第2話「敵は五つ子」
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 店の中からゆっくりと、大きな影が顔を出した。普通の人の顔と体をそのまま拡大したような、恐ろしく巨大な人型細工だ。不気味ながらも女性の姿をしているそれは、可愛らしい幼い服を身につけている。その胸元に丸文字で『ベキーちゃんですヨロシクネ』と縫いつけられたアップリケ。
 とても大きなベキーちゃんは、唐突に長い茶髪ごと頭を落とした。
「い、ラ、しゃ、ましぇ」
 木の軋む音を立てて、ゆっくりと顔を上げる。その大きな唇が、不自然に歪みあがった。カリアラが硬直して見つめる先で、ベキーはギイギイと大仰な音を立てて腕を伸ばし、客であるカリアラたちを布天井の下に並ぶ長椅子へとうながす。
「お、なんだピィスじゃねーか」
 そのベキーの影からひょっこりと小柄な男が現れた。彼は存在感の薄い目口に善良そうな笑みを浮かべる。
「久しぶり。食ってくか?」
「うん。ベキーちゃん、いつの間に喋るようになったの」
 ピィスは席へ行こうとするが、カリアラはまだ身じろぎもせずベキーから目を離さない。明らかに動揺の見える顔で、巨大な敵でも見るように、慎重に対峙している。
「ピィス」
「何」
 自分よりも大きなベキーを見据えたまま、真剣な顔で訊く。
「人間か?」
 これでも本当に? と言わんばかりの声色。ピィスはベキーの隣に並ぶ。
「……ちょっとこれ見て考えてみろ」
 と、二倍はあるかと思われる、自分と彼女の体格を比較させた。念を押してすらすらと、「いらっしゃいませー」などと笑顔を振りまいてみる。だがカリアラは本当に悩んだあげく、困り顔で弱音を吐いた。
「わかんねえ」
「お前は馬鹿だ」
 確定した事実を告げて、ピィスはため息をつきながら長椅子の一つに座る。近くには先客もいて、それぞれが好き勝手にスープや肉を食べていた。ベキーの作り手と店主を兼ねる魔術技師は、串刺しの肉を焼いては皿に盛ったり、客に品を出したりとせわしなく働いている。煙と共に、炭火で炙った肉の匂いがそこら中に漂っていた。ピィスは腹を空かせながら、看板からぶら下げられた品書きを確かめる。動かないカリアラの分も勝手に注文することにした。
「ガラ焼き二つとこのめスープ一つ、あと濃水一つ」
「はいよー。しかし本当に人間に見えたかい? 俺も腕が上がったかな」
「間に受けない間に受けない。はいお金。カリアラ、後で半分取るからな」
 手早く出されたつりを取りつつカリアラに声をかけるが、彼はまだベキーを見つめてぴくりとも動かない。店主は笑った。
「さては兄ちゃん、うちのベキーに惚れたかい? 駄目だよ俺のかみさんなんだから」
「まだ言ってるよこの人は。あ、バド大盛りで」
 注がれたトマトのスープに玉ねぎのみじん切りを盛ってもらう。いつも通りの注文だ。
「はいはい。いや、俺ぁ今度こそ取ってみせるね特級資格。ビジス爺の次は俺だ。毎度!」
 空の食器を下げた客に愛想を振り撒きながらも、主人は喋る事を止めない。仕事の手つきは確かなのでたいしたものではあるが、ピィスは感心するでもなく逆に呆れた息をつく。
「そういうことは、せめてもっと小さい作品作り上げて言ってほしいな。いつまでも、大道具作ってるんじゃないんだからさ」
「厳しいねぇ。でもま、いつかは絶対とってやるさ。こいつを誰もが認める人間にして、その証をこの店に飾るんだ。いいねぇ、ベキー・ローズの正式な人間戸籍。そうすれば晴れて俺とこいつは結婚できる。いい国に生まれたな、ベキー」
「何十年かかるかって話だろ。とりあえず、それ剥がさないと雨降ったらだめになるよ」
 看板には品書きに並んで婚姻届が下げられている。ただしその妻の項目は、人間戸籍を持っていないベキーの名になっているため許可はされない代物だ。特級資格と呼ばれている技師協会の認証さえ取ってしまえば、作り出した『作品』に、無条件で人としての戸籍や権利を与えることができる。国内と近隣五国の中だけでの権限だが、それでも木でできた作り物が人間として暮らせるようになるのだから、そこらの腕では貰えない。実際に所持していたのは、ビジス・ガートンただ一人。
