第2話「敵は五つ子」
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 走るのは狭い路地。黒く湿った日陰の土を踏み荒らして駆けて行く。
「待て!」
 逃げても逃げてもリドーの声が追ってくる。警告を続けるそれにいくらか遅れ、彼本人も間違いなくついてきていた。ピィスは相手の混乱を期待して、入り組んだ場所やあらぬ方へと抜けて行くが、追いかけ慣れした職業柄か動じている気配はない。振り返るたびに少しずつだが距離は詰まり、さらに悪いことにピィスは疲れ始めている。隣を走るカリアラも、表情こそ変わらないが力が減ってくる頃だ。
「待て!」
 聞き飽きた、面白みのない決まり文句が飛んでくる。ピィスは振り向きもせずに否定した。
「待ーたーなーいー!」
「よーしよしよし拒否したな? これで四度目だ! アーレル市街法第二十三条『警備兵の停止命令を三度以上拒否した場合』の原則により罰則を増してやる!!」
「そんな誰も知らないような条例を持ち出すのは、アーレル中でもお前ぐらいだ!」
 背に向けてさらに罵倒を継ぎ足す。
「そんなんだから友だちもできねーんだよ堅物野郎!」
 痛いところを突いたようで、リドーが思いきり歯噛みするのが目に見える。その悔しさを込めたように彼の足はぐんと早まり怒りの顔が近づいて、ピィスは慌てて前を向いた。
 傍の壁を、薄い影が横切る。
「来た!」
 カリアラが叫んだ。理解できず困惑するピィスが見上げた先には、塀の上を走る少年。間違いなく、この騒ぎの元凶である双子である。三人を追い抜いて路地の出口へ着地したのはリウレンかロウレンか。だがカリアラはその考えを否定する。
「あいつ、違う奴だ」
「その通り!」
 三人目の少年は、それを聞いて爽やかに道をふさいだ。
「僕はルウレン! 次男なのさ」
「じゃ、三つ……」
 上げかけたピィスの声は引かれた襟に潰される。途切れた息が戻るころには、リドーに捕まえられていた。カリアラが驚いて足を止める。
「終わりだ!」
 頭上から疲労に弾む声。ピィスは熱を持つリドーの腕にしっかりと押さえられた。必死になって暴れるが、大人の腕はわずかな揺らぎも見せてくれない。
「くっそ、逃げろ!」
 怒鳴ると、カリアラの目が戸惑いに揺れるのがはっきりと確認できた。彼が何か言おうと口を開くのも見えた。だがそれは、聞こえる前に止められる。
「離したまえ!!」
 上方から降ってきたのは興奮じみた大きな声。
「何?」
 誰もがそちらを振り仰ぐ。曇り空の柔らかな光を背に受けて、胸を張って民家の屋根に立っているのは眼鏡をかけた一人の少年。何人分も見てしまった同じ顔に、同じ格好。
「覚えてくれたかな? 僕はロウレン、長男さ!」
 ピラニア大好き首謀格の背後には、隠れるように肩を狭める恥ずかしがりの同じ顔。
「そしてこっちはリウレン、末っ子だ。僕たちは無敵の兄弟!」
 ロウレンは腰に手を当てた格好で、見下ろしたリドーに宣告する。
「リドーさん! あなたの職務への情熱はいつもなら遠巻きに見守るだけだが、カリアラカルスに害するのなら今日ばかりはそれを破る!」
「なんだと……?」
 本人は気がついていないのだが、リドーはいつも悲しいまでに一直線な動きをするので、街の人にはほのぼのとした観察対象にされている。彼が走れば住民も慣れたもので『今日は何人に逃げられるか』という賭けごとまで始まる始末だ。彼の情熱が昇華される日は遠い。
「もう安心だカリアラ君。後は僕たちに任せてくれ」
 路地をふさぐルウレンが頼もしく微笑んだ。だがピィスはまだリドーに捕らえられているし、カリアラも困ったように立ちつくすだけ。二人ともどうしていいのか解らない表情でお互いを見合わせるが、リドーだけは少年たちの雰囲気に飲み込まれてしまったようだ。深刻な表情で、苛立つように舌を打って、おそらく彼らが望んでいる台詞を吐いてしまう。
「お前ら、一体なんなんだ!」
 ロウレンの顔が一気に輝く。
「僕たちは、そう!」
 リウレンを促して横に立たせ、ルウレンにも目配せをして囁き声で合図して、三人は一斉に力強く親指を自分自身の胸に向けた。
「熱帯魚愛好戦隊 『ペシフィロ・ネイトフォード』さ!!」
「待て!!」
 ピィスは思わず彼らに向けて腕を突き出す。
「なんでうちの親父の名前なんだよ!」
 しかしロウレンは微笑んでそれを流した。
「大丈夫、明日からは『カリアラカルス』に改名予定だよ!」
