第25戦「イミテーションはどっち」
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 結局は、タイミングなのだと思う。
 どんなに不条理な状態でも、文句を言うタイミングを逃してしまえばいつまでも改善には向かわない。だからこそ勇気を出して、飛翔のごとく口にするのが大事なのではないだろうか。俺は本日何度目とも知れない言い聞かせを繰り返す。よし、言うぞ。言わなければ言うんだ言おう!
「なあ、ルパート」
『なんですか勇者殿』
 灰色のミニチュア・シュナウザーはこともなげに鼻を向けた。
 俺は勇者として、会心の一撃を狙う思いで奴に尋ねる。
「お前、なんで俺んちに入りびたってるんだ……?」
 ルパートは犬らしく鼻で息をして、それきり体を丸めてしまった。
 こいつが俺の部屋で暮らし始めて、もう三日になる。冷静に考えると全く意味がわからない。こいつはそもそも元魔王であるあきらの部下であり、さらには奴の家の飼い犬なのだ。ポジションから考えても完全なる敵、しかも勇者である俺に恨みがあるとすれば仇を討つべき相手である。
 それが、どうしてお気に入りの座布団に水入れにドッグフードまで持参して、一日中窓際でひなたぼっこをしているのか。俺は「犬の助」と名前まで刺繍されたピンクの座布団を見て、その上に寝転がる灰色の毛並みを見る。ひげにも似た顔の毛がふさふさと揺れて非常にかわいい。本当にかわいい。……いや騙されるな俺! これ以上魔王の仲間に惑わされるな長谷川圭一!
「というわけでここを出て行け!」
『どういうわけなのかさっぱり意味がつかめませんが、とりあえずカルシウム摂取なら煮干の類がよろしいかと。ああしかし勇者殿はチーズを食べられる方でしたね。わたくしはやはりあのようなエキセントリックな食物は苦手でして、ようするに今晩の食事は缶入りドッグフードにしていただきたいということなのですが』
「長えよ! いらねえ話ばっかじゃねーか!」
 なんだこのやろう夕食のおねだりか。買わないぞ買わないんだ、だからそんなかわいい目で俺を見るな! いやそうじゃない、俺がこいつに問わなければならないことは。
「だから、お前がどうしてこの家に居着いてるのかが知りたいんだよ俺は」
『倒置法でご質問とはさすが勇者殿、成績の数値が窺い知れます。で、うちの盟主様へのラブラブアタックですが、次はどんな作戦で行きましょうか。わたくしが思いますに、やはりアレルギーの問題をなんとかしないことにはイチャつくこともままならず……』
「黙れ。お前ちょっと黙れ。俺にちゃんと喋らせろ」
 これだから嫌なんだ。ひとたびこいつが口を開けばくだらないことがつらつら流れて止まるということを知らない。何しろ音声ではなく、脳に直接響く形で届く言葉だ。俺の頭の中は、馬鹿らしい魔獣の台詞で満タンになってしまう。俺は次に口を開けば窓から放り投げてやるぞ、と睨む視線で訴えて、ゆっくりと仕切りなおす。
「いいか、俺の質問に答えてくれ。喋れと言うまで口を開くな。よくできたら散歩に連れて行ってやる」
『本当ですか! それは公園コースですか、それとも海辺のバカップル観察コースですか』
「公園だ公園。こら、それ以上喋るな。よし、よーし……じゃあ訊くぞ……」
 現金に尾を振る犬と真剣に向かい合い、俺は疑問を口にした。
「まず、どうして俺の部屋に居座るのか。あきらの所へは帰らなくていいのか。これが一つ目。で、二つ目は……どうして、俺とあきらの仲を取り持とうとするのか。なんでまた俺の応援なんかをしてくれるのか、それが知りたい」
 言葉にするほどに不可思議なものを感じる。俺があきらへの恋心を自覚して以来、ルパートは異様なまでに積極的に、俺の恋を支持してくれる。アタックの作戦を練り上げては次々と提案する。それだけではなくあきらの喜ぶことや行動パターン、それはストーカーじゃないのかという情報まで逐一伝えてくれるのだ。俺としては喜ばしいが、ルパートの立場からすれば裏切り行為なのではないか。なにしろ、あきらは俺を……勇者を、憎んでいるのだから。
