第47戦「すみませんでした」
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 泣きわめく二人を眺めながら、ルパートは呆然と口を開く。
「術が、不完全だった……?」
 記憶を消されていたはずの圭一は、あきらの名を呼びながら彼女を抱きしめている。信じられない状態に、部屋を閉じていたルパートの手はゆるんだが彼女はそれに気づかない。
 開いてしまった隙間から、一人の男が現れたのにも。
 ヤズトゥールはルパートと同じ顔で号泣する二人を見た。
 呆然と、呟いた。
「ツタハ」

※ ※ ※

 もう俺の頭の中はいろんな想いでぐっちゃぐちゃになっていて、鍋で煮込みすぎたみたいに熱くて熱くてろくに動いてくれなくて、それでもこの腕の中にあきらがいて、俺の背を抱きしめていてそれだけでもう限界で。俺は涙がミサイルみたいに飛び出すのを感じながら、わあわあと叫んでいた。
「あ、あきらっ、あきらああ」
「けいいちいいい、けいいちいい」
 もう本当馬鹿みたいというか馬鹿以外の何者でもないんだけどそれ以外に何もできなくて、俺も、あきらも、泣くことと呼ぶことと抱きしめることの三つだけでこの時間を生きていた。あきら。あきら。あきら。あきら。あきら。あきら。もう頭どころか体中それでいっぱいで、理屈なんて全然なくて、俺はあきらを呼んでいてあきらは俺を呼んでくれてそれが何より嬉しくて、嬉しすぎて死にそうで。
「あきらあああ」
「けいいちいいいい」
 言ってみてまた泣き崩れる。しばらくしてまた呼んで、同じことを繰り返す。
 もう腕も手のひらも鬱血してしびれていて、それぞれの腹だとか背中まで痛いぐらいだってのに、狭い呼吸であえぎながら酸欠になるほど名前を呼んだ。大切なひとの名前を。絶対に何があっても離したくないこの世でひとりきりのひとを。
「け、けいいち、けいいち」
「な、なんだ?」
 はあはあと息を荒げながら溺れるようにあきらが問う。
「じんましん、出てないか? だ、だいじょうぶ?」
 俺はわからない顔のあきらを見つめて言った。
「ばっか、んなもん出るわけねぇだろーが。俺はお前が好きなんだから!」
 驚いて見開いたあきらの顔が、みるみると赤くなっていく。一生懸命に動いていた口が急に止まるのを見て俺はいてもたってもいられなくて、ふらつくあきらの両肩を掴むと噛みつくようにくちづけた。一回。二回。それだけじゃ止まらなくなってどんどんと加速して、勢いのまま舌を入れる。あきらが変な声を出してふがふがと暴れているが止められなくて、がっしりと掴んだまま鼻息荒く進めたところで、後頭部に衝撃が走った。
 俺の体は勢いよく前方にスライディングする。後から染みてきた痛みは、靴底の感触だった。
「うちの盟主に何さらしやがりますかこのコンチキチェリー。祇園祭にぶちこみますよ」
 くらくらと揺らぐ頭を上げると、殺意をだだ漏れにしたルパートが俺を見下ろしている。やべえマジで殺される。瞬間的にそう思うほど禍々しい気が漂っていた。
 それなのに、俺はルパートが前のように罵倒をしてくれたのが嬉しくて、ルパートおおとか叫びながら飛びついたら、今度はものすごい威力の蹴りが腹に飛んだ。
「調子に乗ると骨の髄まで微塵にしますよこの変態チキン」
「ご、ごめんなさい……調子に乗りすぎました……」
 正座をしてしまったのは、これはもう不可抗力だ。しょんぼりとうなだれる俺の前で、ルパートはあきらをぎゅうっと抱きしめて全身を撫で回している。
「ああ、なんてこと。大丈夫ですよ、犬に噛まれたと思ってやりすごしてくださいね」
 あんまりなことを言い放ち、ルパートは抱き寄せたあきらにちゅっと軽くくちづけた。
「ハイ消毒」
「あーっ!?」
 俺が批難を叫んでも、ルパートは涼しい顔でいけしゃあしゃあと舌を見せる。あきらといえば、いきなりの総攻撃にパニックになっているのだろう。限界まで熱くゆだった顔をくらりくらりと揺らがせて、倒れそうになっている。その姿がとてつもなくかわいくてしかたがない俺はもう病気だろうか。
