第30戦「真似ばかりしないでくれる?」
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 公園のベンチは嘘のように冷えていた。前回ここに来た時は夏休みの最中で、目に映るものは何もかもが眩しく照らし出されていたというのに、今となってはすべてが薄ぼけたねずみ色を被っているように見える。俺は冷えたベンチに触れ、手の中の紐を所在無くもてあそんだ。
「……落ち着いたら言ってくれ。もっと、ちゃんと話すから」
 高橋は鼻をすするばかりでうなずいてくれる気配もない。俺は彼女の目にあてられた真っ白いハンカチだとか、震える肩に目をやってどうしようもなく落ち込んだ。あきら以外の女の子を泣かせたのは、一体何年ぶりだろうか。こういう時はどうするべきか前世の記憶に頼ろうとしても、俺が欲しがるところに限ってことごとく失せている。俺は目を逸らし、遠くからまとわりつく子連れ主婦の視線を避けた。くそ、これじゃあまるで別れ話をするカップルじゃないか。高橋、俺が悪かった。だから早く泣きやんでくれ。
 高橋美加子を呼び出したのは、なにも泣かせるためではない。高橋がいまだにあきらと交流していると知り、しかもそのメールの内容から、高橋があきらを油断させて隙あらば葬ろうと企んでいるのが見て取れた。だからこうして公園まで呼び出して、いい加減にしろと若干厳しく怒鳴りつけただけなのに。……いや、少し強く言いすぎたかもしれない。うん、出会い頭に怒られては、いかにも繊細そうな高橋が泣いてしまうのも無理はない。もしかしたら高橋は裏や悪意などなく、純粋にあきらに手作りのお菓子をプレゼントしたり、家に遊びにこないかと誘っただけかもしれないし。そもそもあきらの携帯で勝手にメールを読んだのは犯罪行為でもあるしな。うん、全面的に俺が悪い。よし、今すぐ謝ろう!
「長谷川君……とうとう闇の世界に囚われてしまったのね」
 「ごめん」の「ご」まで口にしかけたところでぶっ飛んだことを言われて、俺は目の前の砂場に頭から突っ込んでいきたくなった。なんだその解釈は。おい、もしかしなくても俺があきらに洗脳だかなんだかされて、ダークゾーンに引き込まれたから怒鳴られたと思ってるのか? そしてその現状を真っ先に嘆いてるとか? ははははは、まさか、冗談だよなそんなこと。
 だが高橋は潤む目を引き締めて、真剣に俺を見る。
「敵が隣にいても正義の心を忘れずに、これまで戦ってきたのに……もしかして魔王の力が復活したの? あの子が前世のダークエナジーを取り戻して、それで長谷川君を操ってるの? ねえ、目を覚まして。あなたは光の勇者なのよ!」
「た、高橋」
「あの戦いを忘れてしまったの!? あなたは最後の力を振り絞って魔王を倒したじゃない。あなたがそちらに行ってしまえばこの世界も危うくなる。今こそ光のパワーが必要なのよ。目醒めなさい、デヴァリウス四世!」
「だから誰だっつのそれは!」
 俺は今まで言いたくて言いたくてそれでも我慢してきたことを、思いきり吐き出した。
「デイビー……何故!?」
「愛称まで設定してんじゃねーよ! 俺はそんな名前の勇者だったことなんてないし、部下ばっかりで旅の仲間もろくにいませんでした。しかも最後は圧勝で相打ちなんかじゃありません。いいか高橋、今まで遠慮してきたが今日の俺は容赦しねえぞ。どうしてだかわかるか!?」
 高橋はくるりとした目を限界まで見開いて、唇をふるわせる。
「わ、わからないわ」
「お前があきらを狙うからだ」
 俺はきっぱりと言い放った。
