第2話「敵は五つ子」
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 今にも水をこぼしてきそうな色の雲が、景色の彩度を落としている。だがそれにも関わらず、街の中心部は大勢の人々で賑わっていた。道端に並ぶ露店からは威勢のいい呼び込みが続き、人ごみから手が伸びては商品と金を取り交わす。
 アーレルの中心部には太い二本の道がある。ひとつは港と他国を繋ぐ街道。商人や旅行者を外へと繋げる「赤の道」だ。その名の通り赤みがかった煉瓦の上を、馬車やその他の荷車がひきりなしに行き交っている。
 今、カリアラとピィスが立っているのはもう一本の白い道。砂色の石を敷かれたそこは、国外には繋がらず街の中を一周している。朝は市、昼夜は露店が並べられる賑わいの場所だった。
「とりあえず昼メシ食うか。あんまり辛いのダメだよな。ほら、ぼーっと見ない」
 視界からあふれるほどの人間たちを前にして、カリアラは喜びが言葉にならないのか、戸惑うようにおろおろと視線をうつろわせている。だが表情には間違いのない興奮と喜びがあふれていた。カリアラは、声には出さず口の動きで「人間だ」と繰り返す。
「うん、でもお前も人間なんだから怪しいことはしちゃだめだぞ。ここでいきなり暴走なんかしたら……」
 ピィスの言葉を聞いているのかいないのか、カリアラはただ周りの人間たちを嬉しそうに眺めている。突っ立ったままでは通行の邪魔になるので、ピィスは彼を露店のすき間に連れ込んだ。知らない家の外壁に背を預け、興奮のあまりに走り出したりしないようカリアラの服の裾を持って、あとはただ放っておくことにする。喋るなという言いつけがなければ彼は大騒ぎしていただろう。だがそれはなんとか守られていて、カリアラは声もなく口の動きで喜ぶばかり。「人間だ」と「たくさんいる」を飽きることなく繰り返した。
「じゃ、気がすむまで眺めとけ。腹減ったら移動するぞ」
 カリアラは振り向かず、人々を見つめながらうなずいた。
「……しっかし、」
 子どもが数人近くの広場に走っていく。途中、大きな箱にぶつかるが謝らずに無視をしたので、箱は手足を突き出してのろまな動きで子どもを追う。だがよろける足取りが若人を捕まえられるはずもなく、はやしたてて逃げる子どもを、今度はその箱人形の製作者がみずから追いかけていく。
 奇妙な丸い乗り物が人々をかきわけていく。楽しげな男を乗せたそれは魔術の光をまきながら道の上を滑っていたが、転がる石につまづくとその場で回転をはじめ、ぎゃあぎゃあと運転手の悲鳴もあたりにまき散らす。駆け寄った一人の男が力ずくでそれを止めた。彼は怒りもあらわに怒鳴りつける。
「公共の場を何だと思ってる! 許可なき練習は条例違反だ!!」
「いつ来ても同じことやってるな、この辺は」
 魔術技師を数多く有するために、この街ではこれがいつもの光景だ。まだ今日は少ない方で、日によってはそこら中が不自然な人間だらけになる。それらはすべて人間に見せかけた作り物だった。ピィスと同じように、街中で人型細工に学習させる魔術技師は多いのだ。それだけではなく、ピィスが昨日作ったような動物の魂入りの乗り物も少なくない。
 制御できずに騒ぎとなれば、さっきのように巡回中の警備兵に捕まえられることとなる。だがそれでも兵士の目をかいくぐり、不完全な『作品』たちを学習させる違法者は数えきれないほどだった。カリアラはほんわかとした笑顔で呟く。
「すごいなー、人間が走ってるなー」
「うん、お前には人間しか見えてないんだろうな……」
 すぐ側の露店の中で、延々とぎこちない動きで芋の皮をむく不完全な『作品』だとか、壊れたように「いらっさいまぺ」と繰り返す、女の人に見えないこともない恐い顔の『作品』だとかは気にもとめていないのだろう。
 ピィスも彼を見習って、人の波をぼんやりと観察することにした。そろそろ昼食時とあり、そこらで買った食べ物を持ち歩いている人が多い。口にしながら進む人、持った器が他の人にぶつからないよう注意しながら落ち着く場所を探す人。楽しそうに喋りながら通り過ぎる友達同士や恋人同士。急ぐ人もいれば、ゆっくりと売り物を冷やかしながら歩く人もいる。アーレル人は黒髪に黄色の肌が基本とされるが、嬉しそうにあちこちの『作品』を見て回る観光客の多さから、行き交う髪や肌の色は一言では言い表せない。もとより、他国からの移民が多いこの国では混血が当たり前となっている。改めて見回せば、ここまで雑多に混ぜられるか、というほどにさまざまな人種の者がいた。こういった場所だからこそ、変り種の人型細工も許容されているのかもしれない。
