第14戦「枯れない花」
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 俺は現在人生で一番というほどに強く耳を塞いでいる。だがたかが指ごときで完全に遮断できるはずもなく、騒音はわずかな隙間を潜り抜けて執拗に鼓膜を揺らした。
「じゃじゃんじゃア〜ん、ボンボロ〜ん、ワンワワーン、マニキュア〜」
 騒音の名を、元魔王による独りウクレレショーと言う。
 あきらは自分の机に腰かけて、持参したウクレレを気持ちよさげに弾いている。昼休みということで教室の中にはのんびりとくつろぐ生徒もいるのだが、奴らはこの騒音に嫌な顔ひとつせず、異様なまでに優しい笑顔であきらを見ている。俺はといえば正反対に限界まで顔を歪め、ノリノリで演奏する元魔王を睨むだけ。
 本日の三時限目は音楽テスト。それぞれが歌うもよし、好きな楽器を鳴らすもよし、の形式が自由な試験だ。というわけで頭の悪い元魔王はハワイアンセンター土産のウクレレを爪弾きながら、妙な歌を唄い続ける。
「ばばんば〜ん、るんるるー、ららんらー、ヘキサゴーン!」
 指名された!
 勢いよく指をさされてどきりとするが、あきらはウクレレを膝に下ろすと満足そうに息をついた。近くで聴いていたスポーツ少女中嶋が嬉しげに拍手する。
「いいねえその歌ー。バッテンチョーイス」
 それじゃ失格間近じゃねえか。だが細かいことなど気にしない性格なのか、そもそもどうでもいいことなのか、中嶋はゆるゆると伸びきった笑顔で真昼の光を浴びている。
「あきらちゃんの歌聴いてるとね……歌なんて楽しけりゃなんでもいいって気分になるよね……。そんな神聖な音楽をテストにするなんてナンセンスというか、クラス全員が見守る中ひとりだけ前に出て演奏なんて、アンタ一芸披露じゃないんだから……」
 さてはお前、この試験が苦手だな。俺はと言えば音楽ではなく美術を選択したので思い悩むことはない。特に絵が好きなわけではなく、あきらが音楽を選んだのを見てそこから逃げただけなのだが。
「あきらちゃんわたしにその勇気をちょうだーい! もう一曲お願いしまーす」
「まかせるのだ! ふふん、我のオリジナルソングはいっぱいあるぞ。どれがいい?」
 そう言って奴が取り出したのは、ルーズリーフを半分に切っただけのもの。無駄にカラフルなペンで記された内容は。


〜選曲リスト〜
 1.彼の名は島田紳助
 2.タバスコはとてもからい
 3.三軒茶屋の3番ホームで3年ぶりに326を見かけた
 4.枯れない花
 5.犬の助音頭〜インストゥルーメンタルVer.〜


「さっきのは一番だから、他のにするのだ!」
「へー、さっきのってこういうタイトルだったんだー」
 いやお前一瞬たりとも紳助が出てこなかったじゃねえか。
 だが俺は耳を塞いでいるので音楽も声も聞こえません。という設定になっているので言及しない。喋ればたちまちここぞとばかりに「あれ〜、聞こえないんじゃなかったのか〜?」とからかわれるに違いない。俺は耳を塞いでいる。だから何も聞こえない。よって口も挟まない。
 ……しかし、三番がやたらと気になる。韻踏んでるし。一体どんな歌なんだ。三番に比べれば他の曲など真っ当に思えるぐらいだ。五番もかなり気になるが、歌詞がないということなので聴衆の注目度は低いだろう。このリストを見れば誰でも三番を指定するはず……いやむしろ三番以外にはありえない!
「じゃあ四番の“枯れない花”おねがいしまーす」
 ありえた!
 いや違うだろ中嶋さんよ! 三番! リクエストするべきなのは三軒茶屋だろ!
 だが中嶋もあきらもムズムズして仕方がない俺のことには気づきもせずに、二人の世界を作っている。あー気になる。あー言いたい。だが俺は耳を塞いでいるし、あきらの変な歌なんかちっとも聞きたくないことになっているので言うに言えない。あきらは笑顔でウクレレを持ち直す。
「ではリクエストにお答えして、枯れない花……」
 そして、弦を爪弾いた。



