第38戦「君は頭が悪いのか?」
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「ご指名ですかチェリーボーイ」
「てめえ……」
 開口一番に決定打を打ち込まれ、俺は思わず頭を抱えた。銀髪の美女……の、姿を取ったルパートは、中身を知ってもなお見とれかけてしまう顔立ちを微動だにせず立っている。この無表情はどちらかというと犬的なもので、別に澄ましているわけではないのだろうが、なんだか非常に腹立たしい。
 俺は脱力した体をソファに預けた。まだ、ついさっきまでは疑いをもっていたのだ。勘違いじゃないのかとか、チーズ云々はただの聞き間違いじゃないかとか。だって、先月までかわいらしいミニチュア・シュナウザーだった奴が、こんな銀髪美人だぞ。黙っていればクールビューティーで通る外見だぞ。ごく普通の状況ならば、頭がおかしくなったとしか思えない。
 だが俺はもはやこの女がルパートであることを確信していた。だからこそ、疑問が山のように積もって今にも脳からこぼれそうだ。あまりにも多すぎて、言うべきことがわからない。
「お前、なにやってんだよ」
「美人呪術師ですが。それ以外に何があると?」
 平然と言いきる顔を見ていると、なんだか「君は頭が悪いのか?」とでも言われた気分になる。ルパートはわざとらしいため息をついた。
「知り合ったその夜にお呼び出しとは、性欲過多も甚だしい……。若さに任せて遊ぶよりも精力を温存なさい。そして今後に備えなさい。まあ料金は頂きますが」
「誰がお前みたいな毒舌マスターを金で買うかー!」
 そもそもいくら美人とはいえ、この状況で女を買うなどとんでもない。俺はソファから身を乗り出してまで否定するが、ルパートはもたれかかったドアの前からぴくりとも動かなかった。
「事実関係がどうであろうと、世間的にはそういうことになりますよ。お忘れになりましたか? この教会本部で、夜に女を部屋に招き入れるというのは」
「……だよな。そうだけど他に手がなかっただろ」
 自然と顔が苦くなるのはしかたのないことだろう。リジィアの神に仕えるものは、原則的には男でなければいけない。そのため、教会本部は基本的には女人禁制とされている。だが百人近くの男たち全員が厳格な禁欲を貫けるはずもなく、必要な者は外部から女を呼んで愉しんでいる。俺も、まあ、確かに前の体では、何度か利用していたが……断じて! こういう癖のありすぎる奴は指名しない!
 俺がこいつを呼んだのは、それ以外に二人きりで話す手段がなかったからだ。部屋の中には一日中下僕たちが控えていたし、ヤズトゥールやツタハも暇を見てはやってくる。俺は皆が寝静まった時刻にしかひとりになることができない。一応、廊下には寝ずの番が立っているが、今だけは距離を置いてもらっている。ルパートへの伝言もその男に運んでもらった。
 寝室の隅には天蓋つきの巨大なベッドが鎮座している。俺はそれを見ないよう、力をこめて目をそらした。
「いいか。いくら今のお前が絶世の美女だとしても、俺は……」
「勇者様は早速あの女に手をつけたのかと、皆は噂をしておりますよ。まったく、満たされない欲求の矛先は専門職の方々だけにしておけばいいものを。わたくしは素人でございますよ。ああ成る程、素人童貞という称号を掲げるのが嫌でしたか。ですがモテない君にはよくあることですから胸を張って名乗りなさい」
「黙れ。とりあえず黙れ。そして俺の話を聞け」
 俺は不機嫌オーラが漂っているに違いない目でルパートを見る。いや、ここでの奴の設定に合わせると、エミールということになるだろうか。ていうかなんだその名前。もうわけがわからないので尋ねたいがルパートは口を休めない。
「おやおや、結局俺様トークですか? 自分勝手はモテない原因ナンバーワンですよ」
「変わってねえなあお前はよお!」
 本気でこいつを心配していた自分の頭を殴りたくなる。最終的には苛立ちに変わっていたとはいえ、一時期は夜も寝つけないほどこいつの身を案じていたのに。
「ったく……俺たちがどんなに心配してたかわかってんのか? あいつなんてなあ、この一ヶ月ずっと飯も喉を通らなくてみるみるとやつれてたんだぞ。町中をふらふら探して、お前の名前を何度も呼んで。本気で死んだんじゃないかって思ってるんだ」
「おやまあ、なんということを」
 ルパートはやれやれと大仰な息をついた。
