第15戦「夜を盗みにくる男」
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 不測の事態というものは唐突に訪れる。俺は久しぶりにそんなことを実感しつつ、どうしようもない心臓の冷え込みを気にしながら玄関の扉を開けた。
「ただいま……」
「おじゃましまーす」「しまーす」
 遠慮がちな俺の声をさえぎっていく、無駄に元気な二つの声。
 そう。今日は突然同じクラスの松永と谷が我が家までついてきたのだ。
 試験前の勉強会と称しながらも、その手にはコンビニで買った菓子やジュースが周到に用意されている。部活が休みになった途端にこう来るとは考えもしなかったので、とにもかくにも心配なのは。
「……あきら、来てる?」
 俺は二人に気づかれないようリビングにいる母に尋ねる。あいつが俺の部屋に堂々と居座っているなんて知られたら、また何を言われるかわからない。だが嬉しいことに母はあくびと共に告げた。
「あー……今日はまだよー? あらいらっしゃい、こんにちはー」
「こんにちはー。いつも圭一君にはお世話になってまーす」
「もーこちらこそ迷惑かけてるんじゃない? どうぞごゆっくりー」
 寝起きをごまかす愛想笑いに見送られて、俺は二人を二階へと案内する。現金なもので足取りはひどく軽く、今までと比べると底なし沼と遊歩道だ。俺はいつか前の世界で旅した森を連想しつつ、鼻歌でも歌いたい気分で自室に向かう。松永よ谷よ興味深そうに見回しているが変わったものなどどこにもない。何しろ今日はバカ魔王がいないのだから!
 だが勢いよく部屋のふすまを開いたところで、俺は見事に固まった。
 部屋の突き当たり、壁に添わせたベッドの上に縮こまる小さな塊。
 元魔王こと水谷あきらが、どういうわけだか俺の寝床ですやすやと眠っていた。
 つけっぱなしの扇風機が風を送ってくれるとはいえ眠るには暑いのだろう。奴はいつもの赤ジャージではなく半ズボンにTシャツという出で立ちで、俺が毎晩使用している夏布団を抱きしめていた。無防備に眠る頭を乗せているのは巨大などーも君抱き枕。実際に抱いてみると異様なまでに暑いので、その使い方は正解というかいつもの俺と同じなのだが元魔王がべったりと貼りつくなんて想像しただけでも鳥肌が立つ! だが問題は俺の生理的嫌悪などではなく、もっと基本的な部分だ。
「みっ」
 隠そうとした時にはもう遅く、背後からは驚きの気配が伝わる。俺が思わず動揺してうろたえている間に松永が足を踏み込んで、ぱくぱくと口を動かした。谷が気まずそうに呟く。
「あー……もしかしてお邪魔しちゃいましたかー?」
「長谷川っ、お前お前お前お前どういうことだ!? そういうことかっ!?」
「ご、誤解だ! これは別に変に怪しいことじゃなくて、こいつはいつもこうやって……!」
 失言に気づくのはいつも口にした後だ。俺は言葉を断ち切るが、一旦飛び出た発言が掻き消えるはずもなく、目に見えるのは驚いた松永班長と半笑いの谷の顔。
「いや、俺は一応ね。お前らは健全な関係だと思ってたのよ。へー、そうですか。へー」
「だから違うって! 別にそういうわけじゃ……」
「じゃあどういうわけなんでしょうねえ? ラブラブじゃん。ラブラブじゃん」
「い、いつもと違う! 疑問系になってない!」
 変化というか進化して最終形態に近づいた口癖に驚愕を隠せない。そんな、もはや取り返しのつかない状態になってしまったというのか! どうするべきかと混乱する俺の目の前で、来客に気づきもしないバカ魔王は夏布団を懐に詰め込んで詰め込んで腕が大きく広がって、苦しげにうなっては壁に布団を押しつけた。お前三人の観客を前に寝相ショーを繰り広げてどうするつもりだ。硬直していた体をなんとか動かして奴を起こそうとしたところで、松永が声を上げた。
「水谷ィイ! お前っ、ハイエナのような高校生男子を前にそんな無防備でどうするんだー!」
「班長! 大丈夫ですこれっぽっちも萌えません!」
 萌えとか言うな谷武。だが熱血すぎて暑苦しいスポーツ男はツッコミに負けもせず、あきらの腕から夏布団をもぎ取ると、改めて体の上に広げ直した。力なく伸びていた全身が隠されて、一応は体裁が整えられる。だがあきらはむずかるような声を上げて、布団を蹴り落としてしまった。
「あーもーだめでしょー! ちゃんと布団かけなさい!」
「班長。口調がお母さんになってる」
 弟妹がいるだけあって面倒見がいいのだろうか。班長こと松永は今にも説教せんとばかりにあきらの肩を揺さぶった。さらにむずかる声があがり、あきらはいかにも気だるげに丸まっていた体を広げる。瞼が貼りついてしまったのか、目を閉じたまま頼りなく身を起こした。
「おかえりー。もうちょっと寝かせてくれなのだー……我はまだ眠いのだー……」