 目を閉じれば、今でも奴の台詞が血の色と共に蘇る。

 ――我はまた蘇る……新たな生にて、必ずお前に復讐してみせる……。

 あの時の俺は、自軍の圧倒的な勝利に酔いしれていた。だからこそ、何を言うかこの汚らわしい魔獣めが、と馬鹿にした眼差しで奴を見下していたのだ。それが、今では、俺は毎晩あきらのことを考えては眠れない日々を過ごしている。復讐がこういった形を意味していたとするならば、もはや完敗というしかない。そこまで考えて、俺はひやりと薄ら寒いものを感じた。
「まさか、お前、俺が恋にのた打ち回る姿を見てザマーミロとか、そういう……」
『まあそれもありますね』
 きっぱりと言った後で、ルパートは即座に毒舌を再開した。
『もう喋ってもよろしいんですよねこのパーチクリン。まったく、毎日毎日上の空で妄想に大忙し。夢見がちな男子高生ここにありと言えますなこの思春期ボーイ』
「よく次々とそんな罵倒が出てくるな室内犬」
『どうせなら愛玩ドッグとおっしゃってください。さて質問にお答えしましょうか。まず、わたくしがこの家に来ていることに問題はありません。きちんと置き手紙をしてきましたからね』
「どんな手紙だ」
『貴方の面倒を見ることに疲れました。さがさないでください』
「家出じゃねーか!」
 しかもろくでもない亭主に愛想をつかした女房みたいな。
『まあ、適度に顔を見せに戻っていますのでご心配なく。そして二つ目ですが、なんでしたっけ? どうしてあなたの応援をするのか、ですか?』
 ルパートはあからさまに鼻で笑う。
『まったくとんでもない戯言ですな、このへたれへたれ駄目男の先駆け甲斐性ナシの根性ナシ度胸ナシいいとこナシチェリーチェリーチェリーのトーヘンボクのパーチクリンのピーチクリンの圭一さんが』
「なんだそのじゅげむの替え歌! どっから持ってきた!」
『くうねるところにすむところ、とやぶらこうじの……のあたりはどう訳すべきか考え中です。後半部分にもまだはしょりがあって……』
「お前が考えたのかよ!」
 あまりにも衝撃的すぎて本題が吹っ飛んだじゃねーかこのバカ犬。しかしこいつとだけは口論で勝負をしたくないものだ。勝てる気が全くしない。ともかく話を本来の目的に戻さなければどうにもならない。
「で、答えは?」
『単なるでばがめ根性です』
 ルパートはまたしてもきっぱりと言いきった。
「それだけ!? それだけで今までずっと俺たちのことをかきまわして!?」
『好奇心でもなければやってられませんよこんなこと。何ですか? 愛したいだの愛してるだのお前しか愛せないだのと、そんな甘ったれたお子ちゃまどうしの駆け引きに真剣に取り組めと? 馬鹿馬鹿しい。そんなのはお二人で勝手にやっていてください。わたくしの知ったこっちゃありません』
「おかしいじゃねーか。それなら、なんでこうやって」
『わたくしが知りたいのは、現在の貴方たちの恋愛沙汰ではないのですよ』
 言っている意味が解らなくて眉を寄せる。ルパートは平然とした動物の顔で語る。
『あなたは“これも忘れているかもしれませんが”、呪いや魔術というものはね、そう簡単に操れるものではないのです。人間でさえ使用には厳密な知識と修業が必要になる。それが我々魔獣なんぞにどうしてすらりと使えましょうか。わたくしはあちらの世界で何十年も人の術を学びました。そこまでして、ようやくこうしてこちらに来ることができているのです。わたくしが何を言いたいかおわかりで?』
 訊き返されてもただ首を振るしかない。ルパートは馬鹿にした口調で続ける。
