第34戦「えげつないよ」
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「水谷。ちょっとそこに座りなさい」
 そう松永に机を叩かれたのは、放課後のことだった。あきらは訳もわからぬまま、素直に椅子に腰かける。がらんとした教室には、もう生徒が残っていない。あきらはグラウンドから響く部活の気配に囲まれて首をかしげた。こんな時間に松永がいることが不思議だったのだ。いつもなら、今あきらが待っている圭一のように部活動に励んでいるはず。
 頼りになるんだかならないんだかわからないがとりあえず兄貴肌。と評判の松永班長は、今までに見たこともない哀しげな顔で告げた。
「水谷……お父さんはな、お前をそんな子に育てた覚えはありません!」
「えっ、お、お父さん!?」
 驚くあきらを尻目に、松永はよよよとわざとらしい涙を拭う。
「お父さんはな、お前のことを信じていた。だがもう我慢の限界だ! そこに座りなさいこの放蕩娘!」
「えっ、すわっ? 座ってるのだ。それに信じてたのにひどいのだー!」
「信じる心はひとつとなる! それが俺たち三班の絆なんだ!」
「班長。さっぱり意味わかんない」
 遠巻きに現れたのは同じ班の谷だった。もはや松永の幼なじみ兼ツッコミとされている彼に、あきらは救世主を見る顔で問う。
「谷君、班長はどうしたのだ? 今日はなんだか変なのだ!」
「ごめんな。こいつ説教とかしたことないから。知能の限界超えてるから」
「限界を超えてもなお戦い続けるのが男の宿命!」
「てめえノリだけで喋んのやめろ。水谷、今俺が話しすっから。まぁ聞いて」
 あきらは混乱のままうなずいた。こくこくと続くそれを前に、谷は悩む顔を見せる。
「なんていうか……長谷川が最近変なのには、気づいてるか?」
 あきらはまたうなずいた。心当たりは嫌というほどにあるのだ。
「変なのだ。前は、我が待ってると怒ってたのに、最近は一緒に帰ってくれてるし。あと、携帯のメールも返信がすごく速いのだ。急ぎすぎて誤変換ばっかりなのに、それでもすぐに返してくるのだ」
「あのやろー、俺らへの返信には二時間もかけやがるくせに」
「忘れた頃に返ってくるから会話が成立しないんだぞ、水谷。俺たちはそれほどの苦渋を味わっているんだ」
「そんな……! 二人ともごめんなのだ。我が代わりに謝るのだ!」
「いいや水谷は悪くない。悪いのは、長谷川さ……」
「話がそれるから、班長は黙っててくんない?」
 松永の頭に拳を押しつけながら、谷はあきらに問いかける。
「で、他におかしいと思うところは?」
「そうだ。そんな風に最近はなんだか優しくなったのに、我を部屋に上げてくれなくなったのだ。夕方まではいいけど、夜になったらすぐに帰らせようとするのだ。そりゃ、前も嫌がってたけど、あんな風にいろんな手を使ってまで追い出そうとはしなかったのだ!」
「で、水谷はその原因が何なのか気づいてる?」
「わからないのだ……」
 しゅんとするあきらを見て、松永と谷は互いに顔を見合わせる。
「班長。やっぱお勉強が必要ですよこの子」
「そうだな。できればこの手は使いたくなかったが……水谷、男っていうのはなぁ」
 松永は真顔であきらと向かい合った。何も知らないあきらは、小動物のような瞳できょとんと松永を見上げる。満を持して開かれた松永の口は、奇妙な動きで閉じられた。あきらは続きを待つ目で彼を見つめる。松永はもごもごと唇を揺らし、気まずげに目をそらした。
「……えーと、おしべとめしべが……」
「遠!」
 谷が思わず腰を浮かす。
「松永クンちょっとそれ遠すぎますヨ!?」
「ばッかこれ責任問題だぞ! サンタクロースの正体を教えるのと同じぐらい重荷だぞ!」
「サンタさんは自衛隊なのだ」
「そう自衛隊……ってなんじゃらけー!」
「伝説のノリツッコミが出た!」
 谷も松永も全力で声を張ったところで、はあはあと息を荒げる。机に寄りかかっていた谷が、うんざりとして言った。
「……もういい全部ぶっちゃける。長谷川はなあ、隙あらばお前といちゃいちゃエロエロしたいんだ。それなのにアレルギーが邪魔をするから、ストレスが溜まりに溜まってるんだ!」
「そうだ! あといろんなものも溜まってるんだ!」
「輝かしい表情で下ネタかましてんじゃねえー!」
 胸を張る松永の頭を叩いたところで、谷はあきらの異変に気づく。
「そ、そ、そ」
「み、水谷?」
「そ、そ、そ、そ、そ……」
「水谷? おい、大丈夫か」
「そんなわけないのだー! そんな、そんなっ……ないのだー!」
 全身で否定するあきらの努力も空しく、男子二人は涼しい顔で肯定する。
「いやあるよ。すっげーある。つうか俺ら長谷川から聞いたもんなあ」