 枯れない花を知ってるかい 奴は夜中にやってくる
 たんすの奥のすきまから サムライ走りでやってくる

 でたな妖怪あゆもどきィ
 くっちゃらハピハピ くっちゃらハピハピ
 かんでもかんでも終わらない
 くっちゃらハピハピ くっちゃらハピハピ

 奴は枯れない 奴は枯れない 奴は枯れない 奴は枯れない
 いつまで経っても(ジャカジャン!) フルメイク〜ウウウ〜
 マスカラマスカラ(ジャカジャン!) 四度塗り〜

 センキュー



「……………………」
 俺は本気で何も言えずに机の上に突っ伏した。中嶋はけらけらと楽しそうに笑っている。あきらは心地よさそうに笑顔でポーズを取っている。何か言わなくては気がすまないような、逆に言葉が出ないような奇妙な疲労に侵されて、俺はとりあえず固く耳を塞いだまま晴れた窓へと視線を逸らした。

※ ※ ※

「圭一っ。聞いてくれ、ひどいのだー!」
「……なんだよ流しのウクレレシンガー」
 美術室を出た途端、音楽室から飛び出たあきらに捕まえられて俺は知らずと眉を寄せる。あきらは今にも泣きそうな顔をして、悔しげにウクレレの胴を叩いた。
「先生がそんな変な歌は認めませんって、我だけ来週再試なのだ! なんでだーっ」
 何でってそりゃお前、明白すぎて説明も難しいよ。だがそう言うのも気の毒なほどあきらの顔は青ざめている。中嶋と藤野が追いかけてきて、心配そうにあきらの頭を撫ではじめた。
「ひどいんだよ。先生、みんなの前であきらちゃんのこと馬鹿にして……」
「みっちー泣きそうだったもんねえ。よしよし、よく我慢した」
 音楽室の中から粘りつく視線を感じる。数名の男子生徒がにやにやとあきらを見ていた。
 いやに腹が立ってきて睨みつけるが効果はない。俺は指についた絵の具の跡をこすりながら、哀しげな元魔王を見下ろす。
「あれ以外の歌なんて思いつかないのだ……我はどうすればいいのだ……」
 まあ確かに聞けたものではない歌ではあるのだが、あれはこいつにとっての精一杯なのだから、それを許可しないというのは教育が間違っている。間違っているものを正すのも勇者の仕事だ。
 だからこれは、決して、魔王のためなどではない。
「……先生に抗議してみろよ。しつこく粘れば認めてくれるかもしれないぞ」
 うつむいた頭を上から叩くように言うと、あきらは不安な目を見せる。でも、と開いた口をそのまま封じるように、俺は足を踏み出した。
「嫌なら俺が言ってやるよ。ついてこい」
 え、と言いたげにあきらが顔をあげるのがわかる。俺はそれを見ないように、背を向けて音楽室の中に入る。付いてくる気配がないのを不安に感じて振り向くと、あきらと藤野と中嶋が三人揃って驚いていた。恥ずかしくなって吐き捨てるように言う。
「ほら。来いよ」
「う、うん!」
 戸惑いが笑顔にほどけ、あきらはまるで仔犬のように駆け寄った。俺はそれを引き連れて教室の奥へと向かう。俺は指にこびりついた緑色をこすりつつ、無心に足を動かした。一瞬、俺に向かって走ってきた奴の頭を撫でたくなってしまったことは、ただの気の迷いなのだと自分に言い聞かせながら。