「とりあえず、そろそろ我に返ってくれませんか。後がつかえているもので」
「後?」
 ルパートが体をずらす。俺は心臓が凍りつくのを感じた。ヤズトゥールが俺たちを見下ろしている。他に兵が入ってきている様子はないが、このままでは。
 俺はあきらとルパートを背に庇う。あきらが俺の服を握ってヤズトゥールをうかがった。相手は硬い表情をぴくりとも動かさない。泣きそうな声が後ろで漏れた。
「やだ」
 あきらは、俺をしっかりと掴まえて言う。
「圭一と離れるのはいやなのだ。我は死にたくないし、ルパートも殺させない。絶対に、いやだ」
 もう一方の手でルパートの手を握り、あきらはヤズトゥールを見つめる。睨むわけではない。ただ潤んだ目で懇願する。自分よりもずっとちいさな女の子を前にして、ヤズトゥールはうろたえて俺を見た。
「……どうすればいいのですか」
 まるで聖者に縋る視線。神託を否定した男が、往く道を失って勇者に問いかけている。
 俺は静かな気持ちで言った。
「一緒に、考えよう」



 こんな土壇場でなんて間抜けなことをしてるんだろうと思いながら、俺たちは輪になってしゃがみこんで作戦会議を始めた。封印の壁一枚奥では、勇者を神のごとくに扱う兵士たちが待っている。俺と、その部下であるヤズトゥールと、元魔王とその部下は四人で一緒に考えた。拾ってきた棒きれで床に図なんて書きながら、大真面目に話を進めた。
「……本当に、これで大丈夫なんですか?」
 結論はルパートが不安がるのももっともな出来で、俺としてもこれイケるのかオッケーなのかと頭がぐるぐるしてきたが、まああきらの手を握ってみたらとても暖かかったので大丈夫な気がしてきた。あきらも同じ気持ちのようで、俺を見て少し照れくさそうに笑う。
「じゃあ、行くか。ルパート、準備頼むな」
「はいはい。ヤズトゥール様、いざという時は警護をよろしくお願いします」
「わかった。魔王……いや」
 言いかけて、ヤズトゥールは首を振る。
「あきら殿、勇者様をよろしくお願いします」
「了解なのだ!」
 俺としては勇者呼ばわりもやめてくれよと思ったが、元気いっぱいのあきらの笑顔にヤズトゥールが頬をほころばせたので、とりあえずはよしとする。まあ、そういうのはこれからちょくちょく注意していけばいいか。
 ルパートが、教会から盗んでいた宝玉を手に入り口に待機する。ヤズトゥールもまた彼女が暴挙に晒されないよう傍に立った。俺はあきらと手を繋ぎ、一歩ずつ封印の壁に並ぶ。ルパートが術を解くと、扉のない入り口がぽっかりと穴を見せた。
 その向こう側には、勇者の帰りを待ち構える兵士たちが集まっている。
 彼らは俺の無事を見て歓声を上げかけたが、あきらに気づいてそれを止めた。
 俺たちは繋いだ手に力をこめる。観衆と化した兵士たちは不可解に目を丸くしている。
 ひとつ、深呼吸をして俺は大きな声で言った。
「あきら、大好きだー!!」
「我もなのだ、圭一っ、大好きだー!!」
 ぎゅう、と互いに抱きしめて背中を叩く。水を打ったように静まる部屋に、俺たちの声だけが馬鹿みたいな音で響く。
「なんだろうなこの気持ち。最初はムカついてムカついてしょうがなかったのに、今じゃもうお前がいないと生きていけないんだ。ああ、本当に大好きだ。好きすぎてどうにかしてしまいそうだ」
「なるほど! だから我のことを殺そうとしたのかっ」
「そうだとも! ごめんな、なにしろ初恋だったから状況が把握できなくて。この胸の苦しみも腹に響く切なさも、夜眠れなかったりお前が男と喋ってるだけでムカムカするのも全部お前のせいだと考えた。だから、お前のことを殺さなければどうにもならないと勘違いして……」
「けい、じゃなくて勇者……」
