車ーァ火の車
村長さんは立ち上がり  自ら敵に飛び込んだ

でも死んだ

みんなは泣いて伝説の  龍の珠を使ったら
村長さんは生き返り  涙の数だけ逆に増えた

おお 勇者よ  そなたの命は無限大
村長さんは村のために  颯爽と敵陣へ

でも死んだ

おお 勇者よ  そなたの命は無限大
村長さんは村のために  猛然と敵陣へ

でも死んだ

おお 勇者よ  そなたの命は無限大
村長さんは村のために  矍鑠と敵陣へ

でも死んだ

村長さんは 百万回死んだひと?

嘆きの歌は千一夜  歌詞は簡単以下の通り
ドーバドーバー ドバドーバー
ザーバザーバー ザバザーバー


「ヘイ! ドーバド……あっちょっ、待って下さ、ああっ!」
 二人とも無言のまま早足でリウレンの傍を抜ける。
「そんな、ここからがいいところなんですよ!?」
 だが二人はすでに走りへと切り替えて、みるみる姿を遠くする。振り返る気配はない。リウレンは戸惑いをくっきりと顔に浮かべ、もう届かない二人の背に手を伸ばす。
「何がいけなかったんですかー!!」
 だが嘆きが届くことはなく、彼が答えを知る日も遠い。