「あ、あの、ちなみに先月は『カーレット・パーソル』でした」
「月変わりかよ」
 名付けの意味は窺い知れない。だがカリアラはきっちりと合わせられた兄弟の決めのしぐさに感動している。三人を見回して、羨ましそうに頬をゆるめた。
「すごいなー、揃ってるなー。いいなぁペシフ」
「親父と同じ呼び方すんな」
 そんな彼らのやり取りには混じらず、リドーは一人ロウレンを睨みつける。
「いくら熱帯魚戦隊『ペシフィロ・ネイトフォード』とはいえ職務の妨害は許さんぞ」
「何受け入れてんだコラ! おかしいと思えよその名前!」
 暴れるピィスをものともせず、既にリドーの敵はカリアラから戦隊に移っているようだった。敵意を逃れたカリアラは、どうしようかと静かに皆を察している。出口はまだルウレンが阻んでいる。ロウレンは状況に陶酔でもするように、高らかに声を上げた。
「僕ら『ペシフィロ・ネイトフォード』略して『ペ・ネ・フ』に掛かれば悪は必ず滅びるのさ!」
「人の親の名前を活用すんな!」
「それはどうだか! お前らごときが俺を倒せるとでも思うのか?」
 ピィスの言葉は誰にも受け入れられないまま、リドーもどこかずれた道を行き始める。まるで宿命の好敵手同士のような、不敵な視線で繋がった少年といい大人。
「あなたは僕たちの恐ろしさを解っていないようだ……」
「こざかしい、策があるなら使ってしまえ『ペシフィロ・ネイトフォード』。俺は簡単には負けはしない」
「とりあえずオレを離せよ……」
 うんざりと呟くがやはり構ってもらえない。ピィスとしては、勝手に遊んでいてくれと他人気分でいるのだが。
「こっちには人質もいるんだが、さあ、どう動く?」
 展開上の重要な位置に立たされてしまっている。仕方がないので彼らの視線の死角に位置しているカリアラに、目配せで避けていろと指示を出した。
「ふ、だからあなたは解っちゃいないというんだよ! 完全に気がついていないようだね、僕らはこのあたりでは結構有名だというのに」
 カリアラは騒ぎから身を引いて壁につく。ルウレンが、よしとばかりに路地の中に踏み込んだ。
「ああ確かに有名にもなるだろう。こんな派手に騒がしい子どもなら」
 ルウレンも既にカリアラではなくリドーだけを見つめている。だがリドーはまだしっかりとピィスを押さえていた。ピィスは状況を確認する。
「だがそれが何だって? ただのよく似た三つ子じゃないか」
 あとはこの手が離れれば。
「三つ子?」
 ロウレンは口に笑みを含ませる。
 ピィスがカリアラだけでも逃がそうと考えたその時、頭のすぐ上でリドーの声がくぐもった。彼の全身はびくりと引きつり手は何もない空を掻く。ピィスはわけもわからず腕を逃れた。
「げ、まだいた!」
 何が起こったのか正確に把握して、ピィスは嫌な顔で叫ぶ。リドーは大きなずた袋をすっぽりと被せられて混乱のままに暴れていた。こもる叫びを閉ざすように、その動きを押さえ込むのは同じ顔の眼鏡少年。
「三男ラウレン遅れつつも大・登・場ッ!」
 どこか陽気な四人目だった。カリアラは兄弟を見回して喜びの声をあげる。
「すげぇまだいた! いっぱいいる!」
「あ、どもども。やーみんな何処にいるかわっかんなくて! しかも僕、足遅いから参ったよー」
 ラウレンは明るい笑顔でしっかりとリドーを組み伏せる。そこにルウレンも加勢して、哀れリドーは完全に彼らに捕まえられてしまった。ラウレンはこの状況がおかしいのかげらげらと腹を抱えて笑う。新たな遅刻人の表情と行動を見て、カリアラはピィスに問うた。
「似てないか?」
「誰にだ」
 迷いもなく指をさされたので、ピィスはそれをゆっくりとロウレンの方へと曲げる。
「……四つ子だからなー、そりゃ似るよなー。んじゃ、ま」
「参ったか! これに懲りたらもうカリアラ君を追いかけたりしないことだな!!」
 リドーは線対称で同じ顔の少年たちにのしかかられて、なすすべもなく暴れるだけ。
「さあ、もう大丈……」
 ロウレンは感謝の言葉を迎え入れる万全の態勢で、カリアラとピィスに目を向けた……つもりだったが、そこにはすでに誰もいない。
「え」
 見えるのは、湿った土と古い壁と、それに添って生えている貧弱な雑草だけ。
「しまったー!!」
「あ、あの、僕、逃げたって言おうとしたんだけど、聞いてくれないから……」
「ああごめんよリウレン! 大丈夫、僕らはきっと上手くやれるさ!!」
 ロウレンは申し訳なさそうに喋る末っ子に大声で対応する。その調子で次男に指示を出した。
