第33戦「こわいかもしれない」
←第32戦「ふ」  目次  第34戦「え」→



 考えるだに腹立たしい話だが、あきらの家は金持ちである。具体的にどんな仕事だったかは忘れたが、両親のどちらかが社長で、またもう片方も会社の中で重要なポストについている、らしい。
 あいまいなのはあきらが多くを語らないからで、もっと細かいことを言えば、あきら自身が親の仕事を理解してないからでもある。奴の親は小さい頃からよく家を空けていて、基本的には家政婦さんが身の回りのことを見ている。俺にしても、あきらの親がどんな人だったかは覚えていないが、家政婦さんの顔ならばすぐに思い出せるほどだ。
 放任なのか、ただ忙しすぎるだけなのか。愛があるのかないのかまでは、俺には到底わからない。きっぱりと言えるのは、あきらは夜になるとあの広い家にひとりきりにされること。そしてそれが原因で、現在俺が大変な危機に陥っているということだけだ。
『けーいちぃ……お願いなのだ』
 携帯電話の向こうから泣きそうな声がする。俺は心がぐらつく音を聞きながら、必死に声を張り上げた。
「だ、め、だ! いいか何度言われても却下だからな。お前、自分の歳も忘れたのか? 十五だぞ。高校生にもなって、そんな、なあ!」
 動揺のためにうわずる音を腹に引き止めて怒鳴る。
「そんな、おばけが怖いからって人んちに泊まろうなんて、とんでもない!」
『何がいけないのだ、十五になっても我は我なのだー! ぷちぷちおばけはこわいのだー!!』
 なんだそのぷちぷちおばけって。かわいいじゃないか名前からして。俺の動揺や困惑や期待やそれと戦う理性のとっくみあいに気づきもせず、あきらは携帯を涙声に震わせる。
『圭一はぷちぷちおばけのおそろしさを知らないのだ! いいか、ぷちぷちおばけはいろんなところに詰まってるのだ。体長は五ミリくらいで、丸くて、長ーい足がいっぱいついてるのだ!』
「それは虫だ」
『ちがうのだ! いいか、よーく聞くのだ。ぷちぷちおばけはいつの間にか筆箱の中や部屋の隅にみっしりと集まってるのだ! 百匹ぐらい!』
「いやだからそりゃ虫だろうが」
 どう考えてもそれ以外にないだろうに。だがあきらは心霊番組のナレーションのように、耳元で低く囁いた。
『びっしりと集まったぷちぷちおばけは、一斉にこちらを向くのだ。するとその顔には……人間の顔がああああ!!』
「は? 顔に顔? カカオ?」
『親父ギャグじゃないのだ! 奴らは人面おばけなのだー!!』
 いやお前人面おばけって。だが冷静に想像すると、たしかに少しはこわいかもしれない。狭いところに身を寄せ合う百匹の人面虫。語り方を工夫すれば、もっと効果的に背筋を凍らせることができただろう。しかし残念ながら、あきらの喋りは稲川淳二には程遠い。まあ、奴のような怖がりには、淳二の素晴らしい語り口を研究することなどできないだろうが。
『な、こわいだろう? 最近このあたりに大量発生したらしいのだ、こわいのだー!』
「大丈夫、それは幻覚だ。もしくは何らかのトリップだ」
『いっかちゃんはトリップなんてしないのだ!』
 なるほど藤野のしわざだったか。あんのフルメイク女め、人の苦労を一体なんだと思ってやがる。俺はギリギリと歯噛みする思いでクラスメイトの藤野を呪った。あきらは呆れてしまうほどに怖い話に弱いのだ。昔から、ホラー映画や心霊番組を見た夜は必ず俺に泣きついてくる。がらんとした家の中にあきらの味方は誰もいない。おそらく、ルパートも今夜は来ていないのだろう。だからこそあいつはいつものこととして、俺の部屋に泊まりこもうとしている。
 昔の俺なら、むかつきながらもしぶしぶと泊めてやっていた。だが今は事情が違う。いくら押し入れの中とはいえ泊まりなんてとんでもない! しかも、今日は親の帰りが遅くていろんな意味で無法地帯だ。むしろ無法痴態……いやいや何考えてるんだ俺! 親父ギャグが過ぎるぞ俺!
『圭一、頼むのだー。このままじゃ眠れないのだー……』