※ ※ ※

「あっちだ」
 カリアラはまっすぐ前を指さした。そこにあるのは薄暗い袋小路。ピィスは疲れた視線を彼に向ける。
「行き止まり」
「そうだ。でも、あっちだ」
 カリアラは平然とつきあたりを示し続ける。どこかの家の古びた石塀。両側は民家に囲まれていて、人の通る隙間はない。
「方向だけ当たっててもしょうがねーだろーがー。ただでさえこのへん迷路みたいなのに。迂回するぞ」
 ピィスは彼を引いて歩き出した。だが慌てて踵を返し、袋小路の奥に駆け込む。つきあたりに寄り添って、静かに、と合図した。カリアラも気づいていたようで、うなずいて口を閉じる。
 リドーがこちらに歩いてきたのだ。
「……なんなんだ今日は!」
 苛立ちもあらわな愚痴に、ピィスは深くうなずいた。
 地面に叩きつけるような乱暴な足音が近づく。止まる。舌打ち。また再開された足音は、少しするとまたすぐ止まる。そしてため息。横道の多いこの区域で逃げる者を探すのは、気が遠くなりそうなほどの作業だった。行き止まりの道も多いが、同じぐらいよそに繋がる道も多い。それらをどんどん抜けて行けば、道順は無限となる。
 だがそれも、抜けられた場合の話。逃げ道のない今の二人は隠れるしかないのだが、あいにくとここはゴミひとつ見つからないただの日陰の路地裏だ。息を潜め、縮こまる頭の上を強い風が吹いていく。近くの木のざわめきが、心臓をはやらせる。
 また一区切り、足音が近づいた。ピィスはもはや諦めの目をカリアラに向けた。彼は事態をどう思うのか、不思議そうに見返してくる。わかっていないだけなのか、それともわかっていて平然としているだけなのか。その顔からは判別できない。
 リドーがため息をついた。思った以上に近くで聞こえてピィスはつい息を呑む。
 そしてまた足音が再開した、そのあたり。
「あ、リドーさーん! ここにいたんすかー」
 若い男の声が近づいた。
「探したんですよ。子どもたちが待ってます。あー、やっと見つかった」
「やっと? お前勤務中じゃないのか」
 たしなめるようなリドーの声にも構わずに、男はどこかのんきに喋る。
「えー、でも子どもたちの頼みですし。いいじゃないすか」
「よくない! すぐに巡回し直せ!」
「どうせ取り締まってもキリないっすよー。掴まえようがなんだろうがわいてくるし」
「そんなことだから馬鹿にされるんだ!」
「そんなことだから煙たがられるんすよー。それ、せめて栄転先では直したほうがいいですよ」
「余計なお世話だ!」
 リドーはいっそう力強い足音で、元来た方へと遠ざかる。
「あ、場所変更で、西公園で待ってるそうです」
「解った。さっさと仕事に戻れ!」
「はーい」
 そして男もこちらには近づかず、そのままどこかへ歩き去った。
 残されたのはピィスとカリアラ二人だけ。ピィスは短く息をついた。カリアラもそれを真似して息を吐くが、慣れないために不自然な音になる。ピィスは弱く笑ったが、とたんに顔を曇らせた。
 聞き覚えのある声が、複数こちらにやってくる。リドーとは逆方向から来たそれは、二人のすぐ傍に立ち止まって喋りだした。三人分のどこか弱ったような声と、一人分の涙声。
「リウレンは悪くないよ。お前なりに頑張ったじゃないか」
「で、でも、でも……」
「そうそう、ロウレンなんて二回も失敗しちゃったし」
「僕だってもう一人と勘違いして捕まえた」
「ラウレンだって布団あんなにぐちゃぐちゃにしちゃってさ。片付けるの大変だったし」
 だがリウレンの泣きじゃくりは止まらない。しゃっくりで所々途切らせながら、消え入るような声で言う。
「ぼ、僕なんて……僕なんて、いつもいつもっ、何もできないし……僕だけ一人違うんだ……っ」
「そんなことないさ! 僕らはこんなに似てるじゃないか。なあ」
 よく喋っているのはロウレンだろう。そうだよ、と励ましている後の二人はどちらがどちらか解らないが、長男だけはどことなく判別できてしまう。それだけよく聞いたためだろうか。
 リウレンは慰めを振りほどくように、悲痛な声で叫ぶ。
「でもっ、僕だけ眼鏡べっ甲だし!」
「何言ってんだ! 僕なんて伊達さ!!」
 えっ。とピィスが低く呟いた。だが聞きとめられることはなく、兄弟たちは口々に騒ぎだす。
「そうだよ! 僕だって実はちょっとくせ毛だし!!」
「僕なんてよく見ると奥二重なんだ!」
「お前だけじゃないんだよリウレン! みんなちょっとずつ違うのさ!!」
 兄弟たちの力強い告白。ピィスは静かに目を閉じて、眉間を強く指で押さえた。
「みんな……!」
 涙声は途端に明るく華やいで、伝わる空気も爽やかなものに変わる。
「ありがとう! 僕、頑張るよ!」
 何を。と呟いたそれも聞かれることはない。ピィスの困惑をよそに兄弟は幸せそうに笑っている。
「よーし、諦めずに頑張ろう!」
 一人が明るく言ったのと、カリアラが素早く壁を退いて見上げたのはほぼ同時。
「おー!!」
 ピィスがそれに驚いたのと、四つの声が合唱したのも丁度同じ。
 そして全てが終わった後で、唐突にそれが降ってきた。