 カリアラが話についてきていないようなので、ピィスは彼にわかりやすく説明した。カリアラは一応はうなずくが、本当に理解しているのかどうかは察しづらい顔をしている。
「……まぁ、今はちょっとごたごたしてるし。お前の書類申請する余裕もないだろうけど」
 ピィスは店主の耳に入らないよう囁いた。
「結局はお前もビジス製なんだ。何もかも片付いたら人間戸籍も貰えるさ。そしたら、正式に人間として生きていけるってこと。……サフィ次第だろうけど。ほら、そこ座っとけ」
 カリアラは素直に席に座る。その表情を見ただけでは、話をどれだけのみこめたのかはわからなかった。店主が肉を転がしながらわざとらしいため息をつく。
「ビジス爺ばっかりぽいぽいと人間作って、ありゃあ反則。その特権は皆にくれるべきじゃないの?」
「夢見る奴は無茶言うね。またリドーに馬鹿にされるよ?」
「タイチョウか」
 カリアラがまだベキーを気にしながら話に加わる。
「そ。ただしオコサマ部隊のな」
 彼はわからない顔をした。ピィスはにやりと笑いながら、リドーの事情を暴露する。
「本当に隊長になっちゃったみたいだけど、この前まではただの下っ端兵士でさ、この辺の子どもたちのいい兄ちゃんだったんだ」
「はい、できたよ」
 ピィスは次々に出される皿を取って、カリアラに渡した。
「あいつ結構いいとこのお坊ちゃんでさ、口利きで就職したからって仕事仲間に避けられて、寂しくひとりで公園の警備してたら子どもたちに同情されて。そのままなんか一緒に遊び始めて、仲良く“オコサマ警備隊”とか作ったあげくにそこの隊長やってたの。隊長ってのは仲間の中で一番エライやつのことな」
 ピィスは最後の一つ、濃水のカップを持って席についた。机の中央には二人分の串焼き肉がどっしりと構えている。スープは辛口なので、カリアラの分は買わなかった。肉にはもっちりとした食感のパンと生野菜が添えられていて、食べられるのを待っている。ピィスは串から肉を外し、野菜と共にパンで包むとカリアラに手渡した。アーレルでは毎食のようにこのパンを口にする。たとえ添えられたものが違う国の料理だろうがなんだろうが、とにかくこのパンと一緒に食べるのがこの国の習慣だった。
 カリアラは挟まれた肉の匂いをかいで、気がついた顔をする。
「牛だ」
「そう。ちょっと味強いかもしれないけど、このぐらいなら大丈夫だろ」
「生じゃないな」
 生物を主食とする彼は、不満げに眉を寄せた。
「人間は生肉を好みません。人間食にも慣れとけよ」
 それを聞いて店主は顔をこちらに向ける。
「え、人間じゃないのかい? ……もしかして人型細工!?」
 驚く目がこぼれそうなほどに見開くので、ピィスは得意な笑みを浮かべてカリアラの肩を叩いた。
「そ。ここだけの話、なんと爺さんの遺し物」
「じゃあ、それが例の遺産!? やっぱりあったのか!」
 驚きが明らかに度を増した。ピィスは乗り出してくる店主とは逆に身を引いて、混乱のままに否定する。
「へ? あ、いやいや違うよ。こいつは、前にうちの婆ちゃんちに送ってたやつだから。最近になって突っ返されてきたから、ちょっと魚の魂入れてみただけで。爺さんが風邪引くよりも随分前の作品だ」
「なぁんだ。びっくりさせるなよー、心臓に悪い」
 本当に胸元に手をやると、店主はまた手早く肉を焼き始める。魚ねぇ、とちらちらとカリアラを見るが、当の本人は彼は気にもせず呑気に料理を食べるばかり。がぶり、がぶりと大口で噛み切っては顔を反らして喉へと押し込んでいく。カリアラは一通り食べ終わると、そこらにいる人間たちに目をやった。
 歩く人や食べる客、別の店の店員と客や近所の住民たち。白の道よりは少ないが、それなりの人数がそれぞれに動いている。カリアラは口を動かしながら人間たちを観察した。本当に嬉しくてしかたがないのだろう、彼の顔は今までになく楽しげにはずんでいた。
 同行するピィスとしても、連れてきたかいがあったとつられて嬉しくなってしまう。いい気分で久しぶりの外食を口にした。この店の料理はくせはあるが好みの味だ。ペシフィロは辛いものが苦手なので、香辛料をふんだんに使った料理は外でなければ食べられない。ピィスはにこにこと頬をゆるめながら店主に尋ねる。
