第1話「やたら陽気な誘拐犯」
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 大きな緑の目が一対、じっと彼を見つめている。霧の壁に空いた穴から見つめている。カリアラも同じように相手を見返す。歪みのない一筋の繋がる視線。その片端で、人の目が唐突にニッと笑った。びくりとして引いたカリアラに迫るように、人間は霧を掻き分けてひょこりと頭をこちらに出す。短く切った赤髪が視界を急に鮮やかにした。それに負けない人懐こい笑みを見せ、人の子どもは手を伸ばす。
「握手!」
 人間は、広げた穴の下枠に膝をかけて乗り出したまま手を振った。
「ほら! 手ぇ出せって」
 何度も強く催促する。カリアラは逃げかけた体を戻し、警戒しつつも好奇心の見える顔で、ゆっくりと手を差し出した。小さな手がしっかりとそれを掴む。人間の子がぶんぶんと勢いよく振りながら満面の笑顔となるので、カリアラもつられて同じ顔をする。
「お前人型細工? あれだろほら、こないだサフィに作られたばっかだろ」
 にこにこと笑いながら尋ねられる。
「おう。このまえ作ってもらった」
 同じように笑い顔を作りつつ、カリアラは素直に答えた。
「あはははそうかー。やー良かった良かった丁度いいや」
「そうか。よかったか」
 あははと一緒に笑いだすと、繋がった手にやたら力を込められて、少し痛いと思った瞬間。
「じゃ、お前ヒトジチな」
 という言葉と共に、いきなり腕を引っ張られた。
「!?」
 カリアラは勢い余って霧にぶつかり、術によってぐりんと返され体をひねって力が抜けた、ところを思い切り引き寄せられて、上半身を向こう側に引っ張りだされる。新鮮な空気が体に入り涼しいと思った瞬間、すぼまる霧に下半身も押し出されて外側の地面に着地。むせ返るほどの土や草の匂いと味と、体を擦った痛みが一気に頭を占めた。混乱のために今の体をすっかり忘れ、魚のつもりでバタバタ跳ねて暴れていると首の後ろを強く踏まれる。
「一本釣りィイ!!」
 勝ち誇ったような声がやけに大きく耳に響き、高性能の聴覚が災いして混乱は増すばかり。カリアラは踏まれたそこをエラだと思い、動けないと錯覚して止まってしまった。抵抗することができず、大人しくうつ伏せとなったまま時々びくりと痙攣するだけ。そんな彼を踏みつけたまま、人間はさらに大きく家の方に向けて叫ぶ。
「ばーかサフィー! でてこーい!!」
 家の奥から駆ける音が雪崩のように近づいて、着くと同時、勢いよく裏口が開かれた。
「ピィス!」
 サフィギシルが呼吸を乱して立っている。腹立ちと困惑を混ぜこぜにした表情で、薄れた霧の向こうを見つめて苛立ちに舌打ちをする。
「何捕まってんだよ魚……」
 彼が指を振ると霧に消えかけていた小さな穴は扉のように広がった。それによってサフィギシルの目にあらわとなるのは、釣り上げられたカリアラが情けなくも倒れる姿。
「カリアラさん!」
 遅れてきたシラが叫んだ。ピィスと呼ばれた赤い髪の人間は、狭い戸口で立ち往生する二人を見てにやりと笑うとカリアラの背に袋を放る。小さなそれの感触に、カリアラは訳もわからずぴくりと動いた。彼は何が乗ったのかを見ようとするが、上げかけた頭はピィスに掴まれて湿った地面に押しつけられる。ピィスはそのままカリアラの背に座りこんだ。
 カリアラにしか聞き取れないほど小さな声で、悪ィ、と謝罪の言葉。
 その直後にうって変わって芝居めいた低い声。
「お前の新作は預かった。返して欲しけりゃオレを家に入れるか、お前が出てこい」
「誰が!」
 サフィギシルは忌々しげに吐き捨てるが、ピィスはどこか楽しそうににまりと笑う。
「お? いいのかなぁいいのかなぁ。言っちゃうぞー、お前がやらかした数々の恥ずかし〜い失敗談」
 ぐっ、と詰まる音がした。彼はシラをちらりと見たが、彼女の意識は動かないカリアラにのみ向いている。
「例えば去年の冬」
「うわー言うなー!!」