「あなたたちのスーパーアイドルルパート様が、そうやすやすと死ぬわけがないでしょう」
「なんだろうこれ。なんかすげえ死にたい」
 俺はまたしても頭を抱える。なんだお前、何様だ。ふてぶてしいにも程がありすぎる。ぐったりと折った体は脱力と反感に染められていた。ない力を絞り出してうなる。
「とりあえず、なんかこう……お前を殺して俺も死にたい」
「おやおや心中ですか。まったく、モテる女はつらいものです」
「むかつくなあ。お前ホントむかつくなあ!」
 もはや怒りを通り越して爆笑したい気分だった。何もかも投げ出したくはあるが、どうしても言っておきたいことがあるので正直に口にする。
「ていうかな! お前、メスだったのかよ!」
「レイディとお呼びください。まあ生まれつきではありませんが」
 一瞬、派手派手しいニューハーフの映像が頭をよぎる。だが奴はすぐに否定した。
「我々はみな雌雄同体ですから、はっきりとした性別などないのですよ。言うなれば女でもあり男でもある。ただ、人間の体ではそうはいかないでしょう? だから、こうして人になっている間は性別を作っているのです」
「魔獣がどうして人間になれるんだ」
「そういう術を使ったからですよ。そんなこともわかりませんかこの照り焼き勇者は」
「焼いてねえよ。照ってねえよ」
 もうわけがわかんねえよ。ルパートは俺のツッコミなど歯牙にもかけず続ける。
「まあ長い道のりでしたが、研究の末にようやく人に化けることができました。以前にも言いましたが、獣の体は呪術の使用には向いていませんのでね。別の世界へ渡るどころか、覗くこともできません。だからこうして、まずは人となり、こちらの研究室に潜り込んでさらに術を学んだわけです」
「だからってなんで女に。しかも、そんな綺麗な顔で」
 認めるのも癪だが事実なのでしかたがない。それどころか、こんなにも単純な言葉でしか表現できない自分の語彙が腹立たしいとさえ思う。それほどまでにこの外見は極上なのだ。ルパートはいけしゃあしゃあと言う。
「美人に勝る武器はありません。馬鹿な男どもの集団に取り入るには、これが一番の近道だったのですよ。まあ、わたくしにもわたくしの考えがありまして。それを遂行するためならば、どのようなことでもやるとその時に誓いました」
「お前……もしかして」
 振り湧いた心配を衝撃がさえぎった。
「まあそうしてここの一員になって、今年で七年目というわけです」
「長あ!!」
 俺は思わず席を立つ。
「な、七年!? お前、……七年!? はあ!?」
「これほどのキャリアになると発言権も増えましてね。下働きの者たちの面接はすべてわたくしがしておりますし、そもそも今回の勇者様転移計画と術の概要もわたくしが作りました」
「めちゃくちゃ上層部じゃねーか! っつかお前が呼んだのよ!!」
「わたくしは頼まれてやっただけですよ。どこぞの地位ばかりで実力の伴わないツタハとかいう駄目男は、口ばかりで何もできないものでね。それなのに人のことを見下すので、まあ本当に困ったものです」
「お前は本当に何様なんだ」
 ルパート様か。ルパート様なのかオイ。
「少なくとも童貞様よりはマシな存在ですね」
「今日は下ネタばっかりか」
 犬の時でも激しいギャップにめまいがしたが、美女となるとよりいっそうえげつない。しかも、眉ひとつ動かさずに言うのだからたちが悪い。ルパートは涼しい顔をしている。
「こういう状況ですからね。わたくしなりにTPOに合わせる努力はしているのですよ」
「合わせるなそんなもの。そんな鉄仮面でよく言いきれるな。どうせなら愛想笑いでもしたらどうだ?」
「愉快でもないのに笑えませんよ。まったく、さすらいのミニマム・チェリーボーイは命じることも小規模ですか」
「“も”ってなんだよ“も”って! 何と比較してのことだ!」
 ルパートがためらいもなく口を開いたので、俺はあわてて答えをかき消す。
「ああもう何がなんだかなあ! ……ったく。なあ、七年もいたんなら知ってるだろ? なんでここがこんなに金持ちになってるのか。あと、なんで今になって俺を呼んだんだ? 魔獣が活発化してるってのは本当か? それに、あきらは……って聞けよ! 何にじり寄ってんだ!」
 身を引くと同時に叫ぶ。ルパートが俺の肩に手を置いて、そっと体を寄せたのだ。息が触れる距離に奴の顔。疲れた目に銀髪が眩しく映る。おいおい、下ネタの次は実践か!?