「さっきの話だけどさ。遺産ってどういうこと? オレが来なかった間にどんなことになってんの」
 店主は手を休めると、噂話特有の、人の耳を憚る声で喋りだす。
「それがさ、気がついたらみんなが言ってんのよ。ビジスの遺産が国の中に隠されてるんじゃないかってね。話がだんだん大きくなって、最近じゃそれを手に入れた奴は国を好きに出来るとか、特級資格が貰えるとか」
「うわぁ」
 調子の外れた夢物語に呆れつつ、濃水のカップを取る。店主はまだまだ話を続ける。
「秘術の全てを書き留めた本があるとかさ。あと魔力を閉じ込めた石があるんだってのも、かなり言われてる。それさえあれば、どんな奴でも爺さん並の腕前になれるんだってよ」
 ピィスは飲みかけた手を止める。何事か思うように目を伏せるが、打ち消すように飲み干した。店主には目をやらず、ただ空のカップを見つめる。
「……なんだそりゃ。みんな夢見すぎだよ。爺さんの家ならうちの親父が整理したけど、なーんにも出てこなかったってのに」
「でもその家自体、まだ隠されたままじゃないか」
「それこそ遺言なんだよ。誰も近づけるなって、爺さんが親父に頼んでたの。オレだってあれから一度も入れてもらえないんだから」
 左手を後ろにやってタグを隠す。ふと、カリアラと目が合った。彼は物言いたげな顔をしている。
「後でな」
 嘘についての説明を、ここでするわけにはいかない。カリアラは物わかりよくうなずいた。彼の手元を見てみると、料理も水もすでに空になっている。二人して食べる速度が速いようだ。見回しても、先客たちはまだのんびりと食事をしている。ピィスは残っていたスープをのみほした。店主の元に持っていこうと空いた器をかさねていると、ずっと近くに座っていた客が、二人をうかがっているのに気づく。ピィスよりも歳上のようだが、青年とまでは言えない若さ。体も気も弱々しそうな少年が、一人。
「何?」
 不審に眉をひそめて訊くと、少年はうろたえて厚い眼鏡をかけ直す。もう一度、何、と訊くと、震える口を動かした。
「おう。そうだ」
 耳のいいカリアラが聞き取ってそれに答える。少年は急に明るい顔となり、早口で礼を言うと逃げるように去っていった。ピィスはわけがわからない。
「なんて言ってたの?」
「『カリアラカルスなんですか?』って」
「え、なんで解ったんだろ。カリアラって言ったからか?」
 魚とは言っていたし、聞こえていてもおかしくない。だが情報量はそれほどでもなかったはずだが。第一、どうしてあんなに喜んでいたのかも解らない。二人は揃って眉間に皺を作りだす。
「なんなんだろ」
「なんなんだろ」
 まったく同じ顔と言葉を繰り返されて、ピィスは口をとがらせた。
「……そのまんま真似しない。自分らしくちょっと変えろ」
「なんなのだろう」
 真面目な顔で微妙に合わないことを言う。ピィスはそれを少し笑い、器を店主の元に下げた。
「ごちそうさん。じゃ、ベキーちゃんと仲良くな」
「その辺は問題ナシよ。な、ベキー」
 店主はベキーの背中に手をやり、突き出ていた太い棒を下に向ける。すると今にも分解しそうな音を立てて、ベキーの手がぎこちなく店主へと下ろされた。店主は彼女にしがみつく。形だけは抱き合っているように見えないこともない状態。
 雑音だらけの震える声で、ベキーは精一杯に喋る。
「アナタ、アイシ、て、ル」
「俺もだよベキー」
 幸せそうに愛を振りまく彼らには言葉もなく、微妙な気持ちを目線だけで共有し、二人は静かにそこを離れた。
「おれとベキーどっちがすごい?」
「ベキー」
 色んな意味で。と呟いて、完全に呆れながら表通りに足を運ぶ。



「すみません!」
 物見をかねて商店街を歩いていると、目の前にさっきの少年が現れた。だが別人かと思うほどの興奮ぶりを見せている。
「君、カリアラカルスって本当!?」
 カリアラは明らかに戸惑って、身を引きながらもこくりとうなずく。それを見た少年は、これ以上があるだろうかと言わんばかりの歓喜を顔に昇らせて叫んだ。
「すごい! すごいよ君!! あのカリアラカルスだろ!? ああまさかこんな所で逢えるなんて!!」