「まだ遠くには行ってないはずだ、頼むぞルウレン!!」
「わかった!」
 ルウレンはリドーから離れると、簡単な準備運動をする。
「この『俊足のルウレン』に任せろ!」
 そしていきなり全速力で走り出した。その音はあっという間にこの場を去る。響くのは、ただくぐもったリドーの叫びだけ。抑えていた人が減っていくらか軽くなったために、ずた袋は体を起こしてラウレンを振り落とす。
「逃がすか!」
 そしてそのまま壁に向かって直進して激突し、勢いあまって逆の壁にも頭をぶつけ、彼は美しい線を描いて地に倒れた。
「リドーさん……」
 見事なまでのその動きは見るものの涙を誘う。
 リドーは被っていた袋を外し、屈辱から赤く染めた顔をしかめ、何も言わず這うようにしてふらつきながら去っていった。
「リドーさん……」
 三人分の合唱は哀愁に満ちていた。
 だがこのままにはしておけない。ロウレン・リウレン・ラウレンは表通りに集合する。道は細く岐路が多い。既にカリアラもピィスもルウレンも、リドーさえもその影すら見えなかった。
「どうする、ロウレン」
 ラウレンは長男に指示を仰ぐ。ロウレンはそれを受け、力強い笑みを浮かべた。
「大丈夫、僕たちにはそれぞれ特技があるじゃないか。リウレンは僕についてこい。ラウレンはうちで何か見繕ってきてくれ。それと、無駄かもしれないけどあいつも呼んでおいてくれないか」
「でも、来てくれるかな……」
 リウレンは不安そうに兄を窺う。ロウレンとラウレンは悩むように首を傾げた。
「ま、来なけりゃ来ないでなんとかするさ」
 敵も所詮はリドーさんだし。とあんまりなことを呟いて、ロウレンは止まった空気を打ち払うよう声を張る。
「よし、行動開始!」
 そしてそれぞれが決められた道へと走り出した。

   ※ ※ ※

「やべー、迷った」
 十字路を見回して、ピィスは頭を抱えてしまう。だがカリアラは不思議そうに右斜めを指さした。見えるのは民家だけだが、示しているのはその向こう。
「あっちがベキーのいたところだろ。近いぞ」
 この位置からベキーが見えるはずはないが、ピィスは目を凝らして探す。
「え、嘘。あ、あー……そうかも。お前方向感覚いいんだな」
「ピィスはわかんねぇのか?」
「だってオレ、この辺は来たことねーもん。完全に住宅街じゃ……」
 やや遠い後方でなんだか嫌な笑い声。
「来た!」
「うっわ速ぇえ!」
 はははははという連続音が、強さを増して音源と共にやってくる。やたら速い。恐ろしいまでの脚力だ。
 二人ともその意味が浮かぶ前に逃げ出していた。興奮じみた満面の笑みを貼り付けたまま、全速力で追いかけられればそうするしかないだろう。掴まったらどうなるのか解らないのが恐怖心を余計に煽る。少年は走りつつも大声で自己主張する。ぼ く は ル ウ レ ン だ よ よ ろ し く ね と一音一音伸びて響いて奇妙な声音。恐怖心は嫌でも増す。
「逃がさないよおカリアラくぅうん!!」
「怖ぇえー!」
 ピィスの叫びにうなずきを繰り返しつつ、カリアラもとにかく走る、走る、走る。
 だが彼はその視界に危うげなものを見つけた。
「つーかーまーえーたーぁああ!!」
 どす黒い笑みを浮かべたルウレンが、ピィスの肩をしっかりと掴む。
「ヒャー!」
 らしくもなく甲高い悲鳴を上げて、ピィスは振りほどこうと暴れるが、ルウレンも組みついてきたので二人して地に転がった。土を見たり空を見たりする視界の中に、不審げな目の地元民もちらほらと。
「いやあまるで釣り上げた気分だよ! さすがだね!!」
「お、オレは違う! 人間だバカ!!」
 叫ぶと、「え」と素直な言葉をもらされる。ピィスはゆるんだ手を払い落として姿勢を直した。
「あれ、違ったの? じゃあもう一人がカリアラカルス?」
 間違ったのはピィスが人質となっていたためか、カリアラの存在感が薄かったせいか。ピィスは気分を最大限まで曇らせて、砂を落としながら立つ。
「そうだよ。ったく…………」
 そして連れを目で探した。だが、見回しても見回してもカリアラの姿はない。
「え?」
 今度はピィスが声をもらした。ルウレンもあちこちを探しているが、彼も見つけられないようだ。広がるのは人気の少ない民家の並び。薄曇りの色を纏ったただの景色。
「あいつ、どこ行ったんだ……?」
 すとんと何かが胃に落ちた。


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