「じゃあ“タグ”よこせ。それかいっそ今すぐここまで出てくりゃどうだ? 簡単だろ、オレ捕まえることぐらい」
 サフィギシルは言葉を詰まらせたまま動かない。あと一歩踏み出せばいいだけだというのに、家の外に出ようとしない。
「どうするんですかっ。何とかして下さい!」
「いや何とかって言ったって……」
 シラにせがまれてまごつくが、サフィギシルは立ちつくしたまま視線をあちこち動かすばかり。しびれを切らしたシラが勢いよく飛び出した。
「じゃあ私が行きます!」
「だっ、駄目だ!」
 サフィギシルはとっさに彼女にしがみつき、家の中へと連れ戻す。じたばたと暴れる彼女の手足に苦戦しながら無理やりに奥へと押し込んだ。抵抗はすぐに止んだが機嫌はかなり損なわれ、睨まれてうろたえてサフィギシルは情けない顔になる。
「へ、バーカバーカ意気地なしー。お坊ちゃまはお外が怖くて大変でちゅねー、ってか」
 からかいながらピィスは袋をひっくり返す。紫色の細かい粉が、煙るように散らばった。
「『浮け』」
 静かな言葉を皮切りに、煙の幕のあちこちで無音の小さな破裂が起こる。その後に残るのは、薄紫の泡のような奇妙な物体。それはだんだんと量を増し、雲のようにカリアラとピィスを包んだ。
「じゃ、コイツは預かっていく。色々とお前に不利な情報を叩き込んでやーるかーらなー」
 歌うようにからかい締めてカリアラの背から降り、かはははは、と笑いながら指を弾く。響いたのはカッという不自然な音、輝いたのは紫の雲。眩しさに皆が目をつむる中で、それはゆっくりと浮かび上がった。カリアラも、雲に埋もれた上半身を引かれるようにその体を浮かされる。つま先が地面を去り、混乱して魚のごとく暴れている彼の背に手をやって、ピィスは
「ごきげんよう」
 と不似合いな別れの言葉をサフィギシルに投げると
「よっしゃあ撤収ッ!!」
 と明るく叫んで逃げ出した。
 引っ張られて浮き沈みするカリアラが、石や地面にぶつかる音を霧の中に響かせて。


 ピィスは薄ぼんやりと漂っている白い霧の中を行く。混乱しているカリアラを引っ張りながら駆けていると、霧は予告もなく晴れた。それを境に背後から投げられていたサフィギシルの声も消える。ピィスはそこで足を止め、もう一度指を弾いた。響いたのはまっとうな指の音。続いたのはカリアラが土に落ちる音。紫雲は自ら溶けるように滲みながら消えていった。
 鮮明になった視界に吹きだした風、ざわめく周囲の木々の音。霧の中では隠されていたそれらの物が、確かな形を二人に伝える。カリアラがそれに気づいて、ぽかんと辺りを見回した。だがどこにも家など見当たらない。まん丸く見開いた目で探しても、広がるのは放置された草むらと遠くからそれを囲む林だけ。
「シラ!?」
「大丈夫、中にいる」
 だが彼女の気配は跡形もなく消えていた。サフィギシルの匂いもない。
「見えないだけだ、隠されただけ。ちゃんと後で帰してやるよ」
「お前、誰だ?」
 見上げると、まだ小さな人間は人懐こい笑顔を見せる。優しいシラのものとは違う、感情を直に伝えてくる顔。
「ピィスレーン。ピィスでいいよ。お前は? なんだっけ、ピラニアだよな?」
「そうだ。カリアラだ。でも人間になったんだ」
 ピィスはカリアラの全身をくまなく見て、喉の奥で小さく唸る。不可解そうに眉を寄せたが、あっさりとそれをやめた。腕を組むしぐさはまるで大人のようだが、ピィスの背丈や体格は明らかに小さい。だがそれを感じさせない明るさが強い存在感を与えていた。カリアラはピィスから目を離すことができず、口を閉じることも忘れた。
「……なに見てんの。人間が珍しいのか? ほら、そろそろ行くぞ。準備するから待ってろ」
 そう言って向かった先には、木製の荷車が寂しげに放置されている。深さのあるそれを返すと、重そうな袋がいくつも転がった。匂いからして食料だ。ピィスはそれらをぞんざいに積み寄せて、空になった荷車を引いてくる。
「どこに行くんだ?」
「オレんち。ちょっと遠いから乗ってくぞ。まだ歩くのつらいだろ」