「闇の魔王だかなんだかと理屈をつけて、あきらを敵視するからだ。あいつはな、お前のことなんてちっとも疑っちゃいない。遊びに誘われるたびに俺に向かって『いいだろー』なんて自慢して、お土産にもらったマドレーヌを目の前で見せつけて食ってるぐらいだ。お前とは本当の友だちなんだと思ってる。だがお前は違うだろ? そうやって懐かせたあきらをいつかは葬るつもりだろう? そんなのは俺が許さねえ」
 そうだ。今までは高橋のことも「変な奴」と考えて、できるだけ近づかないようにしてきた。だがあきらを狙うとなれば話は別。以前の俺なら、わざわざ高橋に話をつけようなんて思わなかったかもしれない。だが今の俺はあきらに関するすべてに対して真剣になっていた。
 高橋はしばし呆然としていたが、目を潤ませて甲高い声で叫ぶ。
「だって……だって、長谷川君も勇者なんでしょ? あきらちゃんは魔王なんでしょ? どうしてそれがいけないの!」
「うん。そうだ」
 対する俺の心は静かだった。
「あいつは確かに前世では魔王だったよ。そいつは前世の俺が殺して、復讐をするためにわざわざ同じ世界に生まれた」
「じゃあ、どうしてかばうの。敵なんでしょ、仲間は多い方がいいじゃない」
「敵なんだけど、倒したくなくなった」
 言葉も素直に口を出た。かかとに、鋭い痛みが走るが気づかれないよう顔を作る。
「最近、前世の記憶が少しずつはっきりとしてきた。今はまだ俺自身もよくわかってない。だけど、俺は前世であいつに何か言いたかった気がする。俺はあいつを倒して、一旦は勝利に酔った。だけど、その後」
 静電気のような力が脳の奥を走りかける。だがかかとの痛みが強まって、なんとかそれを防いでくれた。俺は話を続ける。
「……その後、魔王に逢いたくなって。どうしても伝えなきゃいけないことがあるのに、あいつはもういなくて。だから俺はあいつを追ってこの世界にやってきたんだ。それだけは、はっきりしてる。具体的に何を言うべきだったのかは思い出せない。でも俺の人生で最後にあった想いが魔王への悪意じゃなかったってことは、わかる。だからそれを思い出すまでは、俺はあいつを倒そうとか考えないことにしたんだ。また同じことを繰り返すのは嫌だから」
 また、あの雨の日のような後悔を味わうのは。思い出すだけで泣きそうな想いを再び抱えるのは、せっかく二度目の人生を送っているというのに学習能力がなさすぎるだろう。俺はあの時、今度こそ失敗しないと誓ったはずだ。だから、今ここであきらへの障害を取り除く。俺が魔王を求めていた理由が判明するまでは、どんな奴であろうがあいつには手を出させない。
 俺は高橋の手を掴み、そっと胸元に当てた。まるで彼女の手刀で俺の胸を叩くように。
「あいつを倒したいなら、その前に俺をやれ。この戦いは俺がこの手で決着をつける。だからそれまであきらは誰にも渡さない」
 力強く手を握ると、見上げてくる高橋の顔が面白いほど赤く染まる。肌が白いからよくわかるんだ、と昔と同じ感想を抱きながらも、あきらにも同じように触れることができればいいのに、と場違いなことを考えた。
「どんな前世のどんな魔王だか知らないけど、お前にはお前の倒すべき敵がいるはずだ。俺たちの真似ばかりしてないで、ちゃんとそっちを捜してこい。……あいつはお前の魔王じゃない。あきらは、俺の魔王なんだ」
 強く語りかけると、高橋の目にはみるみるうちに涙が浮かび、粒となってこぼれてしまう。俺は慌てて手を離し、我が子をなだめる父親のような情けない顔になる。うう、こういうのには本当に慣れていないんだ。頼むから泣きやんでくれ!