「ああ。残念ながら、この耳ではっきりと」
 あっさりと言い切られて、あきらはひゅうと息をのんだ。谷がため息をつく。
「こういうことは、俺たちが勝手に言うべきじゃないんだろうけどさ。最近の長谷川があんまりにも不憫すぎて、こっちは見てられないんだよ。昨日だってお前、おばけが怖いとかぬかしてあいつの部屋に泊まったんだろ? マイパジャマで。しかも『圭一がいればこわくないのだ』とか、こう袖を引いて指先できゅっ、とかやって上目遣いで」
「こわくないのだ、のところは語尾にハートな」
「おう。もちろん頬は赤らめて、だ」
「や、やってない!」
 とんとん拍子で進む話に、あきらは強く首を振る。
「そういうことは言ったかもしれないけど、でも、そんな風にはしなかったのだ!」
「お前にとっては日常的な動作でも、フィルターのかかった男の目にはそういう風に見えるんだよ」
「そういう愚かな妄想力が、俺たちには標準装備されてるんだ……」
「いや俺はしてねえよ。まとめんなよ」
 もはや勢いも失った谷が冷静に退ける。彼は真面目な顔で続けた。
「いいか水谷。俺はそういう趣味じゃないから、もし彼女にそんなことをされたら本気で引く。けどな、長谷川は違うんだ。奴はそういう違う世界でベッタベタなシチュエーションに弱いんだ。わかるか? 弱いイコールどういう衝動か、わかるか?」
 あきらはそろりとうなずいた。松永も首を縦に振る。
「そう。いちゃいちゃエロエロだな」
「言うなよ。あえて飛ばしたんだよ今」
 反応に疲れたのだろうか、谷はもはや目線すら動かさなかった。
「まあとにかく、普通ならそこで食われておしまいなんだけど。お前らの場合は違うだろ。アレルギーのせいで手も繋げないってのに、そんな天然ドキドキアピールをされてみろ。生殺しだぞ? 可愛さを通り越してむしろ憎むぞ? そんなえげつないことをお前は毎日してるんだ。もう少し、あいつの気持ちも考えてやれ」
 覗き込む谷の表情は、圭一のことを真剣に心配しているようだった。あきらは思わずうなずきを繰り返す。アピールをしているつもりはなかったし、彼らの言うことは間違いではないのかとも思っていたが、伝わる彼らの思いやりがあきらの首を動かしていた。
「昨日だって、お前が部屋に泊まったせいで一睡もできなかったんだ。今日のあいつの顔色見たか? あの真面目君が授業中に居眠りするぐらいなんだ。どんよりとした嫌ぁなオーラ背負ってるしさ。見てるこっちが葬式みたいになるっつの」
 また、うなずく。確かに今日の圭一は、歩みすらふらついていて見ていてはらはらしていたのだ。寝つきの良いあきらは五分もあればどこでも眠れる。だから昨夜も、自分が眠ってしまった後に、圭一がどうしていたかなんて考えもしていなかった。だが、谷の言う通りだとすると、全面的にあきらが悪いということになる。
 谷はあきらの肩を叩いた。
「アレルギーが治れば、お前らはそりゃあもうバカップルになれるだろうよ。だからさっさと医者でもなんでも通い詰めて、治療とかに専念させろ。その間は禁欲だ。いいか、わかりましたか水谷さん!」
 返事をすることができない。谷はさらに声を張る。
「水谷さん!」
「は、はいぃ」
 あきらは、ふにゃふにゃと返事をした。わかりたくもないし、納得したわけでもない。頭の中では困惑が駆け巡っている。
 谷の言うことが本当であれば、圭一は、現在あきらに悩まされている。それはあきらが何よりも望んでいたことのはずだ。迷惑をかけ、彼の居場所を占領し、あきらのことを認めさせて元勇者を苦しめる。あきらはそのために生まれ変わったはずだった。
 それなのに。
「圭一は、我のことが……」
「ああもう大好きすぎてやばいよな、あれ。もう他のもの目に入ってねぇもん」
「そうそう。ため息ばっかりついててなぁ。見てるだけで泣けてくる」
「…………」
 それなのに、どうしてこんなにすっきりとしないのだろう。
「まあ相思相愛同士? 二人三脚で苦難を乗り越えてください」
「そうだぞ水谷。できるだけ清い関係を貫きながら、二人で頑張れ!」
 目を回しそうなあきらの前で、谷と松永はそれぞれに応援の言葉を贈る。あきらは、それにどうしても答えることができなくて、ただ口をつぐんでいた。彼らが去ると、誰もいない教室で、ひとり机の上を見つめる。
 圭一は、我のことが好きかもしれない。だとしたら、我は?
 元気のない彼を思いやり、前世からの念願すら捨てようとしている自分は、一体なんなのだろう。
 あきらは首を振った。誰も見ていない場所で、ただ首を振り続けた。


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