第20戦「値切るつもりじゃなかったのに」
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「ねえ、変じゃない? 大丈夫?」
「うん。すっごく可愛い。もっと自信持ちなよみっちー」
 嬉しそうに笑いながら藤野が頭を撫でてくれる。まるで我が子が満点を取った時のような優しい笑顔。ぐりぐりと力いっぱい撫で回されて、あきらはくしゃりと顔を歪めた。
「痛い痛い痛いのだ。髪がぐちゃぐちゃになるー」
「ごめんごめん。あんまりカワイイからついやっちゃった」
 謝りながらも悪びれない藤野の顔を、あきらは熱が入るほどに見つめた。
「……何? え、怒った?」
「ううん、違うのだ」
 あの時あの人が頭を撫でてくれたときは、顔が焼けるような気がした。眩しくてなぜだかとても恥ずかしくて、直視などできなかった。なのに藤野に対してはまっすぐに見つめることができる。優しく笑っているのも、かわいいと言ってくれているのも同じなのに。あきらは考えれば考えるほど困った気分になってしまって、ひどくふ抜けた息を吐いた。
「あらら。疲れちゃったか」
「大丈夫。いっかちゃん、ありがとうなのだ」
「いえいえどういたしまして。メイクアップはこのカリスマ壱香さんにお任せあれ〜」
 冗談めかした言葉に笑い、同じ笑みを返事にもらう。あきらは整えてもらったばかりの髪を揺らし、深々とおじぎした。そうして藤野の家を出ると、玄関先で待っていたルパートの紐を握り、暮れ始めた町へ飛び込む。
 あの花屋の閉店時間は少し遅めの午後八時。今はまだ六時だから走らなくても間に合うが、到着して目的を果たすまでは心臓が跳ねて跳ねて落ち着かないので自然と足は速まった。ルパートはまるで先導するように一歩先を駆けていて、あきらがどんなに急いでも追い越してしまうことはない。一人と一匹は弾む息で花屋へと到着し、中にいるこの間の店員に笑顔を見せて、そして。



