第24戦「うるさい人形」
←第23戦「む」  目次  第25戦「ゐ」→


 八月の快晴はそれだけで武器となる。俺とあきらと中嶋は、炎天下の中それぞれに紙袋を抱えていた。中に詰まっているのは大量の雑誌類。奇抜な髪色をしたキャラクター、特にやたらと目が大きくて不自然な胸の娘たちがずらりと並ぶジャンルのものだ。俺たちはこの不快極まりない本たちを、持ち主である谷武に返すために歩いている。
「悪いな。わざわざ手伝わせて」
「そうなのだ。圭一は嫌な奴なのだ!」
 てめえは黙ってろバカ魔王。俺は営業スマイルとまではいかないが、作り笑顔を中嶋に送る。するとあきらも中嶋も同じように気味悪がった。なんだとこのやろう文句あるのか。
「まあ、元々ヒマだったからいいけど……谷君の家って行くの初めて。なんかわくわくするね」
「そうだな。学校ではわからなかった、意外な一面が見えてくるかもしれないぞ?」
 ここぞとばかりに爽やかな笑顔を見せると、二人はまた悪夢でも見たような顔で俺から一歩距離を置いた。
 なぜ、わざわざ谷の家まで奴の私物を届けに行くのか。その理由は簡単で、ルパートの攻撃にうんざりとした俺が「取りに来い」と連絡すると、谷の奴は忙しいから家を離れられないとあっさり却下しやがったのだ。それならば意地でも手元に戻してやる。と雑誌を束にしていたところで、あきらの家に中嶋が遊びに来ていることを知る。そこで思い出したのが、いつかの谷の一言だった。

 ――水谷も元気でいいけどさ、俺はやっぱ中嶋だな。部活に打ち込むスポーツ少女って感じで。

 その後もぼんやりと誉め言葉を口にしては、我に返って動揺する……などという挙動不審を繰り返していたのだった。当時の俺は気がつかなかったが、あれは完全なる恋の視線だ。ふっ。谷よ今まですまなかった。その気もちを理解する今の俺は、他人の恋にも協力的だ。学校外ではほとんど接点のない逆境から輝かしく飛翔しろ!
 考えているうちに顔がにやけていたのだろうか、あきらと中嶋は俺からさらに距離を置いていた。まあいい、今に見ていろバカ魔王。めでたく谷と中嶋がカップルになったあかつきには、二人は俺に感謝するだろう。その素晴らしい仲人っぷりに、俺に対する嫌悪感を拭い取ってしまうがいい!
 完璧な作戦を胸に秘めて歩いていると、谷の家が見えてきた。いかにも住宅展示場で選びました、といわんばかりの建売住宅。こじんまりとしているが清潔感があり、逆に言えばどこかおもちゃの家のようだ。玄関に行くまでもなく谷の姿は見つかった。車のないガレージになぜだかしゃがみこんでいたのだ。この暑いのに、と思いながら声をかけると谷はびくりと飛び上がる。
「ちょ、はあ!? なんでいんの!?」
「お前が取りに来ないから持ってきてやったんだよ。ほら忘れ物」
「ばっ」
 驚愕の顔で俺を引き寄せた谷の手には、青色のスプレー缶。奴はそれについては触れることなく、小声で俺を罵倒した。
「馬鹿! なんでこんな本持ってくんだよ! しかもなっ、中嶋と一緒に!」
 ナチュラルにあきらを無視するとは、ははん、やはりお前中嶋が。
「気を利かせたんだよ。誉められてもいいぐらいだ」
「全然利いてねえー! あんな雑誌女子に持たせんな、馬鹿!」
「大丈夫、中は見えないはずだ。ところでお前、何してたんだ? スプレー?」
 谷のいた場所を改めて見てみると、新聞紙を敷いた上に不思議なものが並べてある。ダンボールを切って作ったらしきもの。バラバラではよくわからないが、なんとなく鎧を分解したパーツのような……。
「これはなんだ? 谷君、何を作ってたのだ?」
「ばっ、もう見るなよ。いいだろ別に、ほらっ」
「……“リヴィングアーマー”?」
 あきらを遠ざけようとする動きは、中嶋の声でぴたりと止まった。谷は目を丸くする。
「なんでそれを……」
 中嶋は慎重な表情で、そっと谷に尋ねかけた。
「……谷君、あなたもしかして……」
「ち、違う! 俺は命令されてやっただけだ!」
 谷はスプレー缶と同じぐらい青ざめた顔を振っている。どういうことだ。リヴィングアーマー……見た目と名称からして、もしかすると本当に鎧の一種なのだろうか。俺の目にはただのダンボールにしか見えないが、そういえば形は精巧で、組み上げれば立体的で強固な鎧になるだろう。もしかするとダンボールとスプレーはただのフェイク……いや、むしろこれから製造される真の鎧に向けた試作品か!?