 つらくはないと言おうとしたが、その言葉をさえぎって、ピィスは積んだ山の中から気配の違う別の袋を取り出した。手を入れ、かちゃかちゃと音を立てて探っていたが、一つ抜くと残りはまた袋ごと山に戻す。片手に収まるほどのそれは、透明な筒だった。中に小さな光が一つ頼りげなく浮遊している。
 何故か、そこから動物の気配がしてカリアラは鼻を使う。濃い生き物の命の匂い。
「ちょっとよけてろ」
 ピィスは筒のふたを開けながら荷車の周りに場所を空けた。ふたが開くと煙が細く立ち昇る。ピィスはその口をすぐさま手のひらでふさいだ。筒が、かすかに震えだす。まるで中に何かがいるかのように、不規則に揺れ動く。緊張感をはらんだ空気がその場へと降りてきた。立ち込める妙な気配に包まれつつも、ピィスはにやりと笑みを見せる。
「これ、見たことないだろー。びっくりすんなよ」
 その顔に緊張はない。カリアラをからかうように筒をゆっくり振った後、張りのある声で言う。
「ジュナの路ニナの川、ザわみまたってサノの宵のアケの向こう」
 筒の震えがぴたりと止まる。言葉に呼応するように、中の光が収縮しだす。
「突き当たってヨグの路、ニシバを越えて舞姫の裾を飛び、ここに辿り着きたまえ」
 光がふくらみ、筒の輪郭が見えないほどに輝きはじめた。空気が鳴る。風も何もをせき止めて、ただピィスの声に揺れる。小さな術者を囲むように地に砂煙が円を描く。唸る空気に負けないほどに、力を伴にピィスは声を張り上げた。
「いざやいざや命のかけら、眠れる馬魂この力もて、再び意志をトクあらわせ!」
 光が、爆ぜた。筒の壊れる鋭い音も消えるほどに、空間自体が唸っている。その唸りの全ての元は、現れた茶色のもや。景色を濁すその固まりは、振り上げられたピィスの右手に掴まれて集まって、手のひらからあふれつつ暴れながらも収まっている。
 ピィスは左手で車を掴んで叫ぶ。
「『目覚めよ』!!」
 そして言葉と同時にもやをそこへ叩きつけた。
 ガリガリガリ、と抵抗するような音、それはとぷんと風に溶けて、残ったのは大量の灰煙と鼻につく焦げた匂い、水が蒸発するような音。いななきがそれを消す。煙の中で立ち上がる大きな影。それは限界まで木が擦れる音を立て、苦しそうに体を地面に叩きつけた。響く音は木のものだ。だが暴れているのは、動物。
「どうどう……だっけな。オレ馬扱えないんだけどさ」
 風が吹いて煙が消える。もう術が起こす緊張感は消えていて、残ったのは腰に手を当て見下ろすピィスと見下ろされるその『作品』。
 半分ほどが馬になった、木製の荷車だった。
「……なんだその目」
 凝視するカリアラの表情に、ピィスはいかにも不満そうだ。変化した荷車の持ち手は上を向き、端が割れて口のようになっている。実際そこから木気めいたいななきがギイギイと漏れていた。車軸に繋がる部分は長く伸びて足となる。荷積みの場所は背となるが、ぐにゃりとたわんだ箱の形のままだった。簡単に言ってしまえば、馬の胴を箱型にしたようなものがそこにある。
「へんだ」
「いーんだよこんなもんで! 合体したんだよ合体!」
 木製の荷車はみるみる茶色に変化して、その表面は動物のように毛羽立った。本物の馬には程遠い見かけだが、幾らかは近づいたようだ。落ち着いたのか、それとも諦めただけなのか。大人しくなった馬荷車の背を持って、ピィスは背後のカリアラをうながした。
「ほら、乗るぞ!」
「の、乗れるのかこれ」
 カリアラは本能的に怯えている。心配そうにピィスを見ると、やけに自信にあふれた笑顔。
「あったり前だろー。魔術技師の『作品』に不可能はありませーん」
 カリアラは振り返って家を探すがやはり影も見当たらない。目を戻すと奇妙な車と笑う人間。どうしていいかわからない顔には、それでも確かな希望が透けてあらわれている。
「外、行くのか?」
「何言ってんだよ、ここも外だろ?」
 ピィスは先に背に乗り込む。馬荷車はその体を揺すったが、辛抱強く止まっている。