 大量の濁った水。
「!?」
 上を見ていたカリアラは、思いきり顔から被る。ピィスは屈んで背から受けたが全身が一気に濡れた。
「うえっ、生臭ッ! なんだこれ!?」
 生魚と血の臭い。混ざったそれに輪をかけて、薬のような妙な異臭も加わっている。ピィスは思わず口を開くが、垂れたしずくがそこに入り、あまりの味につばを吐いた。
「みーつけた」
 悪意を含んだ明るい声が、民家の上から降ってきた。濁ったしずくを垂らしながらピィスはそちらを振り仰ぐ。見えたのは、空になったバケツを抱える一人の少女。女性と言うにはまだ若く、子どもと言うには大人びている声や表情。華やかなその顔は、愉しそうにニィと笑った。
「カレン! あ、カリアラ君も!?」
 兄弟の誰かが叫び、カレンと呼ばれた少女はやれやれとため息をつく。
「みんなちょっと手際悪すぎー。こんな近くで何やってんのよ」
「なんなんだよこんなの撒いて! ああもう臭っせえな」
 こちらの怒りを楽しむように、カレンは不敵な笑みを見せる。
「ちょっとした実験よ。私は長女のカレン。よろしくね」
「げ、もしかしてお前ら……」
 ロウレンが得意げに胸を張った。
「そう、五つ子なのさ! よく来てくれたぞカレン! でももうちょっと早かったら嬉しかったな」
 ロウレンたちより細く長く伸びた手足が歳を少し上に見せる。眼鏡もなく、間違えるほどには似ていないが、兄妹らしい類似性をもつ顔立ち。嬉しそうに見上げる四人を見もせずに、カレンはバケツを屋根に置くと佩いていた杖を取った。握る手にたくさんの白い貼薬。傷を負っているようだ。
「悪かったわね。新しい契約の真っ最中だったの。別にカリアラカルスを見に来たわけじゃないからね。折角だし、実験台にしようと思っただけよ」
「実験台ぃい?」
 ピィスの言葉は相手にされず流される。兄弟はしっかりと、路地の出口を並んでふさぐ。両手を大きく広げたままでカレンの動きを待っていた。
「もう、本当は熱帯魚好きなくせに〜」
「あんたたちほどじゃないわよ」
 どうしたものかとカリアラに目をやって、ピィスは怪訝に眉を寄せた。
「カリアラ?」
 彼はまるで何かに耐えるように、直立したまま小刻みに震えている。血の気が引いていく顔に、見開いたまま何も見ようとしない目が瞬きもなく留まっている。
「おい、どうした? おい!」
 濡れた体を揺さぶると、カリアラは震える手でゆっくりとそれを退けた。触るなという静かな拒絶。わけも解らずピィスは素直に体を引く。カリアラは、うつむいたままゆっくりと首を振る。無理やりな深呼吸が喉の奥でかすれた音を立てていく。
「カリアラ……」
 応えはない。彼はただ首を振るばかり。
「よーし、今度こそ掴まえてしまうよカリアラ君!」
「やったね! やっぱり頑張ればなんとかなるね!!」
 こちら側の冷えた空気に気づかないのか、五つ子たちはひたすら明るい。不愉快な温度差が癪に障り、ピィスはカレンを睨み仰いだ。だが視線は噛みあわない。見えたのは目を閉じたカレンの顔、杖を掲げて静かに呪文を唱える姿。一体何を唱えているのかは耳に届かず予測できない。
 ピィスは舌を打って逃げ場を探すが出口は全てふさがれている。彼らはこちらと距離をあけたままそれ以上は近寄らない。この、ピィスたちが立つ場所に何かをしようとしているのだ。彼らはそれを避けている。
 ピィスは得体の知れない不安に身を冷やす。思わず傍に立つカリアラをうかがうが、彼の視線はただ地面を向いていた。その土の上に、黄色い線が浮き上がる。音もなく伸びる色は二人を囲む円となり、狭い路地には入りきれず壁にその端を折った。
「げ、ちょっ、これまさか!」
 ピィスは見覚えのある陣にうろたえる。父がまれに使う技。使える者は数少ない貴重な魔術。
「そう、カレンは召喚術師なのさ!」
 誇らしげなロウレンの声に、ピィスは思わずカリアラの腕を掴む。
 だがそれは強く振りほどかれた。
「え」
 彼は戸惑うピィスから逃げるように体を離す。わけのわからないピィスが、カリアラ、と呼ぶと彼は恐ろしげに顔を上げた。その肌は今までになく青ざめて、小刻みに震えている。瞳孔まで開かれた目がピィスの視線に喰らいついた。まるで怯える獣のような姿。ピィスは彼の視線に意識を奪われ、一瞬、思考が空白となる。
 だがすぐに正気に戻った。足元が黄色の光に包まれたのだ。淡い光はまるで地図を描くように、円周から中心へと複雑な道筋を描きながら集結する。
「やべぇ、来るぞ!」
 叫んだ瞬間光の筋は中央に集まった。
 カリアラがわずかに口を開いたが、高く張られたカレンの声がそれをかき消していく。
「我が力よ! 血の契約に基づいて、彼らをここに呼び起こせ!」
 杖で屋根を突く音。そして呪文は締められる。
「召喚! ご近所の猫ちゃんたち!!」
 へ、と腑抜けたピィスの声。
 小さなそれを消すように、円陣に強い光が落ちた。


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