「馬鹿ッ! このまま寝たらハイエナの餌食だぞ!」
 力いっぱいあきらを揺する松永は真剣な顔をしているが、俺からすれば冗談じゃない。
「誰が襲うかー!」
「ああそうだよねえ。別に奇襲をかけなくても日常的にラブラブだもんな? へえへえ仲のおよろしいこと。邪魔者は消えましょうぜ、旦那。ではあっしたちはこれで……」
「ま、待てこのまま帰るな! 話を聞いて、あと変な演技もやめてからにしろ!」
 何の真似なのかもわからない谷の腕を引きながら、俺はあきらに向かって怒鳴る。
「お前っ、なんで今日に限ってベッドなんだよ! いつもは押入れだろ!」
「そ、そうだ! 大変なのだ!」
 あきらは松永と谷を見て目を丸くしていたが、思い出したように押し入れを指さした。
「あそこにっ、ごっ、ゴキブリがいたのだ! 大変なのだ、捕まえてくれ! あれがいる限り我は押入れに戻れないのだ、怖くて夜も眠れないのだ! 今はとりあえずこっちで寝てたけど、暗くなると奴らは活発になるのだー。想像しただけで、もう……」
 あきらは泣きそうな顔で夏布団を抱きしめると、小さく小さく丸まった。そうかそうかお前はいつも俺を驚かせるためだけに押入れの中にいるもんな。そこに大嫌いな害虫が現れたら外に避難もしたくなるよな。よーし絶対退治しねぇぞ。
 だが俺がそんな決意をしているうちに、外野はますます誤解を広げる。
「は、長谷川ァア! お前っ、何時から何時まで二人で一緒に過ごしてるんだ! 夜か? 夜までずっと一緒なのか!? まさか、そのまま朝まで……! ばかやろう、せめてキスでやめておけ!」
「いやん不潔よッ。カタブツだと思ってたのに……裏切ったのね!」
「盛大に勘違いすんじゃねー! こいつが勝手に居着いて帰らないだけだ! 時間もそんなに遅くまでは……」
 と、実証を口にしようして思わずためらう。あきらは最近夕食までうちで食べることが多くなり、その後も結構な時間まで押入れに居座っている。夜のテレビ観賞まで俺の部屋でしているし、それこそ、ひどい時は十時ごろまでくつろいでいることも……。いかん、こんなことを知られてしまえば何を言われるかわからない。とにかくなんとかごまかして……。
「で、実際水谷はどのくらいここにいるわけ?」
「最近は夜遅くまでここにいるぞ。眠くても我慢して起きてるのだ!」
 元魔王はあっさりと近況を暴露する。質問した谷の顔が、いやらしくにたりとゆるんだ。
「……へぇー」
「ちがっ、こいつの遅くはせいぜい十時で……!」
 だが言いかけた言葉は松永の怒りの声にかき消された。
「不健全だっ。班長として俺は遺恨だぞ二人とも!」
「遺憾だろ」
「イカンでもイヨカンでもいい予感でもなんでもいいっ」
「ダジャレを言う余裕はあるのな」
 こまめに飛ぶ谷のツッコミにも構わずに、松永は真剣な顔であきらに向き合う。
「水谷……。俺にもな、お前と同じぐらいの妹がいるんだ」
「いやみんな同い年だし」
「ていうかお前の妹小学生……」
 付き合いの長いらしい谷が衝撃的なことを言ったが松永は止まらなかった。ショックを受けるあきらにさらにとどめを刺す。
「俺には同じぐらいに見えるんだ。だからな、妹もいつかこんな剣道バカにたぶらかされるんじゃないかと思うと心配で心配で……。班員一人守れないで妹が守れるか? 否! よし決めた、お前の身に間違いがないよう今夜は俺がここで見張ろう。というか明日もお邪魔しよう!」
「そうだ! そして試験のヤマを教えてもらおう!」
 なんだそれはと言う前に元魔王が立ち上がり、元気よく同意する。
「それはいい考えなのだ! 圭一に勉強を教えてもらえばテストも大丈夫だし、みんながいればゴキブリも怖くないのだ! やったー!」
「いやちょっと待て! 途中から目的が違……」
 本気で喜ぶあきらを見て、松永は見守る兄の笑顔でうなずく。谷が机に菓子を広げて座り込んだ。
「さー決まったところで遊びますか。とりあえずそこのマンガ読んでいい? あ、まだ他にも誰か呼ぼうか。ほら賑やかな方が楽しいしー。家で姉にこき使われるより全然マシだしー」
「そうだっ。みんながいれば怖くない!」
「いいか長谷川。今日からは二人っきりの甘ーい夜はないと思え! わかったか!」
「なんかお前らずれてるぞー!?」
 あきらはゴキブリの恐怖から逃れて機嫌がよく、谷は早くもくつろぐ姿勢を見せていて、松永はあきらの身の安全確保に満足して腕を組む。三者三様の目的をここぞとばかりに見せつけられて、俺は奇妙に痛む頭を抱えた。
 その後試験が終わるまで、この奇妙な勉強会は日課として続くことになる。


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