「人間のいる外に行くか?」
 咳き込むように尋ねると、ピィスは不可解そうに首を傾げた。カリアラは少ない言葉を必死に集め、なんとか意味をまとめて喋る。
「人間が、お前の他に、いっぱいいるところ。そこに行くのか?」
「街のことか? いや、山側通るし行かないけど。行く意味ないだろ」
 ほら、と急かされるが、カリアラは食い下がる。
「お前のとこは、人間がいないのか?」
「いることはいるけどさー……親父とか。人数的にはオレ入れて二人だけで、いっぱいってほどじゃないしなー」
 なー、と伸ばしながら何かに気がつき、ピィスはさっと身を引いた。
「まさかお前、腹減ってていっぱい喰おうと思ってるんじゃ……!」
 うわあああ、と元ピラニアの彼から離れるように、積み場の隅に退避する。カリアラはその行動の意味が取れず、不可解そうな表情で首をかしげた。先ほどピィスがしたのと同じように。
「腹はまだ減ってないし、おれ人間食べないぞ」
「でもピラニアって人喰いって呼ばれてるじゃねーか。牛とか喰うんだろ牛とか」
「牛は旨いな」
 ヒュー、と息を吸う音がした。声もなく怯えているピィスに向かい、カリアラは無表情のままに手を振る。
「喰わない。人間は喰わない」
 顔をぴくりとも動かさずに、ぶんぶんぶんぶん空気が鳴るほど手を振る姿は色んな意味で恐ろしい。
「ほ、本当に?」
「うん。まだ三回ぐらいしか」
「喰ってるー!!」
 表情を引きつらせてピィスは彼に負けないぐらいぶんぶんと首を振った。カリアラは手を止めたが相変わらずの表情のないままで言う。
「大丈夫。おれもう人間だから喰わない」
 ピィスは疑うようにその顔を見つめていたが、諦めたようにため息をつくと手招いた。
「乗れよ。……そうだな、もう共食いになっちゃうもんな」
「おう。それにおれ、喰うんなら魚の方が好きだ」
 それはともぐいではないのでしょうか。と言いた気な顔をしてもカリアラに通じるわけがない。不安と緊張を一方に残したまま、人間と元ピラニアは狭い荷台に収まった。
「エッライ奴捕まえちゃったなー……」
 ぽん、と馬の首を軽く叩くと、持ち手だった部分がギリギリといなないて体を震わす。揺れる居場所にそれぞれが枠を掴み安定を求めた後で、
「よし、出発!」
 とピィスがほのかな光を放ち、魔力を補助して走らせた。予想以上に大きな揺れで、荷台の中はちょっとした騒動になっていたが、馬荷車は気にもせずに一本きりの道を行く。
 蹄のような木のような、奇妙な音が足早に去っていく。
 残されたのは、静かな空き地に積み上げられた食料の袋だけ。

 奥の林でざ、と小さな音がしたが、それは風に紛れて消えた。

※ ※ ※

「人間だ!」
「いやだからお前もだろって」
 走り出してまだあまり経っていない。だが山道の揺れは酷く、座れば痛いし腰を上げればつんのめって頭から落ちそうになる。その上、農作業に励んでいる人間を見つける度にカリアラが騒ぐので、狭い荷台の居心地はとてつもなく悪かった。
「なんでそんなに人間好きー」
 ピィスは早くも疲れが声に出ているというのに、カリアラは気にもせずきょろきょろと辺りを見回すばかり。
「あ、またいた!」
 声が聞こえて畑の中にいた人が、にっこりと会釈する。カリアラもそれを真似て、ぎこちなく会釈した。だがすぐに走り抜けてしまい、返すべき相手は既に遠く後方だ。
「よし、次はやるぞ」
「……言っとくけどな、そろそろ畑終わるから」
 ここを抜ければ後はただの山道が続くだけ。だがその代わりに大きく見えるものがある。それを見たらこの人型はどう思うかと、ピィスはカリアラの反応を期待しながら待った左右の木々がなくなって、下方が開けて広がる景色が見える場所……。
 それはすぐに訪れた。
 カリアラが静かになる。息の音がぴたりとやんだ。ピィスは呼吸がなくても平気な体なのだと改めて彼の体の仕組みを感じる。笑いながら指をさし、目を丸く口をぽかんと開けたまま景色を見下ろしているカリアラに教えた。