 ピィスはそんなことを考えながら人の波を眺めていたが、ぎくりと身をこわばらせる。嫌な知り合いに見つけられたのだ。息を切らす顔に注目されて、ピィスはとっさにカリアラを背にかばう。だが、その行為こそが失敗だったと瞬間的に気がついた。
「ピィスか?」
 疑うようだった相手の顔が確信に変化する。ピィスは舌打ちをした。一見では人型細工だと解らないカリアラを隠すよりも、よく知られたピィス自身が隠れるべきだったのた゜。後悔してももう遅く、男はこちらにやってくる。人の波に逆らいながら、ゆっくりとだが確実に。
「やっべー」
「あれ誰だ? さっき怒鳴ってたやつだろ」
 カリアラの言葉通り、やってくるのは事故を起こした魔術技師に条例違反とわめいていた男である。ただこちらに向かって歩いているだけなのに、居丈高さが目に見えてしまうような人間。ピィスは愚痴をこぼすように説明する。
「リドー。このあたりの警備兵で、魔術技師の違反『作品』担当者」
 言い終わるのと同時、リドーが二人の前に立った。怒鳴り、追いかけ回した疲れからか、少し息が上がっている。その弱みを払うように乱れかけた金髪をなでつけて、リドーは警戒を隠しもせずに上からピィスを見下ろした。
「久しぶりだな。どうしてたんだ? 何かまた騒がしい物を作ってたんじゃないだろうな」
「残念でした、今日は何も持ってきてませーん。隊長こそ私服で何やってんの」
 いつもは街部警備兵の制服を着ているのに、今日の彼はこざっぱりとした普段着姿である。服装が顔立ちをもやわらげるのだろうか、表情からも険しさが薄れて親しみやすい男に見える。だが、声は低く落ちる違反者を叱りなれたもの。立ち振る舞いにも融通のききそうにない頑固さが見え隠れする。リドーは得意げに胸を張った。
「俺か? 俺はな、昨日限りでここの仕事が終わったんだ」
「クビ?」
「お前の親父と一緒にするな。栄転だ栄転! 王城警備の小隊長に回されたんだ」
 自慢そうに上段から構える笑みを見せる。自慢したいのをむりやりに抑えたようで、口元がこらえきれずにぴくぴくと震えた。ピィスは心底憎らしく表情を歪めて吐く。
「げ、それじゃホントに隊長かよ。うっわー、人んちが路頭に迷おうかって時にあの大臣は」
「ま、時代の流れが俺を呼んでいるってところか。ペシフィロ先生も身の振り方を考える時期ってことさ」
「むっかっつっくー。オトモダチ泣いたんじゃないの、寂しくて」
 その言葉にリドーはふと動揺をちらつかせたが、ごまかすようにカリアラへと視線を移した。
「……で、これは誰だ? 初めて見るが」
「ああ、こいつは……」
 ピィスもまたごまかそうとするが、それよりも早くカリアラが直立し、大きく息を吸い込んだ。ピィスがその意味を考える間もあたえずに、はきはきと気持ちのいい声を出す。
「カリアラカルスですこんにちは初めましてよろしくおねがいしますほんとうにさいきんはいいお天気でござりますねおげんきですかっ」
 息継ぎもなく言いきると、爽やかに、ふうと一つ息をついた。
 カリアラは輝くような、異常に満足そうな笑顔で誉め言葉を待っている。
 とても気まずい間があった。
「……人型細工だな。ちょっと来い」
「わー、待って待ってそうだけど! コイツは許可いらないんだって!」
 連行しようとするリドーにピィスはしがみつくのだが、カリアラは状況を理解せず嬉しそうに喋るだけ。
「全部言えたぞ。凄いか?」
「別の意味でな! ああもう変な言葉教えやがってー!!」
「騒ぐと強制連行するぞ。とにかく、ちょっと詰所まで来てもらおうか」
「違うって違うって! こいつビジス製なんだって!!」
 周囲には聞こえないよう声を殺して叫んだとたん、リドーはぴたりと動きを止めた。怪訝な顔で振り向くと、引きつった愛想を浮かべるピィスに眉間の皺を強くして、カリアラの全身をなめるように見回していく。
「ビジス・ガートンの? ……確かにそこらの作りじゃないな。初めて見るが、どういうことだ?」