「なんでなのだー!」
 打ちひしがれて帰宅してベッドへと飛び込んで、あきらは涙混じりに叫んだ。
「なんで花を買っちゃうのだー! あれじゃただの客じゃないかー!」
 羽毛の枕を叩く度に細やかなほこりが舞う。それでもあきらは癇癪を起こしたようにじたばたと手足を振った。年季の入ったベッドが軋んで心もとない音がする。それに被さっていくのは、ルパートが水を舐める音。部屋の隅で給水する元部下を横目で睨み、あきらはくちびるを力いっぱい突き出した。
「せっかくお化粧もしてもらったし、髪型も替えたし服だって考えたのに。なんで何も言ってくれなくなったのだ」
『そりゃあ仕事中にそうそう小娘に構ってもいられないんでしょうよ』
「でもー。でもでもこの前はかわいいって言ってくれたし、頭を撫でてくれたのだ! そりゃ、いっつも撫でるわけがないけど……でも、なんか反応ぐらいしてくれるかと思ったのに」
『いいじゃありませんか。安くしてもらえたんだし』
「我は値切るために化粧したんじゃなーいのだー!」
『自意識過剰なんですよ。視力でも落ちましたか?』
 はっきりと切り捨てる犬の背に、あきらは拗ねた声を投げる。
「今日、なんか冷たい」
『いつもとなんら変わりませんが?』
「いつもはもっと面白く叱ってくれるのに、今日はなんかそのまんまだ」
 ぺちゃり、と不器用な犬の舌打ち。ルパートはわざとらしく鼻を鳴らすと、専用の座布団に丸まった。
『……わたくしだって疲れるんです。放っておいてくれませんか』
 言い方は憎たらしいが疲れているのは本当らしい。ただでさえこちらの世界にやってくるのは一苦労な仕事らしいし、それなのにここ数日は毎日欠かさず飛んできている。家にいたらと勧めても、ルパートは執拗に花屋までついてきた。おかげさまで店員にとってあきらは「毎日花を買ってくれる犬連れの子」と認識されていることだろう。
 あきらは部屋のあちこちに飾り立てた花を見る。本当は少しでも話をしたいのに、何にするかと問われると何故だか言葉が出なくなり、そのあたりの花を指差してしまう。おかげで家の中には統一感のない切り花や鉢植えがごろごろと転がっていた。もう、一週間近くもこんな不毛なことをしている。常連となったおかげで安くしてくれるようになったが、値切るつもりで通っているわけではないのだ。ルパートは買ってきたばかりのほおずきの鉢植えを鼻で笑う。
『いつまでこんなことを続けるおつもりで?』
「……わかんない」
『勇者を懲らしめる作戦は』
「…………」
 なぜか、圭一のところには行きたくなかった。後ろめたいような気持ちが胸の中に貼り付いている。だが理由はそれだけでなく、今の自分の行動を否定されることが恐ろしいからでもあった。やり慣れないおしゃれは楽しいけれど常に不安が傍にある。間違っているんじゃないか、実は変なんじゃないか。確固とした自信がもてない今は、誰かに可愛いと言い続けてもらいたかった。そうしなければふわふわと風船のように浮かんでいく感情はあっという間に弾けて散って沈み込んでしまいそうだ。取り返しが付かないほどの痛みを味わう予感がする。実際、気に入った格好を圭一にけなされた時、すぐにでも泣けそうなほど悲しい気分になったのだから。
『まったく、ふがいない……目的を見失ってどうするんですか』
「たまにはいいじゃないか。もうずっと戦ってきたんだし、休みぐらい……お前だって疲れてるんなら毎日来なきゃいいじゃないか。こっちに来るのはすごく力を使うんだろう? たまにはあっちで休んでいていいんだぞ?」
 途中からは言い逃れる口実ではなく本心からの言葉だった。乗り移った犬の助の毛並みすらつやが消えたように見える。ルパートは先ほどから座布団に頭を落し、力なく伏せていた。いつもなら憎たらしく説教でも始めるのに、今日はやけに大人しい。心配して膝立ちに近寄ると、灰色のミニチュア・シュナウザーは弱々しく頭を上げた。
『……帰りたくないんです』
「ルパート……」
 あまりにも切なく言うのでつられて弱い顔になるが、ルパートは同じ調子で続ける。
『モテてモテて困っちゃうから』
「う、嘘だー!」
『本当ですとも。そりゃあもう有象無象の魑魅魍魎に引っ張りだこで体がいくつあっても足りない』
 やれやれとため息混じりの言葉を聞いて、あきらは思わず身を乗り出す。
「ほ、本当なのか?」
『冗談です』
 あっけなく切り捨てられてショックを受けるあきらを無視し、ルパートはそっぽを向いて寝そべった。
『何にせようちの世界も色々と大変なんですよ。あなたには分からないでしょうけどね』
 向けられてしまった背は呼吸に合わせて弱々しく浮かんでは沈む。だらしなく垂れた尻尾はつかんでも回してみてもまともな反応ひとつせず、放っておいてくれと全身で訴えているようだった。あきらは気まずい気分でベッドに戻り、物置から出してきたばかりの花図鑑を開き、どうしても内容が頭に入らなくて、階段を下りていく。しばらくして戻った手には、人肌程度に暖めた牛乳の皿があった。ルパートの前に置いて、取り繕う笑みを浮かべる。
「ルパート。これ飲んで元気出すのだ」
 ルパートは顔を上げてあきらを見つめる。黒々とした犬の瞳。汚れを知らないように見えるその目がじっとあきらの目を覗き、ため息をひとつ吐くと音を立てて飲み始めた。あきらは向かいにしゃがみこんでにこにことそれを見つめる。全て飲み終わったところで、頬の長い毛についた牛乳をぬぐってやった。ルパートはぐったりとされるがまま首をあきらに預けている。身震いすらしないことがひどく異常に感じられて、あきらは途端に不安になった。
「大丈夫か? 病院に行こうか?」
『……結構です』
 返答にもいつものようなキレがなく、常に呟きのように聞こえる。あきらはきゅっと口を結び、腕にもたれかかるルパートに手をあてた。そのまま、そっと背を撫でていく。
「ごめん。いつもお前に任せてばっかりだ」
 精一杯の優しさを全て手のひらにこめて、ゆっくりと、頭から背中の筋までやわらかく撫でさする。
「前の時からずっとそうだ。全部お前に任せっきりで、我はひとりじゃなにもできなくて……だめな盟主でごめんね」
 前世でも現世でもルパートがいなければ、すぐに道を見失って迷っていたに違いない。ルパートはいつも答えをくれた。どうするべきか教えてくれた。盟主として立ったといえども、結局は心強い参謀の指示に従っていただけとも言える。それほどルパートは頭がよく回ったし、的確な言葉を知っていた。だから、つい頼りすぎてしまうのだ。そういえば前世でもこうして倒れたルパートを看病したことがあった。ルパートは知能は高いが生まれつき体が弱い。魔王は鼻面でルパートの体を撫でては薬や食事を与えていた。
『……盟主様』
 今や小さな愛玩犬に身を移したかつての部下は、娘となった魔王の膝にゆっくりとよじ登る。鼻を鳴らすとそれはいやに切なく聞こえた。ルパートは甘えるように丸めた体をすり寄せて、鼻面を押し付ける。きゅん、とかすかに鳴くと頼りなく囁いた。
『盟主様』
「なんだ? ルパート」
『盟主様……』
 尋ねても返答はなく、いつものような嫌味も飛ばず、ただ主君を呼び続ける。あきらは優しく撫でながらひとつひとつそれに答えた。うん。うん。と頷きながら、いつかどこかでこんなことがあったようなと前世に想いを馳せながら、ルパートが眠るのを待った。



 疲れのためかあきらはルパートを抱いたまま床に倒れて眠っている。ルパートは彼女の腕から這い出して、安らかなかつての主君の寝顔を見つめた。そっと鼻を押し付ける。あきらはぴくりと反応したが、すぐにまた寝息を立てた。ルパートはまるで囁くように言う。
『あなたは、そのままでいい』
 そして顔を背けると、今生きなければいけない世界へと姿を消した。


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