「いえ、足音がしているもので。お話は後にしてください。すぐに誰かがここに来ます」
 しっ、と唇に指を当てられて赤面したのは不可抗力だ。誰だって赤くなるだろ、こんなガラス細工みたいな美人! あまりにも肌が白くて輪郭が透けそうだ。触ると、ほろほろと崩れて粉と化してしまいそうな危うさに息を呑む。
 最後のとどめとして、ルパートは耳元で囁いた。
「言い忘れておりましたが、女が行為もなく寝室に入り込むのは厳罰の対象です。それなりの振りだけでもしていただけないと、わたくしは即刻牢に閉じ込められる。とりあえずポーズだけでも決めてください。はい、手はこのへんで。できるだけ抱き寄せる感じで」
 俺は言われるがままにルパートの肩に手を回し、乗り出した奴の体を俺の方へと引き寄せる……ような格好をする。うわあああ直視しろってか。こんな間近でお前を見ろってか。なんだなんだなんだドッキリか? これは何かの罰なのか? だああ顔熱い熱い熱い!
「こ、こうか? ちょ、近い。もっと離れ……」
 うわずる声は、そこで止まった。息や時間や心臓も。
 目を閉じた奴の顔は俺の影に沈んでいる。それほどまでに近くにある。
 硬直した俺の体の中で、唇だけが、震えるほどのやわらかさと奴の熱を感じていた。
「失礼いたします! 勇者様、エミ」
 突然扉が開いても、ツタハが絶句するのを聞いても俺たちは動かなかった。奴はともかく、俺は動くことができなかった。物音と側近の騒ぎようで、ツタハが崩れ落ちたのがわかる。続いたのは悲鳴にも似た批難だった。
「勇者様……! あなたは、あなたはなんということを!」
 それを聞いた瞬間、俺は飛び込んだツタハたちから今の状況がどんな風に見えているのかを知った。
 俺の手はしっかりとルパートの後頭部に添えられている。傍からではどう考えても俺がリードを取ったとしか……。慌てて離すと、ルパートは無表情のまま俺の胸に頬を寄せた。ちょ、はあ!? 何やってんだお前!!
「勇者様! 何をしておられるのですかっ」
 ヤズトゥールが怒鳴りながら乱入する。その顔は怒りに赤く染められていて、今の俺とどちらがより鮮やかか比べたくなるほどだ。え、え。なんで怒られてるんだ俺。だって、女を呼ぶことは、一応は禁じられているけれど黙認された売春で……。
「なぜ用意した女を使わない! よりによって……その女は聖女ですぞ!」
 せいじょ。言葉を漢字に変換するのに結構な時間がかかった。……聖女!?
「エミールは神に純潔を誓い教会に身を投じた者です! お忘れになりましたか! 口づけをしたということは、その者を下界に堕とすということ。つまり……!」
 ヤズトゥールは血管も切れる勢いで叫んだ。
「夫婦になるということですよ!?」
 そう。
 そうだよな、うん。
 聖女ってのは特別に、本当に何十年に一回出るか出ないかの特待生で、ものすごく頭が良くなければ認められない者のことで。それでも選出されれば、以後の人生はすべて神のためだけに生きる巫女のような立場で。
 それにキスなんてしたら、そりゃあ、責任取らなきゃいけないよな。
「嬉しゅうございます、勇者様」
 ルパートは俺の背を抱いた。そっとこちらを見上げて言う。
「わたくしエミールは、勇者様に純潔を捧げたこの瞬間から、貴方の妻となりました」
 触れれば壊れてしまいそうな、儚い顔立ち。表情を消していた目元や口がわずかに持ち上げられ、最高に、俺が二つの人生で見た中でも一番の、極悪な笑みが浮かび上がる。ルパートは死刑宣告にも似た声で告げた。
「どうぞよろしくお願いいたします、旦那様」

 憎しみで犬が殺せたらと願ったのは、生まれてはじめてのことだった。


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