 周囲の技師に聞こえないよう、秘密ごとを囁くように顔を屈める。ピィスは余計なことを言い出さないようカリアラを強くにらんだ。彼がうなずくのを確認し、うってかわった明るい調子で話しだす。
「親父がさ、前に作ってもらってたやつなんだ。うちの婆ちゃんの世話役用にって送ってたんだけど突っ返されて、そのまま家の中で眠ってて。そこに魚を……」
「魚?」
 リドーは疑うようにカリアラを見た。何か思うところでもあるような、奥に意味を含んだ表情。
「うん、たまたま手に入れた魚の魂を入れてみたら、案外ちゃんと動いてさ。それがこいつ」
「魚なんかでこんなにきちんと動かせるのか? ……まさか、人魚じゃあないだろうな」
 ピィスはとっさにカリアラを見た。だが彼は解っていない顔をしている。ピィスはひとまずの安堵を覚えて口早に否定した。
「人魚なんているわけないだろ、こいつ男だし。なんか頭のいいピラニアで……」
 ぴくりとリドーの眉が跳ねた。あわてて彼の予想を否定する。
「あ、凶暴性はないよ。ただのちっちゃな弱々し〜い小魚だから、安全性は完璧なんだ。で、ビジス製だから許可も登録も要らないってこと。な? 別に捕まえる必要もないだろ?」
 願うように請うように、悩むリドーを窺いながら、ピィスはカリアラの腕を取ってさり気なく引き離す。リドーはそれにも気づかずに、悩む顔で小さく唸った。
「どのみち今日は休日だろ? 捕まえる権限もないじゃねーか」
 通りを行く人の数がわずかに減った。二人が抜けられる道を確認し、ピィスはカリアラの袖を引いて行く先を目で示す。声には出さず、手のしぐさで耳をふさげと合図すればカリアラは素直に応じる。ピィスは大きく息を吸った。
「リドー隊長!!」
「は!?」
 唐突な大声にリドーは思わず引き退る。ピィスは力いっぱい笑顔を浮かべ、あっさりと手を振った。
「というわけでオレらメシ食いに行きまーす。じゃあねー」
 そしてそのままカリアラを連れて大通りへと逃げていく。
「ま、待て!」
「お仕事頑張ってね〜」
 あわてるリドーに笑顔を向けて、一方的に別れを告げるとピィスは足の遅いカリアラを引っぱりながら、横道に飛び込んだ。急に細く入り組んだ道をでたらめに駆けていく。リドーが追ってこないか気になるが、振り返るよりも急いだ方が懸命なのでピィスはただ前へと走った。
 カリアラが速度を増した。引いていた手が要らなくなって、気がつけば並んでいる。ピィスはひゅうと口笛を吹く。この元ピラニアは、走る動作にもう慣れてしまったのだ。彼は疲れを見せることもなく平然と隣を走っていく。その目が、ちらりとピィスを見た。
「……追ってこないぞ」
「本当? じゃ、止まろう」
 ピィスはすぐに足を止めたがカリアラはもたついて、つまづくように体を揺らす。
「急停止も覚えなきゃな」
 足並みがようやく揃い、改めて現在地を見回した。民家と民家に挟まれた、裏道のような場所だ。まっすぐ先に明るい表通りが見える。白の道より小さな規模の、生活用の商店街。ちょうどよく馴染みの店の近くだった。
「なんか、腹減った気がする」
 カリアラが不思議そうに手で腹をなでている。そろそろ力が切れてくる時間なのだろう、今までとは違う空腹感に、カリアラは戸惑う顔で首をかしげた。
「ぼんやりと? はっきりと? どんな感じだ?」
「なんか、……力がここから消えるような、この辺が軽くなったような」
「あー、じゃ、早いうちに魔力摂った方がいい。オレも腹減ってきたし、そこの店で食べようか」
 人型細工の体の仕組みは人によく似せてあるが、完全に同じというわけではない。ましてや、魚の体とは細かい部分が違ってきているのだろう。ふと見ると、カリアラは口を大きく開けて立っている。ピィスはその意味を考えて考えて考えたところで解答に行きついて、笑った。
「……微生物、いないから」
「えっ」
 カリアラは真剣に驚いているようである。ピィスは力なく笑いながら店に向かって歩き出した。ついてくるカリアラはこくこくとうなずいている。
「そうか、だから人間はみんな口閉じてるんだな」
「今気づいたのかお前は……」
 街へ出ての学習は予想以上の成果を生み出しそうだった。ピィスは近づいてきた露店を指さす。
「ほら、あそこの店」
 その店の中からゆっくりと、大きな影が顔を出した。

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