「こんなにも可愛くて可愛くて人をめろめろにさせる生き物は、戒律を乱す悪の象徴に違いないと考えたんだ。だってほら見てみろよこの小動物っぷり! かわいいだろう!?」
 みんなに向けてあきらのぶりっこポーズを見せるが、観客は息すら忘れてあ然としている。いかん、やはり年齢が幼すぎたか。ええと、ええとそれじゃあ。
「ルパ、エミールなんてすっげえ美人だもんなあ! そりゃ誘惑する悪の手下だと考えてもおかしくないよなあ!」
 いきなり話を振られてルパートがぎょっとする。だが俺がフォローする前に部屋の奥で手が挙がった。
「その通りだ!」
 力強い挙手は全身を伸ばしてまで同意を示している。
 今まで黙り込んでいたツタハは、何かがふっ切れた顔で主張した。
「あまりにも美しすぎるそれは罪だ! だが悪意はないのです、ただ美しすぎるのがいけないのです! エミール、今までずっと隠してきたが、私は、私はお前を愛している! 愛しているんだ!!」
 いや、それみんな知ってるから。二回言わなくてもいいから。
 なんだお前、まだ誰にも知られてないと思ってたのか。少年時代じゃあるまいし、なんて間抜けなやつなんだ。
 でもまあ、そのおかげで俺の記憶の消去を不完全にしてくれたらしいし、ここはひとついい思いをさせてやるべきだろう。俺はにやりと笑っていた。
「ツタハ! 種族の差なんて関係ないよなあ!!」
「そうです勇者様! 愛はどこまでも愛なのです!!」
「たとえ相手が魔獣でも、気持ちさえ通じ合えば愛しあうことができる。それは今俺と魔王のラブラブっぷりを見て証明できたことだろう。これでもまだ信じられないというのなら、もう一組の愛を見てみろ!」
「エミィルウウウウ!! 好きだああああ!!」
 ルパートの顔面は引きつりに引きつって、もはや大変に混雑している。俺はにやにやとその肩を叩いた。ほらほらほら、もう後には引けないぞ。アルタ前のモニターで告白されるのと同じぐらいのプレッシャーに違いない。砂を噛んだような顔に「証明しなきゃ」と囁くと、末代まで祟られそうな怨念を向けて奴は大きな息を吐く。
「わたくしも……」
 無理に、美しい笑顔を作って答えた。
「わたくしも、好き、です」
 ツタハは卒倒しかねない勢いで相好を崩し、雄たけびにも似た歓声を上げた。
 だがそれに次々と声が被さる。
「嘘だ、今のは言わされたんだ!」
「卑怯じゃないですか勇者様! そんなことが許されるはずがない!」
「こんな茶番で我々が騙されるとでも思ってるんですか!!」
 全員が怒りの熱に燃え上がる。うわやべえ、どうしよう。ちょっと調子に乗りすぎたのか。それとも最初から無理な話だったのか? あきらが俺の手をぎゅっと握る。俺も強く握り返す。ヤズトゥールが皆を鎮めようとしたが、その口は続く台詞に固まった。
「俺も聖女様が好きです!」
「俺も!」
「俺もです! こんな形で無理にツタハ様に渡すなんてとんでもない! 許されるのであれば俺たちにも機会を!!」
「そうだそうだ!」
 皆はまるでアイドルの親衛隊のごとく口々に騒ぎ、拳を振り上げる。会場は突然の引退宣言に批難の怒号に包まれました。とかそんな説明をしても伝わるぐらいに熱い空気になっている。……なんだこの集団。聖女様ファンクラブか?
 ルパートは笑った。さっきまでの苦みもどこへやら、大変に清々しい表情で大衆に手を広げる。
「みなさん、わたくしはみなさんのものです」
 いやお前何言ってんの。なんで皆もわあわあ盛り上がってんの。
「でもいつかは本当の愛をみつけて、誰かの腕に抱かれる日が来るかもしれない……そしてその殿方は、きっと魔獣に偏見を抱かない、みなさんのような素晴らしい人なのでしょう」
 そうだそうだと皆が言う。俺だという声もたくさん。ルパートは誰もがみとれる最高の笑顔で告げた。
「いつか出逢えるその日まで、わたくしは運命の方を探し続けます。みなさん、協力してください!」
「はい!!」
 なんでそんないい返事!?