「あれが街。アーレルだ」
 ピィスは自分の顔にも声にも満面に得意が広がっていくのがわかるが止めはしない。
「あのちっちゃい中、ぜーんぶに人がいるんだ。すげぇだろ」
 谷を大きなスコップで海に向けて削ったような、盆地に似た広い土地。平らな場所から山岳の近くまで、隙間もまばらに建物や道が詰まっている。この繁栄の街は大陸で一・二を争うその規模をもち、住民たちは自らの住む場所をみなことごとく誇りにしていた。街外れに住むピィスでもつい得意になってしまう。
「あれ、全部?」
 呆然とした声が、開きっぱなしの口からもれる。全部人間なのか、とカリアラは同じ調子で問いかけた。ピィスは彼の驚きがおかしくてしかたがない。
「そうだ、全部だ。もうすっげぇいるぞ。お前の大好きな人間が」
「全部か!? 全部! すげぇ!!」
 どうしていいのか解らないのか、カリアラはそわそわと落ち着きなく身を揺らした。
「おーおー良かったなー。でも喰うなよー」
「喰わない喰わない! すげえな人間って!!」
 カリアラは興奮してばんばんと馬の背を叩く。ばんばんと。ばんばんと。
「げ、ちょっとやめ……」
 止める間もなく変化は起きた。馬がそれに怒ったのか驚いたのか、急激に足を速めたのだ。ピィスもカリアラも勢いよく後方に流される。二人揃って荷台へと慌ててしがみついた途端、とても嫌な音がした。ばり、板の剥がれる音だ。それがきっかけになったのか、あちらこちらでめりだのミシだのこれまた嫌な響きがする。馬荷車はそれぞれが口々に限界を訴えていく。
「やべっ、頑張ってくれもうちょいだ!」
 カリアラはおろおろとするばかりで役に立たない。ピィスは細かく魔力を揃え、調整するが本体を包む力の皮膜に穴が開いた。動力である魔力が吹き出はじめる。
「ちょ、ちょっとだけ我慢しろ! 頑張れ、あと少しで着くんだから!!」
 不安なのか、小刻みにぴくぴくと動くカリアラに苛立ちながら馬を励ますと、ようやくそこで気がついた。それと同時に馬の足は角を曲がり、小ぢんまりした赤い屋根が目に飛び込む。見間違えるはずもない、それはピィスにとっての我が家だ。
 庭先で水を撒く実父の姿も目に入り、ピィスは思わず大きく叫んだ。
「親父ーっ! とーめーてーくーれー!!」
 特技でもある大声に、カリアラが硬直して大人しくなる。父親が顔をあげて、驚いて家の中に飛び込んだのがはっきりと見えたのは、もうかなり近づいてしまった証拠。父は作り直したばかりの杖を持って、家から飛び出してきた。だが何か呪文を唱えようとその口を開いたようすは、残念ながら、至近距離で目にすることになってしまう。
 庭先に、崩壊音と悲鳴が轟いた。


「やー、そういえば止めて降りればよかったんだよな、もう近くまで来てたんだし」
 ごちゃ混ぜになった板と車輪とカリアラと、そして倒れた父の山から這い降りてピィスが言うと、実父であり同居者でもあるペシフィロは、泣きそうなしぐさでうな垂れた。束ねていた緑色の髪が荒れて惨めさを増している。
「だから、私が行くと言ったのに……」
 ため息をつきながら、カリアラの頭に乗った車輪をのける。元ピラニアの人型細工は丈夫なのか無傷だが、また意識が飛んだようで、水揚げされた魚のようにびくびくと跳ねるだけ。
「それで、どうしてカリアラ君まで連れてきたんですか。一体何が起こったんですか」
「んー、いやー、なんかノリというかなんというか。一言で言っちゃうと、ちょーっときっついものがあるんだけどさ、聞く? 聞いてみる??」
「もう今更何を聞いても平気です。言ってみなさい、今度は一体何をしたんですか」
 父親らしく顔をしかめて尋ねるが、ピィスは悪びれもせずあっさりと白状する。
「誘拐してきちゃった」
 あくまでも軽い答えを聞いて、父の顔はあっという間に引きつった。


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第1話「やたら陽気な誘拐犯」