 心も体も引いているカリアラをかばい、ピィスは彼の前に立つ。少年はその顔を真っ赤に染めて、カリアラの全身をなめるように見回してはそわそわと眼鏡をいじった。
「あ、ああ逢えるなんて思ってもなかったよ! 僕はロウレン! よろしく!」
「お、おれは」
「カリアラカルスのカリアラ君だね! 聞いているよ、なあリウレン!!」
 勢いよく振り向いた後方に人の姿。気弱げな顔に眼鏡をかけて、恥ずかしそうに家の影に隠れている。間違いなく、さっき店で話しかけてきた少年だった。
「ふ、双子?」
 ピィスの言葉も聞こえてなどいないようで、取り違えるほどよく似ている少年たちは、相変わらず興奮と憧憬の目でカリアラを見つめている。カリアラはどうしていいかわからずに、困ったように立ちつくすだけ。目をそらしてもしっかりと組みついてくる、喜びの瞳と眼鏡。
「なんなんだお前ら。ピラニアが好きなのか?」
「好きもなにも大好きさ!!」
「……すき、です」
 叫ぶロウレン、囁くリウレン。対照的な二人組はその距離を置きつつも、同じように主張する。
 ロウレンは更に大きな声で喋る。
「僕らは熱帯魚が大好きだからね! でもカリアラカルスは特別さ、特別なのさ!!」
「う、うるせぇえ」
 呟くピィスは既に彼らの視界には入っていないのだろう。ロウレンは目を輝かせてカリアラとの距離を詰める。後ろの方で、リウレンもまたじわりじわりと近づいていた。カリアラは生まれて初めて見る生物に対するように、警戒と恐怖心から一歩ずつ後ろに下がる。だが同じだけしっかりと近づかれて恐ろしげに首を振った。カリアラの恐怖心など気にもせず、ロウレンは口角から泡を飛ばす。
「だってカリアラカルスと言ったら! カリアラカルスと言ったらあ!!」
「落ちつけって。あと声でかいよお前」
 ピィスはロウレンの服を掴み、引き剥がした。だが熱帯魚好きがめげてしまうことはなく、目をとてつもなく輝かせて逆にピィスに語り始める。
「君は解っていないんだ! カリアラカルスは熱帯の王者とまで言われた魚! その生命力、魔力、凶暴性! 彼らに狙われた人間は、あっという間に骨だけになってしまう恐ろしい生き物さ!!」
 ピィスは思わずカリアラに目をやるが、当の本魚は身の覚えもなさそうに素直に驚いている。
「狂魚と表記されるほどに強いのさ! そして食いついたが最後、その生き物は何であろうと逃げきることは不可能で、生きたまま食われてしまい……」
「何だと?」
 聞き覚えのある声がした。振り向くとそこには警戒心あらわな男。
「げ、隊長!」
 街の平和を厳しく守る、リドー隊長が厳しい顔で立っている。
「聞き捨てならない話だな。おい、ちょっと聞くが、この魚は『ただのちっちゃな弱々し〜い小魚』か?」
 ピィスは素早くカリアラを後ろにかばう。だが、その場に流れる緊張には気づきもせずに、ロウレンは全開の笑顔で否定する。
「まさか! すごく強い凶暴なボウクの王さ!!」
「逃げろ!」
 ピィスはカリアラの腕を引き、全力で駆け出した。
「あ、待て!」
「早く!!」
 出発にもたつくカリアラを叱咤して、とにかく人を分けて走る。すぐ近くからリドーの怒声が追ってくる。
「あーもーなんなんだよあの双子ー!!」
「おれっ、こわいのか!?」
 足が慣れて追いついたカリアラはピィスの隣を並んで走る。だが互いに目をやる余裕はない。
「さあな! あいつにとっちゃそうかもな!! あっち!」
 苛立ちから怒鳴りつつ横道に入り込み、二人は裏通りのさらに奥へと消えていった。
「待て!」
 リドーもそれを全力で追いかける。彼の姿もすぐに消えて見えなくなった。
 残されたのはぽかんとたたずむ二人の少年。だがロウレンはハッとしてリウレンを見る。
「追うぞ! 僕が追いかけて探しておくから、お前はみんなを呼んでくるんだ!」
 リウレンはその弱気な顔に、強い意志を浮かべてうなずいた。ロウレンも満足そうにうなずき返し、拳を固めて熱く叫ぶ。
「熱帯魚愛好戦隊、出動だ!」


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