 ばっばか、そんなしゅんとした顔が見える切ない言い方をするな。反則だ。恋のルールの反則だ。……いや何言ってんだ俺! 寒すぎるぞ俺! くそう、動揺のあまりに思考まで変になってきてるじゃないか。とにかく、どんなに動揺させても、この長電話の通話料金があきら持ちだとしても! こんな夜更けにあきらを部屋に上げるなんて、とんでもない。むしろ俺が眠れない。
『けーいちぃ……』
 だから涙ぐむなあああ!! 心臓が破れるだろうが!
 俺は泡を吹きかねない状態で、必死に頭を巡らせた。この甘えんぼうなバカ魔王を、なんとか落ち着かせる方法。奴がこの部屋に来たくないと思えるような……。
「あっ」
 俺は思わず口にした。
「そういえば、お前にはまだ言ってなかったな」
『……なにが?』
「そうだそうだ。いやー、お前が知ったら怖がるだろうからさ、言ってなかったんだけど……この部屋、出るんだよ」
 ひっ、とあきらが息を呑んだ。
 それを聞いて、顔がゆるんでいくのは仕方のないことだろうか。俺は名案とも言える策略に喜びを隠せない。だがそれでも、おどろおどろしくなるように、と声を低く落として続ける。
「そう。正真正銘の幽霊だ。しかも結構タチが悪いらしくてなぁ、今度、裏の寺の住職に来てもらおうって言ってたんだ。最近、金縛りとか多くてさ。しかも俺結構霊感とか強いらしくて、……見ちゃったんだよ。女の霊。それも、交通事故で体半分血まみれになった」
『うそなのだー!!』
「本当だって。疑うなら、明日うちの母さんに聞いてみろよ。親父と一緒に怖くてキャーキャー騒いでたから、あんまり刺激しない方がいいかもしれないけどな。……ん? どうした?」
 声がいきなり遠くなったのは、もしかして本格的に泣き始めたからだろうか。俺は慌ててあきらをなだめる。
「な、怖いだろ。お前の部屋なんかよりも、俺の部屋の方が数倍危ないんだよ」
 主に人為的な部分で。狼とかそんな感じで。
「だから、今日はおとなしくそっちの家で……」
 だがそこで通話は途切れた。残されたのは、古今東西冷ややかな音コンテストでも一・二を争う不通信号。ツー、ツー、と響くリズムに乗りきれない俺の頭は疑問に支配されている。どうして通話が切れたんだ? まさか……本当に、ぷちぷちおばけが。
 馬鹿らしいと思いながらも心配になったところで、勢いよくドアが開いた。
「悪霊退散ー!!」
 それに負けないぐらい勢いよく、白い粒がぶちまけられた。
 俺は顔面にはりつく粗塩もそのままに、呆然と腰を抜かす。そんなこちらにも構うことなく、あきらは涙を流しながら「なむあみだぶつ! 鬼は外ー!」とよくわからないことを言っている。いや、おい、あの、ええと。ここは俺の部屋で畳敷きで、そんな、塩とか撒かれちゃあ。
「圭一、大丈夫か!? 霊は!? 金縛りにはなってないか!?」
「お、おう。まあ、別の意味で固まってるけどな」
「わ、わわわわ我が来たからもう安心だ! 幽霊も来ないからな!」
「いや幽霊よりもひどいものが来ちゃったような気もするんだが」
 よく見ると、あきらは人間の限界ではというほどに青ざめている。その顔面は白なんか通り越して、どす黒く見えるほどだ。そしてやたらと震えている。まるで電動歯ブラシもかくやという勢いで。
 あきらは半分泣きじゃくりながら、塩を握りしめて言った。
「圭一、この部屋は危ないのだ。だから我の部屋に来るのだ! わ、我の部屋もこわいかもしれないけど、ここよりはましなのだ! ひ、ひとりでいるとこわいけど、ふたりなら大丈夫なのだ。だから今夜は一緒にいるのだ!」
 バカだ。間抜けだ。途方もなく頭が悪いとしか言えない。
 だが、今の俺には。
 あきらは黒々とした目に涙を浮かべ、今にも崩れそうな顔で「一緒にいてくれ」と必死に訴えかけてくる。俺は震えた。理性が砂のごとくに流れていく感覚に、こっちの方が先にどうにかなりそうだ。
 動揺を通り越した境地の中で、ぼんやりと考える。
 もしかすると、本当にこわいかもしれないのは。
(元魔王退散ー……)
 どうしようもない状況に、俺は泣きたい気分で目を閉じた。


←ふ「踏まれた猫の物語」  目次  え「えげつないよ」→

Copyright(C) 2005 Machiko Koto. All rights reserved.
第33戦「こわいかもしれない」