第26戦「のめりこみ症候群」
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 カレンダーを見るたびにため息をつきそうになる。今日は八月二十五日。始まる前は永遠にも思えた夏休みも、あと一週間も残っていない。眩しすぎる夏の空を網戸越しに眺めつつ、俺の心は焦燥に急かされていた。
 何しろ八月中は部活動の関係でろくに遊べなかったのだ。今年はあきらといろいろもめていたせいでプールにも行っていない。いつもならこちらの都合など構わずに毎日誘いに来ていたのに。それどころかあきらはあの花屋の一件以来、俺の部屋に足を運ばなくなったのだ。ちきしょう花屋のナンパ男め。なんなんだあきらは優しい奴が好みか? じゃあ何か俺が笑顔でナデナデすれば惚れてくれるとでもいうのか? ……それは手軽だな。いやいや俺には水谷あきらアレルギーが……。
「圭一ー! 圭一、圭一ー!!」
 妄想していたところに張本人の声が聞こえて俺の背はびくりと跳ねる。階段を駆け上がる懐かしい気配。俺の心の準備を待ちもせずあきらが部屋に飛び込んだ。
「圭一、ルパートはどこなのだ!? ルパートを返すのだ!」
「はああ?」
 お前、久しぶりに再会した第一声がそれなのか。俺とルパートとどっちが大事なんだ! ルパートだなああわかってるよ思ってみたかっただけだよ。はいはいはいルパートねルパート、……ルパート?
「あいつ、今日は来てないぞ。なんだいなくなったのか」
「いつの間にかいないのだ! もうずっといなくなってて、おきっ、置き手紙が! ほらっ」
 錯乱したあきらが突きつけたのは、薄汚れたコピー用紙。どうやらプリントの裏らしく、判読するのが困難な字で何事か書いてある。目を凝らすとかろうじて『貴方の面倒を見ることに疲れました。さがさないでください』と書いてあるのが読みとれた。解読できたのは、以前同じ文句をルパートの口から聞いていたからこそだろう。そうか、これが例の置き手紙か。そう考えて、眉間に深くしわが寄る。
「これ、いつの手紙だ? 確かにあいつは置き手紙を残したって言ってたけど、そう言ってたのはもう一週間も前だぞ?」
「えっ」
 あきらは声を詰まらせる。ぎく、と擬音が聞こえそうなほどあからさまな動揺だった。
 俺はまさかと息をのんで、おそるおそる問いかける。
「……お前、ルパートがいないことにいつから気づいてなかったんだ?」
 あきらは瞬時泣きそうな瞳をして、あわわ、わわわと口を揺らした。俺はため息をもらしてしまう。
「あのな、あいつは今月の半ばから、ずーっと俺んちにいたんだよ。それなのになんで気づかないんだ。それでも飼い主か?」
「だ、だって犬の助はいたのだ! ルパートが入ってる時はいなかったけど、でも、ただこっちの世界に来てないだけだと思ってたのだ! だからゲームのせいじゃないのだ!」
 何か不可解な単語を聞いたような気がした。
「……ゲーム?」
 またしてもわかりやすくあきらがうっと口をつぐむ。ち、違うのだ、と弱々しく呟いた。
「ちょ、ちょっとだけのつもりだったのだ。でもほら、こっちの時間とゲーム内の時間が同じだから、目を離してるとあっというまに時間が進んで……あとちょっとのつもりなのに、気がついたら何時間も経ってて……」
「まさかこの一週間ずっとゲームしてたのか!?」
 驚愕のままに叫ぶとあきらは頭を抱えてしゃがみこむ。
「ごめんなのだー! ルパート、我が悪かったのだー!!」
 あきらは泣きそうになっているが、俺の心はその逆でみるみる楽になっていく。なんだ、じゃあこの部屋に来なかったのもゲームにはまっていたからなのか。別に、俺のことが嫌いで近寄りたくもなかったとか、また別の男にたぶらかされてふらふらとついていったりしていたわけではないんだな。
 しかし、こいつがそこまでゲームに熱中するなんて珍しいこともあるもんだ。いつもアクションや謎解きでつまってしまい、結局は俺がかわりに解いてやるのが恒例のことだったのに。
 そうか、こいつももう子どもじゃないんだよな……。と、なんとなく寂しく思っていると、足元に毛並みの感触。見下ろせば灰色のミニチュア・シュナウザーがはたはたと尻尾を振っていた。
『今ごろお気づきになられましたかこのスペクタル級ダメ女子高生』
「ルパート!」
「いたのかよ!」
 飛びつこうとするあきらに鼻を鳴らし、ルパートは悠々と俺の膝に丸まった。本来の飼い主などまるで見えてないと言わんばかりに、後ろ足で体を掻く。ルパートぉ、と情けない声をもらすあきらが可哀相に見えてきた。
「何ふてくされてんだよ。反省してるだろ、もう帰ってやれよ」
『勇者殿は田舎の自販機に取り残されたピーチネクターのごとくに甘い……』
「その比喩どっから取ってきたんだ」
『もちろんプルトップは外れるタイプでございます』
「いや俺は缶のことは訊いてねえよ。ちゃんと話の空気読めよ」