「隠さなくてもいいのに。すごいね、手作りでこんなに上手くできるんだ」
「な、中嶋。もしかしてお前も……」
 中嶋は、はにかむ笑みで頷いた。谷は途端に熱く焼けたガレージに崩れ落ちる。なんだ、二人の間で一体なにが起こったんだ!? 二人だけが共有するリヴィングアーマーの秘密とは。あきらもまた俺と同じ疑惑を抱えているのだろう。並べられた鎧を見ては、谷の顔と見比べる。口の中で「鍛冶屋?」と呟くのがかすかに聞こえた。
「そっか、谷君もそっちの人だったんだ。で、何日目?」
「そういう省略した会話すんなよ……お前も同類かよ……」
 なんだよお前ら勝手に分かり合ってんなよ。俺とあきらは同じ気持ちで、通じ合う二人を見る。鍛冶屋か。お前は密かに鍛冶屋だったのか谷武。そっちの人ということは、中嶋も職人だったのか? ああわけがわからない。一体どういうことなんだ! 膨れあがる疑問にたまらず質問しそうになったところで、ガレージに面したガラス戸が勢いよく開かれた。
「よゆう入稿――!!」
 谷がまたもや飛び上がる。現れるなり絶叫したのは、見るからに谷の身内とわかる、よく似た顔立ちの女だった。年齢を推測するに大学生か社会人か。スウェットの上下にまとめ髪という出で立ちで、部屋の中から呼びかける。
「いつまでやってんのっ。早くこっち手伝ってよ!」
 と、谷を叱った後で俺たちの存在に気づき、谷の姉らしき彼女は途端に恥ずかしそうにする。だが今さら引っ込むわけにもいかず、髪や姿を気にしながらも客人用の笑顔を作った。
「ごめんね。お客さん? これと同じ学校の人?」
「これ言うな。……そうだよ。荷物持ってきてくれただけ。すぐに帰」
「そうなのー。暑いのにわざわざごめんね。あ、アイス食べる?」
「うんっ! ありがとうございます!」
「水谷ぃ!」
 泣きそうな谷にも構わずあきらはぴょこんと頭を下げる。中嶋が、遠慮がちに問いかけた。
「そんな、いいんですか? もしかして今修羅場なんじゃ……」
「えっ。いやいやいいのよ、後でこいつに手伝わせるから。え、あれ?」
「あ、すみません。あの、服にトーンがついてたから……」
「あはははやだーもー。バレバレってかー」
 わっはっは。と中嶋共々いやに明るく笑っているが、何のことだかわからない。俺はあきらと顔を見合わせて同じ動きで首をかしげた。
「暑いでしょう。ま、上がって上がって」
「おじゃましまーす」
 楽しげに光りはじめた中嶋が家に上がる。それとは逆に老人のごとくにしわがれた谷が後に続く。弱々しい手招きに誘われて、俺たちはさっぱり理解できないまま谷の家にお邪魔した。


 谷の部屋は人が入れる状態ではないとのことで、俺たちはすっきりと掃除の行き届いたリビングでくつろいでいる。ファミリーパックの箱ごと出されたアイスクリームがとても美味だ。クーラーの涼しさも相まって、あきらは幸せそうにキャラメル味を堪能している。和やかな空気の外で、中嶋と谷は部外者には分からない奇妙な会話を続けていた。所々にジャンルだとかカキテとかヨミセンとか聞こえてくるが、何の専門用語だろうか。
「ねえ、あの鎧誰が着るの? 谷君?」
「ちげーよ! なんか姉ちゃんの友達が着るやつで、俺は作らされてただけですー。俺は関係ない人間ですー」
「何言ってんの。あんたが着るに決まってんでしょ」