「わ、わたしは」
 なんだ高橋、お父さんなんでも聞いちゃうぞ! といわんばかりの心境で彼女の顔を覗き込む。高橋は泣き顔を隠すようにうつむいて、真っ赤な耳をさらして喋った。
「私には、そんなひといなくて。そ、それで、昔から、長谷川君とあきらちゃんが騒いでるの、うらやましくてっ。わ、私も、仲間になりたくて……私にも、前世とか、そういうのがあればなって……」
 目が丸くなるのは仕方のないことだろうか。俺はついこの前まで、あきらと騒ぐ人生を憂鬱だとか面倒だとか、嫌なものだと考えていた。それを羨んでいる人がいたのだ。俺は不思議なものを見るしぐさで高橋の赤い耳を見る。すると突然きっと顔を上げられたので驚いてのけぞった。高橋は濡れた瞳で俺を睨む。
「それなのに、こんなにはっきりのろけられて。フラれるにしてもあんまりだよぉ……」

 え。
 待て。待て待て待て。なんだその話。のろけ? フった? って、それはあのもしかして。
「……高橋。もしかして、俺のこと……」
「今さらここで言わせる気!? もういい!」
 いやよくねえよオイ! 高橋!
 だが高橋はいつかと同じく勢いよく駆けていく。このままか、と愕然と手を伸ばしたところで、高橋は立ち止まり振り向いた。
「あきらちゃんには、これからもメールするよ。でもそれはただ楽しいからで、変な意味はないからね!」
「あ、ああ。そうか」
 ただそれしか言えないままに、高橋美加子は背を向けて一直線に去っていく。俺は突き出した手を膝におさめ、呆然と口を開けた。まるで嵐が去ったようで全身の力が抜けている。そこに喝を入れるかのような、いやに冷静な声。
『本当、ろくでもありませんなこの独り素人ホストクラブ』
 なんだその寂しい看板。俺はツッコミも口にできないまま、足元から這い出したミニチュア・シュナウザーを見る。ルパートは俺のかかとにさんざん噛み付いた口で、やれやれと息を吐いた。
『こんな男女の修羅場に無邪気かつミラクルキュートなわたくしを巻き込むとは、まったく趣味のよろしいことで』
「それは結果論だろ! 俺だってこんなことになるとは思ってなかったよ!」
 ただ高橋を説得するだけだと思っていたのだ。そのためにはあきらを肯定する台詞が必須と判断し、呪いによって頭痛や吐き気が出ないようルパートについてきてもらっていた。実際、酷い症状が出そうな時には犬の歯で正気に戻してもらえて、その点では成功と言えたのだが。
『勇者殿は女心を本ッ当にわかってない……恋愛偏差値全国最下位レベルですな』
「どこの誰調べだその統計は。はいはい、どうせ俺はだめな男ですよーだ」
 俺だって、心底自分が嫌になっているのだ。目の前の恋愛に気を取られて、高橋のことにまったく気づいていないとは。しかもあきらのことばかり正直に口にして……くそ、思い出すと恥ずかしくなってくる。赤らみだした顔で下を向くと、ふん、と犬の鼻息。
『でも、多少は格好よかったですよ』
 頭に直接響く声で認められ、つい、口許がゆるんでしまった。それを隠すためにそっぽを向く。
「……七十代のジジイ犬に誉められてもなあ」
『おや、真のヒーローとは老若男女構わず愛されるものですよ。さあもっと好まれたければわたくしをお撫でなさい。そして散歩を完遂なさい』
「はいはい。んじゃ公園一周……じゃなくて」
 子連れの主婦軍団の冷たい視線に気がついて、慌てて道路に目を向けた。
「遠回りして帰ろうか。あっちの方ぐるーっと」
『望むところです! さあ牽引なさい! わたくしを走らせなさい!』
 ルパートは散歩コースの延長に途端に声を輝かせる。隠しもしない喜びが尻尾をプロペラのごとくに振った。俺は苦笑しながら魔王の部下に繋いだ紐を、しっかりと握りしめる。いろいろとわからないことや悩みごとはあるけれど、今はとりあえず、せめて散歩ぐらいはきっちりと完遂しようとルパートと共に走り出した。

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