『読みきっているからこそあえて外しているのですよ。ええと誰でしたっけ? めい……メイチェン殿?』
 誰だよ。
『メイチェン殿だかメリィイジェエエン殿だか知りませんが、わたくしは本当に可愛がってくれる人のところで暮らしたいのです。公園に散歩につれていってくれて、しかも撫でてくれる方がよいのです。毎日毎日ピコピコピコピコチャッチャラーンチャララララーン ピューワーパパパパー ピカラペッカラーンなどと電子世界に没頭するバカ女など言語道断! そうでしょう勇者殿』
「むしろ俺はどうしてそこまで詳細にゲーム音を再現するのかが知りたい」
『そうでしょう勇者殿!』
 無視かよ。
「まあそうだな」
『そうでしょうそうでしょう。0と1の羅列とわたくし、どちらがプリティグッドですか!?』
「まあ、お前だな」
「お、お前なのだ。我もお前の方がいいのだ! だから帰ってきてくれ、ルパート!」
 必死にすがりつこうとするあきらに、ルパートはまたしても鼻でかすかな息を鳴らした。
『どうだか。どうせ帰ったところでまたゲームにのめりこむんでしょう』
「もうしないのだ! それに、すごく難しいイベントになったから我にはもう解けないのだ!」
『そうしてわたくしのスペシャルな頭脳を利用して、先に進むおつもりでしょう。騙されませんよ。第一、勇者殿ならどんなに素晴らしいゲームでも、わたくしの散歩を忘れはしないでしょうし。こちらのおうちの方が断然いいです』
「そんなことはないのだ!」
 あきらは鞄の中から取り出したゲームのケースをこちらに掲げた。
「圭一だってこのゲームを始めたら絶対に止まらなくなる。我もこいつも同じなのだ!」
 それは確かに今巷で話題となっている、売れ行きナンバーワンかつ廃人続出の人気ゲームで、それならばあきらがはまるのも無理はないと思ったのだがそれ以前に疑問がひとつ。
『どうしてここに持ってきているのですか』
「お前、さては俺に解いてもらおうとしただろ」
 うっ。と、何度目とも知れない墓穴にあきらは目を逸らしてしまう。なんだなんだ、結局は俺がいないと駄目なんじゃないか。まあゲームによっては難易度も多々あるだろうが、この俺の手にかかればどんな難問も虫けらのようなものだ。
「しょうがねーなー。解いてやるよ。貸してみろ」
『なぜ急ににこやかに』
「け、圭一が変なのだ……」
 手を出すとあきらは警戒しつつも俺にゲームを渡してくる。その目がきらりと輝いたような気がした。
「そうだ! 圭一、我と勝負しろ!」
 あきらは元気よく腕を振りあげて宣言する。
「圭一がこのゲームにのめりこんだら我の勝ち。ルパートはうちに戻ってくるのだ。いいかルパート。どんなやつでもこのゲームの前にははまらずにはいられないことを証明してやる。圭一なんてきっと我よりもどっぷりになるぞ。絶対我のほうがマシだ!」
 ほほう、そういう勝負に持っていくとは、さすがじゃないかバカ魔王。俺は久々の対決に血が燃えていくのを感じた。甘い気持ちに押されながらもやはり俺は元勇者。元魔王との真剣勝負に盛り上がらないわけがない。
「上等じゃねえか……ふっ、覚悟しろ」
「そっちこそ謝る準備をしておくのだ。我は絶対負けないのだ!」
 熱意を持って睨みながらも口元には笑みが浮かぶ。数週間ぶりの戦いに昂揚しているのはあきらの方も同じらしい。俺たちは時計を確認し、ゲーム機をセットした。



 壮大なオーケストラ音楽が響く中、俺たちはうつろな目を並べていた。
 プレイ開始から十二時間。もう明け方になるというのに、やめようという気がおきない。
「恐ろしいゲームだ……」
「恐ろしいゲームなのだ」
『なんと恐ろしいゲームでしょう……』
 二人と一匹はまったく同じ表情でただ画面を見つめている。面白い。むしろこれは面白すぎた。ああ世の中にはまだこんな楽しみがあったのか。俺たちは共にわあわあと騒ぎながら冒険し、別れの場面で同じように涙ぐむ。謎解きでは頭をひねり、アクションでは体まで浮かせてしまう。俺もあきらもルパートでさえ電子世界に没頭していた。
「朝、か……ルパート、散歩行くか?」
『ご冗談を。あと十分でグランダールの朝市ですよ』
「だよなあ。散歩より2000Gだよなあ」
「今日は四足カブを売るのだ。あと三つで特別ボーナスゲットなのだ!」
 ピコピコピコピコチャッチャラーンチャララララーン ピューワーパパパパー ピカラペッカラーン。
「よっしゃあレベルアップアイテムゲット!」
「やったあー!」
『やりましたね勇者殿! これでオロチが倒せます!』
 目の下にくまを作りながらも力強く盛り上がる。みんなの心はひとつとなって熱狂と歓喜の渦を作る。
 俺たちの夏休みは、こうしてゲームの中で終わった。


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