 入り口からあっさりとした肯定。見ると、着替えを済ませた谷の姉がアルバムを抱えている。谷がぎゃあと飛びつくが中嶋はそれより早い。腰を上げかけた谷の体を床に押しつけると素早く姉に駆け寄った。さすが運動部。そうしていると健康的なショートヘアがよく似合う。
「やーめーてーくーれー! お姉さま! 後生ですから!」
「はーいはいはいご開帳ー。見て、昔はこんなにいろんなコスしてくれたのよー。この前までポーズまで取ってたくせに、最近恥ずかしがっちゃってさ。騙して脅さなきゃやってくれないのよー」
「わーすごーい! 谷君、すっごく似合ってるよ。恥ずかしがらなくていいのに」
「やめてってホントまじでまじでまじで! 見るなああ! お前らはそっちに行くなああ!」
 絶叫されてもここまで言われて見たくならないはずがない。俺とあきらは谷の手をすり抜けて中嶋の元に走った。開かれたアルバムの中では、不可思議な格好をした谷がずらりと並んでいる。まるでゲームの中から出てきたような鎧姿。この辺りでは見たことのない制服やジャージを着ているものもある。その他にも真っ黒い上に露出度の高い服や、とても奇抜なデザインの手作り服を纏った姿。
 惨めに敗北した谷は、死にそうな顔で床に丸まる。
「いっそ殺してくれ……」
 そうか、わかった。谷は鍛冶屋ではなく衣装屋だったんだな。そしてこれは自ら着て撮影したカタログのようなもの。最近ではインターネットとかそういうので、簡単に店が持てるとかテレビで聞いたような気がする。多分それなのだろう。あきらも俺と同じことを思ったらしく、かすかに「服屋さんか」と呟いた。
「これ全部谷君が作ったのか? すごく上手だ!」
「ああ。まだ若いのにこれだけ縫えるなんて、もっと自慢してもいいぞ」
「お前ら何にもわかってないだろ! 何か誤解してるだろ!」
「それで、こっちは小さい頃の写真。この頃は私が作ってたのよ」
 もう一冊のアルバムには、小さな体に手作りの鎧を着て喜ぶ谷の顔があった。姉に作ってもらったダンボール製の剣を抱え、にっこりと笑っている。めくっていけば子どもらしく張りきったポーズを取っている写真も。なりきって変なポーズを取るのは、大人版でも同じことだがこちらの方がかわいらしい。見つめる中嶋たちの視線もほのぼのとゆるんでいる。
「かーわいいー。なごみますね」
「この頃はねえ、大好きなキャラクターの格好ができるなんて幸せだ! みたいな反応だったのにねえ。あんなにかわいかった子はどこに行っちゃったのかなぁ」
「歳の離れた弟を騙してコスプレさせるとかどう思いますか。ねえどう思いますか」
「うっさいわねえ。あんたは黙ってお人形みたいに着せ替えされてりゃよかったのよ。昔は本気でキャラになりきってくれてたのにさあ。今回のだって勇者役よ? 愛と友情と正義を貫く少年漫画の王道よ? 何が不満なのよ、あんなに格好いいキャラなのに!」
「原作ではな! でもアンタにかかれば総受だろ!」
「格好いい人こそいじめたくなるでしょう! ばかっ、まだわからないの!」
 効果音が聞こえそうなほどに激しい主張。言っている意味はわからないが、ついうなずいてしまいそうな説得力がある。つらつらと主張を続ける彼女に、中嶋がおずおずと声をかけた。
「もしかして……腐れみかん帝国のオレンジ魔王さん?」