 結局のところ、それでは今は時間もないので放課後にもう一度。と面談時間を指定されて引き下がることになった。約束の時間はもう間近。がらんとした音楽室には、俺とあきらと藤野と中嶋、そして何故か興味深々でついてきた松永班長と谷までいた。班のメンバーに中嶋プラスで男子三人女子三人。丁度いいんだかなんなんだか分からないが、とりあえず多すぎる。
「松永。部活は」
「お前も同じだろ〜。かわいい班員のためなら班長は部活サボリも惜しみませんよ」
「そうそう。彼女のために先生に直談判なんてラブラブじゃん? ラブラブじゃん?」
 うるせえよこのラブラブ連呼谷武。第一俺に部活をサボるつもりはない。この一件が片付いたらすぐに向かうつもりなのだ。だから早く終わってもらわなければ。そんな願いが通じたのか、嫌味なことで有名な音楽教師が現れた。谷が、腰かけていた机から慌てて下りる。
「ではー水谷さん、今度は別の歌を聴かせてくれますか」
 男にしては高い声。喋る言葉全てがまろやかなオペラ調に聞こえる。さすがは音楽教師といったところか。あきらは決意みなぎる瞳で俺に紙を突き出した。
「圭一、選んでくれ」
 渡されたのは昼に見たのと同じ物。持ち歌のタイトルが変化なく並んでいる。
 彼の名は島田紳助。
 タバスコはとてもからい。
 三軒茶屋の3番ホームで3年ぶりに326を見かけた。
 枯れない花。
 犬の助音頭〜インストゥルーメンタルVer.〜。
 テストで歌ったのは枯れない花だったらしい。あんなふざけた歌詞ならば落第しても仕方がないといえそうだ。それならばせめてあれよりはマシなものを選ばなければ。
 みんなが俺の発言を待っていた。試験の合否は今や俺にかかっている。思考が素早く動いては結論を探しにかかる。紳助はだめだ。あれはろくな歌詞がない。タバスコはどんな歌なのだろう、傾向からするとこれもまた歌詞が危うそうだ。犬の助音頭は演奏だけなのでなんとかごまかせるだろうか。タイトルの変さは今は隠しておけばいい。よし、今は犬の助音頭が一番無難に違いない。そうだ、無難だ。間違いがなさそうだ。だから犬の助音頭と言うべきなのに。

 326が気になって仕方がない。

 いや待て待て待て落ち着け俺。嫌味な教師を見返さなくてはならないのだ。それを326ってお前、3年ぶりってお前、韻を踏んで三軒茶屋の3番ホームってお前…………。
「“三軒茶屋の3番ホームで3年ぶりに326を見かけた”で」
「よし。わかった!」
 恐る恐る呟いたあと、俺はとてつもない敗北感に襲われた。
 だがあきらは構いもせずに、凛々しく顔を引き締める。
「水谷あきら歌います。“三軒茶屋の3番ホームで3年ぶりに326を見かけた”!」
 タイトル言っちゃったし!
 先生の顔が引きつる中、あきらはウクレレの弦を重苦しく爪弾いた。



 お前いままでどこにいたんだ 昔モテてたはずのお前
 今は片手にスーパーのビニール袋をさげている
 特売で何を買ったの ネギ? ナス? ホウレンソウ?
 それはお前の感性を どうやって刺激するのか
 ああ ああ 東急三軒茶屋の3番ホーム 3年ぶりの心の再会
 19は元気にしてるかい そう声をかけようと ちかよって見てみたら……



「ソフィアだった〜」
「松岡かよ!」
 ツッコミは六人分重なった。
「わかりづらいよそのオチ!」
「みつる違いだろ! とかいう結論にたどりつくまでタイムラグが発生するよ!」
「そもそもなんで今326……」
「19は解散しましたよ」
 先生までもが冷静にツッコミを入れてしまう。
 俺たちの心は今、ひとつになった……!
「お前、それはダメだろ」
「うん。みっちーごめん……これはフォローしきれない」
「ええーっ! なんでなのだー!?」
 あきらは本気で驚愕しているが、聴衆の耳はごまかせない。先生が冷ややかなオペラ調で告げる。
「水谷さん、不合格」
「そんなー! 圭一、助けてくれー!」
「こんだけ救いようがないとどうしようもねーよ。来週までにもっとまともなの覚えてこい」
「そうですよ水谷さん、ヒット曲でも教科書の歌でもなんでもいいからそっちにしなさい。ではまた来週」
「ありがとうございましたー」
 あきら以外全員が揃った動きで頭を下げる。あきらが縋るような顔をする。
「けーいちー!」
「さ、部活行くか。松永、途中まで一緒に行こうぜー」
「おう、青春の汗を流すぞー」
「けえいちいいいい!!」
 半泣きで騒ぐ元魔王に背を向けて、俺は汗と掛け声漂う部室へと歩きだす。
 その後一週間、あきらの歌の練習に付き合わされるはめになることには、まだ気づいていなかった。


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