『来世まで通じる呪いなんて、そんな高度な術が盟主様にできるはずがないのですよ。たしかにやり方は教えたことがありますよ。ですが成功に至るかどうかは別問題です。いいですか圭一さん、呪いには念じる力が必要となります。盟主様はあの時、来世でもまためぐりあいたいと念じました。ですが相手となる勇者が拒否をすれば、そんな脆い呪いなど打ち砕かれるはずなのです。嫌がる思いは反作用を起こしますからね。――ついてきていますか? 理解できていますかこの没個性』
 どうしてこいつはいちいち悪口を言わなければ気がすまないのか。俺は流れていく説明になんとかしがみついて答える。
「要するに、俺が『嫌だやめろこのバカ魔王!』と抵抗したら、奴の呪いはそれだけで壊れてしまうってことか」
『まあそういうことですね。死地の馬鹿力で呪いが強化されていたと考えても、人間の方が術の扱いに向いているのですから。勇者が呪いを拒否していれば、貴方たちはこの世界でめぐりあうはずがなかった。それどころか盟主様の念だけでは達成するはずのない呪いです。成功させるには、かけられる側の者が、同じことを念じて術を助けなければならない。……要するに』
 つやりとした犬の目が俺を見つめる。
『勇者は、魔王に再び逢いたいと願いながら死んだとしか思えないのですよ』
 一瞬、思考自体が空白となった気がした。だがすぐに脳みそは全力で答えを吐き出す。
「馬鹿な!」
『そう思われるでしょう。わたくしもいまだに納得できていません。だからこそ貴方について知りたい』
 ルパートは俺の膝に足を置く。完全なる犬のしぐさ。だがその動きが人間じみたものに見えて、目を疑う。ルパートは戸惑う俺の顔を覗き込むようにして囁いた。
『勇者として生きていた頃の貴方が、何を考えてここに来たのか。そして今、なぜあのお方に恋をしたのか。それが知りたいのです』
 ああ、俺もだ。思わず頭の中で返す。俺はルパートの問いがそのまま自分の疑問になるのを感じた。どうして俺は魔王に逢おうと考えた? あんなにも憎み、蔑み、神を汚す悪として扱ってきたものに逢いたいと願ったんだ?
『恋路については、もうしばらく協力して差し上げますよ。ただし考える事を止めないで下さい。そんなことは過去の話と投げ出してしまうのは、あまりにも無責任すぎる』
 その声に棘を感じて俺はふと奴を見る。そこにあるのは、相変わらず考えの読めない犬の顔。凝視すると逸らされた。脳に直接響くのは、吐き捨てるような呟き。
『我々は、まだあの世界で戦っているのですから』
 もしかして。そう考えたのは、ルパートの嫌悪に触れてしまったからだろうか。魔獣と人間が、あの世界でいまだ戦っていることを思い出したせいだろうか。俺の中にはルパートに対する、かすかだが無視することのできない疑惑が滲むように生まれていた。
 同時に、自分を諌める言葉たちも。
 こいつの言うことをすべて信じてしまうのか。呪いに関して、嘘をついていないと何故言える? 呪いの理論からすべて虚偽かもしれない。俺が、魔王に逢いたいと願ったなど他に誰が証明するのか。ただ魔王の手先一人だけが唱える説を、真に受けてもよいのだろうか。
 以前の俺ならば、誰が信じるものかと突き放していただろう。だが今の俺は、恋をしている。こんな男の中にも潜んでいたセンチメンタリズムが、ルパートの発言を全力で引き入れようとしているのだ。しかしそれすらもルパートの作戦だとしたら? 恋路を応援しながら俺と親密になり、油断させた上で騙そうとしているのではないだろうか。
 そしてその策略が、ルパートが今本当に生きている世界での戦いに関わっているとしたら?
 俺は何を受け止めればいいのかわからなくなってしまい、ルパートに問いかけた。
「……俺はお前を信じていいのか?」
 それとも嘘と受け取るべきか。
 情けない顔を見て愉快になったのだろうか。ルパートは心地良さそうに尻尾を振る。
 そして変わらないはずの犬の顔で、にやりと笑った。
『さあ、どちらでしょう』


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