 おいおい、みんな本当にこんな女でいいのか? 最悪だぞ? 異常なまでに性格も口も悪いぞ? ああ、なんかもう頭痛くなってきた。だが俺の困惑をよそに、あきらは自慢げに胸を張る。
「ルパートはかわいいのだ。我の大事な部下なのだ! みんな、ルパートをよろしくなのだ!」
「はい!!」
 だからなんでそんないい返事!?
「まあとにかく!」
 なんだかもうわけがわかんなくなってるし、ルパートが用意する術もそろそろ発動間近なので、俺は改めて声を張る。その場の皆が「あ、いたのか」という顔で俺を見た。おいコラてめえらさっきまでは勇者様とか言ってたくせに。俺は悔しさをばねにして真剣に語りはじめる。
「みんなも実感したように、魔獣ってのは全然悪なんかじゃないんだ。ごめんな、魔王。俺がお前を好きすぎるあまりに悪者に仕立て上げた。本当は、お前はただかわいいだけで何もしないってのにな」
「ううん、いいんだ。勇者がそばにいてくれば嬉しいのだ!」
「聞いたかみんな! 俺の魔王もかわいいだろう? あまりにも俺の心を乱すから、苦しさに耐えられなくて俺はこいつを悪と定めた。でも今日再会して、俺は素直になったんだ!」
 喋りながらテンションが上がっていくのを止められない。恥ずかしいことなんてあるか。俺はずっと堪えてきたんだ。言いたくて叫びたくて仕方がないのをずっとずっと隠してきたのだ。でも。
「やっぱ無理だよ、好きなんだもん! 俺、こいつのことが好きすぎてどうしようもなくて、それでこいつも俺のことが好きだなんて、嬉しくて嬉しくて頭がおかしくなりそうなんだ!」
 本当に好きで好きでたまらないのだ。この、馬鹿で、間抜けで、とりたてて美人でもない女が。すぐに調子に乗って鬼の首をとったかのように自慢する奴が。いつも俺の部屋に潜り込んでは生活を侵食した幼なじみの魔王のことが、好きすぎて死にそうなのだ。
「我も圭一が好きなのだ! すっごくすっごく好きなのだー!!」
 ちいさな子どもがはしゃぐように、あきらがぴょんぴょんと跳ねる。ああもう、かわいいなあ! どうしてお前はそうなんだ。もうある意味で犯罪だこのやろう。どうして皆がルパートではなくあきらを選ばないのか、まったくもってわからない。まあ、選んだところでこいつは俺を選ぶけどな!
「そこの馬鹿なチェリー様、準備が整いました」
「てめー俺にも媚売れよ」
 嫌な顔をしてもルパートに効くはずがない。逆に喜ばせるばかりだろう。俺はとにかく時間が来たのであきらに目で合図する。同じ返事。頬がゆるむがそれをやめて、ひとまず真面目な顔を作る。
 俺たちは息を揃えて兵士たちに頭を下げた。
「すみませんでした!」
 繋ぐ手が暖かい。上げた顔には、満面の笑み。
 俺たちは声を揃えて叫んだ。
「俺たち、幸せになります!!」
 その瞬間、ルパートの術が発動して周囲は風に包まれる。兵士たちがどよめいた。ヤズトゥールが笑っている。声を立てて、愉快そうに。ああ、お前がそんな顔をするのは何年ぶりなんだろう。俺は少し泣きそうになりながら、それでも笑顔を止められない。
 スパイスのようなくせのある匂いがして、目の前が眩しくなって、足元が浮いたので繋ぐ手に力をこめたところで、何が起こるのかを察知した皆が驚く声がする。そうだよ、こうすることに決めたんだ。見れば、あきらは俺と同じ顔で笑っていた。どうしようもなく嬉しくて、楽しくて、俺たちはたまらず抱き合う。そして深く固まったまま、この世界から姿を消した。

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