 谷の姉は驚いて目を丸くする。
「う、うん」
「やっぱり! ひゃー、腐臭グレープ時代からのファンなんです! 本も全部持ってます〜」
 中嶋の声色が突然に高くなった。
「サイトも毎日チェックしてます! 四コマの弟さんって谷君のことだったんですね! わあ、あのネタすごく好きなんですっ」
「ちょっと待て四コマってなんだ! 何載せてんすかお姉さま!?」
「わあ、口調とかそのままだ! なんで気づかなかったんだろ、実はこっそりリンクさせてもらってるんですよー。弱小なんでわからないと思いますが、ええと、壊れた時計はまるでガチョウのように鳴く、っていう……」
「ああ! あの親父のヒゲをカラフルに染めよう企画の!」
「そうですあのカラヒゲのサイトです! あはは、改めて聞くとすごい名前ですね」
 うんたしかにすごい響きだ。なんだかもう聞こえてくる固有名詞がありえない語感をしている。谷の姉はオレンジ魔王だったのか。それでは勇者の格好をする谷にとって敵となるのは仕方がない。あきらもまたぽかんとしてハイテンションな二人を眺めた。俺はその間抜けな顔に、オレンジ魔王よりはこっちの魔王だな、とさりげなく考える。オレンジ魔王は照れくさそうに宣言した。
「今度、オマケ本で弟四コマ総集編を出す予定なの。完成したら読んでね」
「総集するほど数あんのかよ! 俺をネタにすんなって言っただろー!?」
「あんたみたいなネタにあふれる奴、放っておけるわけないでしょ。やったあこれで三本できた。そうだ、その本に何か描いてもらえない? 弟の同級生直筆の一ページ! こんなに面白いことはないわよー」
「いいんですかっ。わー楽しそう! そうだ、あたし原稿のお手伝いもできますよ?」
「本当? じゃあ頼んじゃう。よかったあ、友だちみんな忙しくて困ってたのよー」
「家も結構近いですし、何かあったらすぐ呼んでくださいっ」
 などとはしゃいで女二人は携帯のアドレスを交換している。とにかく、当初の作戦としてはかなりの成功と言えるのではないだろうか。俺はうなだれる谷の肩を叩いた。
「よかったな。急激に進展してるぞ」
「俺の心は豪速で退却しとるわあ! あああ、今度こそ足抜けするはずだったのに……」
 床にへばりつく谷の肩は、もはや叩くことができないほど低くなる。今にも泣きそうな顔が哀れだ。
「何が不満なんだ」
「俺はこんな世界は捨てて、オタクじゃない彼女を作るのが夢だったんだよ。ちくしょう、スポーツ少女に同人女はいないという俺の予想を崩しやがって……」
「甘いわね谷君。あたしがどうしてテニス部に入ったか、わからないの?」
「資料か!」
 そうよもう前のジャンルだけどね。だの、お前はスポーツマンシップを汚している、だのと続く会話は罵りにも似ているが、傍から見れば仲の良い二人に見えて俺はとても満足した。恋に多くの難関あれどそれが青春というものだ。歩いていけばおのずと道も開けよう! 俺は谷の行く末に少しでも幸ありますように、そして俺も報われるようにと目には見えない神に祈った。


←む「無の境地はどこにある」  目次  ゐ「イミテーションはどっち」→


Copyright(C) 2005 Machiko Koto. All rights reserved.
第24戦「うるさい人形」